(19人目)「藤堂高虎」の続きです。
高虎の最初の居城「宇和島城」を訪れてきました。
宇和島駅からバスに乗り6分「バスセンタ-」で下車(160円)すると城の入口「家老桑折家長屋門」です(写真⑧⑨⑩)。
生涯で7度も主君を変えた男、藤堂高虎! 身長190cmもある大男だったそうです。当時は、主君を守り生涯主君に仕えるのがあたり前だった時代に、自分の技術や知識アイデアをより買ってくれる主君に転々として仕える(今で言うキャリアアップ転職ですね🤔)。そしてその高虎を最初に評価したのが羽柴秀長です。秀長の下で鉄砲や水軍や兵站なども貪欲に学び徐々に頭角を現します。そして秀長の居城となる和歌山城の築城を任され。ここで築城術も必死に学びます。秀長死後、一度は出家するも、その後に秀吉の家臣となり宇和島板島7万石を与えられ、この時に宇和島城を築城しました。
宇和島城は五角形の縄張りをしています(写真⑦)。それはなぜだか御存知ですか? 敵は四角形だと思い四方から攻めてきます。すると一方が空くわけです(忍者もだまされたようです)。そこで有利な状況になるとそこから攻め出しまたは兵糧を運び、不利な状況になるとそこから脱出できるように、そういうトリッキーな縄張りにしたのではないかと言われています。海城だったため、脱出用の船も船倉に用意されていたようです。最初から負ける時の事までも考えて築城していたのは、高虎だけではないでしょうか? 最初の主君の浅井長政の時、姉川の戦いで敗れ、命かながら逃げた経験があるのでこのような考案をしたのだと思いました。高虎がこの時に建てた天守はまだ望楼型だったようです。いったいどんな天守だったのでしょうか?
現在の現存している天守は、1666年に宇和島藩2代藩主伊達宗利(秀宗の子)が築城した層塔型の天守です。小じんまりしていますがいい感じです。当時は関ケ原からもう66年が経ち、平和な時代だったせいか破風が目立ち、狭間や石落としなど戦のための備えは見られません。
(藤堂高虎と宇和島城(2)へ続きます)
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