北方城からの転戦です。標柱と説明板付近(35.429279、136.655305)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1468年(応仁2年)以前に稲葉氏によって築かれたと云われています。 稲葉氏が数代ここを居城としましたが、その後西村勘九郎(斎藤道三)が居城したともいわれています。
1560年(永禄3年)池田恒興の家臣片桐俊元(半右衛門)が城を修築して居城としたそうです。
1589年(天正17年)一柳直末が大垣より移って60,000石を領しましたが、直末が豊臣秀吉による小田原征伐で戦死した後、城は廃城となりました。
その後、1640年(寛永17年)に城跡に菩提を弔うために円長坊が建てられ、宝暦年間(1751~64年)に円長寺となって現在に至るようです。
円長寺門前に「軽海西城跡」の標柱と由来説明板が建てられています。
周囲に土塁・堀の跡が残っているようですが、雨が降っているので捜しませんでした。
なお、かつて城の東方には軽海東城があり、加留美長勝、朝倉高清、安藤守宗(安藤守就の次男)などが拠ったとされるようです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=相羽城に向かいます。
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