(21人目)「徳川家康」の続きです。
関ケ原にある最後の陣跡へやってきました。桃配山で戦況がわからずイライラした家康は、家臣たちが止めるも聞かず、最前線のここまで前に出て本陣を敷きました(写真①②③④)。関ケ原古戦場記念館の横です。
私は、ここから石田三成のいる笹尾山の陣、小早川秀秋のいる松尾山の陣が、家康からどのように見えたのか? それを確かめようと思い記念館から眺めてみました。
笹尾山はよく見えました(写真⑤)。ここからなら最大激戦地の戦況がよくわかったと思います。松尾山の方を見ると・・・(ん~遠いな🤔)(写真⑥)。ここから鉄砲を撃ちかけても、小早川秀秋には聞こえるわけがないと思いました。家康は、本当に聞こえると思ったのでしょうか? やっぱりあの話は、江戸時代の創作なのではないでしょうか?
そして石田軍壊滅、三成は伊吹山へ敗走中との知らせが入ります。目の前にいた田中吉政に、「そなたは近江の出身、このあたりの地理には詳しいであろう。ならば三成を追い、捕らえよ!」と命じます。(写真⑦家康の前にいた吉政の陣)
そして、「やれやれ、これでやっと決着がついた」とほっとしたのもつかの間、何やら目の前にこちらに向かってくる小集団が見えます。「ん? 何事か? いったい何者じゃ?」
それは島津義弘の軍団でした。退路を断たれた島津軍は、逆に家康の首めがけ一直線に突進してきたのです。もうあと200m、100m、50mくらいまで迫ってきました。家康絶対絶命のピンチ!(どうする家康!)。私はその位置(写真①)に立ってみました。そして写真①より私があそびで作った想像図⑧です。もうこの位置まで義弘は迫っていたと思われます。
直臣らが必死に守り、直政ら他諸将も戻ってきて何とか家康を守り抜きます。あともう少しで家康の首が取れるというところでしたが、囲まれてしまい 「残念! もはやこれまで!」 と義弘はあきらめ伊勢街道の方向へ走り去ります。そして直政がこれを追って行きました。
私は家康最後の陣跡に立ち考えてみました。ピンチを脱した家康は、どんな思いでここから最後の戦況を見つめていたのでしょうか?
「おのれ~、石田三成と島津義弘だけは絶対に許さん!!!」
きっと怒りが頂点に達し、勝った喜びも忘れてしまっていたのではないでしょうか?・・・
残るはあと5人です。
次は(22人目)に続きます。
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