みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

【遠江・小国神社】静岡県周智郡森町 家康公立あがり石 (2022/11/05 訪問)

 遠江国一宮小国神社に家康公立あがり石が有り、この石にあやかりたいとして人生の再起を念じて石に腰掛けてて帰る者少なくないと。

 住所:静岡県周智郡森町一宮3956

 家康公立あがり石は二の鳥居手前左に在ります。

 案内板に由ると、三方ヶ原合戦の前年元亀3年9月願文と三条小鍛冶宗近の大刀を小国神社に奉納し開運を祈願、次いで天正2年4月犬居城攻略の道すがら参拝し、この石に腰掛けて休息されたと伝えられる。
 家康公の天下統一は浜松在城15年間の辛苦の賜ものと言われ、以来此の事を悲境を乗り越えた「立あがり石」と言われ、石にあやかりたい言う人多し。

 来年の大河ドラマは「どうする家康」で浜松城を訪れる人が多いかと思われますが、浜松から少し遠いのですが遠江一宮小国神社に参拝され「立あがり石」に腰かけてみては如何でしょうか?
 祭神は大国主命で縁結び御利益があり、欽明天皇の御代からの歴史も有り杉の大木などで鬱蒼とした樹林の中に荘厳の佇まい、四季それぞれの彩が有ります。
 
 私も今回腰かけてみましたが、年齢的に効果の期待はありませんが、足腰でも元気のままになってれば御の字ですが?
 駐車場は沢山有りますので正月初詣以外は心配ありません。
 

+ 続きを読む

侍ホリタン

越前の「天空の城」を訪ねて (2022/04/09 訪問)

丸岡城、勝山城に続いて本日3城目の訪問です。天守から見える残雪が残った山々の景色が素晴らしいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

移築門 城下町 (2022/12/10 訪問)

 犬山城の移築門と伝わっている門は5カ所あります。そのうちの2つは犬山城近くにあります。瑞泉寺山門は内田門といい搦手門です。常満寺山門は松の丸の裏門を移築したものです。また近くの城下町は江戸時代の雰囲気があり、食べ歩きなどをして散策する方も多いようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

白帝城 (2022/12/10 訪問)

 犬山城天守閣を木曽川側から見る姿が好きです。今年2回目の登城です。土曜日でしたが朝早く訪れたのでさすがに空いていました。小振りな天守ですが、子供の時から見ているということもあり気に入っています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

移築門(鉄門) 鵜沼宿  (2022/12/10 訪問)

 大垣市からは少し離れていますが、各務原市にある名鉄鵜沼宿駅から徒歩約10分、旧中山道宿場町鵜沼宿(各務原市)に大垣城本丸表口に建てられていた鉄門が移築されています。正面の木部を鉄板で覆い軒下を白漆喰で塗り籠めてあるのが特徴で火矢等の攻撃から守るためと考えられています。鵜沼宿は当時の面影を少しですが残しています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

地元では「畝形阻塞」 (2022/06/25 訪問)

相変わらずクレイジーな畝が続く。現地では「畝形阻塞」でこの手の用語は未だ統一的見解が得られないが少なくともこのお城のそれは竪堀ではないので「畝状竪堀」ではなくやはり「連続空堀群」がしっくりくるか。

+ 続きを読む

にのまる

藤原経清・清衡の館 (2022/11/26 訪問)

新幹線の水沢江刺駅から徒歩約1時間。
前九年合戦から後三年合戦にかけての奥州の歴史には惹かれるものがあり、この地に来られたというだけで満足です。建物のイメージはこの後に行ったえさし藤原の郷で(^o^)/

駅から向かう途中「新奥の細道」の案内板があったので見てみるとこのあたりは『義経北行コース』上で、近くに弁慶屋敷跡なるものがあるとのことでしたので寄ってみました。伝説の仔細は写真⑩のとおりですが、これほど具体的な伝説が生まれたのは義経の生き様の壮絶さ故と、改めて菅田将暉くんを思い出したりしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

もみじ寺 (2022/12/03 訪問)

王子駅から石神井川沿いに徒歩で10分ちょっと。
紅葉寺とも呼ばれる金剛寺が城跡で遺構はありません。
源頼朝が布陣した地とも云われていますが定かではありません。
石神井川の蛇行部分に位置していて城があったことは想像できました。
その名の通り紅葉がちょうど見頃、癒やされました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カルビン

king of バーター (2022/11/26 訪問)

増山城から埋没文化センターを経由してタクシーを降りた場所・・・二塚城になります。
運転手さんによると、渋滞時の抜け道としてよく使う道の脇だったそうで、超マイナーな場所なのに迷わずたどり着きました(笑)

新高岡駅からも10分ちょいで来れる距離にある二塚城、グーグルマップでの評価もごく低かった事から、完全にオマケで訪問した感じです。。。
個人的にはお城があった事を示す物が何も無い場所に比べれば全然ok牧場な訳ですが(-ω-b

一応碑石(何故か3つ)があり、更に周辺に工事で出た残土なのか実は土塁的な遺構なのかが周辺に目に入りました。
特に高架脇の土盛は意外と自然な土塁に見え・・・頼むから現存遺構であってくれ!と思った次第です(多分違うんだろうな・・・)

既に高岡城は以前鳥越城訪問したのと同日に訪問していたので、この日増山城だけでは勿体ないと言う事で二塚城と、高岡~新高岡駅間にある前田利長公の像2ヶ所と廟所も一緒に訪問致しました(駅間は徒歩でも十分移動出来る距離なので)
ま、結局オマケで高岡城も訪問したのでこの日3つ目の前田利長公像を見ているんですが(笑)

更に帰りには日本三大大佛様と言われる高岡大佛様(3体目が諸説あるが、高岡が地元の立川志の輔さんはそうだと言ってましたw)も拝見し、高岡地区は制覇したかな?と。


折角なので前田利長公の像2枚と、新高岡駅にあったズラの高い利長公の兜のレプリカ写真も添付しております。



コロナの関係だけでなく仕事の関係もあって今暫くお城巡り出来そうに無い事から、次回は同日訪問した高岡城をupの予定・・・

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

大河ドラマ鎌倉殿の13人最終回前に寄って来ました (2022/11/15 訪問)

 人見館跡を初登城探訪を終えて帰路、花園IC途中にある畠山館である畠山重忠公史跡公園に寄って初探訪、公園の北東側に駐車場とトイレ完備。大きく畠山重忠公史跡公園の立看板が目を引き場所が良く分かります。
 
 駐車場から畠山重忠公の像、これは鵯越えの逆落としで崖を愛馬三日月を甲冑姿で背負って降りたとの逸話を造形され、またまたよく目立ちます、小雨明けの曇りで採光悪く写真の写りが悪く全体暗っぽく成ってしまいました。
 此処は館跡と言うより畠山重忠公の墓所と言う感じで、覆屋根で墓石が6基祀られて居る、墓石はそれぞれの時代に造られたものをここに集めたと記載が有りました、傍には父親の畠山庄司重能墓石これは自然石、石板塔婆、重忠公が祖先の墓地に植えたと言われる伽羅の木の挿し木世代交代の苗木植樹した伽羅の木と説明板、各世代による忠魂碑などで慰霊の場所と成って居る。
 土塁跡などと説明板が有るが良く分からない、また産湯の井戸跡も屋根を被ってる。幟旗も多くなびいて居ました。

 鎌倉武士の鏡を言われて人気の高い畠山重忠公です、菅谷館の狩衣姿の畠山重忠公像も良いですね。

 初探訪参拝後、花園ICより関越道圏央道東名新東名経由、余り混まずゆったりとした流れで帰れました。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イシテル

西播磨の山城「古代と中世が混在する山城」 (2022/11/27 訪問)

西播磨山城11のひとつ「城山城(亀山城)」。
亀山の山頂を中心に赤松氏が築いた中世の城郭や白村江の後の大陸侵攻に備えた古代山城の遺構が混在する見どころ満載の山城。
城門築石、石塁、堀切、祇園嶽城(出城)、畝状竪堀など広域に散らばる時代別の遺構が楽しめます。尾根筋に登ってから4時間ほど山中をあちこち散策していました。
山名「亀山」のゆかりと思われる亀岩や巨大な亀の池(山上に大きな人工池??)もあり、ハイキングコースとしても最高でした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

2022年シーズン最高の紅葉 (2022/11/22 訪問)

この日の締めは猪苗代城。14年ぶりの再訪になります。日没直前の到着で、紅葉が西日に照らされて非常に美しかった。こんな紅葉を独り占めできてしまうとは何と贅沢なことでしょう。観光客でごった返す紅葉の名所に、無理して訪れることはないなと思ってしまいました。鶴ヶ城に対して亀ヶ城とも呼ばれる猪苗代城は見栄えのする遺構もたっぷりで、まだ脚を伸ばしたことはありませんが、中世の古城エリア(鶴峰城)も備えており、城の魅力という点では同じ福島県内の続100名城・三春城より上だと思います。三春城は三春滝桜の存在によるアドバンテージがあったとしか思えません。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

新田義貞本陣地。 (2022/11/27 訪問)

分倍河原の合戦で,新田義貞の本陣地が高安寺になります。立地条件の良さは,今も昔も変わってないのかな…。JR南武線と京王線の乗換地点となっており,分倍河原駅前には新田義貞像が建立されております。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

キンヤ

様々な石垣を見ることができる石垣の博物館 (2022/11/27 訪問)

前日夜にライトアップを見に行った際に石川門横の休憩所で入手した石垣巡りマップを持って巡りました。
自然石積み(野面積み)、粗加工石積み(打込接)、切石積み(切込接)まで様々な石垣を見ることができ楽しかったです。
さすが石垣の博物館と呼ばれるだけあります。

特に、他の城では見た事がない玉泉院丸庭園の色紙短冊石垣はアートのようでおもしろく、ニノ丸・三ノ丸の櫓台や門の各所にあるモザイク調の石垣が美しく素晴らしいです。

東ノ丸北側と東ノ丸東側は、前田利家による初期の荒々しい自然石積みで、特に東側は見上げると複数段合わせてかなり高く見応えがありました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ニコ・ロビン

二( ・᷄ㅂ・᷅ )条 (2022/10/20 訪問)

豪華絢爛( ・᷄ㅂ・᷅ )広大な敷地で、回るだけで2時間はかかるなー
現存4御殿の一つ、中は複製だけど、やっぱり迫力があるなぁ

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

零汰

終活4:100城・続100、城郭巡り:ホクリク 6日最終

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?4回目

最終日は朝6時30分に増山城スタート。気温は今年初めての1°。寒いなぁ、タイヤ滑らなきゃいいけど。
丸岡城がとても凄く良かった。余計な物も無く、ギラギラ厭らしさも無い、造り物感や見世物感が感じられなかった。建物遺構とはこの様に自然な感じだと思うのだけど・・・。

11月7日(6日目)
1.増山城(富山)・・・・・・1時間50分:4.3km:累計高低差287m
2.金沢城(石川)・・・・・・計測無
3.丸岡城(福井)・・・・・・計測無

写真整理後に、正続100城以外の山城を城郭放浪記さんのサイトを基に復習の時間。訪問前に見なかった写真を自分の写真と記憶を確かめてみる。今回は滋賀の小堤山城以外はそれ程大きくなかったのもあり、各城の主要な城域は概ねカバー出来ていた。遺構についても主要な遺構は大体見ていたのだが竪堀については見逃している。どこに行っても竪堀を確認するのは難しい。空っぽ訪問のデメリットです。

今回の大きな収穫は猛者A(仮)氏と会った事。7~8分程度の会話で2つ、訪問のコツと言うかアドバイス的な話を聞けた事が収穫だった。1つは年齢的に難しいが残りの1つは少し視点を変えるとなんとかなりそう。早速試してみたいと思っているがこの時は予定が決まっていなかった。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

AJ

北の要塞 (2019/05/19 訪問)

ある域に達すると必要以上に華美なものが抜け落ちるのはヒトも城も同じようです。

函館・五稜郭。幕末動乱期に「見せる城」の需要は皆無で、求められたのは砲撃への耐久性。真っ先に標的になる天守は無用の長物でしかなく、土塁が多いのも石垣より衝撃を吸収しやすいため。

一方で対人戦への備えもあります。星形の縄張りは、常に横矢を意識して塁線をことごとく曲げた中世の山城を体系的に発展させた形と言えるかもしれません。

1869年5月12日。箱館(函館)湾に侵入していた新政府軍の艦砲射撃が五稜郭に着弾。それまで射撃角度を決めあぐねていたとのことですが、最後は郭内の奉行所屋上にあった太鼓櫓が標的に。

旧幕府軍は慌てて櫓を取り外したようですが、一度着弾してしまえば要塞としての機能は著しく低下したとみられ、その後、戦況はいよいよ不利になったとのこと。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第16回)志賀親次のその後(山口宇部) (2022/10/07 訪問)

(津久見「宗麟墓地」からの続きです)。

最後に、志賀親次が岡城合戦からその後どうなったのか、ふと気になったので追ってみました。

志賀親次は、父であれ裏切った志賀親度をどうしても許す事ができず攻めて自刃させます。そしてともに裏切った豊後南部の諸将も攻め豊後南部を平定しました。秀吉からは大変気に入られ、大坂に呼び出され諸将の前で「志賀親次は天正の楠木正成である!」と褒めたたえられたそうです。でもそうなると主君の大友義統にとってはおもしろくありません。二人は一時険悪な仲になったそうですが、結局二人そろって朝鮮に出兵します。しかし大友義統が小西行長を見捨て敵前逃亡した事に秀吉は激怒!(逃亡を進言したのは親次とも?) 大友家は改易となり、親次も浪人となってこの後主君を転々と変えます(蜂須賀家政、細川忠興、福島正則など・・)。

しかし、大友家再興をかけ、九州の関ケ原で大友義統が挙兵すると、親次も馳せ参じます。何やかんやあっても、結局大友家の事が心配だったようです(本当に忠義に厚い人ですね)。しかし別府石垣原の戦いで黒田官兵衛に敗れると、その後は毛利輝元から極秘に長門の地に匿われたようです。

実は親次の墓が、その長門(山口)の宇部の山中にあるというので行ってきました。JR宇部線「宇部新川駅」から市営バスで50分小野集落へ(バスは1日4本のみ注意!)、そこからさらに徒歩30分の山中にありました(写真①②③)。ここで志賀親次は95才まで長生きしたそうです。そしてその後も、志賀一族はこの山中で代々ひっそりと暮らしたとの事です(写真④)。


【余談1】毛利秀就(もうりひでなり)
バス停まで戻ると、ん?・・何やら看板発見!(写真⑤)「毛利秀就生誕の地」? 何だろうこれは・・? 
まだ帰りのバスまで2時間もあり2kmなら間に合いそうなので、ちょっと行ってみる事にしました(写真⑥⑦⑧)。「毛利秀就」とは毛利輝元の側室(二の丸の方)の子で、身ごもった時に子のできぬ正室をはばかって広島城からここにかくまわれ、男子であれば殺すようにと輝元から命を受けていたそうです。しかし、男子が生まれるも、地元の財満家が極秘に育てます。そして、関ケ原に輝元の名代として出陣し南宮山に布陣した、従弟で養子となっていた「毛利秀元」が本来は輝元の跡を継ぐはずでしたが、その後に秀就の存在を知り家督を譲ったそうです。そして、晴れて秀就は輝元の跡継ぎとなり、長州藩初代藩主になったとの事です。

【余談2】山歩きは要注意!
親次の墓からバス停に向かって山道を下りながら歩いている途中、ふと足下を見たらこんなものがいました(写真⑨)。気づかずにあと3歩前へ進んでいたら今頃私の命は無かったかも?(😱~) みなさんも山歩きをする時は、よ-く下を見ながら気を付けて歩きましょうね!


以上【島津VS大友:最終決戦の城巡り】(全16回)を終わります。
長々とお付き合いいただき、大変ありがとうございました😊。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

小雨の中の初登城 (2022/11/15 訪問)

 孫達の運動会を楽しんで宇都宮5日目に孫達の登校を朝見送って帰路へ、見逃した城館が有り北関東道経由太田藪塚ICを降り、深谷市の人見館跡を目指す。深谷までの地道は新田の荘のど真ん中、道すがら新田氏に関係する遺跡、資料館の案内看板が目に付きます、渋沢栄一記念館、深谷城址公園などもナビに入って来る。
 ナビの目的地は人見館跡の近くに在る、仙元山公園野球場の近く南西角の駐車場に合わせて到着、駐車場広くトイレ完備を利用。
 情報源は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。

 仙元山公園駐車場から南側を流れる用水路に従って西に約150m程の所に人見館跡案内板が道沿いに立って居る、そこは土塁跡堀跡の確認できる場所で民家宅の東、用水路と地道が並走し竹林が土塁跡堀跡に林立してる屋敷跡の北側を東西に、西側も竹林が林立し南北に、此処は二重堀二重土塁が確認できる、南側は遠目で樹木林立も下は土塁堀の様ですが良く分かりません。内部は現在畑で耕作されて居る、東側の堀、土塁は消滅してる。
 案内板に由ると、人見館は三つの郭から成り、その範囲は東西約300m、南北約150mで、現在は西の郭が最もよく保存されてる、西側と北側に二重の土塁と空堀が残ってる。と記載されてる。

 歴史は、平安時代末期、人見氏の館として築かれたと伝わる、人見氏は武蔵七党の一つ、猪俣党に属する河匂政経がこの地に住んで人見六郎と名乗ったのにはじまり、鎌倉期御家人として活躍、室町期初めに丹波国に移った。
 室町期中頃、深谷上杉氏の一族の上杉憲武が人見氏の館跡を改修して居住、現在みられる堀や土塁はこの時の姿をとどめていると思われる。その後の動向は不明。(人見館跡案内板に由る)
 
 小雨の中、傘を差しながらのデジカメ撮影、靴は探訪時の安全靴で無くスニーカーで余り深く中に入れづ少し遠くからの探訪、撮影でした。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

イオ

紅葉会と鏡花水月 (2022/12/03 訪問)

(続き)

「鏡花水月」の開始までまだ少し時間があったので、先に好古園へ。以前に訪れたのは冬枯れの頃でしたが、この日は紅葉も見ごろで、県内有数の紅葉の名所だけあって多くの人で賑わっていました。紅葉会の夜間ライトアップに照らし出される紅葉に感嘆しながら周遊していると、姫路城のほうの夜空にレーザーサーチライトが飛び交うのが見えてきました。「鏡花水月」が始まったようです。

好古園をひとめぐりしてから三の丸広場へ。「姫路城 Castle History 鏡花水月」は、三の丸広場にイルミネーションが敷き詰められ、バルーン行燈が立ち並び、水鏡には天守が映り、レーザーサーチライトによる光のオーロラが夜空を彩るライトアップイベントで、世界遺産登録30周年のプレイベントとして開催中です(11日まで。無料)。水鏡の正面は大変な人混みだったため側面から写真を撮りましたが、小天守が切れてしまっていますね。同じ日に訪問されている侍ホリタンさんの写真では天守群が綺麗に収まっていますので、やはり並んででも正面から撮るべきだったと後悔…。ともあれ、この日は日中は雲一つない青空に聳える天守を、夜には暗闇の中に白く輝く天守を観ることができ、存分に堪能させていただきました。

なお、この日の昼食は駅前のじごろ小廣で穴子丼を。前回、穴子丼を食べられずにいた念願を果たすことができました。お土産には社会の教科書で取り上げられていたヤマサ蒲鉾(大手前店)で蒲鉾を買い、城下町どっぐ(美味しい!)を駅まで食べ歩きしました。子どもはお土産に姫路城のペーパークラフトを買い、翌日に一緒に組み立てました。さすがに連立式天守は無理があるのか大天守だけですが、ハサミもノリも不要で手軽に作れるわりにはよく出来ていて、組み立てていく中で、こういう構造になってたのか、と気付かされる点もあったりで、たぶん子ども以上に私が楽しんでいたと思います(笑)

…ということで、教科書探訪からモニターツアー、紅葉会に鏡花水月と一日かけて姫路城をめぐりましたが、さすがは日本で最初に登録された世界遺産、家内も子どもも大いに満足してくれたようです。ただ、城好きとしては観光的な城めぐりだけではやや物足りなく(いや、十分以上に満足してはいるんですが)、野里門の土塁や中堀を見ていると、次回は姫ちゃりで惣構めぐりを! との思いを新たにしました。

# ヒロケンさん、見事なまでの雲海の黒井城ですね! 私が訪れた時はところどころ下界が見えていましたが、石踏の段までかすんでしまうほどの分厚く隙間のない雲海とは…。雲海ばかりは行ってみないとわからないところがありますが、それだけに大当たりだった時は格別ですよね。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ621