芳朝寺から登城路があり、大田原氏累代の墓碑を経由して坂を上がって行くとすぐに城域になります。この道の先は尾根からの侵入を防ぐ堀切になっているようです。単郭の城館のようですが、周囲には腰曲輪と思われる地形もありました。主郭の周囲には横堀が構築されていました。東側に竪堀があるようですが、藪になっていて全くわかりません。コンパクトですが、それなりに楽しめる城址です。
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2026/11/08 17:14
2025/09/21 11:51
お見舞い (2025/01/06 訪問)
「登り石垣」を見てカメラ破損の心のキズが癒されるとは、イオさんもかなりの「城キチ」ですね。カメラは城キチの命ですので、保証が効くと良いですね。
森田城は那須資隆の長男太郎光隆とされ文治3年(1187)ごろに築かれたようです。以降那須十氏の一つ森田氏の居城として続きますが主君の那須氏が小田原征伐に参陣しなかったので宗家と共に改易になったようです。
城址は主郭の周囲に土塁を張り、その周囲に空堀と土塁を設けた比較的シンプルなものです。主郭西側にも腰郭を設けて有りますね。他にもいくつか腰郭があるようですが、主郭の存在感が強いので単郭のイメージがあります。
慶長5年に大田原城主綱清の次男増清が関ヶ原の合戦の功関で森田村を与えられ陣屋を築いて小塙に居住しました。芳朝寺は大田原氏の菩提寺となり麓に墓所があります。「合掌・・」
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2023/04/08 17:46
2022/02/16 18:40
芳朝寺の隣に (2022/02/05 訪問)
芳朝寺に駐車場があり、道沿いに案内板も立っています。
お寺の脇から登城、すぐに大田原氏累代の墓があります。
そこから登って行くと深い堀切に出ます。
この堀切は二重になっていました。
少し進むと食い違いの虎口、さらに主郭へと続きます。
主郭には東屋があり見晴らしも良いです。
主郭下に降てみると堀底道がありますがこの時季でも笹薮が手強かったです。
那須光隆によって築かれた城だそうです。
ちなみにお寺の横を進んでいく際に警報音が鳴りますが特に気にすることも無いと思います。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 森田(那須)光隆 |
| 築城年 | 文治3年(1187) |
| 主な城主 | 森田(那須)氏、那須氏 |
| 遺構 | 土塁、横堀(空堀) |
| 再建造物 | 説明板 |
| 住所 | 栃木県那須烏山市森田 |
| 問い合わせ先 | 那須烏山市教育委員会事務局 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0287-88-6223 |