たるいじょう

垂井城

岐阜県不破郡


旧国名 : 美濃

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城址碑
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しんちゃん

良い人間から先に死んじゃう (2024/03/10 訪問)

垂井城は慶長5年・平塚為廣が一万二千石で入って城を築いたとされています。専精寺の周辺が城跡と見られ、境内に立派な城址碑と案内板が立っています。階段から降って行った先には岐阜の名水、垂井の泉があります。
トクさんの投稿にあった為廣の辞世の句碑もありますね。関ヶ原の合戦は良い人間から死んでいった気がします(大谷吉継など)。宇喜多秀家や石田三成など真面目に戦った者が損をするという構図はいつの時代も変わらないのかな。

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トク

㉕【関ケ原の26人】(13)平塚為広 (平塚為広と垂井城) (2022/11/29 訪問)

(13人目)は「平塚為広」です。
関ケ原時の居城「垂井城」を訪れてきました。垂井駅から西へ徒歩10分の所です。

城跡の石碑には詩が刻まれていました。私はこの垂井城に立ち、この詩を詠んだとたん、少し熱いものが込み上げてしまいました(すいません)。

平塚為広は秀吉の元では「母衣衆」(ころもしゅう)と呼ばれ、黄色い母衣(風船のような衣)をまとい、伝令や秀吉の周辺警備を担当していたようです。そして大谷吉継とは大変懇意の仲でした。

三成から家康を討つ決意を打ち明けられた吉継は垂井城に行き為広に相談します。そして二人は佐和山城に行き、挙兵しようとしている三成を止めようと説得します。「三成にはまだ西軍をまとめるまでの人望がない時期尚早である」と・・・

しかし三成は決死の覚悟があり、二人ともその覚悟に折れたようです。そして伏見城攻めに加わり、鳥居元忠を攻めたあと、北陸方面を制圧し関ケ原に入りました。

しかしこの時、大谷吉継の容態はかなり悪化していました。吉継は為広の垂井城に入り療養しますが、家康が関ケ原に向かっていると聞き、もはやじっとしているわけにはいきません。持ち場の玉城に戻り、その麓に陣を構えて小早川秀秋と対峙します。

為広は同行し、病気で目が見えぬ吉継に代わり大谷軍を指揮しました。そして藤堂高虎や小早川秀秋と対等に渡り合い、一進一退を繰り広げ何とか持ちこたえていましたが、脇坂安治らが寝返るともはや持ちこたえる事ができません。最期に、この詩を吉継に届けた後、もはやこれまでと藤堂高虎めがけ突進して行きました。

 名の為に
 捨つる命は惜しからじ
 遂にとまらぬ憂き世と思へば

こう詠んだ為広に対して、吉継はこう返したそうです

 契りあらば
 六つの巷(ちまた)にしばし待て
 後れ先立つことはありとも

しかしこ返詩は届く事はありませんでした。なぜならばこの時、為広はすでに討死していたからです。

次は、(14人目)へ続きます。
 

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:垂井城 (2022/08/02 訪問)

小丸城からの転戦です。垂井駅から徒歩6~7分で専精寺入口(35.370259、136.525448)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、1600年(慶長5年)平塚為広が12,000石で入封し居城としたようです。
しかし「関ケ原の戦い」で為広は西軍についたため、戦後に廃城となりました。
平塚為広は秀吉の馬廻として仕え、小牧・長久手の戦いや小田原征伐で武功があったようです。
関ケ原の戦いの直前、挙兵しようとする三成に大谷吉継とともに佐和山城にて諫言したそうですが、三成は聞き入れなかったので西軍に与することとなったようです。

現在城址推定地の専精寺に、城跡碑と説明板があります。
近くにある「垂井の泉と大ケヤキ」も併せて確認しました。
関ケ原の戦いで死ぬ前に大谷吉継に送った辞世の歌の墓碑が城跡碑の前にあります。
垂井城には関係ありませんが、垂井駅前の竹中半兵衛像の写真も一緒に投稿します。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=長屋氏屋敷(城びと未登録 岐阜県垂井町)に向かいます。

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くっしー

垂井町は文化財の宝庫 (2021/08/11 訪問)

残念ながら垂井城跡には説明看板があるだけで、遺構は残っていません。

でもこの周辺って文化財の宝庫なんですよ。

すぐ隣に「垂井の泉」がありますし、

さらに、そのすぐ近くに中山道の垂井宿があります。

南の方へ500mほど行くと美濃国一之宮である「南宮大社」もあります。

「南宮大社」の裏にある南宮山を登ると山頂に関ケ原合戦の毛利秀元陣跡があります。

こちらは堀切とか切岸が残っていますよ。登るのに30分ぐらいかかりますが。

それから、垂井城と南宮神社の間に国道21号がありますが、その道沿いに「春王・安王の墓」がありますね。垂井城からあるいて10分ぐらいのところです。

関ケ原にも近いですし、観るとこは半端なくたくさんありますよ!!

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 平塚為広
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県不破郡垂井町垂井(専精寺)
問い合わせ先 垂井町観光協会
問い合わせ先電話番号 0584-22-1151