なおとりじょう

直鳥城

佐賀県神埼市


旧国名 : 肥前

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主郭
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ぴーかる

直鳥城 (2024/02/11 訪問)

【直鳥城】
<駐車場他>直鳥クリーク公園駐車場
<交通手段>車

<見所>水濠
<感想>1泊2日久留米・佐賀の旅6城目。現地説明板によると、この地は弥生時代から人々が定住を始め、中世には現在に近い形の集落が形成されていたそうです。直鳥城は永正年間(1504~1520年)に犬塚家久によって築城され、要塞化された環濠集落として発展していったそうです。犬塚氏は当初大友氏に味方します。3代目城主犬塚鎮家は鎌田江城に居住し龍造寺氏を攻めますが、逆に1571年、龍造寺隆信に鎌田江城を攻め取られ逃げ落ち、直鳥城は打ち捨てられたようです。
 城跡の主要部中心地は広い曲輪になっていて現在は貸畑地になっています。畑地以外の曲輪跡は藪化している所が多く、現地説明板には竹藪化している場所には土塁が残っているそうですが、濠を隔てては見えません。奈良県の環濠集落は見ましたが、中世平城でこれ程水濠と曲輪が明瞭に残っている遺構は初めて見るし、初めて見るこれまでと違った城郭構造に興奮しました。いびつな形がまたいい感じ。水壕と藪化した場所は現在は水鳥たちの楽園になっています。

<満足度>◆◆◇

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しんしんちゃん

戦国期のクリークと郭がほぼそのまま残ってる (2023/01/01 訪問)

直鳥城は戦国期に犬塚氏の支配下に置かれ、城塞的な環濠集落として発展
したとあります。
かつてはクリーク内を小舟で行き来し各郭には土塁を設けていたと言います。
今でも戦国期の形状を良く残していて竹藪にはかつての土塁が残っているそうです。
城域は東西330m、南北330mあり、北側に駐車場があり道路からアクセスが可能です。
各郭には橋がかかっていて、郭間を移動できますが
駐車場から直接、本丸に到達できます。
遊歩道もあるので、ひとしきり周囲を回ってみて欲しいです。

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直鳥クリーク公園 (2023/02/23 訪問)

 犬塚氏の居城であった城で直鳥クリーク公園として整備されています。曲輪も水路もそれなりに残っています。

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昌官忠

202206遠征(対馬&五島&北部九州)4日目:直鳥城 (2022/06/08 訪問)

姉川城からの転戦です。城址は直鳥環濠集落クリーク公園です。
直鳥クリーク公園駐車場(33.273658、130.370624)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、永正年間(1504年〜1521年)頃に犬塚家久によって築かれたと云われています。犬塚家久は蒲池氏の庶流崎村城主犬塚家貞の四男です。
犬塚氏は筑後国三潴郡犬塚郷発祥で、犬塚城を居城としていましたが、明応年間(1492年〜1501年)頃に肥前国神埼郡に移ったようです。
1560年(永禄3年)犬塚家清は嫡男尚家とともに大友氏に従って筑紫氏を攻めますが敗れ、宝満岳で戦死し、家督は鎮家(盛家)が継ぎました。
1570年(元亀元年)大友氏に属して今山の戦いで龍造寺氏と戦いますが敗れ、その後、龍造寺氏の攻撃を受け、犬塚鎮家は筑後に敗走し直鳥城は廃城となりました。

直鳥城はクリークを利用した平城で現在直鳥クリーク公園として整備されています。
平日の昼間からクリークで釣りをする人が、結構いらっしゃいました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=蓮池城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 犬塚家久
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 犬塚氏
廃城年 元亀2年(1571)?
遺構 曲輪、堀
再建造物 石碑
住所 佐賀県神埼市千代田町大字直鳥字三本松
問い合わせ先 神埼市教育委員会社会教育課文化財係
問い合わせ先電話番号 0952-44-229