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りあそーる

レンタサイクル

安城市はレンタサイクル無料なので、安城駅で借りて~安祥城~桜井城~石川氏発祥の地~安政古戦場~本證寺と回れますよ!

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但馬 山名氏を支える国人の城を巡る (2023/03/05 訪問)

八木城に向かって行く、国道9号線沿いの建物に「越前朝倉氏発祥の地」と看板が掛かっていて、村の中に誘導されます。村の中の道は細く、城びと先達のレポート通り、登城口あたりに駐車スペースがありません。
山名四天王の八木氏も朝倉氏の出と。
主郭に幟がはためいている写真が未投稿だったので、これを中心にアップします。
安山岩、凝灰岩及び溶岩の山体は、背後の尾根続きを除いて、急斜面を作っており、朝倉城は、急斜面を主な防御にしているような。

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シェル

石垣の規模が別格!! (2023/03/07 訪問)

盛岡駅東口から 循環バス「でんでんむし」左回りに乗車し、盛岡城跡公園のバス停で下車してすぐ。
もりおか歴史文化館でスタンプを押印。
歴史文化館では、盛岡城の模型が展示されています。
御台所跡→不明門跡→車門跡→二ノ丸→本丸→腰曲輪→淡路丸の順に見学。
石垣の規模には圧倒されした。また石垣の崩落を防ぐための はばき石垣 なども見ることができます。
三ノ丸北西部の石垣は工事が行われており、御台所跡には三ノ丸の石垣の石が置いてありました。
二ノ丸には、有名な石川啄木の歌碑が設置されていました。

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イオ

氷取城(岐阜県安八郡安八町城) (2023/02/04 訪問)

氷取城(こりとりじょう・城びと未登録)は、築城時期・築城者等は不明ながら、小牧・長久手の戦いの頃には、竹ヶ鼻城の出城として竹ヶ鼻城主・不破広綱(説明板では友綱)の弟の不破大炊頭が守将となっていましたが、竹ヶ鼻城とともに落城(開城)したものと思われます。遺構は消滅しており、小学校前の小公園(ゴミ集積場の奥)に説明板が立てられているほかは、「城」という地名に痕跡を感じるくらいです(地名写真、撮り忘れました…)。

この日はニッポン城めぐりの「輪中の城」イベントにあわせて木曽三川の輪中地帯の城をめぐりましたが、氾濫がある都度に流路が変わったり河川改修されたりする地域柄もあって、遺構が消滅している城がほとんどでした。それでも小牧・長久手の戦いや関ケ原の戦いの舞台だったり、宝暦治水や高須四兄弟や丸毛兼利や山内一豊など目を引く点もありましたが、氷取城は(小牧・長久手の戦いの舞台ではあるものの)本当に見るところがなく、1分程度の登城でした。
 

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前ちゃん

春旅(1日目) (2023/03/12 訪問)

サクラの季節です。3連休が取れたので、鹿児島へ遠征。
鹿児島空港で、SUNQパスを購入し、志布志へ(9時40分発ー11時半頃着)。志布志駅内の観光案内でレンタルサイクルを借り、埋蔵センター(続100名城スタンプ)と志布志城(松尾城と内城のみ登城可能)へ。
探索後、志布志駅前から再び、鹿児島空港行(13時59分発)を経由し、空港バスで宿泊地の天文館へ

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朝田 辰兵衛

赤い城さんへ。

私からのクイズのヒントは,現在の大河ドラマで旬な方にゆかりのあるお城です。龍岡城ではありません。たしかに龍岡城の裏手(?)の方に似た景色があった気がしますが…。

さて,赤い城さんからのクイズですが,「微妙」がヒントだな…と思いました。私は訪れたことがありませんが,いろいろな方の投稿で「えっ,これのどこが?」と引っかかっていた場所です。行きたいと思っているのですが,なかなか機会がなく…大宮で時間をつくるのがベストかな…。
ということで,解答ですが…
岩槻城の堀障子(障子堀)跡だと思います。言われなければ,ただの散策道にしか思えないということで「微妙」という表現かと。

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赤い城

クイズの答えと

朝田さん、メッセージありがとうございます。
関八州まであと少しになってきました。
関東となるとあの島が・・・。

クイズの答えは龍岡城でよろしいでしょうか。
城跡に建つ田口小学校は廃校になるのだとか。
残念ですね。
写真1枚めは展望台でもある田口城からの眺望です。
この田口城も見どころ多い城でした。

せっかくなので微妙なクイズを。
写真2枚め、埼玉の城です。
都市部でもちゃんと遺構は残っていました。

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ろっし

お城探訪 (2023/03/11 訪問)

三木の千人殺しで有名ですね。

現在は神社や住宅地などに変わっていますが、本丸跡には曲輪や模擬城壁など見る事ができます。

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キンヤ

中世城郭の最高傑作とされるテクニカルな凄い縄張り (2023/03/05 訪問)

中世城郭の最高傑作のひとつ、築城の教科書とも評価される杉山城に念願叶って行く事ができました。

武蔵松山城主の上田氏家臣の配下であった杉山氏(庄氏)の城との伝承もありますが、城主や築城年など不明で謎の城です。

技巧的な縄張りから後北条氏によるものと考えられて来ましたが、発掘調査で15世紀末から16世紀初頭の遺物が出土し、山内上杉氏が扇谷上杉氏に対抗して築城した事が分かったそうです。

折れた横堀を多用し、各郭は堀を巡らせてます。
土橋・木橋・虎口など至る所で土塁上から横矢が掛かり、喰違い虎口、馬出などを駆使して防御されてます。

非常にテクニカルな凄い縄張りで、よく整備され美しくもあり、素晴らしい城でした。

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水攻め堤説明板周り (2023/03/12 訪問)

にのまるさんが水攻め堤に行った21年1月には、説明板の周りはいわゆる文化住宅がありましたが、本日訪れると、住宅は取り壊し作業中でした。遠慮なく、説明板及び堤を見に行くことができます。でも撤去後に何か建ちそうな感じも。イオさん、にのまるさんのお陰で、堤趾に行け、感謝、です。

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T-Shionoya

菅谷館で関東スタンダードを見た気分 (2023/01/04 訪問)

今年最初の城郭訪問は埼玉県比企郡嵐山町の菅谷館。

場所は入間川水系都幾川の北岸、川からの比高約20mの菅谷台地の縁。東と西も浸食谷に守られた天然の要害。
直ぐ東を鎌倉街道上道が通り、都幾川は槻川との合流部にも近いため、人と物資の流通拠点であったかもしれません。

残る資料から、鎌倉初期には畠山重忠が館を構え、1500年頃には河越城(扇谷上杉氏)に対抗するため山内上杉氏が城郭を再興したと考えられているとのこと。
となると、当時の河越城もこの様な城だったのでしょうか。

現在は、立派な堀と土塁に囲まれた城郭全域が公園化され、三ノ郭には嵐山史跡の博物館。

"館"の名から当初は興味が湧かなかったものの、城郭化された遺構を知ると、徐々に魅力的に思えてきた菅谷館。
そして今回、蔀土塁のある正テン門、横矢掛かりの二ノ郭虎口と本郭虎口を注目点として訪問。
まずは搦手門から正テン門を通り西ノ郭へ。こちら側は期待に反して下草が多く、遺構を観察し難いのが残念。
変則的な桝形構造(?)の二ノ郭虎口も見どころですが、三ノ郭側は接近不能。
一方、二ノ郭と本郭は歩きやすく整備されていました。

1段低い南郭から都幾川まで下り、博物館は駆け足で回り、滞在時間は約3時間。
博物館の「河越に対抗して堅固に再興」との記述から、当時の関東スタンダードを見た気分になった菅谷館が、私の城郭巡りの141城目となりました。

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ぴーかる

圧巻の山城 (2023/02/12 訪問)

【三入高松城】
<駐車場他>高松山登山口前<34.525970, 132.526396>または少し南にスペースあり。
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切・竪堀・畝状竪堀・曲輪
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅、ラスト9城目。三入高松城は鎌倉時代に承久の乱で戦功のあった熊谷氏が安芸国三入荘を与えられ移封します。当初は伊勢ヶ坪城を築城しそこに入城しますが、やがて戦乱の世になり、一説には応永年間(1394~1428年)に当主の熊谷直経が高松山に築城したのが始まりとされます。戦国時代当初は熊谷氏は安芸武田氏に臣従していましたが、離反し毛利氏に仕えます。高松城は安芸武田氏からの攻撃をうけますが落城せずその堅牢さを見せつけます。関ヶ原後に毛利氏が防長に移封するまで熊谷氏の居城でその後廃城となったようです。
 城跡は主郭を中心に南西方向に二の丸・三の丸の連郭、南方向に与助丸の連郭、北方向に鐘の段の連郭、少し離れた北東側に独立した防御遺構の多い曲輪群があります。登山口はいくつかあるようですが私は東側の登山口から登りました。ここから入ると北東側の曲輪群に入ります。堀切・竪堀が多数あり、堀切側面には土留めの石垣が残っている堀切もあります。尾根曲輪の法面に石垣が残っています。畝状竪堀群があり、最奥の竪堀には起点に石垣が残っているものがあります。ここの曲輪群は凄い見応えです。主郭横の鐘の丸から北に伸びる鐘の段の連郭にも石垣が多く残っています。主要部は広い主郭で西側の鐘の丸と広い箱堀で仕切っています。主郭から南西方向に二の丸⇒堀切⇒三の丸⇒堀切と続きます。三の丸に神社があります。主郭・鐘の丸から南の横に長い下段曲輪に石組井戸が残り南方向に与助丸の連郭があります。与助丸の曲輪群は巨石曲輪で巨石の間々に石垣が組んで残っているものも見られます。最南に大堀切があります。
 凄い見応えで3時間以上、日暮れぎりぎりまで回れるまで見ましたが全て見れなかった。この旅最後にマイベストに入る凄い城跡に出会えてよかった。絶対お勧め、百・続百名城に負けてない城跡です。走行距離791㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,埼玉県コンプリート,おめでとうございます! (2019/12/21 訪問)

赤い城さん,埼玉県コンプリート,おめでとうございます!
このまま,関八州コンプリート狙いでしょうか…?

さて,「クイズは微妙なものになりそう…」とのことでしたので“クイズ返し”は不要ですが,こちらからはお祝いということでひとつ出題します。簡単かな…と思いましたが,前回の出題で石垣が新鮮に感じられていたようですので,この子をチョイスしました。

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小城小次郎

独特な平面デザインには唯一無二の趣がある (2022/11/12 訪問)

クリークが織りなす独特な平面デザインには唯一無二の趣があって、カーナビにこのシルエットが映し出されると訪問する予定がなくてもついつい立ち寄ってしまう。それはもう魔力と言ってもよいレベルではなかろうか。

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あみりん

いい天気、最高のロケーション。 (2023/03/12 訪問)

浜田駅から濱田護国神社へ移動。社務所にて、スタンプと御城印をいただき、いざ、本丸へ。石段はさほどキツくはなく、本丸から、海を眺めて癒されました。
砲台跡も残り、良き城巡りとなりました。

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ヒカミ

城跡2ヶ所 (2023/03/18 訪問)

亀ヶ城本丸跡までだいぶ歩きました。

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チェブ

青砥 藤綱さんとこち亀の両さん。 (2023/02/04 訪問)

「葛西城」は普通の公園でした。
子供たちが遊んでいて写真を写してません。
それはそれで健全で良いのですが。

室町時代に築城された「葛西城」です。
北条家と扇ヶ谷上杉家 等を取った取られた、を繰り返しました。
公園には「青砥 藤綱城」とありました。(子供たちが石碑に集合してたので写真ありません。)
青砥 藤綱さん?
北条 時頼さんに仕えた方なんだそうです。正義と弱者の為、忖度なしの裁判官だったそうです。

「葛西城」は中川の近くです。
葛飾区の中川なんて、こち亀の中川みたい。
子供たちが遊んでいる「葛西城」は庶民に親しみやすい方々を輩出したようです。

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イオ

牧村城(岐阜県安八郡安八町牧) (2023/02/04 訪問)

牧村城(城びと未登録)は、築城時期等は不詳ながら戦国期には斎藤龍興家臣の牧村政倫の居城であり、後に利休七哲に数えられる牧村利貞が家督を継いだとされます。円長寺付近が城跡と伝わりますが、遺構は消滅しており、正確な位置はわからないようです。

牧村城は、織田信長が岩倉城を攻め落とした際に岩倉織田氏の家老だった父・山内盛豊を亡くし、諸国を流浪した若き山内一豊が身を寄せた地とされ、円長寺の門前には「山内一豊ゆかりの城 牧村城址」の城址碑が、境内にも「山内一豊ゆかりの牧村城址」の説明碑があるなど、大いに山内一豊推しでした。大河ドラマ「功名が辻」にあわせて建てられたんでしょうか。
 

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ヒロケン

国指定史跡 松平氏遺跡  (2023/03/04 訪問)

大給城は標高204mの山頂に築かれた山城です。城郭規模は東西220m、南北280mと大きく、城の遺構は比較的よく残っており、この地方を代表する山城です。山上部には巨大な花崗岩が露出し険しい地形と共に自然の防塁となっています。
大給城は、大給松平氏の本城で、松平宗家4代親忠の次男、乗元が大給松平の初代となっており、2代乗正の時、1506年から1510年の4年かけて城の改修が行われ、現在の形が出来たものと考えられています。
1590年6代家乗の時、徳川家康公の関東移封に従い、大給城は廃城になっています。

大給城の全国的に稀な遺構としてあげられるのが「水の手曲輪」です。石で固められた砂防ダムのような形で取水口を設けた谷を石垣で塞いで、敵の侵入を防ぐ水堀の役割と、城内に水を貯えるための小さなダムの役割をしていたと考えられています。
1510年頃にこれだけの築城技術があったのかと、驚かれされます。Σ(・□・;)

登城口に3~4台程駐車できる駐車場が2箇所あり、計10台程駐車できますが、トイレはありません。駐車場から山上の主郭まで歩いて20分程です。1590年に廃城になったとされる大給城は、比較的よく保存されており、戦国後期の山城の姿をよく知ることが出来る山城です。西三河に来られた際は、是非とも行って頂きたいお勧めの城跡です。

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風来坊や

初めての御城印ゲット (2023/03/10 訪問)

桜のツボミ越しのお城です。
これからも全国のお城巡りしたいと思います。

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