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やなぎぶそん

記念御城印を求めて (2021/12/26 訪問)

抽選販売の記念御城印に当選したので、御城印を頂きに伺いました。倍率は3倍ほどとのことで、かなり多くの応募があったようです。その後、飯盛城に登城しました。飯盛城は、とても大きな山城で、石垣が多数点在しており、他にも堀切、土橋、竪堀、土塁と見所満載の素晴らしい山城でした。

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todo94

阪神でなく阪急です (2021/11/13 訪問)

関西に詳しくないためカーナビを阪神御影駅にセットしてしまいました。阪急御影駅は遥か北方に位置していました。無駄に駐車料金を投資してしまいました。石の説明板の城名は御影城になっています。

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にのまる

36見附めぐり⑬~数寄屋橋御門~

銀座の一隅、数寄屋橋公園に、関東大震災後に完成した石橋の遺材を用いた「数寄屋橋の碑」が建てられています。
数寄屋橋門内には“大岡越前”も執務していた南町奉行所が宝永4年(1707年)から幕末まであったのだそうです。有楽町駅前に石垣が復元展示されていますが、完全にベンチと化していて、いろいろまわった中で一番写真が撮りにくかったです。

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koyuki

発掘調査案内所は火曜定休なので注意! (2021/12/14 訪問)

山上の一ノ門跡や山麓の信長公居館など、発掘調査が進んでいるようでした。今後も成果が期待できそうです。

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カズサン

古代山城・番外編 (2011/07/16 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、古代山城鬼ノ城を初登城し汗だくの処、鬼城山ビジターセンターでホッとし汗を拭いセンターの展示を閲覧し資料を頂く、写真撮影して投稿して無かった案内板、解説板等の写真を投稿させて頂きます。
 行けなかった屛風折れ石垣のビジターセンター展示写真を投稿、投稿写真を見直し残った中で西門から南方向へ延びた版築土塁城塁の壮大さを是非投稿したく1枚入れました。
 

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コバトン

南朝を支えた北畠氏の拠点 (2021/11/27 訪問)

北畠氏の本拠地である多気盆地を守る詰城。伊勢と吉野を繋ぐ街道を見下ろす位置にあり、まさに南朝を守護するための城である。津から電車で1時間半くらい。比津駅で降りて比津峠に向かって歩くと道路脇に登城口が見えてくる。恐らく絡め手であり急な道が続くが、登り切ると開けた曲輪になり堀切を超えて本丸に至る。本丸からは吉野に続く山々が見渡せ、非常時にはここから兵を送り込むつもりだったのだろう。南北朝時代の武将は打算的で本心から南朝に従っていた者は少ないが、北畠家の南朝への忠誠心がうかがえる。帰りは北畠神社の裏手に降り、北畠氏館跡庭園を見学して帰路についた。

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koyuki

歴史記念館も天守閣も入場無料です (2021/11/28 訪問)

土塁、土橋、堀などよく残っています。堀の中を歩けるのがよいです。
模擬天守ですが、石垣が見事。
刀劇隊による岩崎城の戦いをもとにした演武もみられました。

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カズサン

古代山城・南門と周辺編 (2011/07/16 訪問)

 平成23年7月中旬、西門から南門に向かって土塁上遊歩道をアップダウンしながら南門へ、南門は発掘調査され整備途中の様子でした、途中、周辺の石垣を含めて写真投稿させて頂きます。
 携帯電話の圏外マークが出て南門から引き返した苦い経験が有ります。西門まで戻ってホッとした思い出も有ります。
 素晴らしい古代城郭山城です、今後も保存整備を宜しくお願い致します。

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カズサン

古代山城・敷石、版築土塁、高石垣塁編 (2011/07/16 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、古代山城鬼ノ城を初登城し復元修復された版築土塁、高石垣塁、鬼ノ城での初発掘遺構、敷石など余りにも素晴らしく圧巻でしたので「敷石、版築土塁、高石垣塁」編で写真投稿させて頂きます。
 鬼ノ城は記紀に記載のない古代城郭として知られてますが復元整備の古代山城としては初の快挙です。総社市の教育委員会文化財課?の頑張りに感謝です。

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カズサン

古代山城・西門、角楼編 (2011/07/16 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、近年発掘調査復元整備され且つ継続中の古代山城の鬼ノ城を初登城も吉備の国城廻りも今回の一大イベント、朝靄の中を備中国分寺五重塔を探訪撮影した後に鬼ノ城の鬼城山ビジターセンター駐車場に進路を取り狭い山道を登り同駐車場を利用、広い駐車場で余裕が有ります。
 ビジターセンターは素通りして遊歩道を写真で良く観ていた版築土塁の西門を目指す、山道を15分から20分位で角楼、西門に到着、途中の山道から遠望出来ましたのでワクワクドキドキの道程、初対面の興奮状態観察撮影でした、7月中旬夏盛り兎に角暑く汗だくだくでした。
 南門を向かってる時は気分も高まりイケイケでしたが携帯電話を見ると圏外表示、急に熱中症で倒れたら助けを呼べないとの思いが増して来て南門を観察したあたりから引き返しました、屛風折れ石垣を観察、探訪出来なかった事が残念です。
 西門、角楼の写真投稿致します、続き2で敷石、版築土塁、高石垣塁編、続き3で、南門、石垣編と三回に分けて投稿させて頂きます。

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POYO58

石垣がすごい! (2021/12/26 訪問)

この城は大半が公園なっていました。しかし、巨大な右垣が残っていました。この城は関ヶ原の戦いで成果をあげた奥平氏の城です。

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POYO58

斎藤道三の山城 (2021/12/26 訪問)

斎藤道三が居城していた山城です。ここには、長良川の戦いで戦死した道三の慰霊碑があります。

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じゅんじん

静岡市街一望 (2021/12/21 訪問)

3年前途中断念した安倍城へチャレンジ。麓の洞慶院から上りました。約1時間で主郭に到着。やはりきつかったー。でも景色最高でした。山城シーズンの開幕戦でした。

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POYO58

続き (2021/12/26 訪問)

写真を追加します。発堀された石垣の写真も載せました。

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キンヤ

現存の櫓門・巽櫓があり、今は高校となる城 (2021/11/21 訪問)

8年ぶりに行きました。
現存の櫓門・巽櫓のライトアップを見る為、夕暮れ時に行きましたが、残念ながらこの日はライトアップされていませんでした。

今は高校の敷地で、現存の櫓門・巽櫓がある所に通えるとは、お城好きからすると羨ましいです。

暗い中でしたが、櫓門・巽櫓共に美しい姿でした。

その直ぐ北側にある南丹市国際交流会館は天守閣風の建物です。
この西側の小麦山には、かつて園部城の三層櫓があったそうなので、三層の模擬天守にされたのですかね。

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POYO58

1年ぶり!寒すぎー! (2021/12/26 訪問)

1年ぶりに岐阜城に訪れました。天守は前行ったときと変わらずカッコいい。石垣も綺麗でした。
岐阜城は斎藤道三の城でもとは稲葉山城という名前でしたが、織田信長がこの城を拠点にし岐阜城と名付けました。
斎藤道三は息子の斎藤義龍に敗れ命を落とします。その後斎藤義龍が病死し、斎藤龍興が城主となります。そこで織田信長は豊臣秀吉が築城した墨俣一夜城を拠点にして稲葉山城攻めをしました。その結果織田信長が城主となりました。
展望台からは大桑城が見え、斎藤道三と土岐頼芸が睨み合っていたのも想像できます。
行き方ですが、まず、ロープウェイに乗ります。その後20分ほど歩くと模擬天守に着きます。
明智光秀が好きな人もここに行くのはおすすめです!
また黄金の信長像は岐阜駅の前にあります。

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赤い城

金沢八景駅からすぐ近く (2021/12/19 訪問)

京急の金沢八景駅から西に徒歩で数分。
EXPO前に立ち寄りました。
遺構はほとんど残っていませんが六浦藩主の米倉氏の末裔がお住まいという民家に石段が残っています。
敷地内には入らないようにしましょう。

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todo94

城カード櫓シリーズ (2021/11/13 訪問)

有料の駐車場に車を駐めての攻城は今回が初めてです。明石駅至近ですのでJR利用がベストかと思います。カードになっているのは坤櫓です。巽櫓より天守台に近いから選ばれたのでしょうか。この日はイベントが開催されていてなかなかの賑わいでした。

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カズサン

【備中国分寺】岡山県総社市 吉備薫丘の五重塔 (2011/07/16 訪問)

 前日、ねねの兄木下家定の足守陣屋、備中高松城、撫川城、庭瀬城を終えて吉備の中心的宿、国民宿舎サンロード吉備路に宿泊、以前から写真集などで目に焼き付いていた備中国分寺、四季夫々の写真で景観を見て居りましたので是非とも探訪写真撮影したいと、今回の吉備の城廻りに入れ込みました、鬼ノ城登城前で朝食前の朝5時起きで備中国分寺を訪ねました、国民宿舎から直線で約1km程の既に五重塔は見えて居り、気分は興奮状態、朝靄の中カメラを持ってぶらぶら歩きながら撮影、約1時間半国分寺内外見て廻りました。
 吉備の国の遺跡の詰まったエリア、備中国分寺、古墳、神社、寺院、城跡が詰まり、北九州、大和、出雲と競う古代国家吉備を彷彿させるロマン薫、吉備の里です。
 備中国分寺五重塔を中心に撮影写真を投稿致します。

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まーやん

埴生城址(京都府南丹市園部町埴生中西付近) (2021/11/03 訪問)

丹波平定の代償となりし城‼️というセンセーショナルなキャプションの幟旗に出迎えられ埴生(はぶ)城址に登ってみた。
埴生城は光秀の丹波平定に協力した野々口西蔵坊の居城で、篠山に向かう街道の宿場町に近接した山城であり、江戸時代も山上に政庁機能が置かれたままの珍しい城だったようだ。
本能寺の変について書いた本城惣右衛門覚書は配下の武将本城氏が著したことで知られている。
埴生城へは、地域の消防団詰所前の駐車場に車を置き(ただし消防車の車庫前は駐車禁止)、最福寺に向かって歩き、本堂に向かって左側の墓地との間の小路を進み蛇ヶ谷川という小さな川を渡ると登れる。
近年、野々口氏の末裔や地域の住民の方が整備され、登山道や曲輪跡が分かりやすくなっている。
埴生城は街道に向かって三段の曲輪の構えで後背地を大堀切で遮断している。主曲輪付近には多くの石垣跡が見られ眺望も亀岡盆地から篠山方面に向けよく開けている。たった15分程で上がれるのでお得感満載だ(笑)
丹波の各城跡では御城印を盛んに作っており、国道372号沿いの讃岐うどんさか栄で販売されている。(もちろん、うどんも美味‼️)
具体的な場所はあまり分からなかったが、光秀vs波多野の激戦地である血に染まった八田川というのは国道372号を篠山方面へ進むとすぐの場所にある。

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