鍛冶ケ坂城(城びと未登録 三重県亀山市)から徒歩10分弱で、神福寺門前(34.841670、136.339431)に着きました。
今回は時間の都合で、鹿伏兎城への攻城は諦めました。
鹿伏兎城は亀山城主・関盛政の四男である鹿伏兎讃岐守盛宗が築いた城です。盛宗を祖とする鹿伏兎氏は以後10代にわたって鹿伏兎谷を支配しました。
当初は牛谷城と呼ばれていましたが、7代・定好のときに改修して鹿伏兎城と呼ばれるようになり、さらに定好の子である定長が、将軍・足利義晴に白鷹を献上したことから白鷹城と呼ばれるようになりました。
1583年(天正11年)に起きた織田信雄と神戸信孝との跡目争いでは、鹿伏兎定義は信孝方に与したため信雄方の羽柴秀吉の軍勢に攻められ落城しました。
山麓にある神福寺が居館跡といわれており、電車の時間の都合上、そこで説明板と石碑を確認して攻城としました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福地城を目指す為、加太駅から電車で柘植駅に向かいました。
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