静岡平野に突き出す細長い丘陵は乱流していた安倍・藁科川とともに駿府の守りの要。西に向けた強い意識は今川が狩野に向けたものか武田が徳川に向けたものか徳川が豊臣に向けたものなのか。これを突き止められたら面白いぞ。
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2024/07/30 21:53
2024/01/21 21:59
2023/09/30 20:41
静岡の語源だったりする。 (2021/02/28 訪問)
賤機山城は静岡浅間神社の背後に丘のように長大にそびえる賎機山の尾根上一帯に
築かれた今川氏の詰めの城です。静岡の語源にもなっているらしく静岡市民にとっては
象徴的な山でもあると言えるのではないでしょうか。ハイキングコースになっている
ようで冬場でも結構な人が登っておりました。いくつか扁平地が存在し、本丸には
城址碑があり土塁も一部残っているようです。南西側に張り出した尾根には籠鼻砦が
あり、賎機山城の城域からアクセスが可能です。途中大きな堀切で遮られ難儀しましたが
郭までたどり着くことが出来ました。今川館の詰めの城にしては、いささか洗練されて
いない気がしますが良く考えたら今川方の山城ってあまり手の込んだ造りではないんですね。
武田や北条の山城が凄すぎるので比べるとおよよになるんですね。くわばらくわばら‥
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 今川氏 |
築城年 | 南北朝時代 |
主な城主 | 今川氏、石橋氏 |
廃城年 | 天正10年(1582) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 静岡県静岡市葵区大岩 |