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ぴーかる

菰野城 (2022/09/25 訪問)

【菰野城】
<駐車場他>道の駅菰野
<交通手段>車

<感想>菰野は信長支配時代に北勢5郡を与えられた滝川一益が代官所を置いた場所です。1583年にひじかた雄久が7000石を与えられ統治します。1600年関ケ原の合戦後にひじかた雄氏が初代菰野藩主となり見性寺に城があったのを代官所を更新、屋敷を設けて整えました。ひじかた氏はその後藩主として明治時代まで続きました。
 道の駅菰野に駐車し遺構の散策をしました。角櫓跡には巨石が1つと石垣の一部とみられる石があります。城跡碑のある場所は庭園の一部だそうです。小学校の北側に回ると堀と土塁の一部が残る場所があります。
 この辺りはお茶が名産らしく道の駅で購入しました。

<満足度>◆◇◇

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おぃしーぃ

北条流城址の見本 (2022/10/10 訪問)

所沢インター近く、柳瀬川の河岸段丘につくられた滝山城等の山沿いのお城と江戸城等の江戸湾沿いを結ぶ繋ぎのお城といわれています。
現地に行けばわかりますが、河岸段丘をうまく使って、深い空堀、巧妙な虎口と矢倉、高低差をつけられた郭群など北条流の作事をフルセットで配置して、落城しにくいつくりをしており、この小さなお城を重要視している事がわかります。なんとなくミニチュアにした静岡の諏訪原城址という感じを思いました。
北側にはいまは民家と畑で見えませんが、堀と土塁が発掘でみつかっており、しっかりと守られた広い郭があったらしいですね。
このお城からは、北条氏が繋ぎのお城に求めた要素が学べると思います。
30分も経たないで一回りできるので、こうした北条流作事を学ぶにはちょうど良い城址と思います。
1の槨からの柳瀬川方面の景色も素敵ですが、出陣前に武将達が御茶をたてたという逸話がある3の槨の景色も良いですね。武蔵野線の高架が目の前を走っていますが、高さの基準になっていると思ってください。
柳瀬川の公園駐車場から河岸段丘を登って高さを感じても良いし、所沢インター方面から登って来て2の郭の駐車場に車を停めて楽をしながらみて回っても良いと思います。

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がっくん

城友のデジカメ最期の地 (2022/08/18 訪問)

雨上がりの翌日に念願だった続100名城の鎌刃城攻城を試みた。
名神44番ゲートから登頂スタート、途中で車の中に熊鈴を忘れてきたのを気付いたが
後戻りを諦めて進んでいたところ備え付けの熊よけ鈴があるではないか!
蜘蛛の糸よけのためぶん回していた木の棒でそれを叩いて一安心。
先人からヤマビル情報があったが全然その心配はなかった。
見どころは北郭群とその手前の大堀切か、城の名の由来となっている南東尾根にある
連続堀切も是非行ってほしい。
奥の切り通しまで行き、副郭に戻ってくる途中で尻もちをついて
不覚にも尻ポケに入れていた約20年来のデジカメをおのれの体重で潰してしまった(涙)
鎌刃の上でのこの出来事は生涯忘れまい。。。
上級者向けとされている西郭はさすが滑りやすい切岸状で、トラロープ使わずしては
降りれない。
しかし、その先には連続した曲輪群と畝状竪堀群があるのでせっかくなら足を運んで。
そのまま下り、林道に出たらひたすら歩けば名神42ゲートに出る。
青龍の滝を行かなければ2時間ちょいで戻って来れます。

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赤い城

三ツ木城 群馬県伊勢崎市 (2022/10/01 訪問)

真福寺周辺が城跡ですがこのお寺も小屋のような建物があるのみです。
廃寺なのか移転されたのかは調べていないのでわかりませんが。
北西側に土塁が残っていて上に三ツ木神社が鎮座します。
周辺は住宅地で他に遺構は無さそうです。

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朝田 辰兵衛

大雨注意報だというのに… (2022/10/10 訪問)

大雨注意報だというのに,やってきました。往路は路線バス利用。「西警察署前」下車で,少し戻りました。沿岸部に来ると,雨よりも風のほうが強かったです。しかも,突然強いのがやってくる状況で,傘は役に立ちませんでした。
場所は,大野湊緑地公園内です。まず,迷うことはないと思います。
復路は,金沢駅西口まで,徒歩約75分。新潟へは,金沢から高速バス。実は,北陸新幹線にはまだ乗ったことがありません。敦賀延伸後,乗ってみたいと思います。

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侍ホリタン

2022年春、桜の名城を訪ねて② (2022/04/03 訪問)

桜本数1000本、姫路城の桜撮影スポットは沢山あるので、事前にネット等で調べておくのがおすすめです。

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赤い城

田んぼの傍らに石碑がポツンと (2022/10/01 訪問)

名和幼稚園の近く、田んぼの傍らに石碑が立つのみ。
遺構はありません。
那和氏によって築かれたと言われています。
西側の少し離れた場所にある名和小学校にも石碑と説明板が立っていました。
こちらにも遺構はありませんでした。

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妻籠宿 (2020/10/22 訪問)

 中山道42番目の宿場町で、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された古い街並みが残されて当時の風情を保っています。ここにも桝形が残っています。
久しぶりに行きましたが、多くの観光客がみえていました。

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徳川秀忠 (2022/10/22 訪問)

 関ヶ原の戦いの時、上田城攻めで遅れていた徳川秀忠が、東軍勝利の報告を聞いた城として伝わっています。    
 妻籠宿から徒歩にて登城しました。主要部は整備してあり、概ね歩きやすかった。途中にある長い土橋はいい感じです。堀切、土塁、帯曲輪等見ることができます。主郭の南西部に降りて行くと小さいですが堀切がありました。ただ藪になっている所も多く遺構が十分に見えない場所もありました。入口付近にも曲輪があるのですが藪になっていて侵入は断念しました。

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須原宿 (2022/10/22 訪問)

 中山道の宿場町ですが、宿場の創設は天文、弘治の頃といわれています。「水舟の宿須原宿」とあります。昔から清水が湧き、今も丸太をくり抜いて作った「水舟」が各所に置かれていました。
定勝寺は木曽氏の館跡と伝えられています。宿場町にも城郭でお馴染みの桝形がありました。江戸時代に制定された宿場町では宿場町の出入り口に桝形が設けられ、江戸への進行を少しでも遅らせようと作られたようです。

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木曽氏の城 (2022/10/22 訪問)

 木曽氏が福島に本拠を移す前の拠点であったとされる定勝寺の館の詰城と考えられています。木曽川を天然の堀として周囲を断崖で囲まれた要害となっています。主郭と二の郭の間にある二重堀のようになっている所が一番の見どころでしょうか。他にも土塁等も認められます。尾根にも曲輪があるのではないかと思いましたが、今回は散策していません。石積みがありますが、城のものではなく愛宕神社があったときの遺構らしいということです。
 JR須原駅より徒歩10分くらいで登城口に行くことができます。登城口についてはtodo94さんの投稿がとても役に立ちました。登城口から5分くらいで鉄塔(Mo.22)に行くことができました。整備されていて歩きやすい道です。

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POYO58

本丸・天守台 第二編 (2022/08/30 訪問)

さて、天守台を見た後、早速天守の中へ入って行きました。(天守はありません。あくまで想像です。)入っていくと石垣がたくさんあり、区画が多くて天守に行くのも結構疲れます。やっと天守について、上から見てみると、なんととてつもない区画を通っていたことがわかりました。おそらくここが最大の罠だと思います。天守台の上にも石垣や礎石があり、ここに大きな天守や付櫓が建っていたことが予測されます。とはいえ、こんなに大規模で激しい罠を肉眼で見ることがほとんどなかったので、これには感動しました。中世の城であるのにこんな石垣の罠があるとは思いませんでした。さすが日本三大山城の世界最強の山城ですね!

評価
遺構:5
建物:-
行きやすさ:2
全体:4

攻城時間
2時間かかってしまうくらい広いです。めぐる範囲によって結構変わってきます。

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赤い城

息障院が館跡 (2022/10/01 訪問)

息障院というお寺が館跡です。
山門の前に堀が残っています。
浅くなっていますが整備されていました。
西側に回ってみるとこちらにも堀が。
こちらも浅いですが雰囲気が残ります。
源頼朝の弟、源範頼の館跡です。
頼朝に謀反の疑いをかけられ殺されてしまいました。
大河ドラマのお陰で登場人物の縁の地が身近に感じられるようになりました。
範頼は迫田孝也さんが演じていましたね。
鎌倉時代にも少し詳しくなったかな?

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小城小次郎

まったけ城 (2022/05/28 訪問)

別名の白米城はもともとの地名(町丈=まったけ)に地元名産の白米の字を充てたために「白米」と書いて「まったけ」と読ませる難読中の難読城名。なお現地は「平田城」推しなので二つのお城があるのかと錯覚していた。

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Kimoくん

寄ってみたら大正解でした (2022/10/20 訪問)

前日行った浪岡の青森中世の館でパンフを見つけた堀越城。晩飯を食べた弘前のお寿司屋さんの大将からもすすめられたので大館能代空港に行く前に訪問しました。弘前藩初代藩主 津軽為信 最後の居城だそうで史跡公園としてたいへんよく整備されています。旧石戸谷家住宅がガイダンス施設となっておりここでお城に関する勉強をし資料をいただいて登城開始。城域は三の丸を通る国道7号線によって東西に分かれていますが地下道で結ばれています。復元された土塁の数々や濠跡、また各所にある説明版など地元の方のご努力で素晴らしい史跡公園となっていますので是非訪問してみてください、「土の城」好きには必見かと・・・。

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赤い城

大雨の後で守谷沼が出現 (2022/09/24 訪問)

守谷城址公園になっていて駐車場もあります。
車を駐め、降りると以前来たときと風景が違っていました。
芝生の公園一面に水が張っていて水堀に。
往時は内海の守谷沼だったのでこのような感じだったのでしようか。
城址の部分まで歩くと安定の深い堀底道。
かなりの深さで折れもあります。
二郭は広く説明板がありました。
説明板近くの坂虎口も見どころ。
二郭と主郭の間には楯状曲輪があり、ここもそれぞれ深い空堀で仕切られています。
この北側には船着き場跡もあります。
主郭の空堀には障子堀も施されていたそうです。
元々は相馬氏の居城でしたが戦国時代には北条氏の城となっていたので納得できますね。
都心からも比較的近いおすすめの城です。

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Kimoくん

秋の弘前城 (2022/10/19 訪問)

浪岡城からの転戦、ドライブ途中は雨でしたが市立観光館地下Pを出ると快晴。観光館で弘前公園案内図をいただきすぐ前の追手門口から登城を開始しました。現在追手門と南内門は修復工事中でシートがかかっていますが、当初の正面門といわれる北門(亀甲門)、
三の丸東門、二の丸東門(東内門)と計5つの城門、丑寅・辰巳・未申の3つの櫓そして天守閣と多くの建築物が現存している数ある城の中でもたいへん貴重なお城であることを実感しました。石垣の修復が終わり天守が元の位置に戻ったら是非再度訪問したいと思います。これで現存天守11城め、いよいよ残すところは松本城となりました来週行ってきま~す!

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Kimoくん

名族北畠氏の城館跡 (2022/10/19 訪問)

先月の宮崎から寒くなる前に一路青森へ。案内所で城館跡模型を見学し散策マップを頂いて登城開始。内館、猿楽館、北館、西館4エリアが城域とされ、東館、未調査の検校館、道路を挟んだ場所にある新館と一部史跡外となる外郭とされるエリアを含み城館域とされています。
内館は城主の居所や政庁とされており、北館は家臣が住んでいた武家屋敷と考えられ板塀で囲われた形で区画されています。
案内所から順路標識に従って猿楽館→東館→北館→内館と周り浪岡川沿いに案内所に戻るのが基本ルートで30分程度。説明版や復元された土塁跡などが整備されており、出土した武具・武器・生活用品などは近くにある青森市中世の館に展示されています。尚、青森市中世の館ロビーには南部氏の城のパネルもあります。

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にのまる

ららぽーとは混んでいました。 (2025/10/09 訪問)

宗忠寺と陣屋跡周辺に行きました。

ふと、神奈川県の城びと登録城もコンプ目指してみようかなと思い、この日2ヶ所行ってみました。
まだ全部調べきれていないので制覇できそうかどうかわかりませんが…。

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にのまる

立入禁止です。 (2022/10/09 訪問)

東名高速の反対側にも緑が見えたのでGoogleマップの写真で見てみたら“分断された城”が見えました。

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