野武士が立て籠もった山城とされています。またこの地域は国分氏の支配地域で関連する城館ともいわれています。諏訪神社の後方丘陵が城址で、神社より登城路が整備されていました。神社の鳥居近くに説明板があります。縄張りがわかりにくいのですが、空堀、土塁などの遺構が観られます。
登城路を進んで行くと左手に曲がった所に曲輪と思われる平坦な地形があり、その後左手下に空堀がありました。東側に登って行くと段々となっている曲輪があり、ここにも説明板が設置されています。さらに進んで行くと湧き水池への道があり、先には水分神社があります。ここまでは道も整備され草もなく歩きやすいのですが、その先は藪に近い状態でした。ただその先の曲輪には土塁、空堀、虎口などがあり見どころだと思います。この日は雨が降っていて、この自分が見どころと思っている場所に来ると雨の勢いが強くなり難渋しました。下りてくると雨が止むという自分にとっては時々あるパターンです。
刑部さんが登城されたときは侵入禁止となっていたようなので、神社まで行って引き返すことも覚悟していましたが、通行規制は解除されていました。ただ入口に「熊出没・被害について、周辺地域にて相次いで報告されております その為、入山にはくれぐれもご注意ください また、山中での事故等の一切の責任は当神社では負いかねます」の注意書きがありました。近くに御殿館跡へ(約10分)→御殿山へ(約15分)と書かれた標識があり、急いで行って来ました。この日は先にも書いたように雨が降っていて傘を差しながらの登城となり、ブレている写真が何枚かありました。
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