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ぴーかる

下坂氏館 (2021/07/23 訪問)

【下坂氏館】
<駐車場他>専用無料駐車場あり
<交通手段>車

<見所>表門・母屋・土塁
<感想>暑さを避ける湖北城巡り3城目。頂いたパンフレットを要約すると下坂氏は近江国坂田郡下坂庄の村落領主で南北朝時代には武将として活動していたそうです。戦国時代には近江守護の京極氏や浅井氏に仕え信長の小谷城攻めには籠城しました。浅井氏滅亡後は帰農しましたが江戸時代は郷士身分として地域で影響力がありました。
 館跡は90m弱四方の方形居館で主郭部分は北の五井戸川から引き込み、水掘りの2重土塁で囲んでいます。入館料は大人個人300円ですが館内をくまなく案内してもらえますので十分楽しめます。敷地内に下坂氏菩提寺の不断光院というのがあり下坂氏専用のお寺さんがあります。本堂の裏に歴代下坂氏のお墓が並んでいます。

<満足度>◆◆◇

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T-Shionoya

姫路城訪問 (2004/09/25 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第12段は兵庫県姫路市の姫路城。

姫路は奈良時代から播磨の国府が置かれ、山陽道の中継地点である上に、津山・鳥取・豊岡・京都へ放射状に道が伸びる扇の要の地。
また瀬戸内海へは飾磨津の港を擁したエリア。
播磨平野の小さな姫山に建つ城は、室町時代に守護の赤松氏が築いた砦が始まりとされ、戦国期の主な城主は黒田官兵衛、羽柴秀吉。
関ヶ原の後、西国の抑えとして池田輝政が大規模に拡張し、本多忠政が西の丸を整備。その後は越前松平氏、榊原氏、酒井氏などが城主を務めました。

現在は、内堀内側の北半分が江戸期の様子を強く残す有料ゾーン。南半分が広場や公園、動物園。
その周囲の学校や博物館などが建つ中堀までが特別史跡とのこと。

12城目にして、そろそろ日本一の城へと訪問した姫路城。
菱の門から西の丸を経由し、いくつもの門を潜って天守へ。この多数の現存門と、右に左に折れ曲がる登城路が守備力の高さを主張。特に天井が低く狭い上に、出口で右に折れる「にの門」は気に入った防御施設でした。

巨大な天守群は、ここでは何も語る必要がないでしょう。400年前にこれだけの建築ができた技術力に興味が尽きません。
滞在時間は3時間半。それでも時間が足りない名城でした。

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赤い城

有名な心霊スポットだとか (2021/09/12 訪問)

勝田ゴルフ倶楽部に沿った山道を登ったところにあります。
城址公園になっていますが駐車場はありません。
入口のところは少し広くなっているので路駐して攻城。
一の木戸、二の木戸と進み主郭に到着します。
それにしても案内板の下地が赤色なのは微妙。
心霊スポットでなくても怖さを感じる。。。
主郭には土塁が付いていて郭を囲んでいます。
北に向けて二郭、三郭と並び浅いけど堀切も残ります。
さらに北の四郭には狼煙台もありました。
多良崎三郎と呼ばれていた大掾氏一族の吉田里幹の築城とされています。
とりあえず霊の感じはありませんでした。
ほっ。

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カズサン

釣山公園城跡、麓の藩庁館跡に絵図が有り (2013/05/11 訪問)

 平成25年5月連休明けフルムーンパス利用兄弟夫婦東北旅行3日目、前日平泉観光を終えて東北新幹線移動に便利な一関市泊り。
 駅前のホテルでしたので朝食前に釣山の釣山公園一関城城山に登る、ホテルから500mから1kmの範囲内で釣山は目視出来、山に向かってて徒歩移動途中に市の施設、駐車場に藩庁館の絵図の案内解説板が有り確認撮影、釣山公園登城口より遊歩道を頂上に向かって散策確認、麓に向かって曲輪が階段状に連なってる、藩主井戸、頂上に広い平場、櫓台と思しき烽火台、田村神社も鎮座、坂上田村麻呂築城とかの言い伝えも有るとか?
 
 寛文年間(1661年~1673年)伊達政宗の十男伊達宗勝が3万石で一関藩を立藩、伊達騒動で領地没収1代で消滅、天和12年(1682年)伊達氏分家田村氏が一関藩を再興し明治まで継承。
 
 降りて磐井川に架かる橋辺りで釣山、一関城を見る、ホテルに帰る途中一関藩家老沼田氏屋敷を外から見学、釣山公園入口下には専用駐車場が在りました。

 この後レンタカーで私夫婦は藤原の郷、胆沢城、同史料館、高速を飛ばして横手城と廻りました、兄夫婦と弟夫婦は秋田の乳頭温泉と分かれての旅と成りました。

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経山城 (2021/09/12 訪問)

総社市北の鬼ノ城と同じ山塊に経山城があります。鬼ノ城の南西1kmくらいの高まりで、総社の平野の北側にそそり立っています。大内氏が立地に目をつけて城を築いたとあります。大手は、南の急坂を登るようですが、搦め手は、砂川公園から鬼ノ城に登って行く車道からアクセスできます。その地点で既にかなり山中です。
尼子勝久の1万あまりの軍が備中を攻めた際に、経山城の中島氏は、千人ほどで守り切りました。鬼ノ城は、経山城の出城として使われていたとのこと。
車道となっている谷の道から、搦め手の尾根に至るまでの登りは200mほどで、小さな渓谷状。さらに花崗岩が風化し、滑りやすい急坂です。尼子の大軍はここを突破できず、包囲戦に変更。その後、中島氏の奇襲成功もあり、尼子軍は、備中北方へ退却したと。
山頂にはけっこう広い平坦部があり、堀や土塁、石垣が見られます。比較的単純な造りで、守りは急峻な自然地形に依っているようです。
経山城探索のあと、道の先の鬼ノ城に行ったところ、コロナ禍により閉鎖中。20kmほど高梁川を遡った、備中松山城も閉鎖中です。

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Yosihiko

大阪城 (2021/09/18 訪問)

攻城🏯8城、攻城址2

エレベーター付き、鉄骨のお城初めて🔰
巨石は、圧巻


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小城小次郎

悲惨な歴史がここにもあった (2021/07/03 訪問)

安政年間に奥州各藩が蝦夷地防衛のための陣屋を次々と築いたのよりも半世紀近く前、津軽藩は幕府の命でシャリ陣屋を築き、派遣された100名の藩士のうち70名以上が冬を越えられずに命を落としたという。

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あまり

何かの石碑 (2021/08/15 訪問)

この石碑の説明を読んだのですが、なにか忘れてしまった…。
結構見つけにくいとこにありましたよ。

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火ノ島豊後守正宗

岡豊城 (2021/09/18 訪問)

続56城目。
車で高知歴史民俗歴史資料館にやってきました。
市営バスでも行けますが、バス停からけっこうな坂を上に資料館がありますので、
ちょっと体力を消耗することになるでしょう。
もちろん、本丸は資料館のさらに上にあります。徒歩10分程度ですが・・・

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火ノ島豊後守正宗

河後森城 (2021/09/18 訪問)

続55城目。
車で城跡近くの駐車場に到着しました。
しっかりと道も舗装されていましたので車の場合はそんなに苦労はしません。
駐車場から10分程度で本丸に到着できました。
スタンプは途中の「十曲曲輪」に設置されておりました。
(無人の設置場所は最近では珍しいです。。。。)
本丸からの景観も素晴らしいかったですが、
その近くに飾られていた子供達が作った資料も大変興味深かったです。

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肉球

フルスケールで残っていたら興奮ものです (2021/09/11 訪問)

江戸時代の前に廃城になっていたようです。
主要部分の本廓・二の廓は中学校となっていて残念ですが
二つの廓の東側土塁が残っています。
堀の底から見上げるとかなり高く 
堅固な要塞だったことを感じられなす。
三の廓も高校になっていて残っている部分は
三分の一程度のようです。

雨上がりだったため
すべってお尻ドロドロ気をつけましょう
 

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カズサン

【陸奥・高館】岩手県西磐井郡平泉町 義経を偲んで (2013/05/10 訪問)

 平成25年5月出羽・上山城、新庄城を終え、銀山温泉泊まり朝風呂は滝見の貸切露天風呂で昨夜の痛飲をリフレッシュ、山形新幹線で新庄に下り奥羽東線で古川、東北新幹線で一関、在来線で平泉駅へ、平泉観光は兄弟夫婦三家族意見が一致して二日目は一緒に巡る。
 平泉で昼食後散策しながらの名所めぐり、毛越寺、中尊寺、金色堂、高館、高館で歩き疲れてタクシーで平泉駅へ、私は歩きで柳之御所も考えてたのですが皆と行動し柳之御所は次回の探訪へ。

 高館は中尊寺、金色堂から約1km程の南東、北上川沿いの小高い丘陵に位置します、現在義経堂が祀られ資料館も有り源義経の勉強が出来ます、義経31歳終焉の地、結構な要害の地なので結構戦えたのでしょうが弁慶の時間稼ぎを得て自害したと伝わって居ます、一代の英雄のはかなく散った地に立ち北上川を見下ろすと小学生の頃叔父のお古の絵本日本の歴史義経のページが甦り懐かしく思いにふける良いひと時でした。
 パンフレットに由ると義経堂は天和3年(1683年)仙台藩主第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てたとの事、また奥の細道の途中芭蕉がこの高館に立ち詠んだ句が「夏草や 兵共が 夢の跡」との事、この故事は初めて知りましたが古城、山城に登るとこの句が頭をよぎります、流石に心にしみる名句です。
 平泉と言えば時代を遡り、源頼義、義家と安倍貞任との戦ぶりがまた偲ばれます。

 周辺観光では金色堂の素晴らしさ、月見坂の急でしんどさ、毛越寺の遺跡池を眺めて案内板の想像絵図を観ながら往時を甦らすのも一興です、半日の散策ツアーは結構しんどい。

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赤い城

深い堀で囲まれている (2021/09/12 訪問)

石神城址公園になっていて広い駐車場もあります。
駐車場から登って行くとすぐに深い堀底道に出ます。
草が伸びているところもありますが、この時季でも歩くことができました。
先端部の遠見城と御城と呼ばれる広い曲輪が主郭で、御城と二郭との間には土橋がかかっています。
佐竹氏家臣の小野崎氏が築いた城で、郭の周りを深く掘っているのは常陸の城の特徴と言えます。
以前はこの辺りも放射性物質の影響があったようですがもちろん現在は大丈夫。
素敵な城なのでお勧めです。

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ぎりょう

旧仙台藩の要害を訪ねて 上口内要害 (2021/09/12 訪問)

旧仙台藩に於いては元和の一国一城令の後も、城とそれに付随する城下町の機能を持った「要害」と呼ばれる地域の拠点となる施設が21ヶ所あった。中世城郭を再利用したものがほとんどであり、その配置は他藩と接する南北の境と、奥羽仕置き後に一揆の起きた葛西氏・大崎氏の旧領を押さえる意図があったと思われる。
これまで旧仙台藩内にある城跡(要害として使用された場所を含め)を数々訪問して投稿してきた。長引くコロナ禍で遠出のできない今、改めて21要害を訪れてみようと考えた。その第一回目として旧仙台藩最北の藩境に配置された上口内(かみくちない)要害を訪れた。
上口内要害は仙台藩と南部藩を結ぶ脇街道を押さえる役割を担っていたと考えられ、藩政時代の口内領主は瀬上氏、小梁川氏、藤田氏、田手氏、古内氏と変わり、最後は中島氏(一族1880石)で明治維新を迎えた。
築城者は安倍貞任との伝もあるようだが、戦国時代は葛西氏家臣の口内氏が居住したが奥州仕置き後に仙台藩領となり要害に格付けされた。
城址は口内の街並みの北側に位置し、口内川に架かる橋を渡った先が大手門跡となり、その先を左に登れば本丸・腰曲輪方面、正面に向うと二曲輪跡となる。明治五年の調査をまとめた富原文庫蔵「陸軍省城絵図」によれば、本丸は南北三十一間、東西四十四間、二曲輪は南北五十三間、東西八十五間と記載され、本丸の切岸とそれを取り巻く腰曲輪、城の南側から東側を囲む水堀、北側から西側を囲む空堀、門、当時存在した屋敷・土蔵・小屋などの建物群も描かれている。
現況は二曲輪は農地や民家となり、水掘も埋立られてかつての面影は失われているものの、本丸と腰曲輪は良く保存されている。また空堀は北西部は残っているらしいが雑草が生い茂っており確認できなかった。
東北自動車道北上・金成ICから県道14号・国道107号経由19分(16.2km)
城址専用駐車場は無く、口内郵便局向いの集会場か、あぐり夢くちない駐車場に停めさせていただくと便利。

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【お城川柳】

お城川柳のアンバサダー特別賞の賞品の缶バッジが届きました。
ありがとうございました。大切にします。

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カズサン

表御門切込接ぎ石垣と水堀/土塁が美しい (2013/05/09 訪問)

 平成25年5月連休明け上山城を終えて山形新幹線で新庄駅へ新幹線は早くて便利です、タクシーで最上公園と成ってる新庄城へ初登城。
 城跡ハンドブック等で新庄城は表御門の左右の切込接ぎ石垣写真がトップに掲載さて代名詞に成ってますので本丸の水堀を渡り石垣を見学綺麗に石垣が残ってます、時間的に表から撮ると逆光で左右に石垣を揃えての構図では暗く映って写真見栄えが悪し、本丸をぐるっと回り二の丸側の虎口、裏御門虎口側、土塁と水堀を観察、水堀、土塁が綺麗に整備されてる、二の丸大手側には役所跡に市の施設が建ち、車で訪問された方には駐車場が各所に在ります。
 終わってタクシー帰ろうとするがタクシー見つからずぶらぶら歩いて城下町を散策し新庄駅へ駅には新庄まつりの飾り付けがされてました。

 兄弟夫婦でコアーの宿泊先、銀山温泉に山形新幹線大石田駅経由銀山温泉迎えバスで移動、宿は銀山温泉で有名な能登谷旅館木造3階建て素晴らしい露天風呂と内湯でした、イワナの骨酒が美味、酒量が増しました。

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カズサン

模擬天守閣見応えが有ります (2013/05/09 訪問)

 緊急事態宣言下の静岡県で県境越えての往来自粛中、暫く過去の登城投稿ですがお付き合いください。

 平成25年5月の連休明けに兄弟夫婦3組フルムーンパスを使い山形、宮城、岩手、秋田の3泊4日の度で銀山温泉、乳頭温泉、平泉がメインでコアーを除く所は各夫婦別行動、私達夫婦は私の思いで城旅を充実したコースと致しました。

 先ずは山形新幹線でかみのやま温泉駅到着、徒歩で上山城月岡公園を目指す約10分程歓迎やぐらが出迎え上山城天守が丘陵上に構えている殿として見応えが有ります、過去何十年と仕事で山形を訪れていましたが訪れる事が無く今回初めての登城です。
 5月9日でしたが枝垂れ桜、八重桜は花を付け目を楽しませて呉れました、天守閣の郷土史料館見学、周辺の曲輪と土塁、堀を観察でさらっと終えました、飛騨高山の金森氏が入封したと知りましたが数年で転封、昭和57年に元二の丸跡に城郭風模擬天守閣郷土史料館として建築されました、どっしりと見応えが有ります、資料館には上山城資料展示がされて居ます。

 駅には行き帰り徒歩で城下町をぶらぶら時間が有ったらかみのやま温泉泊りも良いですね、天守閣展望階より城下を眺め、高層マンションが気に成りましたので訪ねると冬場高齢者が各種移動に不便なので山手の家を引き払い高層マンションに移ってるとの事でした、地方の山間地の高齢者の一つの考え方かなと思ったりして、当地浜松も高層マンションが数棟建ち山手の家屋敷を引き払い医療、買い物、生活に便利の良い街中に移って居ます。

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ひろ

粟住城~築城者不明?の山城 (2021/09/12 訪問)

先日、蒜山のグリーナブルを観に行った時に現地で山城検索して攻城した山城。
結構大きな堀切や切岸がはっきりと残っています。
また本廓からの眺望は良く、蒜山三座が目の前に見えます。

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カズサン

【伊勢・専修寺】三重県津市 三層太鼓門/櫓が有名 (2013/05/02 訪問)

 平成25年5月赤木城を終えて大河ドラマ江姫浅井三姉妹で脚光を浴びた伊勢上野城初探訪後、やや南西に約5km程の津市一身田町に在る名刹真宗高田派本山専修寺を初めて訪ね寺院太鼓櫓で唯一の三層太鼓門/櫓を探訪観察する、往年より何時かはと思って居り願いが叶いました、勿論参拝もしっかりと務めました。

 浄土真宗の寺院には見張りと合図の太鼓櫓が二層で備わった所が多いのですが専修寺の太鼓櫓は三層で国内唯一の建物です、専修寺は真宗十派の一つで西本願寺、東本願寺に次ぐ大寺院です、一向宗の戦い防御の施設として城廻りの合間に同様施設も廻り、城郭構造物の一つとして城びとに投稿させて頂きます。

 車で三重県津市一身田町の専修寺唐門南駐車場をナビで目指し同駐車場を利用、唐門から入り国宝如来堂参拝、国宝御影堂を参拝彫刻等を観察、山門を表裏を通り、目的の東側の三層太鼓門/櫓を観察撮影、最上階に太鼓が有り専修寺行事法要祭事には打たれ寺内町衆、参拝者に報せるとの事です。
 一身田寺内町にも堀跡、往年の家並み町屋寺内町の風情が漂って居りゆったりした気持ちに成れるところです。

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小城小次郎

誓いの場、としてのチャシを考える (2021/07/03 訪問)

別名チャランケチャシの「チャランケ」とは重要事項を話し合うという意味があるらしい。防御施設や祭祀施設としての側面とは別にチャシには「誓いの場」という役割があったようだ。つまり神社に近いということかも。

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