城跡を訪問するようになって城名やその土地名に当て字が多い事に気が付いた。鹿児島市に喜入町という地名がある、そこにある城びと登録の城は給黎城、読み方はどちらも「きいれ」だ。どこかの時代に喜入と当て字になったのだと考えている。熊本の水俣方面にある城びと登録の久多良木城、入口を確認しただけで訪問はしていない。行って気が付いた、入口の目印は百済寺だった、この周辺は百済木というらしい。「くだらき」が「くたらき」になってどこかで当て字になったのではと考えています。
初めて福岡県筑紫野市にある阿志岐山城の名前を見た時になんて珍しい呼び名だと感じた。
最終は阿志岐山城周囲にある城跡を訪問した。歩行距離は5.5km、累計高低差は493m、時間は3時間10分です、行かれる方は参考にしてください。マップ左に位置する円満寺の正面西側より林道が始まっています。私は第1水門を見た後に、マップ下の標高259m地点にある葦城城から宮地岳神社~宮地岳山頂(古代城)と進みました。ここから北に電力会社の管理道路を下がって行き第3水門を目指しましたがこのルートでは行けません、途中から山裾を通り辿り着きました。阿志岐山城のみの訪問でしたら。第1水門から第2・3と林道を通り途中山に入る方が早く、往復で1時間程度で廻れます。
行く前に軽く古代山城と葦城城を調べましたが出てきませんでした。阿志岐山城は発見されて四半世紀経っていない城、想像するに古代山城と共に昔から伝承の類が残っていたのだと思いますが、お互いの関連性は分かりませんし、今後も分からないと思います。古代山城は主郭と思える場所もあり、土塁らしき、浅い空堀らしき場所も確認出来ました。(帰宅後城郭放浪記さんの写真と見比べた所同じ場所の写真が幾つか撮っていたのでその中の1枚を9枚目に添付しています。)歴史的裏付はないけれど確かに存在していたようです。
葦城城は呼び名は(あしき)。阿志岐山城と同じです。きっとどちらかが当て字なのでしょう。こちらは帰って福岡県中近世城館報告書にを見ても出てきません。こちらも伝承の類の城跡か中世以前なのかもしれません。こちらにも曲輪・段曲輪が存在し、虎口らしい場所も確認出来ます。
調査報告書を見ていたらルート内にもう一つ有りました。マップの中で第1水門から南下し分岐する近く、電力会社の鉄塔の建っていた場所に「天ケ城」がありました。こちらは歴史的裏付もしっかりとしていて縄張図もあります。実は他にももう一つ葦城城と天ケ城の阿飯田に浅い堀切で区切られた曲輪と石列に囲まれた場所もありました。それっぽいのですがちょっとわかりません。
こちらの住所は現在、筑紫野市阿志岐と言い、以前は葦城村だったそうです。
参考:困った時の城郭放浪記さん、福岡県中近世城館跡調査報告書
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