ほりこしじょう

堀越城

青森県弘前市


旧国名 : 陸奥

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二重の土塁 北側
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しんしんちゃん

東西南の方向には二重の堀と土塁が配されている。 (2021/05/08 訪問)

堀越城は津軽氏の城とされています。慶長16年(1611)に津軽信牧が弘前城に拠点を移した後、元和元年(1615)に一国一城令により廃城になりました。周囲に宅地が広がり国道7号線が城址の真ん中より東をぶったぎってはいますが、二重の堀と土塁は健在で二の丸、三の丸の北側の高い土塁が目を引きます。本丸は周囲を水堀と土塁で囲まれ内堀木橋で東側の三の丸と繋がっています。
本丸西側にも本丸西門跡があり、土橋で二の丸と繋がっています。本丸には熊野宮が鎮座し本丸御殿大広間の礎石や建物跡がわかりやすく展示されています。各郭にも掘立柱建物跡の展示がされており、往時の姿を窺い知ることができます。

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じゅんじん

国道で分断 (2023/09/08 訪問)

駐車場完備。石谷戸家住宅も移築されており中にお城の説明ががります。堀土塁も復元されておりよきお城でした。

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ぎりょう

現代によみがえった為信最後の居城 (2023/05/20 訪問)

歴史好きの仲間との東北周遊の旅、その五回目は青森県。城館探訪の一ヵ所目は弘前市の堀越城とした。ここは弘前藩の初代藩主津軽為信の最後の居城という。昭和60年に国指定史跡となり、弘前市が平成10年から同25年にかけて発掘調査を行い、平成24年から令和元年まで整備工事を実施、令和2年4月から全面公開が始まった。
かつての堀越城跡は小ぶりな本丸だけのイメージだったが、今回の訪問では発掘調査後の復元整備のすごさに驚かされた。この城は津軽平野南部に築かれた平城であり堀と土塁が主要な防御施設なのだが、国指定以後に城域を公有地化して、埋まった堀跡を掘削し、低くなっていた土塁も本来の高さに復元している。二代藩主信牧によって高岡城(後の弘前城)が築かれる前の為信時代の津軽氏本拠地の有様を目にすることができるようになった。また北の曲輪跡に移設された旧石戸谷家住宅が堀越城ガイダンス施設となっており、復元模型や映像で判りやすく紹介している。現代によみがえった「土の城」を多くの方々に御覧になっていただきたいと感じた。
東北自動車道大鰐弘前ICから3.7km、6分。

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肉球

弘前城へ移る前の津軽氏の居城 (2022/10/20 訪問)

20数年前弘前城へ向かう車中から眺めただけでスルーしてしまった堀越城。
一枚だけでも写真を撮っておけばと後悔してます。
整備が完了して国道を挟んだ旧石戸家前に無料駐車場やトイレが完備されています。

津軽氏が大浦城から堀越城へ居城を移し弘前城へ移るまでの17年間過ごしたようです。
その17年間津軽氏にとっては石川城や大光寺城を攻め取り激しい時代だったようです。

駐車場からは公園の散歩道のように整備され歩きやすく
土塁上には物見台風の見学台が完備。土塁の高さを感じられます。
どうやら先に投稿されたkimoくんさんと同じ日の訪問でした。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 曾我貞光
築城年 延元元年〔南朝〕/建武3年〔北朝〕(1336)
主な改修者 津軽為信
主な城主 曾我氏、津軽氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、土橋
指定文化財 国史跡(津軽氏城跡)
再建造物 石碑
住所 青森県弘前市堀越柏田
問い合わせ先 青森県文化財保護課・埋蔵文化財グループ
問い合わせ先電話番号 017-734-9921