「登り石垣」を見てカメラ破損の心のキズが癒されるとは、イオさんもかなりの「城キチ」ですね。カメラは城キチの命ですので、保証が効くと良いですね。
森田城は那須資隆の長男太郎光隆とされ文治3年(1187)ごろに築かれたようです。以降那須十氏の一つ森田氏の居城として続きますが主君の那須氏が小田原征伐に参陣しなかったので宗家と共に改易になったようです。
城址は主郭の周囲に土塁を張り、その周囲に空堀と土塁を設けた比較的シンプルなものです。主郭西側にも腰郭を設けて有りますね。他にもいくつか腰郭があるようですが、主郭の存在感が強いので単郭のイメージがあります。
慶長5年に大田原城主綱清の次男増清が関ヶ原の合戦の功関で森田村を与えられ陣屋を築いて小塙に居住しました。芳朝寺は大田原氏の菩提寺となり麓に墓所があります。「合掌・・」
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