【杣山城】
<駐車場他>杣山城跡山腹駐車場4台程度利用
<交通手段>車
<見所>堀切・土塁・建物跡
<感想>杣山城の築城は平安時代初期に源頼親が城郭を築いたという伝承が残っていますが、鎌倉時代の中期に瓜生衛により瓜生氏の居城としての再築がされているので山城と山麓居館の原型はこの時築造されたと思います。南北朝時代の城主瓜生保の時に新田義貞軍を受け入れ合戦の場となります。戦国時代には朝倉氏家臣が入城したり一向一揆軍が立て籠もったりしました。
先に山麓居館跡を見ました。横に広い石積みの段状の居館跡が残っています。整備工事中でしたが日曜だったので十分内部散策できました。山麓には二ノ城戸外濠跡があります。山麓居館跡からも登山口がありますがこの日は既に山城4城目で流石に無理、山腹駐車場に駐車し攻城しました。城跡は西御殿跡の曲輪群、本丸の曲輪群、東御殿跡の曲輪群とに離れて分かれておりそこに至る尾根や曲輪群をむすぶ尾根には無数に堀切があります。西御殿跡・東御殿跡の主要部の曲輪には建物跡の石列が残っていて薄っすら顔を出しています。主郭にもあるはずですが埋まっているようです。西御殿と本丸を結ぶ尾根上に袿掛岩という巨石岩場があります。城主瓜生保の時の籠城戦で奥方・侍女が袿を岩に掛けて飛び降りたといわれ、のぞき込んだら本当に垂直に切り立った岩場は怖くて落ちたら最後ヤバいです。
山腹駐車場からは西御殿跡⇒本丸跡⇒東御殿跡にたどり着きますが山腹からでも東御殿跡までは相当な距離があります。朝田辰兵衛さんも福井県で一番行きたいと思っていた城だけあって十分な見応えと攻め応えのある山城でした。
<満足度>◆◆◆
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