おづつみじょう

小堤城

宮城県亘理郡

別名 : 大雄寺館
旧国名 : 陸奥

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しんちゃん

亘理伊達家 (2025/01/01 訪問)

千葉常胤の子孫・武石氏がこの地に移り、暦応2年(1339)には亘理氏を名乗るようになり小堤城を築いたとされています。亘理氏は伊達氏・国分氏・相馬氏と争うようになりますが、亘理宗元の代に伊達氏に従うようになり、天正年間(1573~92)元宗・重宗のころに亘理城を築いて移って行ったと考えられています。
現在は大雄寺の境内となっていて、後に亘理城主となった亘理伊達氏の墓所が有ります。墓所のある城址南側には土塁も残っておりました。
大雄寺は亘理伊達家初代の伊達成実が菩提寺である雄山寺を居城に移し大雄寺と改称したとされています。

※申し訳ありませんが、内容を一部修正・追加し再度掲載させていただきます。一度なら偶然で済むのですが、連続して発生する場合は故意の可能性が有るとして、遺憾ながらこのような対応を取らざるを得ません。
四県コンプの時の事例も有りますので、なにとぞご理解いただければと思います。小堤城の投稿に関しては再投稿は、この先何が起きようと一度のみにさせていただきます。先の投稿で「いいね」をつけてくれた方々には申し訳ありませんがご了承願います。

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大雄寺 (2025/05/23 訪問)

 大雄寺の境内一帯が城跡とされています。千葉氏の一族である武石氏により築かれたと伝わる城です。武石氏は亘理氏と称するようになり代々居城としていました。後に伊達氏に仕え亘理城を築き廃城となりました。1603年に伊達成実が亘理に移封されると、亘理伊達氏の菩提寺である大雄寺がこの地に移され現在に至っています。境内には伊達成実霊屋などがあります。山門前に標柱があり、一部に土塁が残っています。

 JR亘理駅から徒歩25分くらいです。

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刑部

お寺になった城址 (2023/01/05 訪問)

お寺の周りに土塁がありました。入り口の前に駐車スペースがあります。

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カズサン

伊達成実の菩提寺、東の土塁が見所 (2021/11/15 訪問)

 鵜ヶ埼城を終えて国道6号線を南下、直線で約9km程に大堤城が在る大雄寺門前をナビに定め走行、門前に参拝者用駐車場、トイレ完備、大変ありがたい。
 探訪参拝ルートは、大雄寺山門を仰ぎ、横に在る小堤城標柱で内容を確認、山門を潜り本堂前で参拝、小堤城の見所の土塁を東側、南東角と確認し、戻り登れる所から土塁上に上がる、南東角から南の土塁上に亘理伊達家の霊屋、墓石が祀られている、一番立派なお霊屋が亘理伊達家初代伊達成実、大雄寺が亘理伊達家の菩提寺と成って居る。
 小堤城は現在の寺院敷地全体で土塁に囲まれてた、土塁は東側と南側に残ってる。

 小堤城は千葉氏の流れ亘理氏の城、伊達氏の養子を迎え伊達氏との繋がりも深まり、小堤城から亘理城に移る、以後に亘理氏は涌谷城へ移り片倉小十郎景綱が入り関ヶ原後伊達成実が入り以後亘理伊達氏が明治まで代々治める。
 大雄寺を伊達成実が小堤城に移し菩提寺を新しく整える。

 近くの亘理城へは平成28年4月に登城してるのですが小堤城はパスしており今回5、6年振りに訪ねる事が出来ましたお霊屋を見れば伊達成実の凄さが分かります伊達政宗の重臣で従兄弟の伊達成実、片倉小十郎景綱が両腕、大河ドラマのシーンが甦って来ます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 武石氏
築城年 乾元元年(1302)頃
主な城主 亘理氏(武石氏)
遺構 曲輪、土塁
再建造物
住所 宮城県亘理郡亘理町泉ケ入88