室町中期に川那辺氏が開いた金森惣道場(金森御坊)を中心に寺内町が形成され、川那辺道西の頃には比叡山勢により大谷本願寺を破却された蓮如が金森御坊に身を寄せ、浄土真宗の拠点となりました。戦国期には蓮生寺(三宅城)と連携して城郭化を進め、織田信長の近江侵攻の際には、一向一揆の拠点として六角氏に味方して抵抗しましたが、佐久間信盛に攻められて開城しました。
金森御坊周辺は道が狭い上に入り組んでいて駐車できそうにないので、金森霊園脇に路駐して登城開始。城跡は宅地化していて遺構は消滅しており、寺内町の中心となった金森御坊や道西が開いた善立寺、道西坊旧址の石碑や金森御坊と中世の歴史遺産の説明板が見られるくらいです。また、金森御坊から東へ約100mの蓮如上人杖堀池には、蓮如が飲料水に困っていた住民のために杖で清水を掘り当てたとの伝承があります。その他、城跡の北辺・南辺・西辺を流れる川(水路)がかろうじて往時の堀の名残といえるでしょうか。
…と、ほとんど見るところのない金ケ森城ですが、この日は金龍紀行の一環として訪れました。金森長近は、土岐氏の内紛に敗れた父・大畑定近に連れられて美濃から金ケ森に移り住んで「金森」を称し、幼少期から青年期までを過ごしています。後に飛騨高山の城下町を開く際に金ケ森以来の付き合いの商人を招くなど、長近にとって金ケ森は単に名字の由来というだけでないゆかりのある地だったようです。
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