たけいじょう

武居城

長野県東筑摩郡

別名 : 洗馬城
旧国名 : 信濃

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北西の二重掘
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しんしんちゃん

城は小振りだが様々な堀切があって楽しませてくれる。 (2023/11/19 訪問)

武居城は三村氏によって築かれた城で標高871m、比高65mの尾根の先端部に築かれており武居城公園として整備されています。すばらしい遺構を残す城で、麓に駐車場があり、冠木門の奥の害獣除けのゲートを開けて登城道に入ります。いわば二重のゲートになっているわけですが、山頂部に残る二重の三日月(V字型か?)といい、二重というワードに縁のある城です。少し急ですが登城道はとても登りやすい。上まで登ると本丸西側の帯郭に畝状竪堀が取りついています。明知城ほどではないですが、これがなかなか「ごん太い」。その先は三日月状の二重堀切がお出迎えです。北東の郭を見た後、本丸に向かうと先ほどの二重堀切と別の大きな堀切が出迎えてくれます。なかなか堀切豪華な城で実に楽しませてくれます。主郭の南側には謎の石群が残り一段下がって二の郭に続きます。二の郭の南は大堀切で遮断し、尾根の先に重ね城があるらしいのですが、もう十分楽しませていただいたのでパスさせていただきます。

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武居城公園 (2022/10/29 訪問)

 洗馬荘を支配した三村氏の城として伝わっています。コンパクトですが、見ごたえのある城址です。武居城公園から10分弱で城址に行くことができました。登城路はよく整備されていて、城域も手入れが行き届いていると思われ遺構がとても見やすかった。畝状竪堀は畝が大きいいのが印象的でした。明知城で見た畝状竪堀に似ていると思いました。2重の堀切が2カ所あり、どちらも形状をある程度残していていい感じです。ただ写真にするとわかりにくく迫力が伝わらないのが残念ですね。堀切も見事なものが残っていました。山城を比較的容易に堪能できる城址です。
 武居城の奥には重ね城という城址があるのですが、時間の都合等もあり行っていません。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目:武居城 (2021/06/27 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り1日目の13城目は武居城です。
妙義山城から転戦。武居城跡公園駐車場(36.117281、137.879431)に駐車しました。

武居城は鎌倉時代に洗馬庄(せばのしょう)の地頭であった三村氏が築いたと言われています。
16世紀の初め頃、三村氏が本拠を芦の田に移すまではこの城が三村氏にとって最も重要な城であったようです。
その後も城の改修が続けられ、現在の遺構は戦国時代末期のもののようです。

戦国時代、三村長親は信濃守護・小笠原氏に従い勢力を伸ばしていましたが、小笠原長時に従って出陣した「塩尻峠の合戦」で山家昌治や西牧信道らとともに信玄の調略に応じて寝返ります。
しかし長親はその後、謀反の疑いをかけられて処刑されました。

現在城址には二重の堀切や畝状竪堀群などの遺構が良好に保存されており、また各所に案内板が設けられているなど見学しやすく整備されています。
登城口から10分程度で城域に到着し、登り口で杖と熊よけ鈴を貸し出しています。
攻城時間は30分くらいでした。

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カズサン

畝状竪堀に興奮❣素晴らしい城郭です (2020/11/04 訪問)

 信州にもう一つの武居城、諏訪市に城びとには登録されてませんが同名の武居城が有りここは朝日村に公園整備された武居城が有ります。
 以前からそろそろ山城しか有名どころの城が無くなり体力の問題も有り控えていたのですが前年の山城サミット可児大会で松本平小笠原氏の城館と山城パンフレットと担当者の方から駐車場の問題、一部車でも登れるとの情報も有り今年春ごろ桜を狙って探訪を考えていたのですが武漢コロナウイルス禍で出歩けず雪の前にと天気の良い日を狙って、比高の出来るだけ低く整備されてるとの情報で武居城に出掛けました。
 情報とガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図でナビは西麓の城址公園駐車場(長野県東筑摩郡朝日村西洗馬2146)に合わせ走行、手前に神社が有り直ぐその先に砂利舗装の城山駐車場が在ります。
 
 駐車場から登城口の冠木門が目に入ります、案内板、縄張り図在り、獣除ゲートを開け閉めして整備された遊歩道を九十九折に登って行く結構急な道です道は石列で補強され安心感が有りますが比高約90m程結構つらい登りですが2郭北尾根からの堀切が竪堀で降りてきた辺りから疲れも忘れ堀切撮影に興奮、1郭2郭に登る階段辺りで曲輪下の横堀、それに沿った畝状竪堀群説明板には8ヶ所有りと更に興奮状態、先月24日雨と熊に怯えて登城出来なかった大葉沢城の畝掘り50ヶ所には及びませんが良い物を見る事が出来ました。
 2郭に登り、1郭2郭間に浅く成ってますが堀切、2郭南に土塁、その南に先の登る前に見た大堀切、1郭ぐるりと帯曲輪、東に回り1郭虎口、1郭2郭が連なってる、1郭の北東に一番大きい大堀切で区切りその先尾根筋に向かって堀切で区切られた曲輪群が控えてる。1郭2郭と横の帯曲輪、横堀、畝状竪堀、登城路しか探訪してませんが草刈りも終わったばかりこじんまりとした中で各種の構造物が残り保存整備され探訪しやすい城です。
 杉林で鬱蒼としてますが私一人ゆっくりと初登城良い時間を楽しみました、ちょっと登りはきついが?。

 歴史的には三村氏が鎌倉時代新補地頭として洗馬の庄に入ったと言われ、武田氏の侵攻で小笠原氏は駆逐され三村氏は武田氏に従ったが以後武田氏との抗争も有りますが許された三村氏一族と小笠原氏一族が所領を安堵、小笠原氏が信濃から転封されると諏訪に転去し帰農したと。(城郭放浪記さんより抜粋)

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 三村氏
築城年 南北朝時代?
主な城主 三村氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 県史跡(武居城跡)
再建造物 模擬冠木門、石碑、説明板
住所 長野県東筑摩郡朝日村西洗馬
問い合わせ先 朝日村産業振興課
問い合わせ先電話番号 0263-99-2001