平成24年10月第19回全国山城サミット魚津大会に合わせ2泊3日で富山県石川県の城廻りに出掛けました。
13日の中井均先生の記念講演、14日の基調講演を午前中まで、その間出店してる山城サミット参加市町村の山城紹介コーナーで情報収集、資料収集を済ませ14日の午後は城廻り以前から狙ってた高岡市伏木港の元国府跡、古国府城跡、現在は勝興寺を魚津から地道を通って北アルプスの山容を途中途中眺めながらの進行。
城跡は伏木港の西の守山城跡山陵が東に張り出した丘陵に在ります。
車は勝興寺の門の無い総門跡を入り鼓堂前の駐車場へ入れる、近くに受付が有り参拝料を払い資料等を頂き、丁度平成の大修理中期間20年で進行中で参拝記念に金の栞を頂く、本堂は修復を終えて参拝出来ました。
勝興寺の伽藍は古国府城跡内にすべて配置され周囲は土塁と堀で囲まれて且つ樹林でも囲まれ鬱蒼とした中に納まってる、浄土真宗のお寺らしく二階建ての太鼓櫓が総門の後に在る鼓堂と呼ぶ、本堂は西本願寺の阿弥陀堂を模したと言う立派な造り、富山の欄間彫刻で有名な所井波の彫しの仕事か本堂の軒下周囲は彫刻で埋まって居り見飽きないほど時間が過ぎてしまいます、本堂と唐門はじめ建物12棟は重要文化財。
勝興寺は本願寺蓮如上人の子孫が継がれ本願寺、京都公家、戦国大名との関係を深め、藩政時代は前田家との繋がりも深く歴史資料宝物が多数保存されて居ます。
寺院伽藍参拝の後、堀と土塁は東側と南側のみ見学。
歴史的には神保氏の築城で古代越中の国国府が置かれた地、越後勢との抗争の中、背後の山に在る守山城の出城として使用、佐々成政の越中攻略に助力し成政が秀吉と対抗した時、越中一向宗徒を味方につけるため神保氏を介して成政が此の地を寄進して戦火で焼失していた勝興寺が天正12年(1584年)移った。(パンフレット、案内板抜粋)
周辺観光で新港に係留されてる帆船海王丸に乗船、高岡大仏(三大大仏)参拝と洞内廻り、今回は見てませんが超有名な高岡城、瑞龍寺が見所です。
当夜は高岡の旧友と久しぶりの再会、居酒屋で痛飲とスナックカラオケ、次の日と富山と石川県境の城跡を案内頂く。
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