木造復元四重天守閣大洲城探訪が主の四国旅、前日宇和島城、復元天守に登閣、眺めしつくした大洲城、時間の関係で松山城は三の丸、二の丸下、道後温泉本館、湯築城を車窓見学して、松山の宿に宿泊。
朝早くに近くの四国八十八ヶ所めぐり51番石手寺を参拝、土産に家内趣味の砥部焼の丈夫な器を購入し現在も大切に使って居ます、高速で香川へ、途中に弘法大師ゆかりの善通寺参拝、長く高い石段を登って金刀比羅宮参拝讃岐の眺めは最高。
丸亀城は50数年前に初登城、今回17年前の平成17年8月上旬に金毘羅さん参拝、昼を済ませ二度目かな?家内と登城しました、内濠、内濠越しに高い石垣、天守閣を眺め、久しぶりの感激、躍動感に胸震えます、大手土橋を渡り大手枡形門、見返りの坂道を登って、高石垣が眼前に、石垣を触ったり上部の高石垣天端を眺めたり、三の丸、二の丸、本丸、小振りな現存12天守の一つである天守閣に登る、天守からの眺め、本丸からの眺めは素晴らしく最高です。
近世の丸亀城は秀吉の四国征伐後、讃岐を生駒正親が拝領し高松城築城、隠居城として丸亀城を築城、関ヶ原で東軍についた子の生駒一正は讃岐一国17万石余を拝領し丸亀城は完成したが元和の一国一城令で廃城、生駒氏のお家騒動で寛永17年(1640年)減封転出、寛永18年(1641年)山崎家治が5万3千石で入封し城の再建し現在の姿に、山崎氏三代続くが世継ぎ無く改易、代わって万治元年(1658年)京極氏が6万6千石で入封、七代続き明治を迎える。
丸亀城は生駒氏、山崎氏、京極氏に引き継がれて現在の姿に天守閣、大手桝形一の門二の門、御殿表門が現存です。
さて4年前の平成30年(2018年)7月の大雨で高石垣が崩落被害に遭い、現在復旧復興工事中です、被害見舞いと早い復旧復興を願って居ります。 頑張れ丸亀城❕
この後は瀬戸大橋を渡ってふるさと鳥取へ、途中に瀬戸大橋唯一のPA、与島PAに寄り、休憩し瀬戸大橋、瀬戸内海、遠く讃岐富士を眺める、丸亀城は目視出来ず。
2泊3日四国旅は復元したての大洲城木造復元四重天守閣を観覧するが主目的でしたので満足旅でした、平成16年には新発田城三階櫓が7月、大洲城天守閣が9月に完成しています。
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