鎌倉の鶴岡八幡宮の周辺には「鎌倉殿の十三人」登場人物ゆかりの地がいくつもありますが、基本的に大き目の顕彰碑みたいな石碑が建っているだけで、はっきり言って超地味です。
「武士の鑑」とまで言われた畠山重忠は元久2年(1205)菅谷館を出て130騎ほどで鎌倉に向かう途中で北条義時率いる大軍と戦闘になり討死します。義時はその後重忠追討を命じた父・時政を糾弾します。
若宮大路幕府は嘉禎2年(1236)~元弘3年(1333)に将軍の御所が置かれたところです。
宇都宮辻子幕府は宇都宮小路に置かれた将軍の御所で嘉禄元年(1225)~嘉禎2年(1236)の間使用されました。
鎌倉幕府の御所の履歴は 大蔵幕府⇒宇都宮辻子幕府⇒若宮大路幕府となるようです。
上杉朝宗は足利氏満・満兼に仕え、出家後は禅助と号しました。人々は「犬懸の管領」と言ったそうです。その子の氏憲は足利持氏の執事となり出家して禅秀と号しました。しかし持氏と不仲になり持氏の叔父・満隆と謀って兵を挙げますが敗れて、鶴岡別当坊にて自害したとあります。
畠山重忠邸跡‥神奈川県鎌倉市雪ノ下3丁目2-9
北条執権邸旧跡‥鎌倉市小町3
若宮大路幕府旧跡‥鎌倉市雪ノ下1-11
宇都宮辻子幕府旧跡‥鎌倉市小町2丁目
日蓮上人辻説法の跡‥鎌倉市小町2丁目22−13−7
文覚上人屋敷跡‥神奈川県鎌倉市雪ノ下4
上杉朝宗および氏憲邸跡‥鎌倉市浄明寺1丁目10−3
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