みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

ぴーかる

浮気城 (2021/07/25 訪問)

【浮気城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>JR

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅1城目。JR守山駅から徒歩で来城しました。城跡としての遺構は住吉神社本殿の奥に土塁・空堀が残る。土塁はだいぶ凹凸感がなくなっています。立入禁止なのかどうかいまいちよくわからない柵棒があったので外側より撮影するのみとなった。
 お城とは逸脱しますがこの住吉神社は浮気の火祭り「松明祭」という神事があり、俵の藤太(藤原秀郷)が大百足退治の時、百足の頭がこの住吉神社まで飛んできたことに由来し百足に見立てた大松明を焼き払って奉火するというものです。守山駅のローターリーに説明書きがあります。お城の遺構は少なかったですが、この土地の有名な事柄や祭りがあることが勉強になりました。この俵の藤太と大百足この次行った瀬田の唐橋にもからんでくるとはつゆ知らず......。

<満足度>◆◇◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

天球丸下楯蔵櫓台、曲輪の修復復元が完成 (2013/08/14 訪問)

 平成25年8月鳥取に同窓会で帰省中、米子城を終えて鳥取城を訪ねました、鳥取城は昭和18年9月の鳥取大地震で甚大な被害が発生し鳥取城の石垣も大きく崩れ平成の世までコツコツと石垣の修復復元を行って居りました、訪ねたのが鳥取大地震から奇しくも70年目、最後まで残っていた天球丸下の曲輪と楯蔵跡整備、石垣の積直し修復復元が完成した様なので天球丸、楯蔵櫓台石垣、曲輪続き石垣主体に見学鑑賞しました。
 長年の継続修復に敬意を表します、ただただ感謝です、訪問した平成25年前後より鳥取城幕末期の姿に復元30年計画がスタートし一期10年で幕末の登城路復元を進行中、現在大手橋の擬宝珠橋の完成、中の御門表門完成を見て居ります、後は中ノ御門櫓門、三の丸太鼓御門が待たれるところです。
 二期は二の丸の走り櫓、菱櫓、三期は三階櫓の復元が長い年月を掛けて待たれますが孫子の時代でしょう。

 この後二の丸三階櫓台下にある仁風閣で「甦る鳥取城」展を開催してましたので見学、65歳以上は無料でした、同展では一期復元の幕末登城路の復元スケッチ画、二の丸太鼓御門復元スケッチ画3点の展示が有り写真も撮り頭に叩き込みました。復元完成が待たれます。

 先に最後の石垣修復と書きましたがまだ一部幕末拡張した二の丸、登り石垣下に右膳丸が有り、下に中仕切り門、その間の石垣がはらみ崩れそうな状態で防護網を一部被せてますので石垣修復が待たれます。

 また米子から鳥取に帰る途中の淀江町大山町にまたがる地域に近年発掘調査復元された、弥生遺跡「妻木晩田遺跡」出雲式の古墳「四隅突出型墳丘墓」多く発掘され有名、古墳時代の前方後円墳が多く発掘された向山古墳、飛鳥白鳳期の上淀廃寺跡、仏画壁画が発掘され大変珍しいとか、その近くにガイダンス施設「上淀白鳳の丘展示館」が出来、原寸大の金堂、如来坐像、菩薩像2体が復元されて居り重厚、厳粛な雰囲気が漂っています、それらの施設を2時間見学し食事施設も有りましたので昼食をここで頂く、城廻りと違っていい体験でした当時結構な人が出ていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

大手桝形石垣門構え整備前視認 (2013/08/14 訪問)

 平成25年8月鳥取県日野郡江府町に在る江美城を初登城し当日は米子泊り仕事で知り合った郷里鳥取県米子出身の知人と退職後米子で飲もうかと知人とその友人4、5人で知人経営の料理屋で痛飲、カラオケも有りで大いに盛り上がった翌日ホテルからも良く見える湊山に在る米子城に寄る。
 
 大手枡形の石垣構えの修復整備との情報も有ってか寄って確認、撮影をする、車は枡形門前の空きスペースに1台路駐可能、急ぎ足で確認撮影して終了。大手枡形の石垣の構え造りは素晴らしく見応えが有ります。
 今回の投稿写真は大手枡形のみでご了承ください。
 
 米子城は吉川広家の天守閣(小天守閣)と中村一忠の天守閣(大天守)が並立した山陰唯一の城郭として有名で明治の初めに取り壊されたのが惜しまれる、古写真で天守閣がうっすらと確認出来るのが救いです。
 過去に2回フイルムカメラの時代に登城してるが未整理で天守閣本丸の写真投稿は出来ない次第、湊山頂上の本丸天守台からの眺めは素晴らしく秀峰大山、中ノ海、日本海、弓ヶ浜が手を取るように鑑賞出来ます。
 何時かデジタルカメラで登城撮影を出来たらを思って居ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

チェブ

胤の字は何処から、、、。 (2021/05/04 訪問)

千葉県柏市の「布施城」は、ウィングホール柏斎場の入口の左手に石碑があります。
駐車場の車の台数を見たら、お葬式の最中なのは一目瞭然です。
石碑と周辺の写真を写し退陣です。
「布施城」の築城した詳細は不明です。
相馬氏の一族が築いたようです。
相馬氏?福島県の?
調べてみると相馬氏の本家(?)は千葉氏でした。
確かに両家ともお名前の1字に『胤』の字が使われてます。
柏市の歴史を調べると、平将門さんの子孫が相馬を称したのが始まり、ともありました。

いつもの脱線話です、、、。

脱線ついでに、もう一つ。
昨年の【お家×お城】で安土城のプラモデルを制作しました。
初プラモデル作り+ぶきっちょで、天守が傾きひどい状態です。
このままでは信長さんに怒られる事、間違い無し!
会社からミニルーターを借り、石垣をちょっとリアルに掘ってます。
まだまだ、工程は続きますが色入れまで、気長に築城していくつもりです。

コロナ感染者数、少なくなってきましたが、油断大敵です。
近場のお城、行きつくしてしまった城びと武将の皆さん、お家時間の1つに、いかがでしょうか?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

橋吉

前田利家出生の城2 (2021/09/19 訪問)

前田利家の出生地については、荒子城で生まれ育ったという説と
前田城で生まれ7歳の時、荒子城に移ったという説があります。

荒子城跡から西に向かって、バイクで15分、庄内川を越えたところある前田城跡へやってきました。

現在は前田速念寺となっています。
所在地:愛知県名古屋市中川区前田西町1-904

参拝者用駐車場に駐めさせてもらいました。

残念ながら、前田城の遺構は残っていませんでしたが、

山門前には前田城跡の碑があります。
また、境内には大正8年に設立された旧前田村碑があり、この地が前田利家出生の地であることが書かれています。

さらに、前田城最後の城主である前田与十郎之墓もありました。
1584(天正12)年、小牧長久手の戦いの際、前田城は秀吉方についたため、家康方の攻撃を受け落城、城主前田与十郎は蟹江合戦で討死してしまいます。
その子長種は北陸にのがれて利家に仕え、一万石(のちに二万石)を得て、利家の長女幸(こう)を妻としました。
利家の叔父前田利則は、出家して意休と号し、浄土真宗速念寺初代となり、速念寺は前田氏の鎮魂の寺となりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

絶賛発掘中 (2021/07/23 訪問)

あの穴は何かなあ?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

金箔瓦が発掘発見された城跡 (2013/08/13 訪問)

 もう暫く自粛中で過去分の投稿ですが平成25年8月中学校卒業50年同窓会、高校夏の同級会がお盆時期に開かれ帰省した折に以前から気に成って居り金箔瓦が発掘調査中に発見されたと言う江美城を初登城しました。
 
 鳥取の実家から国道9号線、山陰道、日野川沿いの国道181号線を南下江府町辺りから国道482に入り江府町役場辺りU字型に曲がり二ヶ所急坂を東に登り切り最初の細い農道を南に入り次に最初の細い農道を西に入り約500、600m進むと本丸手前の大堀切に着く、本丸土橋か手前の農家の作業小屋の前に路駐。車は軽か小型車が良いでしょう。(ガイドと案内は城郭放浪記さん)
 後で分かりましたがU字型に曲がる坂道の辺りに江府町役場有ここの駐車場を利用して徒歩、山、丘陵に向かって東祥寺、江美神社を通り山手に坂道を登ると歴史民俗資料館(閉館)が有ります、草が茂ってるかも知りませんが登城路が有り本丸に登って行けます。

 城跡は大山からの日野川に流れ込んでる舌状台地の先端に在り、本丸の東を台地と切り離した大堀切土橋で繋がり、本丸の東側に石垣が散乱してますが櫓台が有った思われる土壇が割と広くあります、本丸の西側は現在畑に成って耕されてる。本丸の西に堀切が有り西の丸跡が在るその下西に八幡丸跡現歴史民俗資料館が建ってる。西の丸跡、枡形跡は草が茂り良く確認できませんでした。
 本丸周囲は崖か切岸か落ち込んで居ます、また曇って居ましたが大山北壁の厳しい姿が遠望出来ます、本丸土橋の北下は東祥寺の墓地、境内と成って居り往時は居館が有ったとの事。

 歴史的には尼子氏の勢力下、蜂塚氏が築城4代継承し毛利氏との抗争で滅亡、秀吉の時代、米子城主吉川広家が伯耆を治め江美城も支城として近世城郭に改修されたのではないか?吉川広家と秀吉の繋がりで金箔瓦の使用が許されたのではないかとおもったりして?

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城好きのメガネ

「江上館」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
江上館跡は、標高約18メートルの微高地に占地し、三浦和田氏の惣領家である 中条氏の居館跡とされる。戦国時代には中条藤資が長尾為景に仕える。中条藤資は、本庄房長や色部昌長らと抗争。永正の乱でも長尾為景の勝利に貢献した。為景の没後は長尾晴景と対立するが、晴景の弟である上杉謙信が国主となると筆頭重臣として活躍した。1561年、川中島の戦いでは謙信より血染めの感状を貰うほどの智勇兼備の名将であった。中条藤資の没後は娘婿で吉江氏の景泰が中条氏を継いだ。中条景泰は、上杉謙信のはからいにより中条氏を継いだ。謙信の死後は上杉景勝に属し、魚津城を守備する。1581年、織田氏の柴田勝家と戦い、討ち死にした。子孫は引き続き上杉氏に仕え、陸奥会津や出羽米沢藩に転封されると従ったとされる。現在、曲輪、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR中条駅 徒歩20分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「坊城館」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
坊城館は、中世東国を代表する荘園遺跡で、江上館・鳥坂城・黒川城をはじめ、信仰関係遺跡・生産遺跡等13か所が史跡指定されている。治承・寿永の乱で功績を挙げた和田義茂が奥山荘地頭となり築城したとされる。和田義茂は、源頼朝と伊豆流罪の時から側近の1人として仕えた。侍所別当・和田義盛は兄にあたる。武芸に優れ、頼朝警固の役を命じられた。越後和田氏の始まりとされ、和田合戦で和田氏のほとんどが没落した後も、幕府方として活動した和田重茂の子孫が越後国奥山荘に土着したとされる。現在、曲輪等が遺されている。

<アクセス>
JR中条駅 徒歩15分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「倉田城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
倉田城は、中世東国を代表する荘園遺跡で、江上館・鳥坂城・黒川城をはじめ、信仰関係遺跡・生産遺跡等13か所が史跡指定されている。築城時期等は不明である。現在、土塁等が遺されている。徒歩圏内に国指定史跡 江上館や坊城館を散策することオススメする。

<アクセス>
JR中条駅 徒歩25分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「新潟城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
新潟城は、1578年の御館の乱での論功行賞の不満から、重臣の新発田重家が謀叛を起こす。新発田重家が新潟津を奪取し、築城したとされる。新発田重家は多くの戦に参加した猛将であった。御館の乱では上杉景勝につくが、恩賞給与の不満から景勝と袂を分かち、織田信長と同盟を組む。1585年に落城し、廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR新潟駅 徒歩25分

+ 続きを読む

城好きのメガネ

「蒲原津城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
蒲原津城は、南北朝時代に地頭職であった小国政光が築城したとされる。南朝方の拠点として善戦した。1341年に、北朝方によって落城し、廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR新潟駅 徒歩40分

+ 続きを読む

響ちゃん

詰城方は止山ぽい (2021/09/25 訪問)

模擬門前が駐車場ぽい
模擬櫓から南側屋根目指して行ったけど、バラ線まで辿り着いたら左足が限界に…
登城諦めたぽい

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

響ちゃん

登城にはそれなりの装備を (2021/09/25 訪問)

梓川ふるさと公園の駐車場(405 864 265 *66)に車を停めたっぽい
小室浄水場の先のゲートから林道を歩き、少し歩くと二股に道が別れるので右側(鉄塔No.82方面)を選び、しばらく歩くとNo.82の登山口が現れるぽい
鉄塔までは杭を目印にすれば比較的楽に鉄塔までは辿り着けるよ
鉄塔から先は目印が殆んど無いので地図を頼りに行くしか無いっぽい
おサルさんいっぱい居るから気を付けながら登るっぽいよ
南側の屋根から主郭を目指して行ったけど、構造は落葉や薮、倒木等で確認しずらい…
山城で一番気になるのがお水問題
此処には殿様水って水溜場が有るみたいですけど、やはり薮が邪魔して確認出来なかったぽい…
帰りは北側屋根の構造を見ながらNo.81の鉄塔目指して下山予定
くまーんの領域なのか、道中痕跡を発見
No.81鉄塔に到着し、杭を目印に下山を始めたが何故かNo.80の鉄塔が現れた…
また杭を目印下山すると、北黒沢の方に出てしまったぽい
信玄さんが中塔城を攻め落とす際、戦勝祈願をしたとされる黒沢不動尊の近くに下山したので、不動尊を見学し、もしかして武田勢は私が下山したルートで攻め溢れいたのかな?と思ったぽい

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い☆稲妻

水戸城 (2021/09/23 訪問)

大手門と二ノ丸隅櫓が再建されました。
隅櫓は緊急事態宣言にて閉鎖中。
堀の下(道路)から見上げましょう。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

松平親氏の顔が描いてある饅頭の箱 (2021/09/23 訪問)

 松平城、大給城から国道301号を西へ走り、松平トンネルに入ることなく九久平方面に向かうと左手に松平まんじゅうの看板が見えてきます。店に入り松平まんじゅうを購入しました。自家製の餡に黒蜜を練り込んだ皮の饅頭で素朴な味がしました。少し大きめな饅頭ですが1個130円というリーゾナブルな価格です。箱に武将らしき人物が描かれていました。徳川家康だと思っていましたが、九代前の松平親氏ということです。豊田市近郊では有名な饅頭ということです。旅の土産の参考になればと投稿してみました。

 九月いっぱいは引きこもり生活をするつもりが諸事情により愛知県へ行くことになり、往復の道でいままで後回しにしてきた三河の城跡へ行って来ました。ほぼ日常が戻ってきている感じの人出でした。

+ 続きを読む

赤い☆稲妻

川越城 (2021/09/12 訪問)

長男の高速道路訓練にて川越に。
訪問日には御殿の前で何かの掘削工事中。
以前と駐車場の出入口も変わりました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い☆稲妻

会津若松城 (2021/08/07 訪問)

長男の高速道路訓練にて会津若松訪問。
久しぶりに鶴ヶ城も見学しました。
東北随一の名城だと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

形原松平氏の城 (2021/09/25 訪問)

 形原松平氏の城です。名鉄蒲郡線「西浦駅」から徒歩15分くらいのところにある古城稲荷社が城址です。主郭跡に石碑と案内板があります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

深溝松平氏の城 (2021/09/25 訪問)

 深溝松平氏の居城です。東海道線「三ヶ根駅」から徒歩10分弱の場所に城址碑と案内板があります。

+ 続きを読む

ページ680