先に投稿しました、馬伏塚城、遠江岡崎城は横須賀城を含めて、家康の高天神城攻略の兵站補給拠点として磐田見附から今之浦川、太田川、弁財天川と沼湖、湿田、深田が連なり船での兵員、物資の運搬が出来たそうです、また遠州灘も入り込み横須賀城の大手まで舟入が有った様です。
家康に命じられて家臣の大須賀康高築いた高天神城攻略軍事拠点が横須賀城、高天神城までは小笠丘陵直線6km程の距離です。
さて馬伏塚城、遠江岡崎城と探訪したので近くの横須賀城へも寄りゆっくり探訪散策、車は西の丸西下の公園駐車場、トイレ完備を利用。
探訪ルートは
西大手門跡、南外堀跡、東大手門跡を確認したいとスタートしますが、西前に二の丸跡が在りますので先ずは、二の丸跡、西続きの西の曲輪、その北に在る北外堀跡、南に進み県道41号線(袋井大須賀線)に出る、県道と住宅街の間か東西に長く草原に成っていますがここが南外堀跡で水堀だった様です、県道は外堀と海岸との間の中土居道跡、宝永4年(1707年)の宝永地震の隆起で遠州灘入江は後退して湊、入船機能は失った。
横須賀街道案内標柱から西に約200m行くと外堀跡の標柱と共に土段丘に西櫓跡と標柱、その西横に西大手門跡の標柱、横須賀城縄張絵地図で地形、標柱を見て想像を膨らますのみ、横須賀城は東西に長いので西大手門と東大手門が有った、西大手門跡から北側の民家の空き隙間を通て北の旧袋井大須賀線へ、東に進み、大須賀城本丸南下門枡形虎口、案内板を確認して更に東へ。
三日月堀を確認、更に東へ、東大手門跡を探すが良く分からない、やっと黒くて小さな東大手門跡標柱を発見、案内板は無い、更に東へ三の丸跡の案内板、現在三の丸跡は工場建物が立退いて三の丸広場に成っている、道からの段差が在り城塁を感じる、三の丸跡南東角に太鼓櫓跡が絵地図に有ったが案内の標柱など無し、角跡を確認して想像のみ。
横須賀城のパンフレット、散策マップなどは本丸南虎口案内板に資料ボックスも無く設置されていない、後ほど大須賀支所に寄り確認するが個別の物は無いとの事。
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