西新井駅から徒歩で15分。
中曽根神社が城跡です。
境内には石碑と説明が書かれた石碑が置いてありました。
遺構は残っていませんがかつて行われた発掘調査やレーダー探査では土橋や曲輪があることが判ったそうです。
千葉氏の築城で城内に祀られた妙見社が中曽根神社の始まりだそうです。
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2022/11/12 09:22
2022/11/12 08:35
岡( ・᷄ㅂ・᷅ )崎 (2017/04/25 訪問)
静岡が家康連呼するけど( ・᷄ㅂ・᷅ )
家康はやっぱ岡崎なんだよね
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2022/11/12 01:57
鉄道開業150年パスを利用!東北シリーズその7 三春城 (2022/10/24 訪問)
鉄道開業150年パスを利用して東北シリーズその7(シリーズ最終戦)
宿泊は全国旅行支援で40%OFF♪
3日目は福島県。
郡山駅での乗り継ぎが異常に悪く、物凄く時間を無駄にしたので、帰りの新幹線の時間に制限される中、お城での滞在時間を少しでも長くしようと思い、三春駅から三春城まではタクシーを使いました。
城址は小高い丘にある公園という感じで整備され、本丸には奥跡と表記された石垣が遺されています。
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2022/11/12 00:28
長( ・᷄ㅂ・᷅ )篠 (2016/12/16 訪問)
我が地元愛知県( ・᷄ㅂ・᷅ )武田対信長・家康の長篠の戦い!
長篠の戦いといえば鳥居強右衛門!
己の命よりも仲間を思う武士の心!
武田の騎馬隊を鉄砲で破った戦!
歴史を刻んだ大事なお城
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2022/11/11 23:15
「厳選24城スタンプラリー」2個目のスタンプをゲット (2022/10/23 訪問)
足柄城と苅野丸山城のぽち✔︎後、大雄山線で小田原まで戻り小田原城天守へ。
先の2城と違ってたくさんの人出で大賑わいでした。
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2022/11/11 22:48
2022/11/11 22:37
長州征伐で自焼した城 (2022/11/09 訪問)
建物は無いが石垣が結構残っているので当時の様子を想像することができる。特にニノ門の枡形は厳重な防備となっていることが良くわかる。また一部崩れているが中ノ門の造りも厳重で、案内板に復元図が描かれているのでわかりやすい。麓の資料館は無料でいろいろな資料が展示してあった。第二次長州征伐で自焼したとされているが、実際には本当かどうかはっきりしていないようだ。ニノ門などの発掘では焼けた跡が出ているが、三重櫓付近では焼けた跡はなく、地震で崩壊した説もあるとか。
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2022/11/11 22:08
石垣山城 (2022/10/08 訪問)
【続百名城54城目】
<駐車場他>城跡入口前に多数あり。
<交通手段>車
<見所>本丸石垣・二の丸石垣・南曲輪石垣・井戸曲輪
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅2城目。山中城から箱根峠を越えて小田原漁港で昼食をし午後から訪城した。私、住まいが大阪で西から徐々に攻めてきたのでこの石垣山城は攻城ではないのかも。
順路は正面入り口から東曲輪下段を通り→二の丸石垣→二の丸→井戸曲輪→三の丸へは行けそうにない→本丸枡形虎口から本丸に入り→西曲輪→本丸北側法面(二の丸からは通行止めだがこちら側からは何故か通行止めになっていない)→南曲輪→崩れた石垣の大手道を降りて→南曲輪の石垣を堪能(入口正面の南側だけでなく西面にも続いてますので見落とさずに)→駐車場となっている出曲輪、たぶん駐車場の上段が曲輪だろう、コンクリート補強された石垣がある。→西曲輪・本丸北西側の帯曲輪と見て終了した。
見たことのないすり鉢状の全面石垣構造の井戸曲輪、算木積み未発達の隅角部石垣が倒壊(関東大震災で)して今後崩落していく様子(添付写真3枚目)、石垣は小田原城から見える部分だけでなく全面総石垣造りであったこと、自分好みの織豊時代の石垣、十分堪能しました。
<満足度>★★★
<グルメ>関東地方の方には当たり前の有名所かもしれませんが、昼食に小田原漁港の「とと丸食堂」にてお刺身定食をいただきました。刺身が2cmはあろうかという超肉厚で美味しかったです。
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2022/11/11 13:15
2022/11/11 12:40
奈垣と比奈知の2ヶ所あります (2022/11/05 訪問)
「下山甲斐守の城は伊賀には、奈垣と比奈知の2ヶ所あります」と城びと先達が書いてくれています。甲斐武田一族の下山氏が、応仁年間に奈垣に住し、さらに、北方面に進出するため、下比奈知に築城したと。比奈知の方は、山裾の説明板に「私有地のため無断入山禁止」とあり、YAICHIさんは、説明板前までのアプローチであったようです。
三重の山城 ベスト50を歩く、には、「左手民家の福本家垣根内右横の上り道を5分で城の北西丘端へ」とあり、福本さんが、キーパーソンのようです。
説明板から高台のお宅を見ると、家回りの手入れをしておられる方が見え、近づいて、城を見学したい旨言うと、快諾してもらえ、道も教えてもらいました。名前は聞かなかったげど、きっと福本さん。
登り始めてすぐに、狐と見つめあい、城域際で、狸と見つめあいました。恐がる気配なし。
薮こぎほどではありませんが、やや繁り気味で、遺構が写真になりませぬ。目ではよく認識できます。
下りは、福本さん宅に直降。猿と目が合いました。猿は、大きくて、恐いわー。福本さんに、狐、狸、猿に会ったと言うと、「鹿も出るよ」と。その後、爆竹をならして追っ払っておられました。獣害、たいへん。
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2022/11/11 11:35
【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第11回)高崎山城② (2022/09/24 訪問)
(高崎山城①からの続きです)
銭瓶峠でタクシーを降り、そこから登山口まで20分、登山口から山頂まではさらに40分でした。
まず登山口で注意事項をよく読みます(写真①②フムフム)。ここを訪れる時は、食べ物を食べながら歩いたりしないでください。ポケットに食べ物とか頂上でお弁当なども厳禁です(注意書きをよく守りましょう!)。というのもこの山は野生の猿の宝庫だからです。食べ物を持っているといつどこから猿に襲われるかわかりませんよ! 幸い今回私は襲われずに済みました(笑)。
登山道はセラピーロードとして整備されており、木々に囲まれ小鳥のさえずりを聞きながら、落ち葉を踏みしめていく道は、確かに何か癒されている気持ちがして、とても楽しかったです(写真③)。途中、高崎山城の縄張りや竪堀跡やイメージ図などの説明板が登山道の随所にあり、かつての城の様子を想像しながら登る事ができました(写真④⑤⑥など)。登り石垣や畝状竪堀や横堀もあったようですが(説明板より)、木々におおわれどこに何があるのかよくわからず、へたに登山道から脇に行くと急斜面や落ち葉で滑って危険なので探すのを断念しました(写真とれずにすいません)。
しかし山頂(本丸)に着くと、そこから見る別府湾や由布鶴見の山々、国東半島と別府市街や大分市街など、360°眼下に見下ろす雄大な眺めは超絶景でした(杵築城や日出城、鶴賀城や大友館・府内城もかすかに見えました)。そして最初から最後まで誰にも会わず(猿にも会わず)、山と絶景を独り占めできたので、とても気持ちがよかったです(写真⑦⑧⑨)。
山を下りて今夜の宿は別府の湯。温泉で疲れた体を癒し、ホテルのベランダからビールを飲みながら今日登った高崎山を眺めて見ました(写真⑩)結構高い! よくぞ登ったと自分に乾杯!
高崎山城から脱出した大友義統ですが、島津家久は深追いせず義統の追撃をあきらめます。そしていよいよ残るはあと一つ、家久は大友宗麟が立て籠もる臼杵城を目指しました。
しかしその前に、家久の別働隊がその間に攻めた鶴崎城にておもしろい事件があったと大友館で聞いたので、私は臼杵に行く途中にある鶴崎に寄り道してから行く事にします。
では、次は「鶴崎城」を目指します。
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2022/11/11 08:06
惣構めぐり (2022/10/02 訪問)
(続き)
本丸から北東に徒歩5分の神足神社には惣構の土塁と空堀、土橋が遺っています。細川藤孝の改修時に神足氏の城館を惣構に取り込んだもので、西端の土塁からは土橋から虎口にかけて横矢が掛かるようになっています。遺構は状態良く整備されていますが、訪れた時は草が茂っていて今ひとつ見づらい状態でした。神足神社を出て東側に回り込んだあたりにも、神足古墳の上に築かれた土塁が遺っています。
本丸から南に徒歩4分の勝龍寺は空海開基の古刹で、応仁・文明の乱などでは陣城として活用されましたが、細川藤孝の改修時に惣構に取り込まれ、山崎の戦いの際に焼失したと伝わります。その後再建され、この日はほてい市が開催されて人々で賑わっていました。
本丸から南東に徒歩5分、勝龍寺の南東には惣構の大手門が設けられ、大手門に架かる橋は大門橋と呼ばれています。大門橋の北詰には勝龍寺城大門橋の石碑と説明板が建てられていました。
また、JR・長岡京駅東口のロータリー前には「江戸時代の勝龍寺城本丸跡」の石碑がありますが、こちらは江戸初期に入封した永井直清が設けた陣屋(神足館)の跡地で、高槻への移封により16年間で廃されています。
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2022/11/10 22:10
見上げたら絶対登りたくなる (2022/06/04 訪問)
尼子十旗に数えられる赤穴氏の拠点であり毛利方の猛攻を受け間近に陣城(武名ヶ平城)を構えられた城であり堀尾氏によって近世城郭に大改造された城であり破城痕を明瞭に残す城でもある。実に贅沢なお城ではないか。
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2022/11/10 21:49
境目の城 (2022/11/10 訪問)
飛騨国司姉小路氏の一族、向氏(小鷹利氏)の居城と伝わる城です。城内は比較的整備されていて主要な場所は歩きやすくなっています。ここは詰の城ではなく、2019年主郭部分に屋敷跡の礎石が見つかり、恒常的に城内で生活していたと考えられています。主郭の西面に畝状竪堀群があり見どころだと思いますが、藪になっていました。藪こきなどをして近くに行けば竪堀が数本あることがわかりますが、写真にするとさっぱりわかりません。東側は急峻な崖になっています。飛騨市教育委員会の復元イラストを見ると周囲の尾根等にも城域が広がっていることがわかります。すべてを散策したわけではありませんが、周囲の尾根を歩くと堀切がありました。
飛騨地方は紅葉の真っ盛りできれいだったのですが、紅葉を愛でるために来たわけではありません。もう少し季節が後の方が遺構は見やすかったのだろうと思いました。
城跡へは車で入口の目安となっている岩まで林道を使って行けますが、途中から未舗装でかなりの悪路です。目印の岩の近くは湿地帯らしく地面が緩くなっていました。
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2022/11/10 21:41
2022/11/10 20:32
見どころは空堀。 (2022/11/03 訪問)
天栄村ふるさと文化伝承館から国道294号線にかけて,散策道が整備されております。天栄村ふるさと文化伝承館からは下りとなるため,あらかじめどちらから攻城しようか決めてったほうがいいかも…。ちなみに,天栄村ふるさと文化伝承館は入館無料です。
天栄村ふるさと文化伝承館では,城跡散策目的で来館したことを伝えると,手作り感のある資料をいただけます。
この日は,散策道周辺,本丸,二の丸以外ではシダ類植物が足元を確認できないぐらい生い茂っていたため,不用意に立ち入ることは避けました。
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2022/11/10 18:56
2022/11/10 18:54
【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第10回)高崎山城① (2022/09/24 訪問)
「大友館」からの続きです。
高崎山城は、古くは大友家2代目「大友義詮」により大友館の詰城として高崎山の山頂(標高628mの地)に築かれました。南北朝時代には菊池氏との合戦の舞台となったようです。
戸次川の合戦に敗れ大友館をも追われた宗麟の子「大友義統」は、いったんこの高崎山城へ逃げ込みます。そして、島津勢に囲まれますが、隙を見てさらに北の豊前院内の龍王城へ逃げました。豊前には、毛利輝元・黒田官兵衛を主力とする豊臣軍が南下中との知らせを受け、そこに助けを求めに行ったようです。
私は、高崎山城に登城しようと大分駅からバスに乗り「高崎山(うみたまご前)」のバス停で降りました。しかし垂直のように反り立った山頂を下から見上げて(写真①)、この崖のような急角度の斜面をいったいどこから登るのだろうか?(登れるかな?)と思いつつ案内所の人に聞いてみると、こちら側からは登れません。山の反対側の銭瓶峠(ぜにがめとうげ)に登山口があるので、そこから登って下さいとの事(ガ~ン! 山の反対側ですか?)。そしてそこまではバスはないとの事(さらにショック!! 私は泣く泣くタクシーを利用する事にしました。思わぬ出費 片道3,500円×2 )。
でもせっかくここまで来たので、その前に猿と仲良くなり慣れてから行く事にしました(写真②)。ここは野生の猿が自然と集まる「高崎山自然動物園」と水族館「うみたまご」があります。すごい猿の群れを間近で見る事ができました。私の股の下を平気で行ったり来たりする奴もいました(本当におまえは野生なのか? それとも私はなめられているのだろうか? でも食べ物を見ると人格(ではなく猿格)が変わるので要注意だそうです)。ボス猿は確かに恐いですが、子猿はとても可愛いですね!(写真③-⑦:よし!これで大丈夫!)
次は、銭瓶峠の登山口から高崎山城(山頂)を目指します。
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2022/11/10 12:58
城と紅葉 (2022/11/06 訪問)
城と青空と紅葉と良く合います。
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