訪問した勝山城は平成4年に建てられた博物館で、実際の勝山城は別の場所にあり形も全く別物です。天守閣の高さは名古屋城を抜いて日本一で高さに圧倒されます。天守閣前に無料駐車場あります。
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2022/10/30 15:26
2022/10/30 14:36
2022/10/30 11:26
横堀と畝状竪堀群が見所です (2022/10/23 訪問)
池田宗家?天城池田家、由之・良成父子の思いを偲び天城陣屋探訪を終えて、東へ約18km程に在る八浜城(両児山城)に向かう、ナビは八浜城山腹にある駐車場に合わせ、同駐車場を利用、8台位は駐車可能かな? トイレ有り 中腹まで車で行けて大変ありがたい。
ガイドと情報は城郭放浪記さん、同縄張図、グーグルマップに依る。
八浜城の別称両児山城に有る様に、北と南に峰が有り遺構が有る、児島湾児島湖に面した独立丘陵で北と西は湾、湖に面して、東、南防御の構えに成って居る。
駐車場から南側南城へ入口に神社跡鳥居が有り、舗装されて道が頂上へ主郭の様ですが左右に墓石が並んでいる、八千浜城跡の城名石碑裏に碑文が有る、南一段下がって東屋、公園と成って居る、南に降りると東西に堀切、堀切を先端に南側から東側に掛けて食違いや高低差のある横堀が続いている、縄張図に畝状竪堀が記されて居り良く観ると横堀土塁下に畝状竪堀の痕跡が見て取れる、笹や樹木が有り良くは分からないが目視では確認できるが写真を見ると分かりずらいですが、ここ一番の見所です。
南城を降りて北へ、北側北城は入口に神社鳥居が有り階段と脇スロープ道が有る、スロープ道を登り東西に堀切、堀切上に現在は神社参拝階段が有り土橋階段の様、頂上には八幡宮、快神社が鎮座して居り北端からは児島湾児島湖の眺望が良く俯瞰できる、縄張図に北城東側にも畝状竪堀群が記されているが樹木深く良く観えない、深く観察して無いのかも?
碑文によれば 八浜城、両児山城、児島地方は戦国時代の末頃、織田・毛利両軍の衝突地点であった、天正九年春(1581)毛利の大軍が麦飯山城を中心に陣を張った、時に岡山城では宇喜多基家が城主直家の死を秘して、自から親衛五百を率いて当城に入り毛利軍と対陣した、八月二十一日大崎の柳畑から八幡社付近で合戦し、城主興太郎基家は討死したが有名な七本槍の働きによって、さすがの毛利の大軍も引きあげ、翌十年豊臣・毛利の決戦、高松城水攻めへの前哨戦となった因縁の城跡である。(昭和41年12月建之)
(一部読み取りにくい所も有り抜粋して居ます)
この後、南西に約24km程のJR児島駅に向かい、JRで瀬戸大橋線を渡り高松城復元桜御門見学へと向かいました。
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2022/10/30 04:03
2022/10/30 03:57
甲( ・᷄ㅂ・᷅ )府 (2018/03/14 訪問)
山梨はフルーツだけじゃないぞー( ・᷄ㅂ・᷅ )!
やってきました甲府城
見事な野面の石垣で出来た巨大な天守台
武田の後を継ぐ城としては充分な立派さ
南を向けば、富士山が見える(T ^ T)
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2022/10/30 03:36
2022/10/30 02:19
【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第7回)鶴賀城① (2022/09/22 訪問)
「岡城合戦(その3)-鬼ヶ城②」からの続きです。
岡城のある「豊後竹田駅」からローカルなJR豊肥線に乗り、思わず「南こうせつ」の歌を口ずさみながら白滝川(→戸次川→大野川)沿いの景色を楽しみました。
「汽車はゆくよ~♪ 煙はいて~♪ トンネル超えれば竹中だ~♬」
その歌詞に出てきた「竹中駅」で列車を降り、そこから「鶴賀城」を目指します。
北上する島津家久は、大友重臣の「利光宗魚」が籠る鶴賀城を包囲し攻めますが、秀吉から命を受け大友を救援しようとする「四国連合軍」と戸次川(へつぎがわ)のほとりで激戦が行われました。
私は、竹中駅から鶴賀城本丸の利光山山頂まで登ろうとしましたが、ちょっと距離がありそうなので、駅から途中までタクシーを使いました。「とある煩悩」さんの投稿で、二の丸までタクシーで直接行ける道があると書いてあったので、そこまで行ってもらおうとすると今では荒れ果てた道になっており、運転手さんから「これは無理通れない」と言われたので、成大寺からも登山道があるとの事なのでそちらに行ってもらい、そこから徒歩で登城する事にしました(成大寺から山頂本丸まで徒歩30分です)(写真①)。成大寺には城主の「利光宗魚」の墓もありました(写真②)。
登山道の途中には、のろし台跡(写真③)、穀物倉庫跡(写真④)、堀切や畝状竪堀(写真⑤)などが見られました。二の丸には鶴賀城跡の石碑が立っており(写真⑥⑦)、そして本丸まで登ると急に眺望が開け、戸次川の合戦場を一望する事が出来ました(写真⑨-高崎山や由布鶴見の山々まで遠望できとても気持ちよかったです。自然の栗が山ほど落ちていたので持って帰り食べたらおいしいだろうなと思いましたが、とげがあり・・・痛!これは無理(笑)(写真⑩))。
利光宗魚は戦の最中に流れ弾に当たり、ここで戦死します。そして死は敵味方にもばれぬよう、しばらく家臣から伏せられたようです。鏡山城まで来るも、そこからからなかなか動かぬ援軍(大友・四国連合軍)を、宗魚はどんな思いでここから見つめ、そして亡くなっていったのでしょうか?
次は、鶴賀城(利光山)から山を下り「戸次川合戦の地」を歩きます。
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2022/10/30 00:34
新発( ・᷄ㅂ・᷅ )田 (2017/08/09 訪問)
鯱( ・᷄ㅂ・᷅ )3つ三階櫓
隣が自衛隊で簡単には立ち入れないが、駐車場からの見栄えが1番いいな
打ち込み接ぎの石垣も綺麗だな
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2022/10/29 21:33
2022/10/29 20:42
2022/10/29 20:14
引っ越し中の天守閣 (2022/10/20 訪問)
みなさんご存知の引っ越し中の弘前城天守閣。
お堀に面している部分は今しか近寄れないと思いマジマジと見学できました。
本丸には移動した天守閣と岩木山がツーショットが写せるように展望デッキが用意されています。
その横には長らく天守閣を支えてきた隅石2つが展示され
その1つはイカのような形をしていることから『イカすみ石』と命名されています。
引っ越した天守閣内には太い鉄骨が貫通してあり手厚く保護されています。
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2022/10/29 20:13
2022/10/29 18:07
飛騨の小京都 (2022/08/14 訪問)
高山城は「飛騨の小京都」と呼ばれる高山市街地の東南部にある標高686.6mの城山に築城された平山城で、曲輪・堀・石垣・土塁などの遺構が残っています。
模型で見る天守は、望楼型2重3階の御殿風天守を持つ古い城郭形式で、織田信長公が築城した安土城の影響を受けたものと見られています。現在は、城山公園として岐阜県指定史跡に指定され高山市民の憩いの場所となっています。
戦国時代、飛騨国では高山周辺の領主であった三木自綱が敵対する江間氏を滅ぼして、飛騨を平定し松倉城を築城しています。三木自綱は越中の佐々成政と同盟し、豊臣秀吉公に対抗したことから、1585年秀吉公の命を受けた金森長近公より攻められ、これにより三木自綱は降伏しています。この功により金森長近公が飛騨国3万3千石の領主となり、当初鍋山城を居城としましたが1588年に高山城を築城し、高山城を居城としました。1600年までに本丸・二の丸を完成させ、その後、三の丸、城下町、高台に家臣屋敷などが整備されています。
1600年の関ヶ原の戦いでも長近公は徳川方に味方し、郡上八幡城攻めの功で2万石が加増され初代高山藩主となっています。飛騨国は、石高は低いものの木材や金銀の鉱山があり、資源が豊富である利点があります。
この城の見所は、本丸の再建された石垣や本丸周辺に点在する石垣・城山全体の曲輪、また、飛騨高山まちの博物館(入館料無料)にある高山城本丸の模型などの展示物(*^▽^*)が見所といえます。(私見)
6度目の訪問となりますが、城山公園駐車場(無料)に駐車し、高山城を訪問後、飛騨の小京都高山市街に足を延ばし、高山市街を散策しています。
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2022/10/29 17:39
武居城公園 (2022/10/29 訪問)
洗馬荘を支配した三村氏の城として伝わっています。コンパクトですが、見ごたえのある城址です。武居城公園から10分弱で城址に行くことができました。登城路はよく整備されていて、城域も手入れが行き届いていると思われ遺構がとても見やすかった。畝状竪堀は畝が大きいいのが印象的でした。明知城で見た畝状竪堀に似ていると思いました。2重の堀切が2カ所あり、どちらも形状をある程度残していていい感じです。ただ写真にするとわかりにくく迫力が伝わらないのが残念ですね。堀切も見事なものが残っていました。山城を比較的容易に堪能できる城址です。
武居城の奥には重ね城という城址があるのですが、時間の都合等もあり行っていません。
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2022/10/29 17:20
2022/10/29 14:56
ほとんど住宅街 (2022/10/21 訪問)
南部氏の持ち城でしたが石川城同様に津軽氏に攻め取られたお城です。
大光寺コミュニティーセンターに石碑と案内板があります。
駐車場も有りましたので利用させていただきました。
城跡は住宅街と化し痕跡を見つけるのは難しそうです。
ここから150メートル程の所の住宅敷地内に大手門跡の石碑が建っています。
津軽氏が弘前城築城の際に大光寺城の大手門が移築され亀甲門として残っています。
デザインは違うのでしょうが部材は使用されているようです。
弘前城の西側にある誓願寺も弘前城築城の際に大光寺城領から移され
山門である鶴亀門は城門であるとの伝承もあるとか。
鶴と亀がデザインされた可愛い門です。
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2022/10/29 14:02
2022/10/29 12:44
小田( ・᷄ㅂ・᷅ )原
小田原は( ・᷄ㅂ・᷅ )外郎だけじゃないぞー
関東の名城🏯
中入ると博物館だけど、やっぱ天守閣があると締まるねー
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2022/10/29 12:21
弘前城へ移る前の津軽氏の居城 (2022/10/20 訪問)
20数年前弘前城へ向かう車中から眺めただけでスルーしてしまった堀越城。
一枚だけでも写真を撮っておけばと後悔してます。
整備が完了して国道を挟んだ旧石戸家前に無料駐車場やトイレが完備されています。
津軽氏が大浦城から堀越城へ居城を移し弘前城へ移るまでの17年間過ごしたようです。
その17年間津軽氏にとっては石川城や大光寺城を攻め取り激しい時代だったようです。
駐車場からは公園の散歩道のように整備され歩きやすく
土塁上には物見台風の見学台が完備。土塁の高さを感じられます。
どうやら先に投稿されたkimoくんさんと同じ日の訪問でした。
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2022/10/29 12:16
天城池田家の陣屋 (2022/10/23 訪問)
徳倉城登城途中断念に終わった後、来た道を戻り吉備SICより高速に入り瀬戸大橋道早島ICを降りて天城陣屋に向かう、ICを降りて重厚な街並み屋敷倉敷の繁栄が窺える、干拓された田園か?黄金色の水田が広がってる田圃道を天城へ、3万石の城下町、道は狭く昔の町並み家並みが懐かしい。
陣屋跡は県立倉敷天城中学校北裏門辺り北東の高台、現県立倉敷天城高校のグラウンドに成って居る。
駐車場は無いので中学校北の通りに車の通りも少なく路駐(34°33'53"N 133°48’43”E)幅寄せし対向車の通路確保し住宅の車の出入りに邪魔に成らないエリアに駐める。
案内情報は何時もの城郭放浪記さん、グーグルマップに依ります。
細い坂道、左右に矢竹の植栽垣根の様な道を登りグラウンドにグラウンド周囲はネットで囲まれて入れない、南側、東側の幅2,3m程のスペースを廻り見学、南側と東側は高土手の法面、切岸状、グラウンド内は広いエリア、此処に陣屋屋敷が在ったのかな?、入口に石碑、逆光で良く観えなかったがお茶屋跡と読むのか、城郭放浪記さんの写真にあった陣屋跡の標柱は無く成って居た、グラウンドと坂道の境が枡形門跡の様子? 坂道は登城路かな?
天城陣屋には何時か来たいと思って居り、池田由之から始まる天城池田家、池田恒興の嫡嗣元助の長男で池田輝政が叔父にあたる、小牧長久手の戦で恒興元助父子は討死、池田家は輝政が継ぐ、関ヶ原後輝政は播磨姫路52万石の太守、姫路城を大改修、由之は北播磨佐用郡2万2千石、利神城を3層天守総石垣の大改修、造りが立派過ぎ幕府への配慮等輝政の怒りをかい破却、備前下津井城に移り3万2千石、慶長18年(1613年)叔父輝政が死去、輝政嫡男利隆が家督を継ぐと由之は明石城に移り、利隆が元和2年(1616年)に死去すると家督を継いだ光政は元和3年(1617年)幼少を理由に因幡鳥取藩に転封これに伴い由之は米子城に移った、元和4年(1618年)大小姓の神戸平兵衛の恨みをかい刺殺される享年42歳、家督は嫡男由成が継ぎ米子城代3万2千石、寛永9年(1632年)光政が因幡鳥取藩から備前岡山藩へと転封され由成も備前下津井城代3万2千石に転じた。その後一国一城令で下津井城破却され天城に陣屋を構えた。池田宗家のプライドが有ったのでしょう由成も光政の不評をかって早く隠居させらたが天城池田家として明治まで継承治政した。
池田由成の娘くまは大石良昭に嫁ぎ大石良雄(蔵之助)を生んだ、この関係で赤穂事件の後天城池田家は3万2千石を3万石に減じた。
池田由之・由成父子の流れをたどると利神城、下津井城、明石城、米子城、下津井城と移り、備前天城に陣屋を構えて岡山藩家老として明治を迎えた。(引用はウィキペディアに由ります)
天城陣屋を訪ねて池田由之・由成を調べてみました、これで落ち着きました。
また天城陣屋の総門が静光寺(倉敷市藤戸町天城572)に移築されて居ます。狭い通りですので車の移動にはご注意ください。奥に駐車場が有りリターンに使用させて頂きました、本堂への参拝もお忘れなく。
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