大光寺城を終えて南下約5km程の石川城を初登城、別称に大仏ヶ鼻城、大渕ヶ鼻城とも呼ばれて居り大仏公園として整備されている。
駐車場:大仏公園北西下駐車場利用。トイレは公園(4郭)に在ります。
参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
利用した駐車場から北登城階段横に在った石碑「大渕ヶ鼻城跡」を撮影し、戻って南側のなだらかな登りスロープを使って4郭に当たる大仏公園広場へ、南スロープを使って3郭花見広場へ、同じく南スロープを使って2郭へ、1郭へ一郭の背後尾根を使った土塁で背後には柵が有り落下防止柵、切り立った崖で平川へ落ち込んでいる、平川傍の切り立った独立峰を利用した城郭、4郭から逓減されて3郭、2郭、1郭と階段状に連なってる。
4郭からは岩木山がより近くに見えましたが頂上は雲に隠れていました、すっきりした岩木山が見えませんでした。
案内板によると。
鎌倉期は曽我氏が支配し、戦国期南部氏が侵攻し津軽を支配しここを居城とした。元亀2年(1571年)城主南部高信は津軽為信に滅ぼされ、その後為信は津軽を統一した。慶長16年(1611年)弘前城築城に際し、堀越城などと共に大仏ヶ鼻城は廃城された。(案内板抜粋)
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