守山駅から徒歩25分くらいで、霊園前(35.055712、135.979328)に着きました。
そこから、徒歩2分くらいで金森御坊説明板前(35.056866、135.979220)に着きます。
金ヶ森城は、築城年代や築城者については定かでないが、川那辺道西の居城と云われており、1182年(寿永元年)に木曽義仲に攻められ、焼失したとされています。
14世紀後半ごろに、川那辺氏は浄土真宗に帰依し金森には道場が開かれます。1465年(寛正6年)に本願寺法主の蓮如が京を追放されると、川那辺道西はこれを迎え入れました。
翌1466年(寛正7年)蓮如らは金森で蜂起し、比叡山の僧兵らと金森合戦に及びます。この金森合戦が、史上初の一向一揆であるといわれるそうです。
1469年(文明元年)蓮如は堅田へと移ったが、金森は寺内町として発達していきました。
戦国時代には一向衆徒の拠点ともなり石山本願寺と連携したが、織田信長の家臣佐久間信盛によって攻められ落城したそうです。
金ヶ森城は、金森町地区の中心部にある善立寺一帯に築かれていたそうです。
現在、城の遺構は何も残っていませんが、善立寺南側の小公園内に石碑が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=浮気城へは徒歩で向かいました。
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