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ぎりょう

中世山城の見本のよう (2021/08/21 訪問)

お隣、栗原市訪問の帰路に数年ぶりに姫松館を攻城。時節がら雑草などを心配したがさほどでもなく、中世山城の世界にどっぷり浸かることができた。
この城は宮城県北地域では屈指の規模をほこる山城。一迫川左岸の丘陵最南端に、西から東へ曲輪を並べ、切岸、土塁、横堀、竪堀を駆使した見事な縄張となっている。
当地にお出での「城びと」の皆さんにも是非攻城をおすすめしたい場所です。
城址は東北自動車道築館インターチェンジから12キロメートル、約16分ほど。姫松館森林公園を目指し県道17号沿い龍雲寺前の姫松館入口の標柱が目印。最西端の曲輪下まで車で登ることができる。駐車スペースは2から3台分。

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朝田 辰兵衛

「逆さ3シャチ」キレイに撮れました。 (2021/08/21 訪問)

今日は比較的晴天が続き,ほぼ無風。蒸し暑い一日でしたが,考え方を変えれば,絶好の「逆さ3シャチ」撮影デー。閉門間際のちょっと涼しくなってきたあたりが狙い目のような気がします。

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朝田 辰兵衛

そもそも,新発田へ来たのはというと… (2021/08/21 訪問)

そもそも,新発田へ来たのはというと,感染リスクを避けるため。湯沢町ではフジロック,上越市では謙信公祭。新潟県内の人流も,大きく奪われてます。それに抗うなら北へ進めということで。
清水園では,私の他に高齢カップルがデートを楽しんでました。秋は紅葉で彩られます。

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朝田 辰兵衛

足軽長屋の茅葺屋根,修復完了してました。 (2021/08/21 訪問)

今年の1月14日に破損した足軽長屋の茅葺屋根ですが,修復完了してました。完璧ではない気がしますが,全葺き替えをしたとのこと。これが現在の技術による最大限の着地点なのかな…と思います。
ついでに清水園,新発田藩史料館,堀部安兵衛伝承館,新発田城の散策を。何回かに分けて投稿します。

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ヒロケン

特別史跡・特別名勝指定城跡 (2021/08/12 訪問)

一乗谷朝倉氏遺跡は戦国時代に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名朝倉氏の遺跡です。山城の一乗谷城と山麓の朝倉氏及び家臣団の居館からなっています。遺跡全体が国の特別史跡で居館跡に残る4つの日本庭園が国の特別名勝に指定されています。
一乗谷は東西約500m南北約3kmで東、西、南を山に囲まれ、南北に城戸が設けられ1.7kmの城戸ノ内に朝倉館・侍屋敷・寺院・町屋が計画的に整備され、周辺の山峰には城や砦が設けられ地域全体が要塞であったとされています。

遺構としては、土塁・虎口・石垣・礎石などが残っており、日本初の町屋跡が復元されています。

二度目の登城で、娘が嫁いだ金沢に行く途中に立ち寄りました。今回は、一乗谷朝倉氏館のみで一乗谷城へは時間の都合上行っていません"(-""-)"
朝倉館散策中に一風変わった方が居り(和装で雨が降っていないのに雨傘をさしている)、目を合わせないようご挨拶。諏訪館跡庭園で立石の画像を撮っていた所、その方が近寄ってきて、「観光の人かね?何方から来たの?」と尋ねられ「はあ、愛知県です」「すみません」と返答。「いやいや、貴方が熱心に庭園跡を見てるから、つい、嬉しくて」とのこと。その方は、朝倉氏庭園に興味があり、毎日のように来て画像に収めているとのことでした。「450年前には、この紅葉の木もなく、周りの杉の木も生えていなかったでしょう。でも今はね、杉の木の間からの木漏れ日が庭園の立石に射し込んで凄くいいですよ」等など(*'▽')その方の話が面白く、30分程お話を伺ってお別れしました。庭園に興味がある方は、朝8時頃一乗谷朝倉氏館に行けばその方と会えると思います。是非どうぞ(#^.^#)

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新ろくべえ

多胡館に行ってきました (2021/08/21 訪問)

群馬城めぐり(岩鼻代官所→矢田代官所→多胡館→神保館→長根城→吉井陣屋→赤堀城)
多胡館に行ってきました
ここは今から1000年くらい前に築城された古い城です
設名板があり分かりやすいです
平安時代の武将、木曽義仲の父義正が1140~1150年に住んでいたと
言われています。その跡は不定です
説明板の裏には堀があります
〔城情報〕
・築城年代 ?
・築城者 ?
・主要城主 木曽氏
・大きさと形 100×100の正方形
・主な遺構 堀、土塁

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新ろくべえ

神保館に行ってきました (2021/08/21 訪問)

群馬城めぐり(岩鼻代官所→矢田代官所→多胡館→神保館→長根城→吉井陣屋→赤堀城)
神保館に行ってきました
ここは辛科神社の跡にあります。
とくに説明板も石碑もなく城の痕跡が少なく
ここが城なのかが分からないような感じです
いちよう堀らしき跡はあるのですがすこしわかりにくいです
〔城情報〕
・築城年代 情報無し
・平城?
・築城者 神保氏
・主要城主 神保氏
・主な遺構 堀

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新ろくべえ

岩鼻代官所に行ってきました (2021/08/21 訪問)

群馬城めぐり(岩鼻代官所→矢田代官所→多胡館→神保館→長根城→吉井陣屋→赤堀城)
岩鼻代管所(陣屋)及び岩鼻県庁跡に行ってきました
ここは城ではないのですが近くにあったので行きました
この代官所は1793年(寛政五年)に幕府の命により
この地につくられたといわれています。
そのときの代官は吉川栄左衛門と近藤和四朗が任命されました。
そして1865年(慶応元年)には木村甲斐守が着任しました。
その木村甲斐守は上野国の幕府直轄領と旗本領、寺社領、大名の預り地と
武蔵国六郡を支配し、世直し一揆で鎮圧に江戸北辺の守りの中心と
なりました
その四年後に陣屋崩壊になると成立した新政府は六月に
岩鼻県を設置し大音龍太郎を軍監兼当分知事にめいじ、旧代官所跡時代と
ほぼ一致する地域を支配し、1869年には吉井藩を併合したが
そこから二年後に岩鼻県は廃止となり第一次群馬県が成立し、
県庁は高崎城に移された
〔代官所情報〕
・設置年代 1793年
・設置人 幕府
・主な代官 吉川氏、近藤氏、木村氏
・主な遺構 消滅

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chou2677

石垣崩壊 (2021/08/21 訪問)

石垣が樹木や水で崩壊。今日は発掘調査説明会。たくさんの人でした。

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kazu

熊本地震(2016/4月)で被災した奇跡の一本石垣「戌亥櫓(熊本城)」 (2021/06/24 訪問)

■平成28年熊本地震で大きな被害を受けた熊本城   2021年6月24日(撮📷)
 西出丸の北西隅にあるのが戌亥櫓です。
 木造2重3階の隅櫓で、戌亥(北西)の方向に位置することから戌亥櫓と呼ばれています。
 地震後、踏ん張る石垣『一本柱』、櫓(やぐら)の崩壊を一本足で支えているように見える戌亥櫓(いぬいやぐら)
 これだけ崩れたのに、一本柱は踏ん張っています、今も必死に耐えています。
 頑張っている姿に感動!・・・そして”勇気”をもらいました!!!



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エレクトラ

雨の福知山城 (2021/08/18 訪問)

大河ドラマも終わり、静かな福知山城。

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赤い城

派手な遺構は少ないけれど (2021/08/13 訪問)

高尾駅から徒歩で10分くらい。
みころも堂を目指すと良いのですが緊急事態宣言中で入れません。
今回は高尾天神社の参道から登城しました。
山頂部にある主郭までは急な部分もありますがそんなに大変ではないです。
主郭部から腰曲輪に向けて浅く短い竪堀、関東ロームで滑りやすく、雨上がりのこの日は苦労しました。
主郭から西に降りたところに堀切もあります。
何回か来たのですが見逃していました。
椚田氏蛾築城したとされていますが扇谷上杉氏方の長井氏の築城説もあるようです。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「左入城」 (2021/08/15 訪問)

以前、カルビンさんが投稿してくれた「左入城」に行きました。

投稿を見た時、『あんな所に石碑があるなんて!』と驚きました。多分、「左入城」の石碑前を100回以上は通っていたからです。
私の住む東京の端っこ、車を運転する人は『中央高速道路の八王子IC近くの村内家具の前』と言えば『はいはい』と分かってもらえます。
そんな訳で、大雨の中、「左入城」出陣です。

ナビに頼らなくても大丈夫ですが、「左入城」よりは「村内家具」や「村内美術館」の方を選択した方が安心安全です。
私、村内家具の駐車場に車を置きました。
ちなみにお向かいは『お値段以上♪ ニトリ♪』です。大きな駐車場がありますよ。買い物ついでに石碑をパチッと撮影するくらい大丈夫だと思います。

大雨と石碑の前は交差点で、信号待ちしている方々がいるので早急に、パチッ。横からパチッ。
退陣です。

「左入城」は続100名城の「滝山城」の支城とあります。東西400m 南北175m 深さ9mの堀があったようです。
うーん、石碑の前は国道16号。想像が難しい。
裏手は谷のようにも見えるし、「滝山城」までは山を開いた道。ありそうな気になってきました。
中丸淡路守の居城と石碑には刻まれてました。
中央高速道路は山梨県に続きます。
武田家の進攻に、守り重要ポイントの場所になったのかもしれませんね。

そして、この石碑は17代当主 村内 道昌社長が建立してくれてます。
とても歴史のある家具屋さんなので、自社の石碑を建てても良いくらいなのに、、、、嬉しい限り。歴史は大切にしなくてはなりません。
村内家具はとても品質の良い家具が並んでいました。
大雨にも関わらず、お客さんが入ってます。

帰り道、「滝山城」近くを通ったら駐車場に車がありました。
いくらなんでも、どしゃ降りの山城は危ないよ~と城仲間の心配。モラルある『城びと』でありたいものです。
、、、と、たまに お城に失礼な投稿をしているのですが、、、、。

さてさて、カルビンさんの投稿のお陰で、また素晴らしい先人に出会いました。

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にのまる

佐竹さんのお城 (2021/07/02 訪問)

 大手門の堀の蓮は見頃にはまだ少し早かったのですが、一面の緑が眩しい広大なお堀は清々しく爽やかで気持ちのいい眺めでした。黒門跡から入城し、佐竹史料館は帰りに寄ることにして長坂を上って御物頭御番所へ。ここまでくる間にもかなりくねくねしています。
 御物頭御番所は藩政時代から唯一残る貴重な建物。ありがたいことに出入り自由です。懐かしささえ感じる静かな佇まいに、住み込みの番人になって日がな一日表門を眺めていられたらな……などと思ってしまいました。
その表門は平成13年再建の櫓門。石段を程よいアプローチとし、威風堂々たる立ち姿です。本丸側右手の土塁上から眺める姿もまたかっこよい。年月を重ねるごとに風格を増す、そんな門に育ってくれたらなぁと思います。
 北西隅に再建された御隅櫓は時季的に周囲の木々が繁茂していることもありますがなかなか外観全景を捉えられません。やはりこの場所はもう少しこじんまりとした(にちがいない)往時の二重櫓(物見櫓・武器庫)が相応しいのではないかなと思えてきます。しかし、三階部分に設けられた展望室の廻縁で心地よい風を感じながら周囲の景色を楽しみ、屋根を写り込ませたお約束の遠景写真を撮っていると、この展望室があるからこそ見えない敵と戦う時代につかの間の休息を与えてもらえたのだと感謝です。館内はビデオや展示もとても充実していて、特に精緻なジオラマに感動。ドラえもんにガリバートンネルを出してもらって中を歩きたくなるくらいでした。(スモールライトでもいいです。)
 舟形手水鉢のある茶室宣庵へ向かう途中に御出し書院(天守代用)跡へ。そうだ、ここは土の城だったんだ、ということを思い起こさせてくれる雰囲気があります。書院跡からも見下ろすことのできる舟形手水鉢は文禄の役の際に加藤清正が朝鮮から持ち帰り大阪城内にあったものを石田三成の計らいで佐竹家に贈られたと伝えられているもの。想像していたより洗練された感じでした。
 内堀、佐竹小路のほうへぐるっとまわりましたが、城跡を丸ごと公園化した久保田城は折れあり高低差ありで効率よくサササーッとはまわりづらい、というところにいちばんお城らしさを感じました。視覚だけではその広さを捉えられず、歩いてみて初めて広大さと複雑さに気づくといった感じ。めんどくさいお城です(褒めてます)。
 前回訪問時は秋田城→湊城→久保田城とバタバタとまわり佐竹史料館に行けなかったので今回こそはと思っていたのですが、またしても時間切れ。次回(いつだ?)は先に史料館に行って、移築門と周辺にあるというキリシタンの歴史にも触れてみたいです。

 そういえば……ですが、秋田城で佐竹史料館との共通券について尋ねると「佐竹さんの史料館は…」と言われました。また、秋田出身の同僚に久保田城に行ったことを話すと「佐竹さんのお城ね」と言われました。“佐竹”ではなくて“佐竹さん”です。常陸国から転封後、270年(現在もか‼︎)の長きにわたって治め、彼の地に根付いた佐竹氏の歴史が人々の中に薄れることなく受け継がれているのだなと感じました。

【お城川柳121】
秋田城じゃなくってここは久保田城

わかっているんですけど、つい「秋田…」と言ってしまうのです(;’∀’)駅前だし……。

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小城小次郎

砦の割にはめっちゃ知名度が高い (2021/05/31 訪問)

桶狭間のおかげで「砦」の割には鷲津砦ともどもめっちゃ知名度が高い。新幹線から見える丸い森と白い看板が絶対それだと昔から思っていて、初めて現地を訪ねてみて、昔からの想像が正しかったことがわかってちょっと嬉しかった。

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新ろくべえ

那波城に行ってきました (2021/08/18 訪問)

那波城に行ってきました
ここは那波宗俊が築城した城です
何もないところに石碑がたっていました
周囲は田んぼで唯一見えるのは名和幼稚園・・・
説明板は見つからず帰りました
次行った時には見つけたいです!
〔城情報〕(本に書いてある情報)
・築城年代 天文年間1532~1555(詳細は?)
・平城
・築城者 那波宗俊
・主な城主 那波氏、北条氏
・主な遺構 消滅

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びーこ

お勧めはコース2 (2021/08/12 訪問)

駐車場に車を停め(一番乗り!密なし!)、急な坂道を登って総合案内所に向かう。
既にこの時点でかなり体力を浪費してしまった・・
総合案内所では、立派な縄張り図と散策コース案内図を頂く。
案内の方のおすすめは、行きはコース2(二重環濠と半埋没の堅穴建物跡をめぐる)で、
帰りはコース5(続日本100名城の鮫ヶ尾城を攻略する)、だということだ。
道順や道中の地形について詳しく説明して頂いたのは有難がったが、なかなかの険しさにちょっとビビる私。
「スキーのストック(熊よけ鈴付き)を貸してあげるから、大丈夫よ〜」という言葉に励まされて、いざ出発!
ってか、熊が出るんかい!
[コース2]
本格的な山登りコースで、途中、縄が張ってあり、これに掴まらないと登れない急斜面もある。
スキーストックは絶対に借りるべし。苦労した甲斐があり、頂上の景色は格別!
[コース5]
山道の殆どは丸太などで階段が作られており、ひたすら下を見ながら降りるのみ。
楽だけど面白くはない。行きにコース2を勧めてくれた意味がここで分かった。

気持ち良い汗をかいた後は、お楽しみのランチ。
十日町まで移動して、名物のへぎそばを頂いた。
布海苔が混ぜ込んであるので、十割そばなのにつるんとした喉ごしで、箸が進む進む〜ついつい食べ過ぎてしまった。

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higekam

織田、武田が奪いあった城 (2020/04/05 訪問)

女城主の影響でさらに有名になった城だが、その面影などなく石垣で固められた武骨で守り堅固な山城だ。
日本三大山城と言われるほどで、私も石垣に魅了され何度も足を運んできた。駅から歩いても行けるし、車で本丸直下まで行くこともできる。

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イオ

波切九鬼氏の本拠地 (2021/08/01 訪問)

南北朝後期に波切九鬼氏初代・九鬼隆良が居城として築いた城で、四代・泰隆が居城を田城城に移した後も拠点として存続しました。九鬼嘉隆は波切城の生まれとされ、波切城主として田城城の兄・浄隆とその子・澄隆を支えましたが、後に本拠地を鳥羽城に移したことにより波切城は廃城となりました。

志摩半島東南端の大王崎の突端に位置し、太平洋を見下ろす断崖の上に築かれています。主郭は展望公園(八幡さん公園)として整備され、北辺に土塁、北西部に虎口が設けられ、北辺の切岸にはわずかに石積みも見られました(遺構か後世のものかはよくわかりませんが)。虎口の下には城址碑(小さな説明板付き)が建てられています。

なお、主郭から東に徒歩1分の大王埼灯台からは海に突き出た岬の断崖絶壁の上に築かれた主郭と北辺の切岸が一目瞭然で、この日は天気も良かったため、夏空のもと視界いっぱいに広がる太平洋といい、有料(大人300円)ながらも、それ以上の価値がありました。時間に余裕がある方は、灯台の隣の大王埼灯台ミュージアムもどうぞ。少しだけですが波切城についても触れられています。

また、灯台から北に徒歩3分の仙遊寺は波切九鬼氏三代・隆次が菩提寺として建立した寺で、境内奥には隆次、泰隆ら波切九鬼氏の五輪塔が安置されています。
 

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刑部

緊急事態宣言を受けて! (2021/08/19 訪問)

とうとう私の県も緊急事態宣言を・・・なので県を跨いでの城址探訪は出来なくなりました。でも、家で自粛ばかりではヤバいので〔肥満の元〕地元で密を避けて城址歩き! 今回は真壁城、最初に来た時よりだいぶ発掘調査が進んでいて見所が出てきました。中には土塁や堀がそのまま遺っている所があります! これからますます楽しみな城址です。
雨引観音にある移築門も見てきました。
追伸
案内板の所で蝉が蜘蛛の巣にかかり死に際でしたので助けてあげました、だって蝉の命は短いからかわいそうですよね❗️

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