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朝田 辰兵衛

赤い城さんのクイズ,「歴史的なできごと」と言ったら… (2023/03/11 訪問)

赤い城さんのクイズ,この一言が大ヒントだと直感しました。ペリーが来航したアソコでしょうか…?
解答します。「浦賀城」ではないでしょうか…?

私のお祝い画像は,「砂越城」です。
山形県酒田市と鶴岡市は,水堀のある城が比較的多い気がします。砂越城はその中でも「はね橋」を作ってしまったという…。
ユニークな取り組みだなと感じました。
ちなみに,となり同士の山形県酒田市と鶴岡市は仲があまりよろしくないそうです。
越後の三条市と燕市のような…。

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赤い城

神奈川県の城クイズ

朝田さん、お祝いありがとうございます。
大島は一度行ったことはあるのですが城には行けてないのです。
関東にいる間にもう一回行かねばですね。
計画してみます。

朝田さんの写真、やはり分かりません。
確かに珍しいものであることはわかりますが。

で、神奈川県の城クイズです。
写真は城跡からの眺望です。
城よりも他の歴史的な出来事が有名かな?
神奈川県には茶色、V字は少ないですのでこれで許して下さい。
(この城にも実はV字はあるのですが)
行ったこと無くても瞬殺でいけると思います。

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馬籠城 (2023/05/18 訪問)

 小牧長久手の戦いにおいて羽柴秀吉に味方した木曽義昌の配下であった島崎将監重通が守っていたとされる城址(城びと未登録)です。遺構はないと思われますが、案内板がありました。徳川家康方の飯田の菅沼定利、高遠の保科正直、諏訪の諏訪頼忠らの軍勢が現在の馬籠宿の北に陣を張り、それを知った島崎重通は大軍に恐れをなし馬籠城を放棄して妻籠城に逃げたと伝わっています。馬籠宿の北側には「陣場上展望広場」があり徳川勢が陣を張った場所と伝わっています。
 その後、木曽氏は千葉県に移りますが、島崎氏は残り明治に至るまで本陣、庄屋、問屋を務めました。文豪島崎藤村は、この島崎氏の子孫です。江戸時代、中山道の43番目の宿場町として栄えた馬籠宿はその雰囲気を残しており島崎藤村関連の施設があります。藤村の作品である「夜明け前」の舞台にもなりました。有名な詩に「初恋」がありますが、そのモデルには多くの候補者がいるようですが、そのひとりである大脇ゆふさんの実家は昭和になり復元され大黒屋茶房となっています。小説「夜明け前」にも登場するらしい栗おこわが名物で、栗こわめし(Aセット)をいただきました。

 JR中津川駅から馬籠行のバスが出ています。乗車時間は25分くらいです。外国の方にも人気の観光地で、行きのバスは欧州系の外国の方が多く乗車されており超満員でした。

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モト

櫓が残っていればなぁ (2023/04/26 訪問)

初めての九州上陸に伴い初の城跡訪問は柳川城へ行きました。
古い写真などを見ると立派な櫓が残っていたようで、この目で見たかったと思う次第です。
夜に寄ったので暗い中での登城でしたが、雰囲気のある案内板などを見る事ができました。

実は今回は出張で九州へ行ったのですが、どうしても城跡に行きたいという要望を上司が叶えてくれました事で出来た登城でございました、
感謝です。

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イオ

【かるた】江戸城の読み札と絵札

江戸城は 名実ともに 日本一

江戸城は徳川将軍家の居城というだけでなく、外郭の総延長14km、寛永期天守は高さ59mを数える名実ともに日本一の城ですよね。

江戸城の 面影残す 首都東京

都心のど真ん中に桜田濠がそのままの姿で横たわっていたり、各見附跡に石垣が遺っていたり、外堀が線路や高速道路に活用されていたり、東京の街を歩いてみると、あちこちに江戸城の面影が感じられました。

江戸城に 天守を建てず まちづくり

明暦の大火で焼け落ちた天守を再建するよりも、両国橋を掛け、火除け地を設けて火災に強いまちづくりを進めることを優先した保科正之の決断。それによって江戸の町はさらなる発展を遂げ、現在の東京の繁栄へと繋がっていく…。城好きとしては天守が見られないのは残念ですが、あの天守台は保科正之の決断の象徴なんですよね。
 

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todo94

奥山荘城館遺跡 (2023/04/15 訪問)

江上館のごく近く、江上館と同じく奥山荘城館遺跡として国史跡に指定されています。三浦和田氏の和田義茂は、和田義盛の弟。鎌倉殿の13人で和田義盛は強く記憶に残っています。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:旭山城 (2023/04/22 訪問)

吉窪城から転戦。遊歩道入口付近(36.650432、138.160651)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、史料の初見は1555年(天文24年)で、武田信玄が善光寺の別当栗田鶴寿を味方に引き入れると、上杉謙信が葛山城を拠点とし、信玄は旭山城に兵3,000と弓800張、鉄砲300挺を送り込んで対応しました。このときは長期戦となり、今川義元の仲介により和睦、その条件として旭山城の破却が盛り込まれました。
1557年(弘治3年)武田信玄は葛山城を急襲して攻め落とすと、今度は上杉謙信が旭山城を修築して拠点とし武田氏と対峙しました。
1561年(永禄4年)川中島合戦の後、上杉方の守将小柴見宮内を討った武田氏が旭山城を占拠しました。その後は海津城や長沼城が重要拠点となっていきました。

工事中ですが、登城はできます。
自分は、レンタカーの返却時間が迫っており、泣く泣く登城口で撤退です。悔しい。
攻城時間は5分くらいでした。本日の城巡りはここがラストで宿泊先のホテルに向かう為、長野駅に戻りレンタカーを返却して、松本駅に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:吉窪城 (2023/04/22 訪問)

福平城から転戦。「1号古墳」先駐車スペース(36.626474、138.122385)に駐車しました。

小田切氏の始祖は佐久郡臼田小田切郷の氏人で、鎌倉時代に地頭となり小市に移り小市今里等に居館を構え、背面に小市城(吉窪城)を築き戦乱に備えたそうです。
戦国時代、小田切駿河守幸長は、村上義清に属しその後、村上氏と共に上杉方に加わりました。
1557年(弘治3年)葛山城を守った頃は、春日・朝日・長嶺・久保寺・平林・布施・横山等組下七騎衆を率いた武将でしたが、武田方の火攻めにあい、越後勢の援軍到着寸前に落城し、幸長は戦死しました。
1561年(永禄4年)川中島合戦後、武田方の治世になってから、幸長の一子民部少輔は一時武田方より400貫の知行を受けたこともあり、末裔は高井郡に移ったと伝わっているそうです。

吉窪城山頂上に本丸があり、石壇の上に七社が祀られています。
本丸の南と西に石垣の崩れた土塁が残り、抜穴跡の窪みがあります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=旭山城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:福平城 (2023/04/22 訪問)

千見城から転戦。福平城標識(36.689404、138.063750)から狭い道を登ってゆくと今木八幡神社境内に着き、そこに駐車しました。

享禄年間(1528年~1532年)に構築され、文禄年間(1592年~1596年)までこの地を治めていた溝口伯耆守の居城と云われ、溝口城とも呼ばれています。
一説には治承年間(1180年頃)、今井四郎兼平が築いたとの伝説もあるようです。

今木八幡神社裏に土塁が残り、境内西側に空堀が残っています。古びて怖いです。
福平城標識場所から今木八幡神社境内までの道は本当に狭いです。神社に近づくと未舗装になりますので運転には注意が必要です。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=吉窪城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:千見城 (2023/04/22 訪問)

仁科城から転戦。登り口説明板付近(36.603968、137.910899)に路駐し、時間がないので登り口説明板を見て撤退しました。

天文年間(1532年~1555年)村上義清の命により、小川の大日方氏によって築かれたと云われています。
戦国時代に上杉方と武田方、また上杉方と小笠原方の間で、幾度も争奪戦があったそうですが、1590年(天正18年)豊臣秀吉の命により、信濃に派遣された石川康正の支配下となったようです。
時間の都合で攻城せず入口で撤退です。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=福平城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)5日目:仁科城 (2023/04/22 訪問)

牧之島城から転戦。説明板付近(36.545942、137.838386)に路駐し、本丸の仁科神社、仁科神社境内の道を進み、安倍神社(36.547128、137.838356)に向かいました。

平安時代後期には仁科氏が安曇郡一帯の国人領主となり、大町周辺の荘園「仁科荘」や「仁科御厨」を支配していたが、市内の舘之内に舘を築くと、この城は後詰めの城としての役割を果たしました。
1221年(承久3年)承久の乱に際し、仁科盛遠は朝廷側に付き鎌倉幕府軍と戦い敗れました。
戦国時代、仁科盛政が甲斐国の武田信玄に切腹させられ仁科氏の嫡流は途絶え、信玄は五男である晴清を仁科五郎盛信と名乗らせ城主に送り込みます。
信玄は越後国の上杉謙信に対する軍事上の重要拠点として盛信を配置し、城郭を改修させました。
1582年(天正10年)織田信長に攻められた武田勝頼は天目山に追い詰められ自刃します。
武田氏滅亡後に、この地を治めた小笠原貞慶も上杉景勝に対する軍事上の拠点として派兵したと記録されているようですが、廃城の時期は不明のようです。

仁科神社境内が本丸で、土塁が残っています。仁科神社には仁科氏や明治時代以降の戦没者が祀られています。境内の一画には仁科盛遠の顕彰碑や古い塚などが残されています。
本丸の北に「阿部神社」があり、仁科氏の祖先とされ大和時代からの古代氏族である阿倍氏が祀られています。
平安時代後期の前九年の役を戦った安倍貞任、宗任親子が祀られているとも伝えられています。
北の阿部神社に行く道の西に二の丸があり、車道となっている空堀の南に、三の丸があり畑になっています。
東には木崎湖があります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=千見城に向かいました。

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,神奈川県コンプリート,おめでとうございます!

そろそろかな…とは思っていました。
伊豆,せっかくなんで行っちゃってくださいよ~!

お祝い画像は,ちょっと珍しい復元はね橋でも。
クイズではありませんので,軽く流してください。
わかったら答えていただいても🙆です。

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とっち

漆黒の烏城 (2023/05/14 訪問)

リニューアルが終わったと事で訪問しました。薄曇りの天気でしたが、漆黒の天守が映えますね。

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赤い城

成就院 (2023/05/14 訪問)

京急屏風浦園から徒歩で20分ちょっとですがこの日は野庭関城からの転戦。
徒歩で45分くらいかな。
成就院というお寺が城跡で、山門前の道路が空堀跡。
ピカピカの石碑が説明板になっています。
墓地の奥の方には土塁も残っています。
近くの笹下中央公園に犬走りもあるようですが帰ってから気づいたこと。
見ておきたかった。
北条氏の家臣間宮氏の城、間宮林蔵の祖先のようです。

で、神奈川県の登録城もコンプリートとなりました。
関東は離島が残りますがあそこは伊豆国、関八州コンプリートと言っても良いですかね?

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うさ

上ノ郷城 (2023/05/17 訪問)

蒲郡駅から徒歩で。
蒲郡博物館に御城印を頂いてから向かったので、かなりのお散歩になってしまいました。
畑の隅を通らせて頂き、作業中のお母さんに「お邪魔します」とご挨拶にしました。
これから暑くなるので、みなさん、熱中症には気をつけましょう。

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刑部

ダムを渡ると城址 (2023/05/06 訪問)

増山陣屋という所に車止めてダムへ向かいます、ダムの上を通り城址入口 門と案内板がお出迎え。
そこから結構急な上り坂を歩くこと遺構が所々見えて来ます曲輪が左右にあるので一つずつ攻略、やはり山城は面白いですねワクワクしながら巡りました。

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カズサン

本丸東崖切岸樹木伐採その後・素晴らしい景観です (2023/05/16 訪問)

 3月29日、4月10日と久野城を訪ね本丸東崖切岸の樹木伐採が進行中でしたので1ヶ月ほど経ち、その後の進捗は如何にと訪ねました。
 樹木の大木は伐採されて、小竹の群生も伐採、草等も刈られて、重機、伐採された樹木、小竹、草等は搬出されて奇麗に本丸東側が目視出来ます、また本丸東尾根筋の堀切周りも奇麗に整備されて、南側から北側からと目視確認がよく出来ます。
 今回の本丸東側の樹木等伐採整備は本丸東尾根筋より北に若干入り込んだ辺りで終了の様です。
 
 よく本丸東側の景観が整備されました、後は東の丸の東側北側の小竹の密集した土塁法面、竪堀辺りの伐採整備をお願いしたいところですが?、一昨年昨年当たりに本丸西側した本丸下段側の小竹群生切岸を伐採されましたが、竹の成長は早く、1年も過ぎると小竹の群生密集に成っています。
 袋井市、保存会の方々の努力の効果で見学探訪が出来大変感謝しています。
  

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じゅんじん

山中陣屋 (2023/05/05 訪問)

駐車場がわからずうろうろしちゃいました。国道から入るんですね。公園内に城址碑があります。お社もありました。

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イオ

【かるた】観音寺城の読み札と絵札

総石垣 魁(さきがけ)の城 観音寺城

安土城より20年も前に築かれていた総石垣は感動的でした…。
 

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todo94

国史跡 (2023/04/15 訪問)

奥山荘歴史館の展示を見学してからきれいに整備された城内を散策しました。水濠、土塁、門、北郭となかなか見栄えの良い城ですね。

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