実施期間令和5年3月17日から4月17日まで、
唐門に映し出される桜をテーマしたプロジェクションマッピングが美しかったです。また城内の桜のライトアップも幻想的で美しかったです。
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2023/04/15 09:26
2023/04/15 08:46
本丸東側崖切岸出現とカモシカ遭遇 (2023/04/10 訪問)
前回3月29日桜と久野城と言うことで探訪しましたが桜と遊水池の逆久野城に浮かれて久野城の北面東面周辺を眺める事を忘れていました。袋井市のHPを覘くと袋井市の二大城郭、久野城、馬伏塚城の見学案内パンフレットが公開されてPDSファイルで取り出せました。
ので、見過ごした久野城北側東側周辺俯瞰と久し振りの馬伏塚城見学案内パンフレットで廻ろうと出かけました。
駐車場から北側東側を俯瞰遠望、鷲巣上公会堂を過ぎて東へ、元外堀の名残か?農場用水路沿いの道を南へ、その周辺で久野城の北東から東を望む事が出来ます、新しく出来た久野城案内板の裏(久野城址周辺マップ)に久野城が袋井市史跡に制定した時期の写真が掲載されており北東からの俯瞰です、草木が刈られており曲輪、切岸、周辺の外堀跡(田圃)が良く分かる写真です、29日に訪ねた頃は本丸東側の崖切岸の樹木伐採が始まった頃でした、是非史跡制定頃の樹木伐採された城址に景観整備をお願いしたいと思いつつ、東の大手方向に進むと樹木伐採が進み、本丸東側の崖切岸の上部竹林、下部の樹木が無くなり、本丸北東尾根の堀切もハッキリ分かるようになっていました、今後何処まで進展するのか分かりませんが今後の景観整備が楽しみです。
その後伐採作業近くを見学し、東の丸横の竪堀、東の丸下段の櫓台の確認を終えて南の丸から西の丸、駐車場へ戻る途中に、おやっ!とし山羊かな?よく見るとニホンカモシカ!奇跡の遭遇です、西の丸外堀の西端を歩いてる急いで望遠で撮影、写真を拡大して投稿掲載します。
諏訪原城でも遭遇しましたが早すぎて撮影できませんでした、北遠の山岳地帯には生息していますが、尾根筋を通って出て来るのですね。
最近城びとの記事で久野城が取り扱われています、日本城郭協会理事の加藤さん記事の久野城のイラスト復元1、2で松下期の久野城復元図の復元過程と、お城トピックスで久野城址保存会が第二回日本城郭大賞を受賞した。(4月6日城に日に)
久野城が扱われて発掘調査の結果、日頃の保存活動が評価され、景観整備も進み見やすく訪ねやすい久野城をこれからも益々大切にしていきたいものです。
この後は約6~7km南下して馬伏塚城を目指しました。
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2023/04/15 08:36
徳川2代将軍秀忠公の命により築かれた名城を訪ねて (2023/03/18 訪問)
京阪淀駅より徒歩5分、駅のホームからでも石垣が見える近さにあります。
伏見城廃城の代わりとして徳川家康公の異母兄弟松平定勝公(徳川家康公の生母於大の方の再婚相手久松俊勝の四男)の三男松平定綱公により築城されました。築城には廃城となった伏見城の資材を転用、二条城の天守を移築したと伝えられています。松平定綱公以降は譜代の大名家が明治に至るまで城主を務めています。
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2023/04/15 08:23
2023/04/15 04:25
細川氏繁栄の原点となった出世城を訪ねて (2023/03/18 訪問)
2度目の訪問、1度目は年末年始の休みで城内に入る事が出来ませんでした。ここは肥後国熊本藩54万国の大名となった細川氏が初めて城持ち大名となったお城です。
勝竜寺城の始まりは北朝方から京都を守るために南朝方の細川頼春公が築いた城と考えられていまます。戦国期になると西国街道と久我畷が交差する勝竜寺城を京都防衛の要と考えた織田信長公の命を受けた細川藤孝公が城の大改修を行います。細川藤孝公は土づくりの砦規模の城を「瓦、石垣、天主」を用いた近代城郭に大改修、安土城完成より5年も前の事でした。しかしながら豊臣政権下では勝竜寺城はあまり重要視されず、石垣、礎石等が淀古城の修築に使用され一時は廃城状態となりました。江戸時代になると山城長岡藩主となった永井直清公により修復されますが1649年に永井直清公が摂津高槻藩に転封と同時に廃城となっています。現在の勝竜寺城跡は竹林に囲まれた養豚場であった場所を市が買い上げて発掘調査、勝竜寺公園として平成4年にオープンしたものです。
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2023/04/14 19:20
2023/04/14 18:59
2023/04/14 12:30
桜と天守閣 (2023/04/01 訪問)
昨年は和歌山城にお花見に行きましたが、今年は大坂城へ。桜の開花が例年より早かったため、4月1日までに散ってしまわないか心配でしたが、ぎりぎり間に合いました。
地下鉄・谷町四丁目駅から歩いて行くと、南外堀が目前に広がります。雲一つない晴天の下、幾重にも折れを設けた高石垣が連なり、対岸の桜並木も満開でまさに絶景です。大手門周辺の桜も見事に咲き誇っていて、多くの人が写真を撮っていました。本丸に向かう前に、西の丸庭園で昼食を。時折強く吹く風に舞い散る桜吹雪の中、天守閣と高石垣を眺めながらベンチで持参したおにぎりを食べる至福のひと時…。4年前は一人で訪れましたが、やはりお花見となると家族で来るのが良いなぁ、としみじみと。
西の丸庭園をひとめぐりすると、いよいよ天守閣へ。外国人観光客数もすっかり回復していて、30分あまり列に並んでようやく入城できました。まずはエレベーターに乗って最上階に向かいます(エレベーターは通常5階まで。そこからは階段)。最上階(8階)の展望台は爽やかな風が吹き渡り、先ほどまでいた西の丸庭園の賑わいも一望のもとです。7階は「豊臣秀吉の生涯」として、太閤記の名場面がジオラマと映像で描かれていて、これまでじっくり見たことはありませんでしたが、子どもが興味を持ったので全て通しで見てみました。全体的な流れを承知していないとわかりづらい点もあるものの、興味を持つきっかけとしては良くできているんじゃないでしょうか。5階の「大坂夏の陣図屏風の世界」では、図屏風に描かれた真田幸村隊と松平忠直隊の激戦をジオラマで再現したミニチュア夏の陣に目を惹かれました。真田推しとしては「つつじの咲きたるが如し」と称された赤備えの一団を見るだけで胸が熱くなります。4階、3階ではテーマ展「豊臣大坂城史」が開催中で、豊臣期の大坂城図屏風や大坂夏の陣図屏風、金箔瓦など様々な史料が展示されていました(撮影不可)。また、3階には原寸大で復元された黄金の茶室が、2階には現在の天守閣に用いられている黄金の鯱や伏虎のレプリカが展示されており、普段、はるか下から見上げている鯱や伏虎を間近に見ると、その巨大さに改めて驚かされる思いでした。そして1階のインフォメーションカウンターで厳選24城スタンプラリーのスタンプを押し、ミュージアムショップでお土産を買って天守閣を出ると、いつの間にやら日は大きく西に傾き、この日は玉造口から南外堀南岸の桜並木を抜けて帰途につきました。
# こんなに素晴らしい大坂城が推し城ランキング圏外だなんて…。大坂城に投票しなかった私が言うのもアレですが(笑)
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2023/04/14 07:04
春高楼の岡城 (2023/04/08 訪問)
=春高楼の花の宴~♪=
=めぐる盃 影差して~♬=
「高楼」を辞書で引くと「高い建物」という意味らしい。滝廉太郎は岡城の高石垣(高楼)の上にある月見櫓で桜の花見の宴をしている人々の姿を想像し作曲したのではないかと思いました。ならば自分もぜひ同じ想像して見たいと思い行ってみたら、すでに桜は散っていました(ガ~ン😱)。
しかし開門一番乗りの朝9時に入ったので、まだ誰もいない広大でスリル満点な岡城と雄大な九重の山々の景色を一人占めできました。ここも絶対天気のいい日に行くべきです!
かまぼこ石が並ぶ登城路を上がって大手門を入り(写真①②)、二の丸で瀧廉太郎の銅像をまで行くと、奥の月見櫓跡にわずかにボタン桜が咲いていました(写真③④)。銅像の後ろには雄大な九重連山が見えました(写真⑤)。
そして本丸の御三階櫓跡の石垣の上に立つと(写真⑥)、またも私は足が震え立つことができず、西の丸から這いつくばって石垣の下の合戦地「滑瀬橋」を覗き写真を撮りました(写真⑦)。本当に柵もなく下は40~60mあり、風も強いです。眼下の撮影には十分気を付けて下さい(写真⑧)
今回は珍しく車で行きました。湯布院から竹田まで阿蘇五岳を眺めながら春の久住高原を爽快にドライブ(写真⑨)。そして〆は玖珠PAで大分名物「だんご汁」です(これしんけんうまいっちゃ!😋)(大分弁です)(写真⑩)。
P.S todo94さんと投稿被ってしまいすいません。
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2023/04/14 06:39
【かるた】岡城の読み札 (2007/08/11 訪問)
楽聖と 石垣萌ゆる 岡城址
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2023/04/14 00:22
【かるた】白河小峰城の読み札
不撓不屈 白河小峰の 石(意志)固し
白河市は、白河小峰城の東日本大震災による被害からの復旧の手法などが評価され、第2回日本城郭協会大賞「調査・整備・活用賞」を受賞されました。
震災後の筆舌に尽くしがたい状況からの気の遠くなるような復元作業。元に戻すことにとどまらない、将来をも見据えた取り組みによって完全復活した石垣から、現代の名匠の、石垣という貴重な文化財への思いが伝わってきます。
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2023/04/13 23:38
ありがとうございます。
あさん。
ご丁寧な解説をありがとうございます。
鎌刃城に行ったときに、これは何だ⁉︎と気になっていたぐるぐる巻きの青テープ。
統計資料まで添付してくださり、“鹿除け”の一言ですむ話ではないと理解できました。
城びと投稿欄、ホントに勉強になります!
ぴーかるさん。
大阪府最後の山城攻略とは!
大阪府を征服されたのでしょうか!!
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2023/04/13 23:13
【かるた】小諸城の読み札
錦秋も 温泉も良し 小諸城
溶岩の 流れを感ず 小諸城
小諸城 勘助磨く 鏡石
読み札のみの投稿です
(今が春だからか)
紅葉を詠んだ札が少そうなので(笑)
紅葉の名所である小諸城は、駅からも近く
又、すぐ近くに小諸温泉もあるので
城マニアでなくても、多くの方が楽しめるお城なのです
穴城と呼ばれる小諸城
勿論、ただ低いだけではなく後堅固な立地
実際に行くと、火山からのマグマがどのように流れているか感じられて、少し怖いくらいでした
三句目
鏡石は巨石ではなく、本当に周りを映す石
山本勘助が毎日、自分の姿を見たと言われているのを
鏡石を磨く勘助と、鏡石が磨く勘助の2つの意味で
詠んでみました
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2023/04/13 21:02
2023/04/13 20:51
姉小路三家 (2023/04/13 訪問)
姉小路三家のひとつ古川氏の城です。その後、三木氏のものとなり、三木氏が滅んだ後は金森長近の持ち城となりますが、増島城の築城により廃城になったとのことです。
登城口から登って行くと曲輪と思われる削平地があり、約10分で桝形虎口から案内板と城址碑、そしてこの城の象徴ともいえる蛤石のある曲輪に行くことができます。さらに登って行くと櫓台のある主郭に着きます。主郭周囲には石垣の痕跡が所々にみられました。最後の頃は石垣の城であったようで、増島城築城時に利用されたとのことです。主郭背後の堀切は比較的深さを保っていて見ごたえがあります。ただ倒木があるのが少し残念でした。北東の尾根にも浅くなってはいかしたが、堀切がありました。
入口には以前は廃屋がありましたが、コバトンさんが投稿されていたようになくなっていて資材置き場になっています。グーグルマップにも古川城登城口と表示されていましたので参考にしました。登城口には標識はありませんが、草刈りがされていてわかりやすくなっていました。主郭背後の堀切から見ると舗装された道路が見え、他からも登城できると思います。城域も手入れされているようで概ね歩きやすかった。飛騨古川駅から徒歩30分くらいで登城口に行くことができます。
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2023/04/13 20:31
お城探訪 (2023/03/25 訪問)
寛永10年九鬼久隆氏以降、明治維新まで九鬼家代々の居城。
こんな内陸部に転封されても水軍の訓練をしていたとか…❓️
九鬼水軍の誇りを忘れなかったのかな⁉️
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2023/04/13 20:29
平石城 (2023/03/04 訪問)
【平石城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.494804, 135.654269>の交差点は広いです。
<交通手段>車
<見所>曲輪・切通
<感想>現地説明板によると平石城は1331年に楠木正成の挙兵に応じたこの地の豪族平岩茂直が築城し北条軍と戦って防戦しますが討死します。1359年に楠木正儀がこの城を整備して足利軍を防ぎ楠木十七支城の一つとなります。
城びと登録の大阪府最後の山城攻略となりました。登城口は<34.496675, 135.657216>から入ります。少し進むと枡形のような削平地と奥が切通しになっている遺構かどうかちょっと分からない場所があります。進んで案内板の通り左手に入り込むと長い土塁と並行して進み主郭部分に至ります。主郭手前に堀切があり、主郭は円形の単郭で全体を高く削って切岸にして周囲を帯曲輪で囲んでいます。一見単郭の城のようには見えましたが城跡の範囲が判然としませんでした。
<満足度>◆◆◇
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2023/04/13 19:35
2023/04/13 19:10
大和大納言の城 (2023/04/09 訪問)
豊臣秀吉の弟である、秀長の城として知られており、その力を伺い知る事ができます。
転用石が多く使われているのも有名ですね。
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