新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。古宮城を見て、帰りに道の駅 つくで手作り村に寄ったところ、隣に城がありました。道の駅で五平餅を焼いてもらってる間に登城。
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2023/03/05 17:38
道の駅についてます (2023/03/03 訪問)
新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。古宮城を見て、帰りに道の駅 つくで手作り村に寄ったところ、隣に城がありました。道の駅で五平餅を焼いてもらってる間に登城。
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2023/03/05 17:36
お城攻めを忘れる。 (2023/02/04 訪問)
前回 投稿した「中曽根城」の後、「石浜城」攻めに転戦しました。
「石浜城」は築城年数は不明です。江戸氏一族の石浜氏の拠点だったようです。
享徳の乱に伴い、千葉氏の内乱が起こります。
千葉氏だけではありません。関東の至るところで戦がありました。
千葉 実胤さんは下総を追われ「石浜城」に入りました。ざっくり、太田 道灌さんが活躍していた時代の頃です。
「中曽根城」周辺、ごみごみの住宅街と一方通行を抜け隅田川方面に向かいました。
いつもなら木々が生い茂る、こんもりした場所を目指すのですが、「石浜城」は遠くから見える『東京ガスのタンク』をロックオンし向かいます。
『石浜神社』が「石浜城」の推定地の1つです。
隅田川沿いということもあり、とても気持ちの良い所でした。
駐車場もあります。しばし、東京ガスのタンクを眺めます。
あれ、板金加工の板を溶接したのでしょうか?丸い形に整える技法すごいな~と「石浜城」を脱線。
参道の右側に「石浜城」の説明板がありました。
歩けば、いろんな説明板があります。『石浜神社』は源 頼朝さんが奥州征伐の時、戦勝祈願をしたんだとか。
拝殿の右手には、いろんな神様が祀られ、1人1人にご挨拶しました。
なんだか、若い方が多く参拝してるな、という印象です。
石濱茶寮という和風のカフェがありました。
お茶してる乙女衆に混じり、お団子とアイスクリームで一休みし、次のお城に備えます。
ん?「石浜城」は?
遺構はありません。でも、なんだか和やかな気持ちになれる「石浜城」でした。
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2023/03/05 17:34
新城駅からレンタカー (2023/03/03 訪問)
新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。受付のおじさんが資料をくれて、駐車場などを教えてくれました。
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2023/03/05 17:03
「市来鶴丸城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★★★★★
市来鶴丸城は、10代当主・島津立久が市来氏を攻め滅ぼし、島津氏の直轄地となる。戦国時代には島津家の内紛が起き、島津貴久が支配する。山田有徳、新納康久などが地頭となる。1550年には聖ザビエルが当地を訪れ、布教活動をする。江戸時代でも、薩摩藩の外城のひとつとして地頭が置かれた。現在、曲輪、石垣、土塁、堀切等が遺されている。
<アクセス>
JR東市来駅 徒歩20分
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2023/03/05 16:53
「一宇治城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★★★★☆
一宇治城は相州家島津氏の代々の居城とされる。島津義弘や歳久兄弟は当地で育った。島津貴久が聖フランシスコ・ザビエルと会見し、日本で初めてキリスト教の布教を許可した地として伝えられる。現在、土塁・空堀等が遺されている。
<アクセス>
JR伊集院駅 徒歩20分
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2023/03/05 16:47
本丸東石垣城塁を想像⁉してみたり (2023/01/31 訪問)
新しく出来た二の丸出世パーク、本丸北東隅石垣の遺構展示館を見学、展示石垣と解説板、解説板に堀尾吉晴時代の浜松城CG想像図及び石垣の解説が有ります、ここで本丸の在りし日の石垣をCGで確認、大河ドラマ館も見学し二の丸の東端からドラマ館、展示館越しに本丸、天守曲輪、天守閣を眺めると、丁度ドラマ館と展示館の屋根稜線が本丸に合い、ドラマ館と展示館の「東面」がさも往時の本丸石垣かなと想像したり、妄想が膨らみます。
また、大河ドラマ館と本丸北東隅遺構展示館の間が本丸裏御門辺りに成るかとも想像妄想、本丸は東半分以上開削されて居ますので今回の出世パーク東からの眺めと改めて写真を再確認して一層本丸東石垣の想像が膨らみました。
あくまでも私個人の想像妄想です。
ちなみに大河ドラマ館と遺構展示館の漆黒外装は楽器の街浜松・ピアノの形と塗装を取り入れてた外観だそうです。
現在浜松城での「どうする家康」大河ドラマ館はプレオープンが2月末で終り3月17日まで展示入れ替えで休館中です、グラウンドオープンは3月18日(土)から来年の1月14日までの予定です。
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2023/03/05 16:26
徳川家康公の祖 松平氏発祥の地 (2023/03/04 訪問)
江戸幕府初代将軍徳川家康公の祖先は、トヨタ自動車で有名な豊田市の外れにある松平郷より勢力を拡大していきました。家康公から数えて8代前の初代親氏は、東国から三河の松平郷に入り、土豪在原信重の娘と婚姻し、松平親氏と名乗りこの地を本拠にしたのが、始まりとされています。松平親氏の本城は、松平城でこの地に館を構えていたとのことです。
現在の松平氏館(松平東照宮)は、方形の平地を正面と西面に水堀を備え、江戸時代初期に整備された石垣があります。また、家康公の誕生の際、岡崎城まで竹筒に入れ運び、産湯に使われたという井戸もあります。
また、東照宮より東に15分ぐらい歩くと松平太郎左衛門家の菩提寺である高月院があり、東照宮・高月院を含むこの一帯が国の史跡に指定されています。
この一帯の風情が、日本の原型、山間の郷という感じで何とも良い場所だと感じます(*^▽^*)
にのまるさん。
金沢城の旬な情報は暫くお待ち下さい。にのまるさんのコメント、本当に嬉しく思います(*^▽^*)、本当にありがとうございました。
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2023/03/05 14:57
飛山城跡探訪 (2023/03/02 訪問)
宇都宮市内にてお薦めなお城ということで宇都宮城址訪問後に寄りました。
城址公園内の駐車場も広いので自動車でも訪問し易く、またパンフレットも整備されており初めてでも見学し易いと思いました。
見どころは、復元整備された櫓台、堀でしょう。史跡内を歩きながら、それらを実感できました。
天気が良ければ富士山が見えるそうです。(私の訪問時はあいにく見えませんでしたが・・)
宇都宮市を訪問した際には、是非寄っていただき、見学してみてください。
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2023/03/05 14:37
2023/03/05 10:51
長尾景春の乱の後に (2023/02/25 訪問)
熊倉城山への登山口がある峠上に駐車スペースがあります。
ただしここまでの山道には石が転がっていていつ落石が起こるかわからない感じです。
山登りの方もいらっしゃるので端の方に停めて登山口から反対側の登城口へ。
「熊出没注意」の看板もありますが冬眠中であることを信じて登ります。
少し登ると尾根にたどり着きます。
尾根上には二条の堀切、結構良い堀切でした。
さらに進むと二郭に着きます。
二郭には説明板が立っていて結構広さもあります。
空堀を挟んで主郭、土橋もかかっています。
主郭の先の三郭との間にも空堀があります。
三郭の先には小さな三日月形の曲輪もあり、その先には尾根が続きます。
長尾景春の乱で鉢形城から追われた景春が逃げ込んで築いた城です。
こんな山奥までよく逃げてきたものです。
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2023/03/05 10:42
2023/03/05 10:29
日月神社 (2023/01/04 訪問)
神社から土塁らしきものが見えます。
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2023/03/05 10:22
2023/03/05 10:17
ちょいより (2022/09/25 訪問)
公園前に停めてささっと撮影。遺構はないですね。
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2023/03/05 09:59
2023/03/05 09:22
世田谷といえば吉良なのだが (2022/11/06 訪問)
世田谷城の主であった吉良氏。吉良氏といえば上野介なのだが世田谷の吉良氏は上野介に連なる吉良氏とはほぼ完全に別系統。この両系統を繋げるには鎌倉初期に活躍した足利義氏まで遡ることになるらしい。へー。
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2023/03/05 08:22
根古屋城 埼玉県秩父郡横瀬町 (2023/02/25 訪問)
北側と西側に登城口がありますが駐車場はありません。
西側登城口近くに広くなったスペースがあり、車を停めさせて頂きました。
私道と町道を示す案内板があり、町道に進むと登城路は民家の駐車場を通っていました。
こちらのほうが私道っぽい。
少し登ると搦手の虎口があり、その手前には竪堀も残ります。
この城は主郭部、西郭、東郭の3つのエリアで構成されています。
虎口を入ったところが西郭。
まずは西側下の横堀に降ります。
倒竹はあるものの綺麗な形で残ります。
西郭から尾根を登っていくと途中小さな堀切が二条。
山頂の削平地が主郭です。
ここから武甲山を望めます。
二郭側に降りると土橋と竪堀があり、帰りは東郭方面に降りて行きました。
東郭エリアは水の手となり、竪堀がありました。
北条氏邦の家臣、渡辺監物、浅見伊賀守が居城したとされています。
整備もされていて歩きやすい城でした。
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2023/03/05 07:12
根古地城(岐阜県養老郡養老町根古地) (2023/02/04 訪問)
根古地城(城びと未登録)は、徳永寿昌の子・徳永昌重の城と伝わりますが、詳細は不明です。天照寺が城跡とされるものの、遺構はもとより石碑も説明板もなく、わずかに微高地に城の名残を感じるくらいです。
天照寺は宝暦治水工事に携わった薩摩藩士と関わりが深かったそうで、墓地には3名の義歿者墓があり、境内の薩摩義士資料館には義士の位牌や過去帳、埋葬に用いられた甕(復元)などが展示されている……ようですが、訪問時は閉まっていたため未確認です。天照寺から北西に徒歩5分には根古地薩摩工事義没者の墓があり、慰霊堂にはこの地に埋葬された24名の遺骨と位牌が安置されています。また、天照寺の南東約1kmには、宝暦治水工事の総奉行を務めた平田靱負の役館跡が大巻薩摩工事役館跡として史跡指定されており、平田靱負をはじめ治水工事で命を落とした義士の顕彰供養堂や平田靱負の像が建てられています。
…根古地城にかこつけた宝暦治水史跡めぐりになっていますが、「その時歴史が動いた」の宝暦治水の回を観て、涙で画面が見えなくなるほどに感動した者としては、平田靱負最期の地を訪れるのは十数年来の念願であり、平田靱負翁像を仰いでも、説明板を読んでも、辞世の碑を見ても万感胸に迫るものがありました。とどめは駐車場に設けられた桜島が描かれた「薩摩義士へ感謝をこめて」の碑。故郷の桜島を再び目にすることも叶わず病に斃れ、抗議の切腹をした彼らがどんな思いだったか…。けれど、彼らの義挙がこの地の多くの人々の生命と生活を救ってきたからこそ、260年あまりを経た今も顕彰され続けているのだと考えると、彼らを義士と呼ばずして何と呼ぶ、との思いを新たにしました。
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2023/03/05 00:57
赤松氏の城 (2023/03/04 訪問)
眼下に山陽道を望む播磨守護である赤松氏の城です。巨石が楯のように並んでいることから、その名がついたといわれています。若王子神社より登城しました。登城路はよく整備されていて歩きやすかったですね。主郭にはテレビ塔が立っていましたが、そのための管理道路もあります。工事等により変わっている場所もあるとは思いますが、曲輪や竪堀等を見ることができます。ぴーかるさんも述べらていますが、主郭南にある段曲輪の石積みが一番の見どころだと思います。足元が不安定ですが、何となく先人が歩いた痕跡があり下の方まで行くことができました。この場所以外にも所々に石積みがあります。メインのコースを外れて尾根等を散策すると石積みや虎口があったのではないかと思われる場所がありました。
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2023/03/05 00:27
播磨守護所 (2023/03/04 訪問)
播磨の守護赤松氏の守護所がありました。JR姫路駅前よりバスに乗り西坂バス停下車。徒歩約5分の場所に石碑、案内板と土塁があります。
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