鎌倉時代の有力御家人で、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した畠山重忠の居館と伝わります。
その後、戦国時代の山内上杉氏と扇谷上杉氏が争っていた時の1488年に山内上杉氏が館跡を城として再興したと考えられるそうです。
発掘調査が行われ、戦国時代の15世紀末から16世紀前半の遺物が多く出土しているようです。
曲輪は広大で、空堀は深く、分厚い土塁で、思っていた以上に遺構の規模が大きいです。
特に本郭北側の突き出した出枡形土塁による折れた土塁・空堀がカッコよく、横矢がかりが技巧的で見所でした。
三ノ郭西側虎口の正坫門跡内側には、初めて聞いた蔀土塁(しとみどるい)があり、西ノ郭から三ノ郭内部の様子を見通せないようにする土塁だそうです。
館と名付けられてますが、なかなか堅固で見応えがある土の城でした。
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