かぶとじょう

鹿伏兎城

三重県亀山市

別名 : 白鷹城、牛谷城、加太城
旧国名 : 伊勢

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①神福寺山門
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:鹿伏兎城 (2024/09/26 訪問)

鍛冶ケ坂城(城びと未登録 三重県亀山市)から徒歩10分弱で、神福寺門前(34.841670、136.339431)に着きました。
今回は時間の都合で、鹿伏兎城への攻城は諦めました。

鹿伏兎城は亀山城主・関盛政の四男である鹿伏兎讃岐守盛宗が築いた城です。盛宗を祖とする鹿伏兎氏は以後10代にわたって鹿伏兎谷を支配しました。
当初は牛谷城と呼ばれていましたが、7代・定好のときに改修して鹿伏兎城と呼ばれるようになり、さらに定好の子である定長が、将軍・足利義晴に白鷹を献上したことから白鷹城と呼ばれるようになりました。
1583年(天正11年)に起きた織田信雄と神戸信孝との跡目争いでは、鹿伏兎定義は信孝方に与したため信雄方の羽柴秀吉の軍勢に攻められ落城しました。

山麓にある神福寺が居館跡といわれており、電車の時間の都合上、そこで説明板と石碑を確認して攻城としました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=福地城を目指す為、加太駅から電車で柘植駅に向かいました。

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しんちゃん

灰白色の石垣がお出迎え。これを見たかった。 (2023/06/25 訪問)

鹿伏兎城は登山道がいまいちよくわからなかったので、これまで訪問を
控えてきたのですが線路の先に登り口があると知り
伊賀・甲賀の城攻めの際に登城しました。
このあたりは新所城や峯城のように魅力的な城が多いですが
鹿伏兎城はガチの山城ですので心して登城しました。
登城ポイントから城の方向に移動していくと線路の向こうに木橋とスロープが
見えてきます。ここから登るのですが足元が濡れていて危ない。
用心しながら登っていくとやがて道が見えてきます。
城址の南側の尾根の先端に両側が切り立った石の壁のようになった
箇所がありますが、ここは見張りにも使えそうです。
足元が危ないのであまり崖に近づかないようにしながら
北西に進んでいくと尾根上に石の祠が並んでいる箇所があり、ここを
北やや東寄りに移動します。尾根伝いにいくとそのまま城跡にたどり着くのですが
噂の白い石積みが見えてきます。これだけでここまで登ってきた甲斐が
ありますが、城めぐりはここからです。
ここの虎口はなかなか特徴的らしいのですが、スルーしてしまいました。
東西に郭があるようなのですが、どちらが主郭なのでしょうか?
とりあえず井戸がある東側を主郭として二の郭から虎口を抜けて主郭に向かいます。
いずれの郭も土塁が比較的良好に残っているようです。
そのまま南側の高い土塁を登って行って櫓台に到達。
あとは石垣に別れを告げて下山します。
登城のポイントはなんといっても登城口の確保ですね。あとは登城道に合流できれば
問題なく登城できると思います。線路を渡るときはいつでもドキドキしますが。



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ぴーかる

映える白い石垣 (2022/12/30 訪問)

【鹿伏兎城】
<駐車場他>JR加太駅前駐車場
<交通手段>車

<見所>石垣・土塁
<感想>神福寺前の城跡説明板によると、鹿伏兎城は関盛政の4男盛宗(鹿伏兎氏祖)が正平年間(1346〜1370年)に築いた。はじめ「牛谷城」と呼ばれたが7代定好の時に改修を行い鹿伏兎城と改めた。9代定義の時秀吉の軍勢に攻められ落城しました。
 駐車場と登城ルートは魁のヒロケンさんの案内が非常に役立ちました。ありがとうございました。案内通りに<34.839933, 136.335336>ポイントの石碑の裏の小径奥に進み⇒線路を跨ぎ⇒池の右奥から山に入り⇒寺社跡?の石垣の脇を通り⇒石仏祠の並んだ右手の土橋状の尾根を渡り進むと石垣が見えてきました。虎口横の大石垣は少し丸みがある薄灰色、光の反射で白く輝き美しい。虎口は内型の右折曲がりになっていて主郭より高い位置にある。城跡はほぼ単郭で山尾根を利用した高土塁、谷側は土居、主郭奥に石組井戸、尾根上曲輪・付属の曲輪がある。城跡に至る残り2方向の尾根を少し確認したが堀切等は無く防備は少し甘いと感じた。

<満足度>◆◆◇

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加太宿 (2022/10/27 訪問)

 JR加太駅から西へ進み、日本陸軍関係の石碑、加太宿の標柱がある所から関西本線の線路を渡り、登城しました。神福寺からのルートは藪化されていて行きにくいと地元の方も言ってみえました。ルートを見つけていただいた諸先輩に感謝です。
 登って行くと大きな岩があり、そこから尾根の道となりますが、堀切か見張り所かというような地形があります。道なりに進んでいくとこの城の見どころである石垣が見えてきます。入口は桝形状になっていました。土塁や櫓台があり、曲輪内には石組で周囲を固めてある井戸がありました。虎口の北側には堀切があります。城域は自分が思っていたものより広く予想以上に楽しく散策することができました。
 加太宿は伊勢と伊賀を結ぶ交通の要衝で、鈴鹿峠が開通する前は東海道として機能していたようです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 加太氏
築城年 正平年間(1346〜1370)?
主な城主 加太氏、鹿伏兎氏
廃城年 天正11年(1583)?
遺構 曲輪、石垣、土塁、井戸、虎口、掘立柱建物跡
指定文化財 県史跡(鹿伏兎城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 三重県亀山市関町加太市場
問い合わせ先 亀山市市民文化部文化振興局まちなみ文化財室
問い合わせ先電話番号 0595-96-1218