天守台 不等五角の 岡山城
天守台が不等辺五角形という,岡山城の特徴を詠んでみました。岡山市内も,不等辺五角形をあしらった幟やポスター類を見かけるようになりましたので。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!
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2023/03/27 18:14
【かるた】岡山城の読み札 (2017/08/27 訪問)
天守台 不等五角の 岡山城
天守台が不等辺五角形という,岡山城の特徴を詠んでみました。岡山市内も,不等辺五角形をあしらった幟やポスター類を見かけるようになりましたので。
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2023/03/27 14:04
【かるた】テキスト投稿時のお願い(城郭名をいれる位置について追記)
みんなで作ろう「日本100名城かるた」企画に、さっそく読み札テキストを投稿していただきありがとうございます!
お手数ですが、読み札のテキストに城郭名を必ず読み込んでいただけないでしょうか。
城郭名がない読み札だと、遊ぶ時の難易度が跳ね上がってしまうので……。
城郭名は末尾にいれていただくのが収まりがいいとは思いますが、特に決まりはありません。
五七五が多少くずれてもOKです!
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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2023/03/27 12:40
神岡城がリニューアルオープン(4/1)&期間限定で入館が無料
騨神岡のシンボル・神岡城が4月1日リニューアルオープンします!
展示内容も新しくなり、神岡の歴史や武将・江馬氏の城跡の調査成果を解説する内容となります。
見ごたえある展示内容ながら、どなた様でも入りやすい空間となりました。
神岡城のリニューアルオープンを記念して、期間限定で神岡の文化施設(高原郷土館、史跡江馬氏館跡公園)が入館無料となります。
対象施設:高原郷土館(神岡城・鉱山資料館・旧松葉家)、史跡江馬氏館跡公園(庭園・会所)
対象期間:令和5年4月1日(土曜日)~5月31日(水曜日)
【オープニングイベント】
リニューアル「開門」式を行います。
どなた様でもご参加いただけます。是非この機会にお越しください。
日時:令和5年4月1日(土曜日)午前9時30分~
場所:高原郷土館
内容:飛騨市長挨拶、来賓祝辞、開門
予約不要・参加費無料
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2023/03/26 23:35
2023/03/26 23:06
【かるた】江戸城の読み札
江戸城 皇城 まさに城!
読み札のみの投稿です
破調で失礼致します
今でも日本の真の城と言える事を、強い口調で表現してみました
後から編集で入れた城郭名の入ったものは
大胆な字足らずですが、言葉の勢いをとりました
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2023/03/26 22:59
小倉城で石積みを探せ! (2023/01/04 訪問)
先々週投稿した菅谷館訪問の後、まだ時間があったため埼玉県比企郡ときがわ町の小倉城へ。
外秩父の山地帯と関東平野の境界部、槻川を蛇行させる比高約70mの山を城郭とした城。
城主は2つの記録があり、小田原北条氏の重臣遠山氏とも武蔵松山城の上田氏とも。
発掘調査では1500年代の城と推定されているようです。
現在は比企城館跡群の1つとしてハイキングコース的に整備された国指定史跡。
訪問時は桝形虎口の発掘調査により北尾根が通行止めで、居館跡と考えられる大福寺から登ることに。
少し登り左へ行くと、見どころの1つである平たい石を積んだ郭3の石積みに直面。他にも郭1と3の周辺は見逃してしまいそうな石積みが点在。
また全体的に状態良く残る虎口は導線を折り曲げており、右折れの北虎口から郭1へ入ると、土塁と上段に挟まれた横矢掛かりの通路になるなど見どころが豊富。
滞在時間は約2時間。
関東にも意外と石垣があるものだと感じた小倉城が、私の城郭巡りの142城目でした。
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2023/03/26 22:55
【かるた】佐賀城の読み札 (2022/02/27 訪問)
鯱の門 柱が語る 佐賀の乱
鯱の門は1838年に建造された門で、佐賀城の中では唯一現存の建造物です。明治に入った1874年、江藤新平を中心とする明治新政府に不満を持つ士族が反乱を起こし(佐賀の乱)、鯱の門にはその時の弾痕が今でも残っています。門の前に立った時、弾痕の残る柱が、当時の様子を語ってくれたような気がしたので、その時の事を思い出し詠んでみました。
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2023/03/26 22:09
織田信秀の居城で、今は東別院が建ち、名古屋城の残石がある城跡 (2023/03/25 訪問)
織田信長の父信秀が、信長に那古野城を譲り、東南方の今川方に備えるため築城して移り本拠とした平城で、四方を二重の堀で囲まれていたとされます。
信長は古渡城にて13歳で元服したといわれます。
古渡城跡地には東別院(真宗大谷派名古屋別院)が建てられており、山門や本堂など立派です。
境内には城の遺構は何も残されていませんが、山門を入った西側に城趾碑があります。
城趾碑の南側・南西側に大きな石が多くあります。
城跡は名古屋城築城の時に石置き場だったともされ、その残石と思われる刻印や矢穴がある石がいくつか見られます。
東隣りには下茶屋公園があります。
公園の説明板には、尾張名所図会の「東本願寺 掛所」に「古渡古城天守臺址」と記入されていると書かれ、東別院に掲示されているその絵図を見ると確かに右上の北東側にそのように描かれており、公園も古渡城跡地であることが分かります。
公園内には、堀を利用して作られたとされる庭園の池、土壇状があり、城跡らしい雰囲気が感じられます。
公園の東側にも残石があり、石についての説明板が設置されていて、一の刻印と矢穴が見られます。
東別院の北側、公園の北側・東側は高低差があり、周囲より少し高いことが分かります。
3年ぶりに再訪しましたが、新たに分かったこともあり、刻印や矢穴の石を探すのが楽しかったです。
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2023/03/26 21:14
見事に復元された南肥後の要衝 (2023/03/12 訪問)
佐敷川と湯浦川の合流地点の入江を見下ろす山頂に築かれ人吉街道、薩摩街道と佐敷の港を押さえる要所だったことが分かる。
元和の一国一城令で廃城になっていたものが近年になって発掘・復元された。南肥後にあるが織豊時代から加藤家の飛地で関ヶ原の戦いでは敵地に孤立した状況ながら守り抜いたという堅牢な城である。
大きく三の丸、二の丸、本丸からなっており敵地の城ということで堅固な石垣作り。虎口も備えてあり加藤家の高い技術がうかがえる。廃城されたときの破却の跡も見られ歴史を感じるととも400年前の城をここまで整備した地元の皆様の努力には頭が下がります。間違いない名城。
佐敷の駅からすぐ見える位置にあるが、行きはぐるっと城山の裏手まで徒歩で15分くらい歩いた場所から登城。道は整備されているし登城口にはトイレもあって快適。帰りは登城口の傍から駅前まで直接降りれる道があったので5分くらいで帰れました。
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2023/03/26 20:27
晴れた日がおすすめ (2023/03/12 訪問)
案内板に沿って細く急な道を登っていくと駐車場があります。
そこからさらに登っていくと主郭への案内板があります。
主郭からは眺望がgood!
この日は霞んでたので富士山は拝めませんでしたが相模湾や静岡市内を望めます。
主郭には説明板がありました。
二郭との間にはいい感じの堀切、さらに竪堀に続いてました。
遊歩道をさらに進むと見晴らし台、そんなに大きな城ではありません。
駿府防衛の重要な拠点として今川氏が築城しましたが、その後武田氏のものとなった城です。
徳川氏の攻撃で廃城となりましたが規模の割には重要な城だったようです。
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2023/03/26 19:33
牛尾城 (2023/02/26 訪問)
【牛尾城】
<駐車場他>登城口前<35.334516, 133.029792>の道路脇に3台程度駐車可能ですが、落石注意です。
<交通手段>車
<見所>主郭・井戸跡
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2日目8城目。第五の城、牛尾城は応仁の乱後に牛尾氏によって築城されました。戦国時代には尼子氏に従いその時の城主の牛尾幸清は尼子氏の主な合戦にはほぼ参陣しています。1566年、第二次月山富田城の戦いで牛尾幸清・久信父子は富田城に入り落城後父子は毛利氏に降りました。牛尾城も籠城していたが、その時落城したようです。1569年牛尾幸清の3男?牛尾幸信が尼子氏再興軍に加わり牛尾城に入ります。1570年に毛利輝元に攻められて落城します。
登城口から500m程の登山です。登山道は途中谷の所はロストしていますが何となく登っていくと復活して鉄塔のある曲輪に出ます。右手奥に進むと井戸跡があります。鉄塔曲輪から左手奥に進んで行くと主要部があります。道の右手に説明板に投石用の石積みが見られます。私は投石用にしては大きく水平横に並べられていたので3郭下段の曲輪壁の石垣に見えましたが‥‥。3郭に入り矢竹が鬱蒼としています。またもや説明板に弓用の矢竹が植えられていると‥‥、いやいや、450年前から脈々と残っているわけないでしょう、ここの説明板ちょっと違うなと苦笑しつつ2郭へ。2郭には奥に巨石がドンと立っています。何かシンボル的な、スピリチュアルな感じを受けたのでどんな説明書きがあるのだろうと探しましたが無い、「ないんかーい」とつっこみました。2郭~主郭まで100mくらいあり、私なら堀切の2つくらい造るのですが何もなく(石積み跡っぽいのはあった)主郭に入ります。主郭は2段に分かれており、進入虎口が上段の土塁を利用した枡形になっています。主郭は整備されて見応えがあります。主郭周りは谷になっていて連郭下段は無いように思いました。おそらく3郭から鉄塔のある曲輪までが未整備ですが、ひな壇状の連郭になっているのではないかと思いました。井戸跡の先の道を散策していないので未調査です、何かあるかも。
<満足度>◆◆◇
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2023/03/26 18:15
松山城 (2023/03/26 訪問)
石垣、天守閣、桜、最高です。
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2023/03/26 18:04
【かるた】竹田城の読み札 (2017/08/29 訪問)
皆が言う 日本のマチュピチュ 竹田城
説明はいらないと思います。オーソドックスに詠んでみました。
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2023/03/26 15:30
アイデンティティとの戦い (2022/11/13 訪問)
和仁氏は古代豪族の和爾氏を祖とするという。和仁三兄弟の末弟・親宗の母は蘭人で親宗はその風貌から「人鬼」と呼ばれ肥後国人一揆の際は母の墓前で自刃したとか。彼らにとって一揆はアイデンティティとの戦いだったのだと思う。
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2023/03/26 13:50
お城探訪 (2023/03/25 訪問)
遺構はありません石碑のみ
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2023/03/26 13:36
2023/03/26 11:47
♪不滅の土器 あれつべき♪ (2023/02/25 訪問)
千葉県白井市の「名内城」で、ここまで来たのだからと、欲張って市川市の「大野城」に転戦しました。
車はお薦めできません。
高台にある市川市第五中学校の門左手に「大野城」の説明板がありました。右手は下る階段が。
車を止める場所がなく、写真を写し移動しました。グラウンドの 方に駐車できる場所を探しましたが、天神天満宮があり路駐はできなかったです。
学校 に神社。
雰囲気が、私の通った中学校に似てます。学校より、神社で友達と一緒に騒いでいた方が思い出されます。
平将門さんが築いたと伝わる「大野城」ですが、説明板によると、発掘調査で中世期に活躍していたそうです。
ところで5中、たくさん学校があるんだなーと思ったら、8中まであり、その他を合わせると15の中学校が市川市にはありました。
遺構を見つける事ができなかった「大野城」ですが、市川市第五中学校の校歌に
『♪不滅の土器 あれつべき♪』
と、「大野城」をにおわす歌詞があります。
3月4月と、たくさん歌われるんでしょうね。
桜の季節に、中学時代を思い出させてくれた「大野城」でした。
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2023/03/26 11:05
小牧山城 (2023/03/26 訪問)
攻城🏯18城、攻城址6
織田信長ゆかりの4城制覇
3月31日までお城の中に入れません。
外では、☔の中イベントを実施中
露天とキッチンカーも少し出てました。
駐車料金 2時間無料は有難い。
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2023/03/26 10:27
高良山域の杉ノ城、毘沙門岳城、吉見嶽城探訪 (2023/03/19 訪問)
高良山神籠石神籠石探訪とあわせて、高良山域の山城を探訪する。
【杉ノ城】
別称住厭城。築城年代は定かではないが、南北朝時代に菊池氏が1,500騎を率いて籠城した記録がある。
高良大社本殿裏から東に延びる細長い尾根上に築かれ、堀切、畝状竪堀等が確認できる。
【毘沙門岳城】
築城者や築城年代は不明だが、南北朝期、懐良親王の本城になったと伝わる。
高良山山頂部にあり、堀切、横堀等が確認できる。
【吉見嶽城】
築城時期等は不明であるが、天文2年(1533)に八尋式部が居城とし、天正 15 年(1587)秀吉の九州平定時に陣を置いたと伝わる。
高良山から西に派生する尾根上の吉見岳山頂部にあり、堀切等が確認できる。
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2023/03/26 10:14
高良山神籠石探訪登山 (2023/03/19 訪問)
古代山城高良山神籠石~中世の山城杉ノ城、毘沙門岳城、吉見嶽城をじっくりと探訪する。
【探訪ルート】
高良大社二の鳥居(登山口)より入山。神籠石の説明板の裏から谷に下り、南谷水門跡~勢至堂山の列石角部分を見て、神籠石沿いにつけられた登山道を登る。延々と続く神籠石は見応えがある。本宮山東側の列石から一度、神籠石巡りを中断して尾根伝いに杉ノ城を探訪、高良山山頂部の毘沙門岳城を探訪、高良大社参拝後、吉見岳方面に下り、吉見嶽城を探訪。北谷に下り、虚空蔵堂を参拝し、東崖面の神籠石を見て北谷水門推定地から神籠石沿いに尾根を登り参道に戻る。
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