かねがもりじょう

金ケ森城

滋賀県守山市

別名 : 金が森城、金森城、金森御坊
旧国名 : 近江

投稿する
懸所 金森御坊
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イオ

金森長近ゆかりの地 (2025/05/04 訪問)

室町中期に川那辺氏が開いた金森惣道場(金森御坊)を中心に寺内町が形成され、川那辺道西の頃には比叡山勢により大谷本願寺を破却された蓮如が金森御坊に身を寄せ、浄土真宗の拠点となりました。戦国期には蓮生寺(三宅城)と連携して城郭化を進め、織田信長の近江侵攻の際には、一向一揆の拠点として六角氏に味方して抵抗しましたが、佐久間信盛に攻められて開城しました。

金森御坊周辺は道が狭い上に入り組んでいて駐車できそうにないので、金森霊園脇に路駐して登城開始。城跡は宅地化していて遺構は消滅しており、寺内町の中心となった金森御坊や道西が開いた善立寺、道西坊旧址の石碑や金森御坊と中世の歴史遺産の説明板が見られるくらいです。また、金森御坊から東へ約100mの蓮如上人杖堀池には、蓮如が飲料水に困っていた住民のために杖で清水を掘り当てたとの伝承があります。その他、城跡の北辺・南辺・西辺を流れる川(水路)がかろうじて往時の堀の名残といえるでしょうか。

…と、ほとんど見るところのない金ケ森城ですが、この日は金龍紀行の一環として訪れました。金森長近は、土岐氏の内紛に敗れた父・大畑定近に連れられて美濃から金ケ森に移り住んで「金森」を称し、幼少期から青年期までを過ごしています。後に飛騨高山の城下町を開く際に金ケ森以来の付き合いの商人を招くなど、長近にとって金ケ森は単に名字の由来というだけでないゆかりのある地だったようです。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

三宅城(滋賀県守山市三宅町) (2025/05/04 訪問)

三宅城(城びと未登録)は、戦国期に在地土豪の三品氏が居城とした城館で、織田信長の近江侵攻の際には、一向一揆勢が拠点とした金ケ森城の出城として信長包囲網の一角を担いましたが、佐久間信盛に攻められて開城しました。

三宅城跡は真宗大谷派の蓮生寺になっていて、境内が主郭と考えられます。主郭の南東辺から南西辺にかけて土塁が遺っていて、南東辺外周には堀も見られます。南西辺外周には堀代わりの堺川が流れ、北西辺にも土塁や堀の名残の水路があるようですが、民家の間にあるため確認できませんでした。

芦浦観音寺館と金ケ森城の間にあるため、ちょっと立ち寄ってみましたが、思いのほかしっかりした土塁が見られました。ただ、周辺の道は狭い上に駐車できそうな場所も見当たらず、邪魔にならない道路脇に路駐して駆け足での登城になってしまいました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)18日目(最終日):金ケ森城 (2024/10/09 訪問)

守山駅から徒歩25分くらいで、霊園前(35.055712、135.979328)に着きました。
そこから、徒歩2分くらいで金森御坊説明板前(35.056866、135.979220)に着きます。

金ヶ森城は、築城年代や築城者については定かでないが、川那辺道西の居城と云われており、1182年(寿永元年)に木曽義仲に攻められ、焼失したとされています。 
14世紀後半ごろに、川那辺氏は浄土真宗に帰依し金森には道場が開かれます。1465年(寛正6年)に本願寺法主の蓮如が京を追放されると、川那辺道西はこれを迎え入れました。
翌1466年(寛正7年)蓮如らは金森で蜂起し、比叡山の僧兵らと金森合戦に及びます。この金森合戦が、史上初の一向一揆であるといわれるそうです。
1469年(文明元年)蓮如は堅田へと移ったが、金森は寺内町として発達していきました。
戦国時代には一向衆徒の拠点ともなり石山本願寺と連携したが、織田信長の家臣佐久間信盛によって攻められ落城したそうです。 

金ヶ森城は、金森町地区の中心部にある善立寺一帯に築かれていたそうです。
現在、城の遺構は何も残っていませんが、善立寺南側の小公園内に石碑が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=浮気城へは徒歩で向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

金森御坊辺りが城跡 (2024/06/23 訪問)

 金ヶ森城は金森御坊辺りが旧跡のようで雨が降り止んだりの中、グーグルマップ片手に訪ねました。

 駐車場:特に無し、金森霊園と中央公園の間の幅広道に路駐(35°03'21"N 135°58'46"E h=100m)
 参考資料:城びと、グーグルマップに依る。

 グーグルマップに依ると金ヶ森城跡の史跡マークは、中央公園北東角と善立寺南、城びと金森御坊の三ヶ所記されて居り、路駐の金森霊園より北へ、中央公園北東角を訪ねるが何もなし、北進し水路か堀か?を渡り西に曲がり善立寺南を訪ねるが徳香流遠石碑が在るのみ、善立寺には蓮如上人像、蓮如上人旧跡石碑、金森道西坊碑が立っている、金森御坊は閉まって参拝見学出来ず、御坊の屋敷周囲をぐるーと廻る。金ヶ森城の遺構は良く分からず。皆さん投稿の「金森御坊と中世の歴史遺産」立看板は見てけられませんでした。

 守山地域は蓮如上人の足跡も有り浄土真宗のご門徒の篤い信仰の地で湖西の堅田ともども名をはせています、ネットの情報では寺内町のはしり、比叡山との合戦、一揆でも知られ、信長との戦いも有った様です、信長に仕えてた、金森長近が若き日に金森で過ごしたようです。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 城郭寺院
天守構造 なし
築城主 川那辺氏
築城年 戦国時代
主な城主 川那辺氏
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県守山市金森町
問い合わせ先 守山市教育委員会文化財保護課
問い合わせ先電話番号 077-582-1156