(22人目)「毛利輝元」の続きです。
今度は、関ケ原の後に築城した「萩城」を訪れてきました。何やら城人の特集と、たまたまだぶってしまいましたが御容赦下さい(本当に偶然です)。
訪問したのは昨年秋ですが、紅葉が色づき始めた頃できれいでした(写真⑩)。今年は猛暑なので、ここで秋の萩城の写真を皆さんにお届けします。少しでも涼しさを感じて頂けたら幸いです。
毛利輝元は、中国七か国120万石の大大名でした。関ケ原の戦いでは西軍の総大将を務めましたが敗戦の責任を負い、周防長門36万石に減封されてしまいます。そして長門の萩の地に「萩城(指月城)」を新たに築き居城としました。
JR山陽本線・山陽新幹線「新山口」駅前から高速バス萩行きに乗り65分(予約不要並んだ順に乗車、待合室に券売機あり)、萩バスセンターまたは東萩駅で下りて100円ループバスに乗れば萩城まで最短で行く事ができます(JR山陰本線は本数少なので鉄旅マニア向けです。また萩の西側下関方向の山陰線・美弥線は7月の大雨の影響で長期不通区間があるようです、運行情報を確認されて行かれて下さい)。
まず萩城入口に着くと、毛利輝元の銅像が出迎えてくれます(写真①)。そして大手門桝形(写真②)を抜けると、ここがベストショット! 萩城石碑・内堀・天守台・指月山が1枚に入ります(写真③:辰兵衛さんに先を越されましたが、ここは思わずカメラを向けてしまう場所ですね!)。天守台は「扇勾配の石垣」で天守の礎石も実によく残っていました。かつては五重の望楼型天守があり、明治の廃城例で破却されるまで天守は残っていたようです(写真④⑤⑥⑦)。何か見てみたい幻想にかられました。
本丸内には、毛利家代々の藩主が祀られている「志都岐山神社」(写真⑧)や、幕末最後の藩主「毛利敬親(たかちか)=そうせい公」が家臣たちとこれから一戦交える幕府軍にどう対抗するかの密談に使ったという「花江茶亭」(写真⑨)もありました。
私は(写真①)の輝元の銅像の表情を見ていると、この萩に来た時の輝元の無念さが、何やらひしひしと伝わってきたように感じました。詰城(要害)があった指月山に登ると、この時の輝元の気持ちがもう少し分かるのではないかと思ったので、次は指月山に登ってみる事にします。
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