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にのまる

猿さんの松山城クイズに挑戦

①隠門
「おーっ、あそこに建物が見えるぞ、突き進めー!」
「待った!ここは右にしか行けないぞ。まわれー右!」
「門が見えた!でも扉がない。これは怪しい……」
「かまわん、突き進めー!」
「出たー!下からは見えなかったでかい門だー!」
「気をつけろ、上をよく見るんだ。狙われるぞ!」
「御意!」
「危ない!」
「うわっ……、うぐっ……」
「右だ!」
「後ろだ!」
「こんなところに扉が……遅かったか……」
 ↑という攻め手の場面を想定しての門。

②井戸
本丸井戸の直径と深さは、現地を訪れた時にいただいたパンフレットをさがしてみたら書いてありました。(写真7)
直径…2メートル
深さ…44.2メートル  

③現存12天守の廻り縁と高欄
現存天守で廻り縁も高欄もあって一周できるのは犬山城と高知城の2城です。
松山城は外には出られませんが夕日がとてもきれいに見えました。

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ヒロケン

国宝 天守及び附櫓・多聞櫓 (2022/01/04 訪問)

城びとフレンドの皆さま、新年、明けましておめでとうございます。ご挨拶が遅れましたが、本年もよろしくお願い致します。

彦根城は琵琶湖の東岸に接した彦根山に築かれた連郭式平山城です。慶長5年の関ヶ原の戦いで武功のあった井伊直政公が、石田三成の佐和山城に入城。直政公が没後、嫡子の直継公が佐和山西方の彦根山に築城したのが、現在の彦根城です。
彦根城は、西国諸大名の抑えとしての重要拠点であるため、築城にあたっては、徳川家康公が近隣の大名に助力を命じ安土城・佐和山城・小谷城などから石垣や建造物が集められ急ピッチで築城が進められましたが、着工から完成までに約20年の歳月を要しています。

現在、特別史跡彦根城として、国宝天守及び附櫓・多聞櫓 国重要文化財5棟が現存し、他石垣・水堀・曲輪が残り、見所満載の城跡です。(*^▽^*)特に、国宝に指定されている唐破風や切妻破風を駆使した天守は他の国宝天守にはない華麗さがあります(*^▽^*)

毎年元旦には、名古屋城に(昨年は浜松城でした)登城していましたが、今年は、金沢に嫁いだ娘が帰省しており、4日の今日が初登城となってしまいました。佐和山城に近年新たな石垣が見つかった(・・?との情報を得て、これは行かなきゃってことで滋賀まで足を運びましたが、画像の通りの大雪で"(-""-)"天守のスタッフのおば様に「佐和山城に行きたいのですが、行けますか?」と聞いたところ、「普段でも行く人は少ないですよ」「この大雪では無理だと思います」との返答"(-""-)"「あそこに見えるのが佐和山城跡ですが、雪が積もってますよね」って言われ諦めました((+_+))近く、雪解けを待ちリベンジしたいと考えています。
(この日大雪で、表門以外からの入城はできず、また、出曲輪の大堀切・登石垣が確認していません)

城びとフレンドの皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

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赤い城

南方山十三館の仕置を逃れた (2021/12/26 訪問)

大宮神社に車を駐めて神社経由で石碑の立つ所まで行けます。
周囲は畑で遺構らしきものは見当たりません。
石碑と神社の間の道路は堀の跡でしょうか。
この道路を少し下って見ると藪の中に入れそうなところが。
進むと竹藪の中に土塁と堀切の跡がありました。
整備されたらさらに遺構も見られそうなんですが。
芹沢氏は大掾氏一族なのですが佐竹氏による南方山十三館の仕置の難を逃れました。
ですが佐竹氏の秋田転封の際には秋田氏に従っています。
その子孫とされる芹沢鴨は新選組初代局長で近くに生家がありました。

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じゅんじん

2022年城始め (2022/01/02 訪問)

登城口から主郭まで20分でした。城郭風展望台からは名古屋のビル群、小牧山城、乗鞍岳、御嶽山など良い景色でした。
駐車場、トイレ完備です。

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イオ

一年の計は…

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、「一年の計は元旦にあり」と申しますが、元旦はとうに過ぎているものの、今年の城めぐりの目標など立ててみました。

1.今年こそ遠征する

コロナ禍もあって2年以上も遠征(一泊以上の城めぐり)できていませんので、今年こそは! 一昨年断念した山陰や信州上田、昨年諦めた遠江、それとも今年の大河ドラマゆかりの鎌倉とか伊豆とか…。

2.麒麟がくる紀行をやり遂げる

数日後には「鎌倉殿の13人」も始まるというのに、今さら何を言ってるんだか…ですが、関東中心となりそうな鎌倉殿紀行はほとんどできないので、「どうする家康」までには終えておきたいな、と。明智光秀ゆかりの城となると細かく見ればかなりの数になりますが、せめて下調べした分だけでも…。

3.お城エキスポに参戦する

年末の横浜は今年も無理そうですが、また滋賀でやってもらえれば今度こそは…。山城サミットも今年は恵那市ということで、日程さえ都合がつけば行けそうです。関ケ原での講演会にも申し込んでいますし、今年はイベントにもいろいろと参加したいものです。

ところで…

にのまるさん、新年は和歌山にいらしてたんですね。拙い投稿ながら、何がしかのお役に立てたのであれば何よりです。…というか、こちらこそいつも参考にさせていただいております。金沢城はブラタモリで観た石垣めぐりに加えて、にのまるさんの足跡をたどれば間違いないでしょうし、江戸城の36見附めぐりは、首都圏に住んでいたら私も挑戦しようとしただろうな…と思いつつも果たせそうにないので、せめてにのまるさんの投稿で楽しませてもらっています(朝田辰兵衛さんの仰るように、出張の合間をみて1~2つずつめぐることにします)。

和歌山は幹線道から外れた不便なところですが、観光で訪れるには悪くないかと思います。食べもの(特に果物と魚)は美味しいですし、温泉も豊富。高野山や熊野は歴史も雰囲気もあります。有名なお城は和歌山城と新宮城くらいですが、高野山・奥の院には武田信玄・勝頼父子の墓所もありますので、またの機会があればぜひ。

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チェブ

『鎌倉殿の13人』の御一人。 (2021/11/07 訪問)

2022年 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、ヒジョーに楽しみです。
13人の中の1人、梶原 景時さんのお城、「梶原景時城」に行きました。

梶原 景時さんは悪役のイメージがあります。
源 義経さんと犬猿の仲だったようです。
義経さんは歌舞伎の演目にもあります。
幼名の牛若丸は、絵本や児童書等により、どの世代にもヒーロー扱いです。
ちなみに、ドラマでは源義経さんを菅田将暉さんが演じます。
梶原 景時さんは中村獅童さん。
んー、悪役なのかな?

梶原 景時さんは源 頼朝さんの命の恩人で、教養のある人物です。

「梶原景時城」は交差点近くの、小さな一之宮天満宮に石碑と説明板があります。
大河ドラマ効果かは不明ですが、梶原 景時さんの新しそうな幟旗が武者震いしてました。
遺構等は、分かりません。宅地化されてしまったのでしょう。

実は梶原 景時さんの事、「梶原景時城」に攻城するまで、どんな方なのか知りませんでした。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を、まずは観てからだな、、、と、思いました。

今年も脱線する お城情報を提供していく模様です。
2022年、よろしく お願いいたします 。

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織田晃司

古代山城 (2022/01/03 訪問)

山頂は城山公園となっていて遠望を楽しむ方が多くいます。
所々に遺構が点在してますが、水門跡や城門跡など遺構の大半が高松カントリー倶楽部となっていて、それらを見ようとすればクラブハウスに連絡する必要があります。

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織田晃司

手の混んだ縄張りの (2022/01/03 訪問)

主要部と連郭式の郭で形成された山城。
土塁、曲輪、虎口の土木量がハンパない。

登城口も城跡もしっかり整備されており見応えあります。
ただ登山道は結構キツかった。

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織田晃司

古代山城 (2022/01/03 訪問)

今でいう国家プロジェクトで築かれた城。
城門跡が発見され復元された城門跡が屋島城のメイン。

屋島は「扇の的」で有名な源平合戦のあった場所でもある。

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bono

横須賀城

丸みのある石による石垣が印象的です。駐車場は十分あります。JR等の駅からはかなり離れているので、車での訪問かバスになるかと思います。

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bono

坂本城址

駐車場がある近くの城址公園は本来の場所からは離れているそうで、実際はもう少し北の方になります。
公園にはずんぐりした光秀公の像や紹介看板などがあり、私が行った時は地元ボランティアの方がパンフレットをくださり、説明もしてもらえました。この度石垣が出現したということで、観に行きました。幻のお城なだけに、少しでも遺構が観られるのは感動です。観させていただき、感謝です。
駐車場は夜でも夜釣りのお客さんが利用していて、空いているという印象はいつ訪れてもないです。

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山城の教科書 (2021/01/18 訪問)

一宮城は徳島市の南西部、鮎喰川(あくいがわ)右岸に位置する中世の山城である。
三好氏と長宗我部氏との激戦の城であったらしい。
標高は144メートルだが、比高は120メートルほどで、そんなに健脚でなくても登城できる。道も整備されていて登りやすい。
ただ、陰滝の岩場は危険と思われ、子供、女性にはすすめられない。
陰滝は下山する時にのみ通った方が良さそうだ。
圧巻は本丸の石垣である。緑色片岩という徳島県特有の石が使われている。
その本丸はインカ帝国を彷彿させる。私だけだろうか…
城は、様々な仕掛けが配されていて、勉強になる。
アクセスだが、車での移動なら、大日寺の駐車場を利用すると良いだろう。
御城印と続100名城のスタンプは登り口の看板に設置されている。
御城印は季節ごとに4種類あって、300円を入れ、一枚をいただくって感じだ。
また、縄張り図(マップ)も自由に取れるのでありがたい。
水分は必ず登城する前に買っておく事と、夏には、虫除けスプレーがあると活躍してくれそうだ。

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todo94

献血前の宇都宮市の城めぐり① (2021/11/21 訪問)

献血の予約を入れてある時刻まで、ささっと宇都宮市内の城めぐりをしてみました。刑部城ははっきりと視認できる土塁と田んぼとなっている濠跡、説明板もあってまずまずの城でした。

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久しぶりの現存天守のある松山城攻城 (2022/01/03 訪問)

にのまるさん、大和郡山城の橋クイズにお答え頂きありがとうございました。
極楽橋で大正解です。
正月第二日目は、東京の両国にある「江戸東京博物館」に行ってきました。
今年に休館することになっていたので行ってきました。
きっかけは、にのまるさんのご投稿です。
江戸城のスケールの大きさ等を学習出来て満足です。
そして、本日は、松山城に久しぶりに攻城致しました。
松山城は、堅固な城で幾つもトリックが張り巡らされています。
そこで、またクイズを出します。
くねくねと曲がった道をひたすら登り詰めたら、本丸への道が見えてきました。
戸無門をくぐり筒井門に来た時、その向こうに隠門がひっそりと隠れておりますね。
そこで質問です。
何故、筒井門の向こうに隠門という門を造ったのでしょうか?
そこで、私は隠門をくぐり右折れすれど次の門が見えてこないと思っていたら、ひっそりと太鼓門を発見しました。
ここをくぐってやっと本丸曲輪に出ました。
そこは広い曲輪になっていて右側に本丸井戸を発見しました。
今は柵がされていたので、どれだけの深さは体験出来なかったのですが
そこで質問です。
この本丸井戸の直径と深さは何mですか?
そして、私はゆっくりと松山城天守閣の方へと歩きはじめました。
そこには、密になった構造物が建っていました。
今は3重の天守としてそびえていました。
築城時には5重の天守だったと説明されていますが、私は元々から3重天守だったと考えております。
理由については、長くなるので省略します。
私は、3重天守をじっくりと見上げました。
回り縁と高欄があるのを発見致しました。
そこで質問です。
12の現存天守で、ちゃんとした回り縁と高欄のある天守閣が2つ有ります。
それを答えて下さい。
即ち、現存天守の中には回り縁や高欄そのものが無い天守や高欄はあるのだが回り縁が無い天守や単なる飾り物として存在するものや外には回り縁や高欄は無いのだがそれを造ろうとした痕跡のある天守等がありユニーク極まりないです。
現存天守って本当に素晴らしい限りです。



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まーやん

秦河勝末裔の築城 (2021/11/07 訪問)

新年明けましておめでとうございます。
旧年中はなかなか顔出し出来ず申し訳ありませんでしたが、懲りずにお構いくださいませm(__)m

で、まだ11月の登城書き込みです。
7世紀に活躍した渡来系の秦氏末裔と言われる川勝光照が、静原地区の菅原神社一体の市場を3方から守るため東側の中村城(未踏)と南側の島城とともに築城した。
ムカデやシャコの形に似た連郭式山城だが、曲輪や堀切が良好な状態で残っていて見応えがある。
特に山頂部の本曲輪後背地の堀切が大きいが、更にその後方にある堀切3連チャンが見物。その他石垣跡…かも…と思わせるものも散見される。
因みに本曲輪まで50分、そこから津向山頂へ約40分、本曲輪に戻らず下っていくと愛宕山展望地が二ヵ所あり、上松祭場跡の大岩も見れるので合わせて見ていただきたい。

※入山届けは起点の今宮区公民館にてお忘れなく。

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koyuki

市街地に貴重な空堀 (2021/12/31 訪問)

織田信秀公の城。市街地であり地下鉄の駅からもほど近いお宮の境内ですが、空堀がたいへん良く残っています。空堀好きな方にはぜひ巡ってほしい城です。また、こちらはお宮の御朱印、お城の御城印、武将印、姫印などよりどりみどり!縄張り図の御城印もありおすすめです。

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元旦から開館 (2022/01/02 訪問)

 1月1日から開館しているとの情報を得て、久しぶりに犬山城へ行こうと思い、出かけて行きました。「正月なら、あまり人出はないかも、、」という甘い期待は打ち砕かれ多くの方が見えていました。近くに神社、犬山成田山等があり、初詣の客も多く城下町の商店街も賑わっていました。ゆっくり見るという余裕はなく、早めに退却しました。木曽川の対岸から見る天守閣が好きなのですが今回は行っていません。

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雪を踏みしめて (2022/01/01 訪問)

 新年の城始めは岩村城としました。
明知鉄道で岩村駅下車、徒歩にて登城しました。数日前に降った雪が残っていたのは想定内でしたが、予想以上に多く残っていて歩くのに少し難渋しました。何回か岩村城には来ていますが雪の岩村城は初めてです。六段の石垣(六段壁)が見どころですが、戦国時代の遺構といわれている南曲輪の堀切が気に入っています。江戸時代の山城の中でもっとも標高が高い場所に築かれた城と言われていますが、井戸が17カ所あったとのことで水は十分確保されていたことがわかります。中学生の時に友人と来たのが最初ですが、何回来ても飽きない城です。
元旦ということもあり岩村の街のお店はお休みでした。

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永林寺 (2021/12/30 訪問)

 京王線「北野」駅からバスに乗車して由木中央小学校バス停にて下車して永林寺へ行きました。城址碑があります。奥の山が城址かと思いましたが、遺構はないとの情報もあり散策していません。

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聖蹟桜ケ丘駅より (2021/12/30 訪問)

京王線「聖蹟桜ケ丘」駅より徒歩にて約15分で関戸城天守台の標柱に行くことができます。皆さんが投稿されていた原峰公園は時間の都合もあり行きませんでした。

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