国立第一小学校裏の城山公園となります。主要部は私有地なので,ぶっちゃけ公園散歩です。
JR矢川駅から徒歩約20分。JR谷保駅へも徒歩約20分でした。
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2022/12/04 23:13
2022/12/04 22:39
築土八幡神社の隣 (2022/11/20 訪問)
築土神社の隣にあります。
元々は太田道灌の別館として築かれたとのことです。
江戸時代には徳川将軍家の鷹狩の休憩所として使われていました。
元々は築土城とは一つの城だったのではないかと。
御殿坂は堀切だったとも言われています。
いずれにしても遺構はありません。
このあと五十番で肉まん買って帰りました。
美味しかった!
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2022/12/04 22:09
AR復元されてました。 (2022/05/11 訪問)
アプリを使用して、多賀城政庁正殿がAR復元されてました。
現在は、多賀城廃寺がAR・VR復元もされているようです。
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2022/12/04 21:04
松前城 最後の近世日本式城郭 (2022/10/12 訪問)
10月の函館旅行で寄った幕末の城を、築城順で振り返り。
1つ目は北海道松前町の松前城。
古くから本州との渡し口であり、蝦夷支配の拠点とされてきた松前。
松前城はその海抜数十mの海岸段丘の、大松前川と湯殿沢に挟まれた舌状台地を城郭とした城。
1500年代初期から松前氏が統治してきた地も、江戸末期になると外国船への警戒が必要に。
幕命により陣屋クラスから7つの砲台を備えた城に大改修され、最後に築かれた近世日本式城郭となりました。
現在は城跡とその周辺が松前公園となり、資料館の復元天守と現存の本丸御門周辺が有料エリア。
実際に訪問すると丘の上の城であることがわかり、まずは天神坂から搦手門へ。搦手門は外側のつくりがおもしろく、三本松土居は二ノ門をカバーする壁。
続いて大手桝形を確認すると、二ノ丸上段から撃ち下ろせる構造。
地形的に弱い城郭北側には寺町が配置され、本丸の北側にも巨大な土塁だったと想像させる大土手の遺構が。
滞在時間は約1時間半。
意外にも中世からの防御システムが感じられた私の城巡りの132城目でした。
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2022/12/04 20:00
紀伊半島中央突破シリーズその5 千早城 (2022/11/22 訪問)
紀伊半島中央突破シリーズその5(最終戦)
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。
「金剛山 山の豆腐」前の有料駐車場に車を停めて歩いて登城しました。その駐車場からだと金剛山林道が近いため、まず林道を登り、林道の途中にある登城口から「裏参道」を登りました。
よく見れば遺構があるのでしょうが、よくわかりませんでした。これが百名城?「続」じゃなくて?というのが率直な感想。
二の丸跡に千早神社があり、その奥に本丸があるはずなのですが、登城路がなく本丸には行けません。
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2022/12/04 19:43
佐々成政の松根城に対抗して前田利家が築いた城 (2022/11/20 訪問)
1584年、加賀の前田利家と越中の佐々成政が対立した際、成政の松根城に対抗した城として利家が切山城を築城又は改修したとされます。
城の北東から南には街道の小原道が通ってます。
松根城はテクニカルで大規模な城でしたが、その後に行ったためか、切山城のインパクトは弱くアッサリしたコンパクトな城でした。
でも、枡形虎口や馬出など、なかなか巧妙な城だと思います。
北東の小原道の両側は竪堀・横堀で防御されてました。
良く整備され見学し易くありがたかったです。
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2022/12/04 19:10
終活4:100城・続100、城郭巡り:ホクリク 1.2日目
城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?
エリート城を訪問し、自分の目と頭で体感し、最後に自分はどう感じるのか確かめる4回目。
寒くなる前に行っときたいなと、11/2の夕方にフェリーに乗った。え!敬老会の慰安旅行か?と言わんばかりにいつもよりも随分年齢層の高い人々で溢れている。世間はGoToの時期に入ったようだ。見渡しても若者はチラホラ数えるくらい。働く現役時代は行ける訳ないよな。社会の縮図を横目に指を折りながら数えてみる、自分の賞味期限切れまでの年数を。残り時間は少ないな。
10/7迄の正味5日間、北陸方面を目指すのだが、3.4日の天気は確実に雨模様。それ以降も不安定だった。ホテルは前日確保しと、3パターンのルートを計画した。天気によっては北陸には行く事が出来ないかもしれない。まずは3.4日は琵琶湖周辺を訪問することにした。
11月3日(2日目)
1.宇佐山城(滋賀)・・・・・・40分:1.1km:累計高低差153m
2.坂本城(滋賀)
3.壺笠山城(滋賀)
4.青山城(滋賀)・・・・・・・3.4同時:1時間40分:4km:累計高低差319m
5.大津城(滋賀)
6.膳所城(滋賀)
7.多喜山城(滋賀)・・・・・30分:0.8km:累計高低差118m
9.浮気城(滋賀)
本日は全て正続100以外です。幾つか有名な城を訪問してみました。
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2022/12/04 17:46
新 岡山城 (2022/12/04 訪問)
月見櫓の公開で行ってきました。新しくなってからやっと訪れることができて、ゆっくり見学しました。子どもさんから大人まで楽しんでいました。
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2022/12/04 17:39
死ぬかと思った (2022/12/04 訪問)
ナビにしたがって進んだら、タイヤが滑って死ぬかと思いました。ナビに従わず看板通りきちんとすさい橋の手前で曲がりましょう💦建物は現存ではありませんが、すごい堀がありました。
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2022/12/04 17:18
雲海!! (2022/12/03 訪問)
黒井城跡は、丹波井ノ口山(標高356m)にある山城で、南北朝時代の1335年春日部荘を領した赤松筑前守貞範が山頂に砦を築いたことからその歴史が始まると言われています。
その後、約200年間数代にわたって城主の変遷はありましたが、戦国動乱の中、1554年荻野悪右衛門(赤井直正)が城主となり、その勢力拡大に伴い改修されたのが、現在の黒井城です。
主郭部は、半独立した井ノ口山の山頂を平らに削り、中央より少し西にかたよって一番高く広い本丸を置き、西に西曲輪を接続させて左に空堀を隔てて二の丸、さらに角度をやや南にふって三の丸と東曲輪を階段状に配しています。
本丸・二の丸の南面には自然石をそのまま使った野面積みの石垣が積まれています。これらの石垣は、黒井城落城後、斎藤利三・堀尾吉晴など織田・豊臣政権下の武将によって築かれたとのことです。(パンフより抜粋)
3度目の訪問ですが、イオさんの雲海の投稿を見て是非とも言ってみたいと思っていました。豊橋を出発する時は、雲海が見れるか心配していましたが、見事な雲海・雲海につつまれた城跡を見て感動(#^^#)大満足(*^▽^*)しました。また、次から次へと雲海見たさの方たちが、30分程かけて山頂を目指して登っていました。
チェブさん 目眩がするとのことで心配しておりましたが、最近の投稿を拝見し安心しております。無理せず御自愛下さいませ。
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2022/12/04 16:32
テクニカルな縄張りで佐々成政の築城技術が凄い城 (2022/11/20 訪問)
1584年、越中の佐々成政と加賀の前田利家が対立した際、佐々成政が国境を守るために改修したとされます。
今も富山県と石川県の県境にあります。
城の南側は街道の小原道が通っており、前田利家が築いた切山城からの小原道を大堀切や櫓台などで守られています。大堀切は幅広で圧巻です。
南側の大手虎口から主郭への登城ルートは何度も折れ巧妙です。特に馬出は二段構成で複雑に折れてます。
主郭から北側のニノ丸・三ノ丸は、南側ほど厳重ではないですが、喰違い虎口や竪堀・堀切で防御されてます。
主郭から馬出の西側の横堀は長大で見応えがあります。
規模が大きくテクニカルな縄張りで、佐々成政の築城技術が凄いと思いました。
良く整備され見学し易い城でした。
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2022/12/04 15:23
越中の佐々成政が国境を守るために改修したテクニカルな城 (2022/11/20 訪問)
1584年、越中の佐々成政と加賀の前田利家が対立した際、佐々成政が改修し、杉山小助が守ったとされます。
城の西側から南側には街道の田近道が通ってます。
加賀側の西曲輪(三ノ丸ともされる)の西側下には巨大な堀切があり切岸も高く圧巻です。西曲輪の折れた土塁や櫓台から横矢が効いています。
西曲輪の北側の登城ルートはスロープ状から折れて西曲輪や櫓台から横矢が効いており、更に枡形虎口があり巧妙です。
西曲輪・主郭間の曲輪(ニノ丸ともされる)の虎口も枡形状の折れがあります。
大手とされる東側の登城ルートは枡形状や竪土塁で何度も複雑に折れがあります。
遺構がしっかり残され見所が多く、テクニカルな縄張りで、佐々成政の築城技術が凄いと思う山城でした。
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2022/12/04 14:31
2022/12/04 14:23
綺麗に整備されてました (2022/12/04 訪問)
大手門から本丸まで石畳で歩きやすく、小規模ながらよく整備されていました
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2022/12/04 14:03
巨大な堀で防御されたスケールが大きな城 (2022/11/20 訪問)
上杉謙信が三度も攻めた城として有名です。
戦国時代には越中守護代の神保氏が長く治めてましたが、その後、一向一揆、上杉氏、佐々氏、前田氏と城主が交代し、それぞれが修築したようです。
7年ぶりに行き、雨の中でしたが何とか巡れました。
前回は一通り巡って亀山城まで行きましたが、今回は2時間で巡る必要があり、広大な縄張りであるため主要部のみとなりました。
規模の大きい堀切・空堀が多数あり、堀好きには堪りませんでした。
特に、F郭手前の両サイドの長大な堀切・竪堀、二ノ丸と安室屋敷の間の大きく鋭い堀切、安室屋敷と三ノ丸の間の巨大な空堀は圧巻でした。
前回は薮だった安室屋敷北側とL郭の堀、三ノ丸南東側の堀などを見る事ができ良かったです。
その他、土塁、広い曲輪、切岸、櫓台も見応えがあり、スケールが大きく素晴らしい城でした。
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2022/12/04 13:01
加地氏 築城 (2022/11/20 訪問)
標高165mの「要害山」にあります。
麓にある藤戸神社に看板があり、1台位なら駐車可
能です。
見晴らしの良い主郭から3方に尾根があり、それぞ
れ堀切、曲輪等の遺構が見られます。土橋が明瞭で
1番の見どころかもしれません。
段曲輪も多くあり、ルートを外れて探索すると竪堀
状のダレ等遺構らしきものがありますね。
藪漕ぎはなく、看板も要所にあるので迷うことはあ
りません。
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2022/12/04 13:01
2022/12/04 11:31
氏家小学校北東隅に土塁が残って居ます (2022/11/14 訪問)
勝山城跡の北に城びと登録で未踏の城が在りましたので上野、武蔵未踏の城廻りの翌日出掛けて初登城しました。
駐車場は余湖図コレクションさんグーグルマップを確認して、さくら市役所の駐車場を利用。トイレも使用させて頂きました。
さくら市役所駐車場から北西100~200m程で氏家小学校東門に着きます、東門を覗くと御前城への案内指示板が有りますが、ここは小学校、関係者以外の無断立入禁止の看板、北側にある校舎へ北から回り込んで、土塁跡も眺めて、児童に職員室を尋ねていると丁度校長先生が来られて、城探訪の許可を得る「よく来られていましよ、上に遺構の様なものが?」との校長先生の言。
遺構は氏家小学校の北東隅に土塁が残っている、北東角を中心に西側と南側に少し伸びた土塁が付き断面を表してる、南側に丸石垣と校内池庭園が内側に造れれいる、案内解説板が西側の土塁内側に建っている。
校長先生の話で土塁上に遺構?と言われ、土塁上は樹木伐採されて草も刈られて居ましたので登ってみました、確かに遺構?がコンクリの台座の様な基礎?何か石碑か像が建っていたのか?良く分かりません、高さは5m程の様です。
御前城の規模は南北100間180m、東西80間144mの単郭平城、周囲に土塁で囲み、南に大手門と張り出し、土塁外側には水堀があった。
歴史的には鎌倉初期に氏家公頼の築城、戦国時代に成ると、崖の上、山頂に築かれる様になり氏家でも勝山城が鬼怒川の崖を利用して築かれた。
大正12年(1923年)氏家小学校の新築移転により城郭の大部分は破壊されたが北東部角にわずかに土塁が残る。矢板市の御前原城、那珂川町の神田城などとともに栃木県の代表的な中世平城であった。(以上の規模、歴史は案内解説板による)
これしか残って無い、これだけでも残してくれたは探訪する方の心持と考え方ですが、私はこれだけでも良く残してくれたと考えます、樹木も伐採し、草刈りもして遺構を大切保存して呉れています、学校に許可を得て気持ちよく見学探訪出来ました。
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2022/12/04 10:30
ミニ動物園とミニ遊園地が今なお並存しているのはむしろ珍しいのでは。 (2022/05/07 訪問)
小諸城(懐古園)はミニ動物園とミニ遊園地を附設した昔ながらの景観が維持されている、今となってはむしろ珍しい城跡。深い谷に囲まれた独特の地形が動物園や遊園地との併存を可能にしているのかも、とふと思った。
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2022/12/04 07:03
後編 (2022/11/12 訪問)
城址碑のある主郭(城山山頂)で10分ほど休憩し、しとどの窟へ向かいました。コースマップでは45分となっています。山道ですが歩きやすく気持ちのいい散策路でした。ただ……長いです。
やっとのことで抜け出た椿台は県道椿ラインの展望所で、ライダーさんたちの休憩スポットにもなっていて、幻の路線バスの停留所もありました。(1/2のみ運行とか。カーブが相当怖そうです。)
椿台から短いトンネルを通った先がしとどの窟への入り口。そこから急坂を400m下りますが、ありがたいことにアスファルトで舗装されていました。くねくねと曲がりくねった坂道を下った先から少し階段を上がってようやく岩窟に到着です。
寂しいと思えばめちゃくちゃ寂しいところですが、真新しい解説板もあって、迎え入れてくれている安心感がありました。
この洞穴の上に大庭の追手が二人いたなとか、梶原景時はこのあたりから覗いていたなとか、大河ドラマの場面を思い出しながら暫しその世界に浸り思いを巡らせました。
これでこの日の探訪は終了。湯河原駅に戻るために再び土肥城を目指します(‘◇’)ゞ
2度目の山頂は午前中には見えなかった初島や大島まで見渡せてラッキーでした。
ピクニックグラウンドまで戻ったところから林道が二方向に分かれているのですが、ウォーキングマップに従い、登ってきた道ではなく西側の宮下林道の方に進みました。林道を下るだけだから楽だろうと思っていたのですが、景色があまり変わらないせいもあってか、林道始点のゲートもなかなか現れず、ものすごく遠く感じました。(写真⑩にそれぞれの距離が書いていなかったのですが、気になって後日山歩きをされる方のブログの写真を見ると西側の林道は湯河原まで5000mの標識があり、わりと遠回りだったことが判明しました。)
でもまぁ、無事に帰れたのでOKです!
ちなみにしとどの窟はこの湯河原のほかに真鶴にもあるそうです。(Googleマップでは土肥椙山巌窟が湯河原。)
真鶴の方はここまで労せずに行けそうなのでそちらも行ってみたいです。
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