深谷駅から徒歩で15分。
深谷城址公園となっています。
石垣とか塀とかそれっぽいですがいずれも模擬。
遺構はほとんど残っていません。
公園隣の富士浅間神社の水路が外堀跡のようです。
上杉房憲により築城され、北条氏との攻防の舞台になりました。
近くの公民館が大河ドラマ館になっていました。
やっぱり深谷は今年が旬?
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2021/08/29 18:12
2021/08/29 17:25
2021/08/29 16:57
街中に残る石垣 (2021/08/18 訪問)
高崎駅から徒歩約15分の場所にあります(駅の観光案内所で行き方は教えてもらえます)。
公園の一部となっており、乾櫓(群馬県唯一の城郭建築物)まわりと内堀が遺構です、
平城ですので、石垣の高さは低く、土塁もそれほど堅固という感じではありません。
寧ろ、関ヶ原の直前に築かれたということから、政庁としての性格が強かったのではないかと思います。
近隣には音楽堂などがあり、市民の憩いの場所となっているようです。
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2021/08/29 16:26
長島一向一揆の本城で、大手橋の下に石垣が残る城 (2021/08/22 訪問)
城びとの先人の方々の投稿で石垣があることを知り、10年ぶり位に再訪しました。
長島一向一揆の本城で、今は小学校となり説明板が設置され、校内に樹齢3百数十年の大松があります。
城跡の東側に堀跡の川があり、大手橋の下には石垣が残り江戸時代のものとされます。
石垣の真ん中は後世の積み直しに見えますが、両端の隅部は当時の遺構と思われます。
蓮生寺には大手門が移築され残っています。
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2021/08/29 16:16
今は長良川に沈んでしまい移転した城郭寺院 (2021/08/22 訪問)
城びとの先人の方々の投稿を参考にさせて頂き行きました。
織田信長と長島一向宗門徒の間で起こった長島一向一揆の中心となった城郭寺院です。
願證寺跡は長良川に沈んでしまっていますが、河川敷に説明板が設置されています。
その寺跡から南東へ5㎞位の場所へ移転した願證寺が城を思わせる佇まいでカッコいいです。
境内には長島一向一揆殉教之碑があります。
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2021/08/29 16:04
レンコン畑と田んぼに囲まれ気持ち良い城跡 (2021/08/22 訪問)
戦国時代に織田氏が長島一向宗徒との戦いの為に築き、織田信長の弟の信興が守っていましたが、1570年長島一向宗門徒に攻められ討死したとのことです。
城跡には富岡神社が鎮座し、石碑と説明板が設置されています。
堀跡のような所もありましたが、遺構ではないかもしれません。
城跡の横に流れる川が当時は天然の堀だったのでないかと思いました。
城跡の周りはレンコン畑と田んぼで気持ち良かったです。
この時、ハスの花は、ほぼ散っていましたが、僅かに咲いており綺麗でした。
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2021/08/29 13:43
関宿城訪問 (2004/08/12 訪問)
過去のお城巡りの振り返り、第11段は先週投稿した逆井城に続いて行ってきた千葉県野田市の関宿城。
現在は城郭の北側を太平洋へ利根川が流れ、西側を分岐した江戸川が東京湾へ流れるエリア。
戦国期は西側を渡良瀬川が江戸湾に注ぎ、北側は常陸川が太平洋へ注いでいたでしょうか。
つまり江戸湾に流れる水系と太平洋へ流れる水系の分水界。
関東における河川交通の重要拠点でした。
古河公方設立に伴い家臣の簗田氏の居城が築かれ、北条氏の領地拡張時には3度の関宿合戦を経て氏政&氏照が城を奪取。
北条氏滅亡の後は、まず家康の弟である松平康元が入城。その後、小笠原氏や牧野氏などが城主となり、江戸中期以降は久世氏が治め明治を迎えました。
現在は本丸と二ノ丸の2/3が明治以降の河川改修で堤防の下に埋没。
残る本丸跡地に石碑が立ち、二ノ丸や三ノ丸等はほぼ名残なし。しかし大手門跡には説明板と堀の跡がある模様。
そして本丸の約500m北に建つのが、御三階櫓を模した関宿城博物館。
河川工事と水運がメインの博物館で、利根川の流れが江戸期に変えられたことを知りビックリ。江戸時代の土木技術は侮れませんね。
またいくつかの建造物が移築され残っているのですが、埋門を見つけることができなかった思い出のある城。
そこで17年前に見逃したものを急遽昨日見てきました。
改めて本丸周辺を歩くと、土地の高低差に二ノ丸や天神曲輪の名残があるような。
※1,2,6,8,9枚目の写真は昨日撮影
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2021/08/29 06:54
2021/08/29 06:44
新・城カードゲット (2021/07/22 訪問)
旧・城カードは手に入れてあったのですが、ニューバージョンの城カード目的の攻城です。萬翠荘を見学した後、二の丸の角から登り石垣を眺めながら登城できるお気に入りのコースをとりました。登り石垣が以前より見学しやすくなっているように感じました。松山城の大きな魅力の一つなのでもっとアピールしても良いのかなと思います。松山城近くのホテルに泊を取ったのに光のおもてなしin松山城はパスしてしまいました。道後ビールを優先してしまった結果です。
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2021/08/28 22:22
雨に煙る山城 (2021/08/18 訪問)
吾妻線の群馬原町駅から徒歩で登城。
東吾妻町役場がお城風の建物なのは、この岩櫃城を記念してのものなのですかね?
群馬原町駅の観光案内所で地図と御城印の入手が可能。
岩櫃山の平沢登山口案内所まで約2.6キロで、徒歩約40分強ですが、道案内がでており、車道を歩けば迷うことは無いと思います。
平沢登山口案内所では、城のジオラマが飾られており、城の概要がわかります。
今回は尾根伝いの道で、中城跡を通って、二の丸、本丸と上ること15分程度で本丸跡に到着します(完全な山道なので、少なくともスニーカーでなければ登城は難しいと思います)。
あいにくの雨で、雲が低く視界が限られましたが、天気がよければ眼下に国道145号線と吾妻線を監視することができそうです。
遺構は、土塁、空堀、虎口といったところだと思いますが、安土桃山時代のような洗練された城では無く、無骨な戦国時代の木と土の城に思いをはせることが可能な城という印象です。
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2021/08/28 20:21
2021/08/28 14:55
今川義元は最後の夜をここで過ごしたという (2021/05/29 訪問)
今川義元は桶狭間前夜、つまり最後の夜をこの城で過ごしたという。芝が貼られ綺麗に整備された姿には「作り物」感が漂うが、古絵図を見ると意外なくらいほぼ昔のまま。絵図にある丸馬出が本当にあったのかはぜひ知りたいところ。
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2021/08/28 13:51
2021/08/28 13:18
阿内城(宿阿内城)にいってきました。 (2021/08/28 訪問)
阿内城(宿阿内城)にいってきました。ここは神社にあります。
行きましたが神社と、下川淵カルタのここに関してのカルタしかなく
城びとに書かれていた土塁と堀は見つかりませんでした。
あと周辺を探してみると阿内宿の石塔がありました。
〔城情報〕
・築城年代 ?
・築城者 ?
・主要城主 ?
・平城
・主な遺構 堀、土塁
・備考 下川淵カルタには「ぬくもりの心 石の塔」と書かれていました
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2021/08/28 11:35
世界的にも珍しい「桃山風南蛮造り」の城「岩国城」 (2020/11/25 訪問)
岩国市のシンボルとして山の上に鎮座する岩国城 、別 称:横山城 復興天守
岩国城は、初代岩国領主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で、
眼下を流れる錦川を天然の外堀にし城山に位置していました。
三層四階の岩国城は、上の階が下の階よりも大きく張り出す「桃山風南蛮造り」という世界的にも珍しい造りが特徴であり
国内では小倉城(現在の福岡県北九州市)と高松城(現在の香川県高松市)も同様の南蛮造りが採用されている。
*5連アーチの名橋「錦帯橋(きんたいきょう)」は錦川にかかり、全長約193m。
1673年(寛文13年)に岩国藩主の吉川広嘉によって架けられた木造橋である。
山上の本丸跡や二の丸跡、出丸跡、北の丸跡、大手門跡には随所に石垣が残り、往時の近世山城の名残りをとどめています。
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2021/08/27 23:05
民家の脇に説明板 (2021/08/22 訪問)
深谷駅から徒歩で40分くらい。
途中案内板もありますが最後の詰めが甘く少し分かりにくい。
民家の脇に説明板があり、そこから土塁と空堀が走っています。
当時は東西に三つの郭が並んでいたとのことですが西郭は畑。
その周りは二重の空堀で守られています。
武蔵七党の猪俣党の一族、人見六郎によって築かれたとされています。
この日は岡部陣屋から徒歩、とても暑く久しぶりにへばりました。
暑いのは結構得意なんですけどね。
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2021/08/27 22:25
この城の真価はその歴史と遺構にある (2021/05/29 訪問)
この城の真価は模擬天守よりその歴史と遺構にある。羽柴の三河中入りを食い止め、長久手で徳川の勝利を引き寄せたのは岩崎城の頑張りによるところがあまりにも大きい。名古屋近郊でがっつり「土の城」が拝めるのもまた嬉しい。
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2021/08/27 21:16
「戦国の城」Amazonで購入 (2021/08/27 訪問)
昨日の城びと新着記事で「戦国の城」香川元太郎著、「日本の城」からの第2弾8月発売との情報が有りましたので早速Amazonを開くと8月26日発売と有り受け付けて呉れましたので注文し本日午後に到着。
香川元太郎さんの「日本の城」から3年経ってますのでそろそろ次が出ないのかなと思ってた矢先でした。
浜松市静岡県も蔓延防止指定都市から緊急事態宣言県と9月12日まで不要不急(城廻りもか?)の外出等の自粛で市の境、県の境の越境も控える様にと、帰省も自粛、県内の人は県外に出ない、県外の人は静岡県に入境自粛と厳しい事で、7月末までにはコロナワクチン接種2回完了し孫が来ても大丈夫な様に準備してたのですが不可に孫たちの都市も蔓延防止規制から緊急事態宣言と成り今夏は孫に逢えず。
こんな状態ですので自宅謹慎、香川元太郎画伯の第2弾「戦国の城」で山城など俯瞰図を眺めて城廻りを楽しみたいと思います。
写真は「戦国の城」の表表紙、「戦国の城」の目次、行って見たい【出羽・舘山城】想像俯瞰図、行って見たい【上総・坂田城】想像俯瞰図を投稿します。
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2021/08/27 18:10
反町館に行ってきました (2020/03/31 訪問)
反町館に行ってきました。
ここは新田義重の館と言われています
調べましたが情報が入手できませんでした。
〔城情報〕
・築城年代 中世?
・形式 平城
・築城者 新田義重
・主要城主 新田氏、大館氏、新田氏、矢内氏
・主な遺構 堀
・大きさと形 北70m×南120mの凸字形
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2021/08/27 18:02
江田館に行ってきました (2020/03/31 訪問)
江田館に行ってきました。
ここは江田行義の館跡と言われています。行義は新田義重の子供の義李の四世の孫です。
義李は鎌倉幕府討伐での極楽寺坂口の大将となり軍功をあげました。
その後西国転戦後に備後国で農業をして足利氏の目をしのび
姓を9代にわたり守下とあらためていましたが10代の大膳が1593年、
祖先の地であるここに移転してきたと言われています。
戦国時代、近くにある反町館とともに金山城の出城として改修、
金山城主由良氏の四天王の1人の矢内四郎左衛門の居城となりました。
天正年間には後北条氏勢が金山城攻略に先立ちここを奪って攻撃拠点にしました。
そして後北条氏滅亡とともに廃城になりました
〔城情報〕
・築城年代 ?
・形式 平城
・築城者 新田行義
・主要城主 新田氏、矢内氏(由良氏家臣)、後北条氏
・大きさと形 東西約80m×南北約100mの長方形
・主な遺構 堀、土塁
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