4度目の小谷城ですが、今回は一般的にあまり知られていない本城の西下斜面の曲輪を巡り、本城尾根の中心部、更に大嶽城や山崎丸まで1日掛りで行きました。
見所が多過ぎるため、5回位に分け、まずは本城の西側斜面の遺構を投稿させて頂きます。
浅井氏三代の居城です。
1573年に羽柴秀吉が京極丸に攻め上がり、小丸の二代久政と本丸の三代長政の間を分断し、長政は赤尾屋敷で自刃し落城したとされます。
麓の歴史資料館から清水谷を通り、東側斜面に5本位の竪堀が見られました。
そして、秀吉が攻め上がったとされる清水谷の水ノ手から京極丸へ向けて谷筋の斜面を登りました。
中丸西下斜面の曲輪に石垣が1ヶ所、京極丸西下斜面の曲輪群に石垣が数ヶ所で見付かり、見事な石垣でした。
竪堀も3本位見られました。
※ 水ノ手からは本当にこんな所を攻め上がったのかと思うような険しい斜面で道も無く危険を伴いますので、充分な装備をされ複数人で登られる事をお勧めします。
京極丸を目指してましたが、北隣りの小丸に辿り着いたので移動し、秀吉が攻め上がって来た所ともされる京極丸西側曲輪の枡形虎口を見ました。
その後、本丸経由で虎御前山砦展望台まで一旦降りて西側へ廻り込んで、御馬屋敷・桜馬場西下斜面の5本位の竪堀群を通りました。
最初に見た清水谷まで竪堀が繋がっているようで、西側は長い竪堀を数多く掘って防御されたことがよく分かりました。
そこから上に登り大広間西下腰曲輪を通って北へ向かい、御局屋敷西下斜面で2段の石垣を確認できました。
これまで本城は主要部の重要な部分に石垣を用いた城と思っていましたが、西側斜面にも石垣が見られ、かなり石垣を取り入れた城造りである事が分かりました。
続きは、本城尾根の中心部として投稿させて頂きます。
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