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たっかー

お土産 (2022/11/06 訪問)

栗の産地で栗関係のお土産が多かったです。

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いんげん丸虫

岩井城 長野県中野市 (2022/10/29 訪問)

標高545mの山城です。上杉方の岩井氏の築城のようで、その後武田方の手も
加えられたようですね。3つの曲輪があり堀切で遮断され、二曲輪には横堀も
巡っています。藪がひどく、地形が見ずらく特に写真での表現は難しいですね。
北西の堀切が2重竪堀となる箇所は藪もなく、良く残っていて感動します。
縄張りはしっかりとしていて面白いと思います。
ほとんど使用されてない林道を藪で側面をすりつつ、湾曲した杉枝切れ端で車底を
叩きながら近くまで行き、先人達のHPや自分の感で藪を進んでいきます。

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AJ

徳川紀行~佃煮と伊賀越え~ (2017/05/28 訪問)

国民食となって久しい佃煮。元は家康が摂津・佃村から江戸に呼び寄せた漁師たちの保存食だったとのこと。ところで、そもそもなぜ技術指導に招かれたのが彼らだったのか。その背景に家康の伊賀越えがあるというのですが、本当でしょうか。

本能寺の変(1582)勃発後、堺から三河への逃避行の際、家康一行が佃村の神崎川を渡れず立ち往生していると、地元の漁師が船を用立ててくれたという話。まさに九死に一生スペシャルですが、摂津から分霊された東京・佃の住吉神社の由来には書かれていません。どうやら諸説あるようです。ちなみに由来書には家康が天正年間に摂津・多田神社に参詣した際に漁夫らが渡船を務めたとだけ書かれています。

伊賀越えは「苦労人・家康」にとって最大の苦労話のひとつ。関係者も多いため、真相と拡大解釈の境が見えにくいのかもしれませんね。一方で、佃煮のヒットは歴史的事実。とにかく日持ちするというのが売りで、参勤交代の大名にも重宝されたことから、一気に全国に普及したそうです。

さて、現在の佃(東京都中央区)はというと、高層マンションに威圧されながらも、その足下には当時の雰囲気がしっかり漂っています。鎮守の住吉神社も地元のみならず海運業者からの信仰が厚いようです。

一方、隣接する石川島は幕臣・石川氏が代々居住。あの鬼平(長谷川平蔵)が犯罪者の更生施設「人足寄場」を設置したことでも有名ですね。ちなみに平蔵、予算増額が認められず幕府の資金を投機で増やしたというエピソードが残る規格外の御仁。それが原因かどうかはわかりませんが、松平定信との折り合いはあまり良くなかったとのこと。

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城好きのメガネ

「丹波亀山城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
丹波亀山城は、丹波攻めの際に明智光秀が築城したとされる。丹波平定後も重要な拠点となったが、本能寺の変後は廃城となる。その後、天下を統一した豊臣秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝、小早川秀秋、前田玄以などが治める。関ヶ原の戦い後は、徳川譜代大名である岡部長盛が入封する。藤堂高虎が縄張りをつとめ、西国大名を動員して天下普請を行う。本丸には5重の天守が建てられた。領主は頻繁に変わり、丹波篠山から松平氏が入り、幕末まで治める。戊辰戦争では新政府の山陰鎮撫使に降伏し、廃城となる。現在、石垣等が遺されている。
※現在、城址は宗教施設となっている。大本本部みろく会館総合受付にて大本神苑拝観券の購入が必要(高校生以上300円)。見学可能時間は、午前9時30分~午後4時00分。天守台があった場所は神域となっており、立ち入りおよび撮影禁止。見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
Jr亀岡駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「余部城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
余部城は、波多野氏の支城として福井因幡守貞政が改修したとされる。明智光秀の丹波攻めの際に落城し、廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR亀岡駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「園部陣屋」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
園部陣屋は、外様大名であった小出吉親が築城したとされる。外様大名ながら、4代英貞、5代英持と2人の若年寄を輩出。廃藩置県まで小出氏が治める。戊辰戦争では、いち早く新政府を支持。天皇の避難所として園部城を改築した。園部城が日本の城郭史で最後の建築物となる。現在、曲輪、石垣、横堀、巽櫓、太鼓櫓、櫓門、番所などの遺構が遺されている。敷地内は「京都府立園部高校」となっているため見学の際は注意が必要である。

<アクセス>
JR園部駅 徒歩20分

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前ちゃん

縦断 (2022/11/07 訪問)

東武佐野線、多田駅から唐沢山城(神社)を抜け、犬伏へ

約5時間

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ランフランコ

#20 白帝城 (2022/11/06 訪問)

凄い賑わい。入場40分待ちでした。そのかいありやはり素晴らしい。城下町の栄振りも凄かったです。

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AJ

山城信仰 (2019/12/03 訪問)

関ヶ原後、堀尾氏が松江入りするまで本拠を構えた月山富田城、、という書き方では廃城感しか伝わらないかもしれません。実際は、中国地方の覇権をかけた大会戦の舞台となった戦国最強の山城。ここを攻略せずに城愛、とりわけ山城愛を語ることは許されないはず。

力攻めで落とせた武将はいないようです。あの毛利元就ですら最後は兵糧攻めを余儀なくされたと聞きます。さらに、この城を知り尽くしていたはずの山中鹿介は、主家である尼子が毛利に敗れたあと、今度は攻め手として寄せますが、見事に撃退されています。

尾根続きに山々全域に大小の曲輪群が展開する圧倒的スケールの山城で、比高は160メートル。南東を除く三方が急峻な崖であるため、入り口は限定されています。山上の詰城に辿り着くには「七曲り」と呼ばれる軍用道を登るしかありませんが、戦局はその手前、中腹の山中御殿周辺に限定されたとみられます。つまり、簡単には登れないということ。中段、御殿、山上のそれぞれに土塁と堀を巡らすことで機能は独立。要害堅固な構えとなっています。

さらに注目すべきは、戦国の遺構を破却せず、再利用して近世城郭に造り替えた点。これはかなりレアケースではないでしょうか。廃城から400年経った今も研究者から絶讃される理由が分かるような気がします。現存する建物はなくとも、その地形や高低差自体が歴史資料として超一級だと思われます。

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イオ

天王山 (2022/10/02 訪問)

山城・摂津国境の天王山頂部に位置し、南北朝期や応仁・文明の乱から戦国期にかけての京都をめぐる動乱の中、諸勢力が布陣しましたが、現在見られる遺構は清須会議の後に羽柴秀吉が改修した際のもので、秀吉が大坂城に居城を移したことにより廃城となりました。

阪急・大山崎駅から登城開始(この日は久しぶりに電車利用)。ハイキングコースを進み、旗立松~十七烈士の墓~酒解神社と経て、駅から約50分で天王山頂部の主郭に到着。酒解神社から主郭までの間にも虎口や土塁、曲輪などがある…はずなんですが、藪に沈んでいてよくわかりませんでした。ハイキングコースとしてはよく整備されていますが、山城として訪れる人はさほど多くないということでしょうか。

主郭には説明板や歴史マップが建てられており、北端には天守台とされる土壇があります。天守台の周囲には石垣が一部遺っており、主郭には転用石があちこちに転がっていました。主郭西下の曲輪は北西辺に土塁がめぐり、南に一段下の曲輪には井戸跡があります。さらに下段の曲輪には石垣があるようですが、この日は電車のためトレッキングシューズでなくスニーカー履きだったので、藪に分け入るのは断念しました。主郭部から来た道を戻る途中、来た時にはよくわからなかった喰違い虎口と竪土塁に気付きました(でもやっぱり藪の中…)。また、竪土塁の北側の曲輪群の先には横堀が見られました。

山崎城は宝寺城とも宝積寺城とも呼ばれ、秀吉期には南麓の宝積寺(宝寺)も城域に含まれていたようですが、宝積寺には秀吉が一夜で建てたとされる三重塔(重文)や、山崎の戦いで宝積寺に本陣を置いた秀吉が腰掛けて采配をふるったと伝わる出世石など、秀吉ゆかりの史跡が見られます。スーパーゼネコン秀吉組には「一夜○○」ネタが多いですね。

 

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宗春

鉄道開業150年パスを利用!東北シリーズその5 白石城 (2022/10/23 訪問)

鉄道開業150年パスを利用して東北シリーズその5
宿泊は全国旅行支援で40%OFF♪
2日目は宮城県。

国府多賀城駅から仙台駅に戻り昼食を済ませた後、白石蔵王駅まで新幹線。150年パスは新幹線も自由席なら乗り放題なので有難い。白石蔵王駅から白石駅までは徒歩。白石駅のコインロッカーに荷物を預けて登城。

三階櫓は休館中で中には入れず残念。一部の石垣が残り、よく復元されて良いお城でした。

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にのまる

神奈川県城びと登録城(53/70) (2022/10/21 訪問)

団地の中の野庭中央公園。
和田義盛築城説があるそうです。タイムリーな訪問でした。

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にのまる

神奈川県城びと登録城(52/70) (2022/10/21 訪問)

成就院の境内の木に↑↑↑のついた写真があったので見上げてみると、木の上でお猿さんが日向ぼっこしていました。

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にのまる

神奈川県城びと登録城(51/70) (2022/10/21 訪問)

太田道灌屋敷から徒歩で向かいました。
横浜英和学院にリス🐿がたくさんいて、勝国寺にどんぐりがたくさん落ちていました。
勝国寺には吉良氏館跡の説明板や吉良氏の供養塔がありました。勝国寺由来碑には“城跡”の文字があってうれしかったです。

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にのまる

神奈川県城びと登録城(50/70) (2022/10/21 訪問)

神奈川県コンプ目指すことにしました٩( ᐛ )و
神奈川県は既にすべてのお城にみなさま方のご投稿があるので心強いです。頼りにしています🥹

太田道灌屋敷は京急線黄金駅から徒歩圏です。
太田小学校向かいの三春台第二公園からの眺めがよかったです。
行きは東坂を登り、帰りは旧坂を下りました。

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カズサン

清海堀初探査感激です! (2022/11/06 訪問)

 岡崎城へ兄弟夫婦での食事会の前に探訪しました、丁度5、6日と家康まつりイベント中でその一つのイベントかと思いますが、「清海堀を探索しよう」と看板が出て居り、一人200円、初の体験即家内と参加、ヘルメットをかぶり仮設階段を下りて行きます、多くの方が参加されて居り、天守閣の係員が説明に付いてくれました、堀底からの眺めは大きさが実感できます、時代毎の石垣変化、土塁側は天守閣ある本丸側、鉢巻石垣の確認も良く出来ます、高石垣と高土塁がマッチし、樹木の伐採、草刈り整備されて良く観察出来ます、瓦の破片も落ちて居り、一部家紋付きの丸軒瓦もそれとなく落ちてる様な置いてある様なセッティングで雰囲気出している、素晴らしい体験でした。
 仮設階段が設置されてる廊下橋から本丸石垣が真近に見えて鏡石も立派。
 
 来年の大河ドラマどうする家康の環境整備で、ドラマ館の設置、大手門側駐車場整備、天守閣のリニューアル、多目的広場の整備と年末まで工事が続くようです。
 

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小城小次郎

たまたま草刈り前だったのか (2022/06/04 訪問)

前回訪問時が暗闇だったので今度こそと思い明るい時間帯に訪れたが今度(6月)は草ぼうぼうで遺構確認どころではなかった。いつまでも放置されているのではなく、たまたま草刈り直前に訪ねたものと信じている。

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前ちゃん

関東では珍しい石垣の山城 (2022/11/06 訪問)

足利館跡をあとにして、昼時だったが、道中のソースカツ丼のノボリに後髪惹かれながら、太田へ

太田駅から時間短縮のためタクシーで、ガイダンス施設へ。御城印をもらってから、名城スタンプのある本丸にある休憩所を目指して登山

見どころは、堀切、むき出しの岩盤上に築かれた石垣、山頂部にある2つの池

市内ではB級グルメの太田焼きそばが有名

お土産に上州菓匠「青柳」に“徳川埋蔵金”というものが

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前ちゃん

七五三で賑わい (2022/11/06 訪問)

足利駅内の観光案内で、レンタルサイクル(3時間400円)

足利館跡(鑁阿時=ばんなじ)は周りを堀と土塁の遺構が残っている。

寺内には、歴代足利将軍の木道坐像などもある。

その他観光スポットとして、「足利学校」、「足利織姫神社(縁結び)」、「渡良瀬橋歌碑(森高千里)」などがある

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赤い城

圧倒的な巨岩が印象的 (2022/10/09 訪問)

苗木遠山史料館でスタンプを押し、さらに上の駐車場まで車で行けます。
登って行くと足軽長屋から主郭を望むビューポイントがあります。
残念ながらこの日は雨模様。
まずは二の丸方面に進んで行きました。
二の丸の下には的場、さらには不明門が。
石垣が良い感じです。
笠置矢倉の巨岩を見ながら清水門へ。
本丸の周りを周って天守台へ。
お馴染みの巨岩の天守台です。
木曽川を望む眺望は晴れてたら素敵なのでしょう。
玄関口門を降りていき、坂下門を進んで行きました。
最後にこれもお馴染み大矢倉。
駆け足でしたが十分楽しめました。
次行ける機会があればもっとじっくり廻りたい、山城NO1の実力に納得できる城でした。

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