松坂城の本丸上段は東角に金の間櫓、金の間櫓台所、同階段が構え、西角に天守と付櫓、敵見櫓の連立式構造が構え、南に金の間櫓台所台を東の脇石垣として三連の連続虎口が在る、西に天守下裏門虎口が在る、その間は多門櫓が周囲に構え護りを更に厚くして居る。
平成の石垣大修理完成でその遺構をしのぶ事が出来る。
17年前のH18年に探訪した折、歴史民俗資料館に寄り「松阪城再発掘」氏郷、1588年の都市計画とその後・平成16年3月25日発行の二刷り小冊子を購入しました、その中に名古屋工業大学内藤昌教授の松坂城天守・敵見櫓 南立面図と松坂城金之間櫓・台所東立面図が付図2、3として折込されており、その復元図面を見てさらに想像復元を頭の中で膨らませましたが、今回の探訪も同じ妄想復元でしのびました。
素晴らしい構造の天守で三層四階望楼型下見板張り高欄廻縁付き、付櫓、敵見櫓は二階建て高欄付き、また金之間櫓は二階望楼付きと素晴らしい建物だった様です。 発掘調査もされておりますので天守の復元がされると嬉しいのですが⁈ 天守は正保元年81644年)に大風(台風)で倒壊してその後再建無し、写真も図面も無く中々考察のみでは難しのでしょうね?
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