千葉常胤の子孫・武石氏がこの地に移り、暦応2年(1339)には亘理氏を名乗るようになり小堤城を築いたとされています。亘理氏は伊達氏・国分氏・相馬氏と争うようになりますが、亘理宗元の代に伊達氏に従うようになり、天正年間(1573~92)元宗・重宗のころに亘理城を築いて移って行ったと考えられています。
現在は大雄寺の境内となっていて、後に亘理城主となった亘理伊達氏の墓所が有ります。墓所のある城址南側には土塁も残っておりました。
大雄寺は亘理伊達家初代の伊達成実が菩提寺である雄山寺を居城に移し大雄寺と改称したとされています。
※申し訳ありませんが、内容を一部修正・追加し再度掲載させていただきます。一度なら偶然で済むのですが、連続して発生する場合は故意の可能性が有るとして、遺憾ながらこのような対応を取らざるを得ません。
四県コンプの時の事例も有りますので、なにとぞご理解いただければと思います。小堤城の投稿に関しては再投稿は、この先何が起きようと一度のみにさせていただきます。先の投稿で「いいね」をつけてくれた方々には申し訳ありませんがご了承願います。
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