浜御殿は、江戸前期に甲府宰相・松平綱重が建てた別邸(甲府浜屋敷)が始まりで、綱重の子・綱豊が六代将軍・家宣となったことにより徳川将軍家の別邸となり、浜御殿と呼ばれるようになりました。その後、幾度かの改修を経て十一代・家斉の代に現在見られる姿になっています。明治には皇室の離宮となり、戦後に東京都に下賜されて浜離宮恩賜庭園として一般に公開されています。
朝一番での仕事は午前中で終わったので、その足で浜御殿へ。単なる将軍家の別邸でなく江戸城の出城として機能したと云われるとおり、大手門橋を渡った先の大手門は広大な枡形門になっていて、まさに出城の防御設備です。…かと思えば、大手門枡形の石垣には見事なはつりと江戸切りが施されていて、将軍家の別邸としての格式も感じます。
入園料を払って園内に入り、家宣が庭園を改修した際に植えられたと伝わる三百年の松を経由して内堀へ。浜御殿は大坂や長崎から船で運ばれてきた物資を江戸城に搬入するための中継施設でもあったそうで、現在の内堀広場やお花畑にはかつて籾倉が建ち並び、内堀には階段状の船着場も設けられていました。内堀からハナショウブの渓を伝って中の御門、そして御庭口御門から潮入の池に向かう…前に新銭座鴨場へ。現在は鴨猟は行われていないためか、元溜りと呼ばれる池には2羽の鴨が悠々と泳いでいました。
鴨場から馬場跡(内馬場)を抜けて八景山へ。八景山から望む潮入の池が一番の見どころということで、ブラタモリに倣ってできるだけ池を見ないようにして八景山に登ると……都心とは思えない雄大な光景が広がっていました。海水を引き入れた広大な池に改修されたお伝い橋が架かり、中島と北畔には4軒の御茶屋が復元されています。さらに水面には往時には無かった高層ビル群が映り込み、何とも言葉にならない光景です。こりゃすごい…。中島に渡って八景山を振り返ると、こちらもすぐ近くにまで高層ビル群が迫っていました。
中島からお伝い橋を渡って鷹の御茶屋へ。松の御茶屋と燕の御茶屋は御茶屋ガイドツアー以外では建物内に入れませんが、鷹狩の休憩所だった鷹の御茶屋は内覧できる…はずが、コロナ禍によるものか、立入禁止になっていました。やむなく周囲をひとめぐりしてみると、裏手には鷹部屋があり、鷹の模型(剥製?)が架木に留まっていました。
お伝い橋を渡り、観音堂跡~富士見山~中の橋~御亭山とたどって、庚申堂鴨場の小覗から鴨の様子を窺い(こちらにはいませんでした)、横堀に架かる海手お伝い橋を渡って、樋の口山北麓の横堀水門へ。この水門から横堀を通じて潮入の池に海水を引き入れています。横堀水門から新樋の口山(にわか雨が降り出してレインボーブリッジの眺望はいまいち…)を越えたところが将軍お上がり場。歴代将軍が船に乗降した場所で、大坂城から江戸に退却した十五代・慶喜が上陸したのも此処なんだとか。将軍お上がり場の近くには灯台跡もありました。そして水上バス発着場から梅林とお花畑を抜けて大手門で浜御殿をひとめぐり。
浜離宮恩賜庭園は学生時代に一度来たことがありましたが、庭園としてだけでなく、出城として、海運物資の中継施設として、将軍の上陸場所として、江戸城や将軍家と深い関わりのある地だったんですね。思っていたより広大で一周するのに2時間弱を要しましたが、それだけの価値は充分にありました。…で、この後は増上寺にも行くつもりだったんですが、30度を超える真夏日だったことに加えて、3週連続での出張(+東京散策)の疲れもあって、これ以上歩き回る気になれず、浜御殿だけで切り上げて帰途につきました。
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