いせがつぼじょう

伊勢ヶ坪城

広島県広島市

別名 : 塩が坪城
旧国名 : 安芸

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征23日目:伊勢ヶ坪城 (2026/06/02 訪問)

天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
土居屋敷から車で10分くらいで、登り口付近空スペース(34.551870、132.546958)に着き、そこに駐車しました。

承久の変(1221年)で戦功のあった熊谷氏がこの地に入って伊勢が坪に城を築きました。
その後、戦乱の世になると、当主の熊谷4代直経は防御力の低い伊勢が坪城から、要害堅固な三入高松城に居城を移しました。
しかし繋ぎの城としての役目もあり伊勢ヶ坪城は廃城となることなく存続し、隠居城としての役目も持っていたと云われています。
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いに敗れた毛利氏の防長移封に従い、伊勢が坪城も他の熊谷氏の城や屋敷同様廃され、熊谷元直は三入の地を離れ、萩へと移っていきました。

説明板と登城口の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=阿賀城に向かいました。

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しんちゃん

鹿出現! そういや十二支に鹿っていないな。 (2024/01/03 訪問)

伊勢ヶ坪城は根の谷川の東側の丘陵に築かれています。大林神社の東側の道を高所に向かっていくと坂の途中に登城道があり、そこから城址に至ります。頂部の扁平地以外にも西側に郭が配されているようですが実際に訪れてみると散策できるのは頂部の主郭と西側の扁平地ぐらいに限られると思います。で‥今回訪問した時に入口の近くに鹿がいたんですね。
じっとこっちを見て「何しに来た」って表情をしていたのですが、写真を撮っているうちに、ものすごい勢いで斜面をくだっていってしまいました。実際にのぞきこんでみるとなかなかの急坂ですが、ここをあっという間に駆け下りていってしまったのですね。改めて野生の動物の機動力には驚かされます。主郭周辺から下をのぞいてみると、遠くに二頭の鹿がいます。さっきの奴ですね、つがいの鹿のようです。街中に住みついてしまっているんですね。悪さするんじゃねーぞ。

承久の変の際に熊谷直国が討死し、その功で息子の直時に安芸国三入荘の地頭職が与えられ、やがてこの地に移り伊勢ヶ坪城を築いたとされています。後に熊谷氏は高松城に本拠を移しますが、伊勢ヶ坪城はその後も隠居所などに用いられたそうです。

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ぴーかる

伊勢ヶ坪城 (2023/02/12 訪問)

【伊勢ヶ坪城】
<駐車場他>駐車場はなし。大林八幡宮に参拝して駐車しました。
<交通手段>車

<見所>井戸跡
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅8城目。現地案内版を要約すると伊勢ヶ坪城は承久の乱(1221年)に討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められその子の直時が安芸国三入荘の地頭に任ぜられ武蔵国熊谷郷から移ってきて築城しました。室町時代に熊谷氏は勢力拡大の為に戦略的に優れた三入高松城を築城して移転しますが、しばらくの間この城は隠居城として機能していたそうです。
 登城口は<34.551999, 132.546729>にありすぐ主郭にたどり着きます。主郭の北側に腰曲輪、主郭から南西に3段程曲輪があります。主郭の北東隅に井戸跡の大穴があります。巨大な蟻地獄のようで落ちたらヤバイ感じでした。主郭の曲輪壁は石積みがあったようで白っぽい石がいくつか埋まっていました。

<満足度>◆◆◇

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雨中の散策 (2022/04/29 訪問)

熊谷氏が安芸に入部して最初に築いた城です。
この日の午前中は気合の入った雨が降っていたため足早に散策しました。雨の中でも整備された城址で歩きやすかった。広島県教育委員会HPには「最高所の郭には井戸跡もある」と記載されていますが、よくわかりませんでした。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 熊谷直時
築城年 13世紀後期
主な改修者 熊谷信直
主な城主 熊谷氏
廃城年 16世紀後期
遺構 曲輪、井戸跡、土塁、堀切
指定文化財 県史跡(熊谷氏の遺跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 広島県広島市安佐北区大林
問い合わせ先 広島市市民局文化スポーツ部文化財課
問い合わせ先電話番号 082-504-2501