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イオ

紅葉会と鏡花水月 (2022/12/03 訪問)

(続き)

「鏡花水月」の開始までまだ少し時間があったので、先に好古園へ。以前に訪れたのは冬枯れの頃でしたが、この日は紅葉も見ごろで、県内有数の紅葉の名所だけあって多くの人で賑わっていました。紅葉会の夜間ライトアップに照らし出される紅葉に感嘆しながら周遊していると、姫路城のほうの夜空にレーザーサーチライトが飛び交うのが見えてきました。「鏡花水月」が始まったようです。

好古園をひとめぐりしてから三の丸広場へ。「姫路城 Castle History 鏡花水月」は、三の丸広場にイルミネーションが敷き詰められ、バルーン行燈が立ち並び、水鏡には天守が映り、レーザーサーチライトによる光のオーロラが夜空を彩るライトアップイベントで、世界遺産登録30周年のプレイベントとして開催中です(11日まで。無料)。水鏡の正面は大変な人混みだったため側面から写真を撮りましたが、小天守が切れてしまっていますね。同じ日に訪問されている侍ホリタンさんの写真では天守群が綺麗に収まっていますので、やはり並んででも正面から撮るべきだったと後悔…。ともあれ、この日は日中は雲一つない青空に聳える天守を、夜には暗闇の中に白く輝く天守を観ることができ、存分に堪能させていただきました。

なお、この日の昼食は駅前のじごろ小廣で穴子丼を。前回、穴子丼を食べられずにいた念願を果たすことができました。お土産には社会の教科書で取り上げられていたヤマサ蒲鉾(大手前店)で蒲鉾を買い、城下町どっぐ(美味しい!)を駅まで食べ歩きしました。子どもはお土産に姫路城のペーパークラフトを買い、翌日に一緒に組み立てました。さすがに連立式天守は無理があるのか大天守だけですが、ハサミもノリも不要で手軽に作れるわりにはよく出来ていて、組み立てていく中で、こういう構造になってたのか、と気付かされる点もあったりで、たぶん子ども以上に私が楽しんでいたと思います(笑)

…ということで、教科書探訪からモニターツアー、紅葉会に鏡花水月と一日かけて姫路城をめぐりましたが、さすがは日本で最初に登録された世界遺産、家内も子どもも大いに満足してくれたようです。ただ、城好きとしては観光的な城めぐりだけではやや物足りなく(いや、十分以上に満足してはいるんですが)、野里門の土塁や中堀を見ていると、次回は姫ちゃりで惣構めぐりを! との思いを新たにしました。

# ヒロケンさん、見事なまでの雲海の黒井城ですね! 私が訪れた時はところどころ下界が見えていましたが、石踏の段までかすんでしまうほどの分厚く隙間のない雲海とは…。雲海ばかりは行ってみないとわからないところがありますが、それだけに大当たりだった時は格別ですよね。
 

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todo94

城址碑スルーしてしまった (2022/11/12 訪問)

磐梯熱海インターチェンジの真ん前といった立地です。愛宕神社の社殿の上に土塁を備えた主郭が控え、裏手にはかなりの規模の空堀が巡っていました。立派な城址碑をスルーしてしまったのは痛恨の極みです。

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小城小次郎

城下の遺構も見逃さない (2022/06/25 訪問)

ひとつの山に村上城と中世村上城(本庄城)が同居しているという不思議なお城なのだが城下にもそれなりに遺構が残る。住宅の間に隠れているような下渡門あたりは見逃すともったいない、隠れた見どころの一つだろう。

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赤い城

平塚神社 (2022/12/03 訪問)

この日は京浜東北線沿いの城跡を廻りました。
上中里駅から徒歩で数分の平塚神社が城跡とされています。
神社横の蝉坂は太田道灌がここから攻めた「攻め坂」から名付けられたとの説があります。
鳥居横に説明板が立っていますが遺構はありません。
ここも地元の方に愛されている神社のようで参拝される方もちらほらと。
ちょうど境内のイチョウが黄葉で綺麗でした。

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零汰

終活4:100城・続100、城郭巡り:ホクリク 5日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?4回目

鳥越城の入口封鎖を目の前に「生きていたらそのうちに」。そこを後にして七尾城の前に寄ったのは千里浜なぎさドライブウェイ。砂浜を車両で走る事の出来る道路で年1回行われるSSTRというバイクのイベントのゴールにもなっている。今年は全国から9000台を超えるバイクで賑わったようだ。しかしイベントの内容は良く分かっていない。行く事は無いだろうと思いながらバイク関係のユーチューブで何度か視聴していた。

きっと感動するんだろうと思っていたが、初めての感じがしなくて感動は薄い。事前の情報の詰め込みが理由だと思う。これは城訪問にも当てはまるようだ。いつからか事前に情報を頭に入れ過ぎて訪問すると驚きや感動が薄くなってきた。今では現地で感動がピークになるように入口の確定だけに留めてなるべく空の頭で訪問するようになった。当然デメリットはあるのだけれど現状では最上の感動を味わっているのではないだろうか。当分のあいだは空っぽスタイルでいくと思う。

5日目は一乗谷城を朝6時にスタート

11月6日(5日目)
1.一乗谷城(福井)・・・・・・・1時間30分:3km:累計高低差282m
2.越前大野城(福井)・・・・・35分:0.7km:累計高低差82m
0.鳥越城(石川)・・・・・・・・・封鎖
3.七尾城(石川)・・・・・・・・・1時間:1.9km:累計高低差110m
4.高岡城(富山)・・・・・・・・・30分:1.2km
5.富山城(富山)・・・・・・・・・25分:0.8km

全て正続100城です。

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小荷駄

東条城跡 (2022/12/02 訪問)

取引先に車を停めて徒歩にて散策して来ました。駐車場は城跡の東側県道沿いに数台分有りました。トイレは三の丸内に有ります。本丸には木の柵があり雰囲気が味わえました。城跡内には桜がたくさん植えてあったので春に来たらキレイだと思います。近くには黄金堤や吉良陣屋跡等散策したい場所がいくつか有りましたが時間があまりなかったのでまた行きたいと思いました。

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トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第15回)津久見(大友公園:大友宗麟終焉の地) (2022/09/26 訪問)

(「臼杵城②」からの続きです)

臼杵城での戦いが終わった直後、大友宗麟は心労のため病に倒れ、津久見にある館で過ごします。そして翌年1588(天正15)年、島津義久が根白坂で豊臣秀長に致命的な敗北を喫し、その後に出家して秀吉に降伏したとの知らせを聞くと安堵し、「これで豊後と大友家(子の義統)は安泰であろう」と悟り静かにこの世を去りました(享年58)。

当初は、キリスト教式の墓(写真①)に葬られましたが、秀吉によりバテレン追放令が発せられると、義統は仏式に改葬します(写真②)。しかしその後荒廃してしまったとの事です。寛政年間(1800年頃)に、家臣の末裔の臼杵城豊が墓碑を新調しました。現在の墓碑は、昭和52年に、地元の有志によりキリスト教式の墓碑に再び改葬されたものです。その館や墓碑のあった場所は、現在大友公園となって整備されていました(写真③④⑤)。

大友宗麟は、一時は六か国(豊後・豊前・筑前・筑後・肥前・肥後)を治めた九州最大の大名でした。戦国大名として名を馳せた宗麟ですが、実は自分は幼い頃に跡目相続に巻き込まれ、当主となるために、父・母・弟を殺した事を最後まで後悔していました(二階崩れの変)。よって、本心では戦は好まず、フランシスコ・ザビエルと出会ってからは誰よりもキリスト教を愛し、キリシタンだけが暮らす戦のない平和な理想郷(ムジカ=MUSICA)の建設を夢見ていまいした。しかし、それは叶う事はありませんでした。

私は、大友公園を訪れてみました。JR日豊本線の津久見駅(つくみ)から徒歩30分の所にある小高い場所です。そして宗麟の墓地に立ち、ここから見える津久見湾を眺めてみました(写真⑥)。晩年をここにあった館で過ごした大友宗麟は、同じようにここからこの景色を見て、どのように自分の人生を振り返っていたのでしょうか? そしてどのような気持ちで、叶う事のなかったキリスト教の理想郷(ムジカ)の夢を見ながら、ここで亡くなって行ったのでしょうか?

次は「志賀親次のその後」(最終回)へ続きます。
 

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マル

初めての五稜郭 (2022/07/22 訪問)

日本100名城 やっと行けました。

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カズサン

内堀・5号堀の内側散策 (2022/11/14 訪問)

 外堀・6号堀と櫓台の続きです。

 外堀側の探訪を終えて、枡形から土橋、左右の内堀・5号堀を眺め、内堀側の門扉は閉まってる、内部の散策探訪は諦めるしかないか?と見渡すと門扉北横に人踏道、植栽も一部道に成ってる、月曜閉館で駄目かな?と思いつつ入って2度目の散策を致しました、しかししっかりした抜け穴です。
 
 城内は秋の里山の雰囲気状態、木々は高く色づき秋深し一人っきりの探訪を楽しみました、東西に4号堀、東側に管理用の土橋、北の門扉は閉まってる、4号堀中間に折れが有り折れ角が土橋でスロープ、上がって門扉が有りここも閉まってるが横に抜け穴的人踏道と植栽の空きで通れます、曲輪Ⅳに入り掘立柱建物群を遠目で眺めて下野の里山を味わう、2号堀が逆L型に北から西に90度曲がって彫られて南に木橋、を渡って曲輪Ⅲへ、突き出た土塁で横矢掛り、此処まで攻められたら効果は薄いかも?、東側の曲輪Ⅴはパス、北の曲輪Ⅰもパス、3号堀は曲輪Ⅲから解説板越しに眺めてお仕舞、西端崖から鬼怒川、宇都宮市内を眺める、4号堀の西端通路も門扉が閉まってるが人踏道と植栽が一部空け人が通れる、4号堀の南側を散策して、秋の下野里山なる飛山城を満喫する。
 飛山城の整備保存に感謝です。3度目は開館してる時に訪ねたい。
 
 

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カズサン

外堀・6号堀と櫓台 (2022/11/14 訪問)

 飛山城の外堀・6号堀は櫓台4から北側の櫓台5の間が発掘調査の上復元されて、6号堀、土塁、大手虎口、大手橋、櫓台4、櫓台5が復元整備されて居ます、この空間が飛山城のシンボル的写真等でよく紹介されて居ます。

 さくら市の勝山城を充分堪能し、直線で13~14km程を南下、同じく鬼怒川沿い東岸の飛山城2度目の登城を致しました。
 生憎月曜日でとびやま歴史体験館は休館、前の駐車場も門扉は閉まってる、仕方なく導入路の路肩に路駐しました。休館日でも駐車場とトイレは使用出来る様にして頂きたい。

 大手木橋を渡る前に外堀・6号堀をじっくり探訪、櫓台4辺りから北辺櫓台5に掛けて眺める、6号堀の北は鬼怒川の北崖に落ち込んで居たようです、大手木橋を横から眺めて、渡り6号堀と5号堀の間の長い長い帯曲輪を北へ鬼怒川を眺めて、櫓台5に登ってみる、更に見晴らしが良い、櫓台5は土塁登りが出来るようでロープが備わってる、飛山城跡の案内縄張図では外堀・6号堀沿いには櫓台が約100m間隔で5基備わっていた模様、その内2基が櫓台4、櫓台5として復元された。

 飛山城は歴史は古く、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代との複合遺構が有り、鎌倉時代永仁年間(1293~98年)芳賀高俊が飛山城を築いたと伝えられてる、南北朝、戦国期の激動時、宇都宮氏の傘下で活躍する、小田原征伐後の秀吉仕置きで飛山城は廃城となった様でです。(飛山城跡-宇都宮市教育委員会2015年2月第2刷より抜粋)
 
 写真は外堀・6号堀、櫓台、土塁、木橋、大手虎口を投稿します。
 
 内堀・5号堀の内側散策に続きます。
 

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イオ

社会の教科書とモニターツアー (2022/12/03 訪問)

家族で姫路城を訪れました。以前から家内が行きたいと言っていた(城には特に興味はないが世界遺産には行ってみたい)のに加えて、子どもの社会の教科書で姫路市が舞台となっていたことから、現地学習を兼ねて姫路城と周辺の教科書で取り上げられていた箇所をめぐってみました。

姫路駅前から天守に向かって大手前通りを進み、大手門には向かわず東側に回り込んで姫路市立美術館越しに天守を仰ぎつつ野里門へ。野里門の外にはかつて城下町が広がり、「古い町なみがのこるところ」として教科書にも載っていた野里の町を歩いてみました。のこぎり横丁と呼ばれる通りは家屋敷地が道に対して鋸刃状に斜向していて(路面に敷地境界が表示されています)、城下町の名残が感じられました。

教科書の現地学習に続いては城内へ。姫路城を訪れるにあたり、城びとのイベント情報に掲載されていた姫路城モニターツアーに申し込みました。スマホに装着するVRゴーグルで3DCGを体験した後、ガイドさんの案内で城内をめぐるツアーで、参加料500円(高校生以下300円)でVRに加えてガイドしてもらえるなら良いかな、と思ってのことでしたが、参加要項をよく読んでみると……入城料(大人1000円)込み? いやいや500円しか払わないのに?? 観光庁の予算を活用したモニターツアーとのことで終了後に簡単なアンケートへの回答を求められますが、それくらいお安い御用ですよね。さらに12月1日からは「旅する姫路!地域クーポン券」として、姫路城入城券の購入者にクーポン券(大人800円、小人240円)が配布されており、500円で入城料+VR+現地ガイド+地域クーポン券のサービスが受けられ、大変お得にめぐることができました。

VRは今後に期待、というくらいでしたが、ガイドさんは親切に案内してくださり、城好きと思しき小学生(たぶん)のメモを取りながらの質問にも丁寧に答えてくれていて、何度か訪れて姫路城をそれなりにわかっているつもりだった私にとっても初めて知る事柄がいくつもありました。あまりに丁寧にガイドし過ぎたためか、西の丸をめぐる時間がなくなったのは残念でしたが、もらったクーポン券を使ってお土産を買い、夕映えの天守を眺めつつ姫路城(の有料エリア)を後にしました。

しかし、日が沈んでもまだまだこれで終わりではありません。この日は好古園では紅葉会の夜間ライトアップが、三の丸広場ではライトアップイベント「姫路城 Castle History 鏡花水月」が開催されます(続く)。
 

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にのまる

ハイキング (2022/11/19 訪問)

小田原から箱根湯本経由の路線バスで湯坂路入口下車、鎌倉古道を10分ほど進んで説明板に到着しました。ベンチなどもありましたが、お弁当休憩のハイキングの団体さんとかち合ってしまったので説明板の写真を撮ってこの場所からは退散しました。
このあと箱根関所にバスで一気に行って帰る予定でいたのですが、路線図を見ると湯坂路入口の3つ先に「曽我兄弟の墓」というバス停があったので寄ってみることにしました。バスには乗らず歩いて20分くらい、「国道1号線最高地点(874m)」 を過ぎて少し行ったところに大きな五輪塔が3基ありました。曽我十郎・五郎兄弟と十郎の妻・虎御前の墓と伝えられてきたのだそうです。(箱根ナビ公式サイトより)
兄弟のお墓はほかにもあるようですがここで出会えるとは思っていなかったのと、その大きさに驚いていたらバスが行ってしまったので次のバス停まで歩こう……を繰り返し、それも飽きてきたので遊歩道や旧街道を歩いてみたりして、結局、箱根関所まで歩いてしまいました。寄り道しながら3時間ぐらいでした。
みなさまの投稿を拝見しても、やはり鷹の巣城はハイキングとセットのようですね!

①鷹の巣城入り口
②鎌倉古道
③城址説明板
④\( ˆoˆ )/
⑤曽我兄弟の墓
⑥二十五菩薩
⑦石仏群と歴史館
⑧お玉ヶ池
⑨箱根旧街道
⑩箱根関所

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Tokyobay

堀に囲まれた桝形虎口の桜田門 (2022/12/04 訪問)

桝形虎口になってはいるが、外側の高麗門をくぐった先に塀はなく堀になっている。内側の渡櫓門で侵入は防げるものの、塀に囲まれた桝形虎口に比べると防御力は弱いように思える。清水門の桝形は1辺が堀になっているが、桜田門のように2辺が堀になっているのは珍しいのではないだろうか。どのような意図や経緯でこのようになったのかが興味深い。

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小城小次郎

これもひとつの藩と町とのあり方なのかもしれない (2022/06/25 訪問)

長岡駅とその周辺に明治まで確かにお城があったのだが現在は跡形もない。これだけ跡形がないのは全国でも稀だが、それだけ城地がフル活用されたのだと考えれば、これもまたひとつの藩と町とのあり方なのかもしれない。

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朝田 辰兵衛

鴫山城散策 2/2(山麓部)を。 (2022/11/19 訪問)

天候に恵まれ,ワクワク感が止まらない登城となりました。たくさん撮影しすぎて,今日までどれをアップしようか迷っていました。
標高:750m,比高:80m。山頂部と東側はクマの気配はしませんでした。潜伏しているとすれば,西側の奥の方だろうと推察します。
主要部はキレイに整備されていて,安心して散策できると思います。

これから山頂部に向かうというタイミングで,珍しく私以外の攻城者にお会いしました。「こんにちは」と声をおかけし,短時間の立ち話をしましたが,山頂部に向かわれずに帰られたご様子でした…。

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朝田 辰兵衛

鴫山城散策 1/2(山頂・中腹部)を。 (2022/11/19 訪問)

天候に恵まれ,ワクワク感が止まらない登城となりました。たくさん撮影しすぎて,今日までどれをアップしようか迷っていました。
標高:750m,比高:80m。山頂部と東側はクマの気配はしませんでした。潜伏しているとすれば,西側の奥の方だろうと推察します。
主要部はキレイに整備されていて,安心して散策できると思います。

これから山頂部に向かうというタイミングで,珍しく私以外の攻城者にお会いしました。「こんにちは」と声をおかけし,短時間の立ち話をしましたが,山頂部に向かわれずに帰られたご様子でした…。

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零汰

終活4:100城・続100、城郭巡り:ホクリク 4日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?4回目

正続100の山城に行くと稀に若い人(2・30代)が独りで散策する所に出くわす時がある。1度はマイナーな山城でも会った事がある。挨拶程度で話した事は無いけれど、少なからず羨ましく感じてしまう。若い頃から城廻りの楽しさを知るなんて幸せ者だ。こんな若物の中から、第2.第3の城郭放浪記さんや、ウモさん達のような猛者が生まれてくるんじゃないか?と勝手に想像を膨らますと楽しくて気分がいい。

この日、4年目でようやく城廻りの猛者に会う事が出来た。今まで会った百名城全部行ったぞマウントおじさんに比べると明らかに話の内容も空気も違う。20年近くの経歴で主に縄張り図を書いてる方だった。7~8分程度の短い時間だったがとても刺激を受け今のうちに頑張らなきゃと再確認出来る良い機会だった。

この日より3日間正続100訪問、まずは小谷城を朝6時にスタート

11月5日(3日目)
1.小谷城(滋賀)・・・・・・・4時間:7.3km:累計高低差581m
2.玄蕃尾城(滋賀)・・・・・1時間:1.9km:累計高低差191m
2.国吉城(福井)・・・・・・・1時間10分1.8km:累計高低差245m
3.福井城(福井)・・・・・・・・計測無
全て正続100城です。数値は訪問時の参考にしてください。

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Tokyobay

汐見坂と梅林坂の高低差 (2022/12/04 訪問)

大きな高低差が感じられるのが汐見坂と梅林坂で、この辺が最も「城っぽさ」が残っているように思える。

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カズサン

二の丸北郭散策 (2022/11/14 訪問)

 先に投稿した、本丸散策、本丸南堀底散策の続きで、これでファイナルです。

 勝山城は西に鬼怒川の崖を活用した崖城、本丸を中心に堀が四方囲み、北に二の丸北郭、南に二ノ丸南郭、東に二ノ丸東郭、南に三の丸を控えた悌郭式城郭形式でした。関ヶ原前に宇都宮氏改易により配下の氏家氏勝山城も廃城と成りました。

 3度目の登城でゆっくりと秋の紅葉等眺めて下野の森林浴を楽しむ気持ちで二の丸北郭を散策探訪、北側の北郭北限土塁の確認、鬼怒川に架かる橋上から、勝山城の西端である鬼怒川崖を確認、確かに崖城です。
 勝山城跡北隣接地は勝山公園として整備され、新たに桜植樹整備工事中でした春の桜の時期が楽しみです、鬼怒川河川敷公園と橋で結び素晴らしい景勝地と成って居ます、また旧家の板倉、長屋門が二の丸北郭、二の丸東郭の北隣接地勝山公園に移築されて展示されて居ます。
 ゆっくり1時間勝山城跡を散策探訪させてもらいました、保存整備に感謝です。
 
  

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todo94

磐越西線沿い (2022/11/12 訪問)

磐越西線・安子ヶ島駅のほど近く、西方の線路像の路傍に石板の説明板が建てられています。圃場整備に際しての発掘で遺物が出土しているようです。

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