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todo94

県内の城めぐり・その2 (2021/09/20 訪問)

長らく行きたいと思っていた青柳城、県外へ行きにくい状況となって漸く訪れることが出来ました。獣よけのゲートはなかなか重くて難渋しました。5つの郭の表示がありましたが、そんなに細かく分ける必要があるのだろうかというのが率直な感想。三の郭なんか枡形と言って良いのではないかと思っています。それでもくっきりとした堀切や、鉄平石の石積など見所の多い城で満足です。麓の青柳氏館跡もチェックしておきました。

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ぴーかる

山科本願寺 (2021/07/25 訪問)

【山科本願寺】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>JR

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅3城目。JR山科駅より徒歩で来城、15分程かかる。現地は山科中央公園となっており、主に野球グラウンドとして利用されている。北側に高土塁が残っており土塁上も歩けるようになっている。土塁北側の窪地は堀跡だろうか。台風でなくなったのかもしれぬ、現地説明板があったような看板跡がありました。当時を思わせる遺構は少ない。出土品の添付写真は京都市考古資料館のものです。

<満足度>◆◇◇

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チェブ

フェンスの向こうに戸張城。 (2021/05/04 訪問)

迷いに迷い、なかなかたどり着けなかった「戸張城」。

相馬氏初代当主、相馬 師常さんの三男 戸張 行常さんの居城のようです。
前回、「布施城」の投稿で相馬氏と千葉氏が一族だった事が分かりました。
一方、平将門さんの子孫も相馬を称していると投稿しましたが、養子やら結婚やら複雑に結びつき千葉氏も、絡まってました。
『人間みな兄弟』、、、古っ!(笑)
相馬子孫問題、勝手に落着します。

「戸張城」の所在地も複雑で、文京区立 柏学園の敷地内です。
千葉県なのに、東京の区立学校??
調べてみると、校外学習等で使われていたようです。
現在は閉鎖してます。
柏市から千葉市方面の国道16号を車で走ると左手に、うっそうとした小山が見え、大津川まで行ってしまったら行き過ぎです。
この、小山が「戸張城」のようです。
小山方面に左折する道がトンネルを出てすぐなので、曲がりづらく、行ったり来たりを繰り返しました。
もう、大津川に下りの畑道から攻城です。
車を路駐して、学園に通じる坂道を歩き正門(?)に到着しました。
頑丈に鍵がかかっていて入れません。
いやいや、鍵が かかってなくても、建物が見えるので入れません、、、怖くて。
写真は全てフェンス越しです。

「戸張城址公園」にならないかなぁ。
手を加えなくても、お城好きには、大好物なそのままの遺構が見えましたから。

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カズサン

天竜スーパー林道紅葉狩りの後に復元高根城初登城、二の曲輪三の曲輪編 (2012/11/03 訪問)

 つづきです。
 平成24年11月高根城を初登城した本曲輪編の続き写真投稿です。
 本曲輪と南の尾根を遮断するように堀切を隔てて二の曲輪、三の曲輪、場外域とは二重堀切で厳重に防御して居ます。
 小さいながら見応え充分な発掘調査復元整備の山城です旧水窪町教育委員会発掘整備された方々に感謝申し上げます、現浜松市文化財課の整備保全も大変ありがたい、大切に残していきたい文化財です。

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カズサン

天竜スーパー林道紅葉狩りの後復元高根城初登城、本曲輪編 (2012/11/03 訪問)

 10月1日緊急事態宣言、蔓延防止規制措置の解除開け城廻りもそろそろ出掛け時ですが過去の登城でご勘弁を!

 平成24年11月、その当時毎年天竜区横山から秋葉神社、秋葉城経由で出掛けていた天竜スパー林道沿いの紅葉写真撮りをして居り山住神社から水窪町中に降り復元した山城、高根城を国道152号線沿いから数年眺めていたのですが今回は急峻な登城路通って初登城しました。
 車は余裕の広さの駐車場とトイレ、案内看板、縄張図、案内看板が設置されてます、車はそこを利用、案内看板が出ていますのでそれに従って行けば着けます。浜松からは車で国道152号線を約2時間掛ります。

 登城口は駐車場から舗装道を少し登り登城口へ急峻な登城路です、案内看板には5分で本曲輪と出てましたが私の足では休み休み15分位は掛かります、休み途中下城の方と会話し愛知県の若い方、山城で人に会うのは珍しいが同好の方が居られる事は嬉しい事です。
 本曲輪には城門、柵列、建物、井楼櫓、入母屋の管理館、前後の狭間入り土塀、裏虎口、土塁の整備と大変良く出来ています、個々に解説板も設置、見晴らしも素晴らしい、登城日より数年後に成りますがNHK大河ドラマおんな城主直虎でロケ放映されてます。
 復元されて十数年経ってますが早く登城して居たらと悔やまれた次第でした。

 南尾根続きに堀切を隔てて二の曲輪、三の曲輪と有り三の曲輪と場外域との間には二重堀切が有り南へと続く尾根筋を遮断してる。

 写真を沢山取り過ぎたので、本曲輪まで、二の曲輪三の曲輪に分けて写真投稿します。

 

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赤い城

小さな堀の跡 (2021/09/20 訪問)

西武の1日乗車券を利用して再訪。
飯能駅から徒歩で15分くらい。
完全に住宅地となっています。
民家の前に石碑と説明板が立ち、近くに浅くなった堀が少しだけ残っています。
本当に住宅の真ん前なので写真撮るにも気を遣います。
元々は二重方形の館とされていますが遺構はここだけのようです 
近くに中山家の菩提寺である智願寺があり、歴代の墓があります。
この日はちょうどお彼岸でたくさんのお墓参りの方がいらしてました。

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小城小次郎

びっくりするような歴史も隠れている (2021/07/17 訪問)

300年くらい伊達氏の本拠として不動の時代を過ごした後、300年くらい支配者が転々とする慌ただしい時代を過ごした地。尾張藩を継ぐ徳川宗春がここにいたとか松前氏が蝦夷から移されたとか、びっくりするような歴史も隠れている。

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にのまる

佐竹氏の家臣、小野崎氏の城 (2021/09/05 訪問)

 太田城から徒歩約20分。瑞龍道の道標のある坂を上った右手の瑞竜中学校が城址でした。市の広報には、西側の土手は堀や城塁の名残と伝えられているとあります。また、城址碑が校内にあるとのことでしたが、こんな時期だし日曜日だしで、校門前のパイロン&チェーンを前に為す術はありません。しかし、このまま帰るのもなんかあれなので坂の途中の白鷺神社へ行ってみました。小さな神社がいっぱいある神社で(すみません、詳しくないです)、鳥居のすぐ横に「今宮館跡」の標柱がありました。「古くより今宮大納言坊館跡と伝えられる。館主は佐竹16代(15代?)義舜の庶長子永義で、修験となって佐竹領内の山伏を統率したという。」と書かれており、一気に500年前にタイムスリップしました。一帯が城跡、また館跡のようです。

【お城川柳129】
帰りがけの駄賃で出会った館跡

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ヒロケン

静岡の横須賀 (2021/09/05 訪問)

戦国時代末期、遠州南部は徳川と武田との境界となって攻防が続き、高天神城攻略の拠点として徳川家康は家臣の大須賀康高に命じて横須賀城を築かせました。それまで、遠州南部の拠点であった高天神城は落城と共に廃城となり、横須賀城が遠州南部の拠点として位置づけられました。以後、明治維新で廃城となるまで、288年間2万5千石~5万5千石の城として城主を変えながら続いています。
なかには、江戸幕府の老中を務めた城主もいたそうです。

横須賀城は、平山城として山城から平城に移る特徴を備え、中世城郭と近世城郭の二つを併せ持っています。また、玉石積みと呼ばれる丸い川原石を用いた石垣も特徴としてあげられます。
現在は、曲輪・玉石積みの石垣・礎石などが残り、国の指定文化財として整備が進められています。駐車場・トイレも完備されています。

横須賀城には2度目の攻城で、玉石積みの石垣は珍しく、興味を惹かれますが少々迫力に欠け、自分の好みではありませんが"(-""-)"改めて、城域を散策してみると、さすが明治維新まで続いた城だけあり、中々規模が大きく見所が結構多い城だと再認識致しました。

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カズサン

復元櫓門を見たくて❣ 初登城 (2013/01/19 訪問)

 茨木城は遺構は殆ど市街化で消え現在茨木小学校に成って居ます、その敷地の東側に櫓門が復元されて居り茨木城の紹介で復元櫓門が写真掲載されて居り是非見学探訪をと平成25年1月に毎年開催してる中学、高校、大学卒業後関西に住んでる同じ中学同年卒同窓会の前日初登城しました。

 JR茨木駅から徒歩でぶらぶらと茨木城茨木小学校を目指す、東に進行し元茨木川が公園化され水は無く、元水堀跡、土塁城塁を醸し直ぐ東に茨木神社参拝し、現在神社の表門に成ってる茨木城元城門搦手門を見学観察、搦手門を出て北方向に約400、500m茨木小学校の西側は表側、裏へとぐるっと回って期待目的の復元櫓門と面会やっと会えました感!!
 道は狭く車を駐る所はありません徒歩が正解です。
 
 茨木城の櫓門は廃城後片桐且元の弟片桐貞隆の小泉陣屋に移され片桐氏の菩提寺慈光院(奈良県大和郡山市)の楼門と成ってる、由って慈光院の移築楼門を複製復元したのが茨木城跡の櫓門です。
 歴史的には織豊期中川清秀が茨木城主、秀政が継ぎ、秀吉直轄地、片桐且元、貞隆が治め大坂夏の陣後且元死去後貞隆は大和郡山小泉陣屋へ転封、後に廃城と成った。

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赤い城

石神井公園の中に (2021/09/20 訪問)

石神井公園の中に城跡があります。
最寄りは西武線の上石神井駅若しくは石神井公園駅です。
三宝寺池は自然の堀、石碑と説明板が立っています。
主郭はフェンスで通常時は入れません。
11月頃の文化財ウィークで公開されるようです。
フェンス越しに土塁や空堀を確認することができました。
豊島氏の拠点でしたが太田道灌に攻められ落城。
現在は市民の憩いの場となっています。

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カズサン

北辺探訪と博物館展示現存12天守模型見学 (2013/11/10 訪問)

 10月1日に緊急事態宣言、蔓延防止規制措置が解除され行楽の秋、いよいよ大手を振って(暫くは慎ましく)城廻りも出来るようです。

 過去分の投稿ですが平成25年11月第20回全国山城サミット朝来大会が有り1泊し、講演を聞き各市山城の展示コーナーで情報収集、朝来市は竹田城ですが登城はせず麓で眺め竹田駅の竹田城情報コーナーを見て資料、情報収集を早めに終えて以前から行きたかった生野銀山構内見学と生野口銀谷景観地区の見学、生野代官所跡も見学して姫路城へ。

 平成25年は5月と11月の2回登城ですが今回は何年も前から訪ねたかった姫路城北辺、内の中堀と外の中堀に囲まれた地区に在る「兵庫県立歴史博物館」で現存12天守の立体模型が展示され、特別展も開催「名城ふたたび ようこそ姫路城」、立体天守模型は是非見学したいと前々から願っていました。
 各模型の資料は無く写真を撮りまた頭に叩き込みました、一階二階と巡り見学、長年の願いが叶った大変満足な見学でした。

 後、気に成ってる所は博物館の北に在る「日本城郭研究センター」姫路市立日本城郭研究室と姫路市立城内図書館が有る様ですが日本城郭の資料、図書が有るのか、あれば閲覧出来ればと思う処ですが敷居が高いようにも見えるので情報が有れば教えて頂きたい。

 車は北隣の日本城郭研究センターの駐車場を利用。

 博物館見学の前後に今までの訪ねて無かった姫路城の北辺より天守閣は天空の白鷺の大屋根に覆われ公開一年前、内の中濠跡、東小天守、乾小天守、渡櫓景観を眺める、丁度季節なのか四季桜が咲いて居り写真に花を添えて呉れました、外の中濠には行ってません。

 宿泊し翌日は是非見たい参拝したいと思ってた小野市の国宝浄土寺、国宝阿弥陀如来立像、西陽に輝く阿弥陀仏として有名です、近くの広渡廃寺跡歴史公園、奈良薬師寺と同じ伽藍配置、近くを走り櫓を見つけ訪ねた金鑵城遺跡も初登城。

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JPN-AZE

新緑の季節に (2003/05/28 訪問)

2004年5月28日、埼玉県比企郡嵐山町の菅谷館を訪問。だいぶ前なので、あまり詳しく覚えてないのですが、埼玉県立嵐山史跡の博物館も入りました。

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JPN-AZE

The Buddhist temple with a manor house ruin (2021/09/22 訪問)

2021年9月22日に訪問しました。前から、足利尊氏公ゆかりの寺とあったので、気にはなってたのですが、なかなか寄る機会がなかったです。先日、府中市内のセカンドハンドストアへ行った折に、寄ってみました。来てみて初めて知ったのですが、尊氏公だけでなく、藤原秀郷公ゆかりの地でもあります。館址があります。その横には、弁慶の硯の碑もあります。寺務所に声をかければ、寺に関する栞をもらえます。

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ぎりょう

仙台藩21要害を訪ねて 岩谷堂要害 (2021/09/12 訪問)

仙台藩21要害三ヶ所目は岩谷堂要害を訪問。旧江刺市岩谷堂(現奥州市江刺区岩谷堂)は私が大学を卒業して就職し、初めて出張で訪れた町。当時から城に興味は持ってはいたが、土で築かれた中世城館の認識が無く、50年ちかくを経て初の攻城となった。城の歴史は古く、奥州藤原氏の祖経清・清衡との関わりも伝わっているようだ。中世には千葉氏、江刺氏、葛西氏が城主。仙台藩領となり伊達家臣の桑折氏、古田氏を経て万治2年(1659)に御一門岩城左兵衛宗親が拝領、大きく改修した後、岩谷堂伊達家(5510石)の要害として明治維新まで使用された。
縄張は東に人首川が流れ、北から南にのびる標高115mの丘陵の南端部に築かれ、北側一番奥に本丸、次にニノ曲輪、中ノ丸、二ノ丸が続く。本丸は帯曲輪と横堀で守られており、それぞれの曲輪は空堀で隔てられている。
近世には二ノ丸(東西150m、南北100m)に多くの建物が置かれ、要害屋敷として使われたようだ。
訪問当日は人首川に架かる夢乃橋を渡って城址「館山史跡公園」に入ったので、城の東側が切立った崖であり、堅城ぶりがよく理解できた。

水沢ICから11km、17分。本丸下に駐車場があり。

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赤い城

太田道灌が築いた砦 (2021/09/20 訪問)

西武線の謎解き1日乗車券を利用して乗り鉄城廻り。
先日チャレンジした謎解きはさっぱりだったのでこちらにチャレンジ。
愛宕山砦跡には早大高等学院があります。
遺構はありません。
太田道灌が石神井城の豊島氏を攻めるために築いた砦です。
再訪ですがわざわざ行くことも無いと思います。
石神井城の帰りにどうぞ。

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ぴーかる

瀬田城・瀬田の唐橋 (2021/07/25 訪問)

【瀬田城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>京阪石山坂本線 唐橋前駅より徒歩

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅2城目。瀬田城は山岡氏が興った永享年間(1429~1441年)に築城されたとされ歴代山岡氏が治めていた。戦国時代山岡景隆は織田信長に仕え、有名なのが本能寺の変の際に景隆は瀬田の唐橋と瀬田城を焼いたことで明智光秀が安土に向かうのを3日間足止めしている。現在は県道号線の道脇に石碑が残るのみとなっている。

 瀬田の唐橋は乱の起こるたびに焼き落とされた橋で、本格的に架けたのが1575年、織田信長が家臣となった山岡景隆に命じたものがあるようです。その時橋に初めて擬宝珠が付けられたそうです。また俵の藤太の大百足退治発端の場所でもあります。琵琶湖の龍神が翁に化けて、三上山(現在の近江富士)に巣作った大百足が琵琶湖の魚を食べつくして困っているので瀬田の唐橋でスカウトした藤原秀郷(俵の藤太)に退治をたのみます。先に行った浮気住吉神社と繋がって納得しました。
 古代の時代から交通または軍事の要衝の場所で今でも西側の国道422号線と東の県道559号線を結ぶ橋となっており右折渋滞がよく起こっています。私も車やバイクで行楽の度々渡った経験がありますが、徒歩でじっくり鑑賞しながらは初めて。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

ミュージアム展示模型を見学目的の3度目登城 (2013/08/17 訪問)

 平成25年8月故郷鳥取の行事を終えて高速道夜駆け、大分県日出城移築修復復元鬼門櫓を堪能、熊本県宇土城小西行長を偲び初登城を終えて宇土市より地道で八代城へ、主目的が以前見逃していた八代市博物館未来の森ミュージアムに展示されてる大型の八代城模型見学ですので車はミュージアム南の駐車場を利用。
 
 今回で八代城は出張中も入れて3度目と成りますが博物館は初めての入館です、八代城模型は1階に大きく場所を取り展示されてます、素晴らしい立体模型で圧巻の眺めゆっくり周囲を廻り観察、撮影それだけで興奮ものです。
 充分時間を掛け見学し八代城に関する資料も沢山展示配布されて居り頂く、麦島城の資料も有りゲット。
 
 車は博物館駐車場に置き、東に100m~200m程に八代城が在ります、水濠に浮かぶ天守台を眺め北門廊下橋から本丸に入る、北九間櫓台、唐人櫓台、間の埋め門から入り内から天守台、小天守台を眺めて内部を散策して東に面した枡形門石垣の構えを見学、欄干橋から東へ出る、今回は3回目ですし以前探訪してる天守台、小天守台、各櫓台上には登らず、庭園松浜軒も寄らず、水濠越しに石垣群を眺めて更に頭に叩き込みました、丁度夕刻良い時間に本日の城廻りが終わりました。

 この後は鹿児島に連泊ホテルを予約でき元会社の旧友と天文館で元馴染みの店に繰り出し旧友、マスター、ママと会話が弾み痛飲、翌日から鹿児島の未踏の城を登城と企画したのですが桜島からの降灰が酷く成り、連泊の残り宿泊をキャンセルして昼前に浜松帰路へ、約1200km高速道をゆっくりと途中SA車中泊仮眠して翌朝帰宅しました8泊9日良い思い出も有りますが疲れました。

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小城小次郎

大内定綱のイメージとは異なる城だ (2021/07/17 訪問)

表裏比興の梟雄的な印象が強い大内定綱の本拠地は意外なくらい求心性に乏しい群郭式のお城だった。生死を賭けて外敵から地域を守り抜く地域連合の惣領というのが、定綱の真の姿なのだろう。織豊系の石垣はおまけということで。

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じゅんじん

雑木林 (2021/09/11 訪問)

十数年ぶりでした。公民館横に榊原康政公出生の地の石碑などあります。駐車も可能です。
周囲には砦跡もあるみたいです。周辺の鴛鴨城、堤本地城とセットで行きました。

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