日本三大水攻めのひとつが行われた場所として有名な備中高松城址(岡山市)。土木力を誇ったとされる秀吉軍ですが、巨大堤防を2週間弱で3キロつないだという話には疑問が残るようです。
実際、一番強度が求められたのは氾濫させた川の流れを沼地の最低部で受ける堤で、ここは今も形が一部残っています。それ以外は所々で水漏れを防げば十分だったというのが近年よく披露される見方だとか。
さらに、この奇策を思いついたのは大河ドラマで知名度を上げた軍師・黒田孝高(官兵衛)ではなく、土地を知る宇喜田家の家老だったと指摘する向きもあります。史実とエンタメの境界はいつの時代も曖昧なのかもしれませんね。ちなみに私はどちらも大事だと思いますし、どちらも好きです。
JR吉備線・備中高松駅からのんびり歩いて20分ほど。長閑な景色が広がりますが、歴史の一大局面とされる「大返し」がここから始まります。
本能寺の一件を伝える急使、京に引き返すことを決める秀吉、そして、それを追わないと決める小早川(毛利)。目の前の景色とはかけ離れた慌ただしい空気を想像してみてはいかがでしょうか。
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