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朝田 辰兵衛

お城EXPO 2022(前夜祭) (2022/12/16 訪問)

大雪で帰路が大変でした…。それでも,無事にたどり着いたことをご報告します。
今回は,抽選でハズレましたので,戦利品はありません。
また,平山優先生は,持ち時間1時間のところ,2時間分の講義内容を準備してしまったということで,後半は随分走っていたように感じました。“どうする”というワードも前半に1回か2回しか飛び出しませんでした。「遠州忩撃」がテーマで,今川も松平も,その後はなるべくして…という展開でした。紹介できるのはこのへんまで。

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にのまる

平泉世界遺産ガイダンスセンター (2022/11/27 訪問)

3年前に初めて訪れた際にその別世界ぶりにすっかりはまってしまっていました。今回は旧柳之御所資料館がリニューアルされた「平泉世界遺産ガイダンスセンター」入館を楽しみに行きました。

金ヶ崎から電車移動した平泉駅でレンタサイクルを借りることも考えていたのですが、行列ができていたので歩くことに。伽羅御所推定地を通って向かいました。前回こちら(南)側は整備中で少ししか入れなかったので、完成した巨大な堀跡に思わず感嘆の声を上げてしまいました。秀衡時代の堀跡を復元した区画は全体のほんの一部ですが、丁寧な説明板を読みながら歩いているとイメージがどんどん膨らんできました。

ガイダンスセンターはとてもスタイリッシュな建物です。シンプルさと重厚さを兼ね備えた外観は風景とも違和感なくマッチ。まだ新しい館内は設備も最新で、半円筒形のプロローグシアター、奥州藤原氏デジタル絵巻、ジオラマや出土品、模型や再現品など、文字解説だけでなく様々な方法で平泉の歴史を学ぶことができました。写真撮影もほぼOK、入館も音声ガイドの貸し出しもすべて無料です。つまりとても感動しました。

ガイダンス施設を出たあと史跡公園内をぐるっとまわって再現された施設を見て、無量光院跡、高館義経堂を経て中尊寺に向かいました。義経の最期の地である高館義経堂は11/21~3/14まで冬期拝観休止のため階段の下までしか行けませんでしたが、また行く楽しみ(楽しみと言っていいのだろうか?)ができたのでOKです。

1988年からの発掘調査の記録や研究がまとめられた「奥州藤原氏と柳之御所跡」(平泉文化研究会編・吉川弘文館)がとても興味深い内容で大変勉強になりました。

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小城小次郎

航空写真で見ると・・ (2022/06/26 訪問)

航空写真で見るとたいそう立派な近世城郭に見えるのだが現地に立つと堀は浅いし土塁は低いしでそのギャップにしばし呆然とする(期待したこちらがいけないのだが)。堀秀政に仕えた奥田(堀)直政を祖とする村松藩堀家の居城。

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T-Shionoya

お城EXPO 2022 (2022/12/18 訪問)

今年もお城EXPOへ!!

大和郡山城のブースには本物の転用石。
企画展では築城から地図作りに至る測量技術が特集されており、最初に経線と緯線を記載した長久保赤水は静岡県の長久保城城主の末裔ですね。
超ミニチュア模型の1つは泉頭城。カワセミを見に何度か行た柿田川公園ですが、今度はこれをイメージして歩いてみようかな~。
大桑城のセミナーに参加すると、今年発掘された石垣のミステリーが熱いらしい。そして最後に中井均先生と春風亭昇太師匠が登場するサプライズ。

行ってみたいお城が、いくつも増えてしまった1日でした。

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ぴーかる

小室城 (2022/11/12 訪問)

【小室城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑の後ろ側<35.458736, 136.306725>に1台くらいのスペースあり。
<交通手段>車

<感想>近江小室藩(1万石ちょっと)は1619年に備中松山から転封した小堀遠州を初代藩祖として立藩し、遺領を継いだ次男の小堀正之が1648年に小室陣屋居館を築きました。第6代藩主の小堀政方の時に田沼意次派だったことに目をつけられ、1788年不正発覚の為に改易、小室藩は廃藩となります。居館や家臣の建物は競売にかけられ土地は畑に使用することになりました。
 南東方向4㎞程離れた場所に小室陣屋移築陣屋門があり先にここを訪れました。居館跡には特に遺構は残っておらず、城跡碑が2か所と森になっている居館部分と南側の竹藪との曲輪段差は何となくわかります。陣屋跡の東側に小堀遠州の重臣であった和田宇仲という人の居館跡があり清冷といわれた和田宇仲池(石組井戸)が残されています。茶人小堀遠州もここの水を使って茶をたてたかもしれません。

<満足度>◆◇◇

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赤い城

尾根に堀切 (2022/12/10 訪問)

西吾妻福祉病院の駐車場に停めさせて頂きました。
駐車場の端の方に小さな案内板があり、道なりに下って行きます。
案内板に従って進むとまずは堀切に当たります。
その堀切からさらに進むと鉄塔が建ち、その先に石碑がありました。
主郭と思われますがそんなに広くありません。
東側に一段降りると腰曲輪がありました。
主郭南側にも堀切があり、両サイドは竪堀となって落ちています。
その先にも曲輪がありますがここもそんなに広くありません。
尾根上に曲輪が直線に並ぶ城で海野原の戦いや長野原の戦いの舞台にもなりました。
羽根尾駅からも徒歩で行けるようです。
こちらはかなり登るかな?

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カズサン

桜装う松前城でした (2003/05/02 訪問)

 松前城は幕末に築城された五島列島石田城(福江城)と共に日本式の城郭として福山館改修築城されてた城郭です、幕命で安政元年(1855年)築城し北方防備の任を担う、戊辰の役函館攻防では幕府軍と新政府軍との攻防がりました。
 松前氏の悲願の築城でしたが翌安政2年松前領は幕府領となり陸奥梁川に3万石で転封。維新後三階櫓と本丸御殿、本丸御門が残されましたが昭和24年(1949年)類焼に三階櫓は焼失、昭和35年に三階櫓は外観復元再建されています。

 19年前の5月連休、青森弘前城初探訪の後の翌日、弘前より特急北斗に乗り初の青函トンネル通過し函館駅へ、レンタカーで松前城へ直行し1日費やしました。
 車はその当時松前城3の丸辺りの駐車場に駐めた様に思います。

 探訪は二の丸より本丸御門、三階櫓見学探訪撮影、三階櫓登閣、本丸御殿の唐破風屋根玄関、内堀からの三階櫓探訪、復元されていた台場、搦手二ノ門、三本松土居辺り、二の丸三の丸の堀と土塁と回り、桜も満開、多品種の桜が咲いてる桜園も見学、見事なりものです、後松前藩屋敷、郷土資料館と回りました。
 松前城は中学時代に認識し北海道の松前城を何時か行きたいと思って居りながら40年後の50代の半ばに家内と飛行機を使って弘前城、松前城、五稜郭廻りで松前城初登城叶う事が出来ました。遠いので中々行けません。

 松前城、満開の桜を充分堪能して函館へ途中には小学校時代の横綱千代の山(その当時横綱は鏡里、吉葉山、千代の山、栃錦の4横綱、後に若乃花が入れ替わり、栃若時代の小学生でした)の記念館が有り寄り、トラピスト修道院にも寄り、夜は赤レンガ倉庫街散策と夕食、ファイナルに函館山で函館の夜景を眺める、写真で見てましたが臨場感も有り絶景に大満足でした。
 
 投稿写真はフィルムカメラ主体の時代でしたので予備のコンパクトデジカメに残っていたわずかな写真を投稿します。
 
 

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イオ

とことん一乗谷(山上御殿群) (2022/11/19 訪問)

一乗谷城は一乗谷の東側に聳える一乗城山の頂部に築かれた山城で、朝倉館の詰城にあたります。築城時期は不詳ながら室町中期には史料に見られ、朝倉氏の本城として一乗谷の繁栄を支えましたが、織田信長の侵攻を受けて朝倉義景は大野郡に落ち延び、一乗谷は焼き払われ、一乗谷城も廃城となったようです。

この日は一日かけてとことん一乗谷をめぐる! ということで、一乗谷史跡公園センターの駐車場に車を駐めて、馬出ルートからまずは一乗谷城を目指します。住宅地の先の八幡神社の麓に馬出ルートの案内表示があり、案内に従って進むと登山道入口の脇に馬出の石垣がみられます。馬出ルートは大手道とされ、出城にあたる小見放城を経て山上御殿群と呼ばれる居住区域に至りますが、道中には首を切られた石仏や岩壁に線刻された磨崖仏、石板に彫られた狛犬などが点在し、宗教施設の存在を感じさせます。

登山道入口から約40分で山上御殿群に到着。千畳敷跡の下段には不動清水と呼ばれる水場があり、不動明王の石仏の足元からこんこんと水が湧き出しています。千畳敷跡は本丸とも呼ばれる城内最大の曲輪で、大きな建物礎石が多数現存し石製の鬼瓦や棟瓦も発見されていることから、山麓の朝倉館に劣らぬ巨大な御殿が建てられていたと考えられます。千畳敷跡に南接する観音屋敷跡と観音屋敷跡上段の赤淵神社跡は、一乗谷城には珍しく土塁で方形に区画された曲輪で、観音屋敷跡の中央部には建物礎石が見られる土壇があり、建物の存在が想定されます。千畳敷跡には多数の破壊された石仏が集められていますが、観音屋敷跡や赤淵神社跡にはその名の通り宗教施設が設けられていたのでしょうか。観音屋敷跡南西隅から宿直跡に続く通路には石垣を施した土塁による虎口が設けられています。宿直跡からは一乗谷越しに福井平野を見渡す眺望が開けていますが……電線が邪魔! かなり近くを走っているため、どのアングルから撮っても電線が入ってしまいます…。宿直跡を見下ろす月見櫓跡にも登ってみましたが、ほぼ自然地形で雑木林と化していました。

山上御殿群北東の尾根は居住区域の防塁の役割を果たしており、尾根上にいくつかの曲輪を配し、堀切(切通)で尾根を分断し、尾根の外側(北東下)には一乗谷城の特徴であるおびただしい数の畝状空堀群が設けられています。下城戸・三万谷ルートに続く切通道を抜けたところに説明板があり、そこからも数条の畝状空堀が見えていますが、もっとあるはずだと畝と堀を乗り越えながら進んでいくと、あるわあるわ、藪化していたり浅くなっていたりでわかりづらい点はあるものの、これまでに見たことのない光景が広がっていました。さすがは一乗谷城で一番の見どころと言われるだけのことはありますね。畝状空堀群の効果を実感(横移動が大変!)しながら切通道に戻って、下城戸・三万谷ルートを下って行くと小さな曲輪があり、その下には空堀(と切岸)が掘られていました。登城道の片側だけなので堀切とは言えないにせよ、防衛施設のひとつではあったようです。

ここで切通道まで引き返して、今度は南東にのびる尾根上の連続曲輪群に向かいます(続く)。
 

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侍ホリタン

但馬の名城を訪ねて① (2022/04/28 訪問)

駐車場は出石町柳の交差点(谷山川の橋を渡った所)に有る駐車場が少し安いです。城跡から徒歩10分圏内です。ただし無人で駐車場番号に対応した賽銭箱にコインを入れるタイプなので小銭を用意しておく必要があります。御城印は出石観光案内所にて販売されていて背後にある有子山城の御城印も同時購入できます。

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城巡り500城

お城EXPOの帰りによりました (2022/12/18 訪問)

周りはビル、一戸建てばかり、良く残りましたさすが横浜市案内もきちんとしています年に一回やるお城EXPOの帰り会場から高島まで歩き地下鉄で行けます降りて10分位

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にのまる

安倍氏一族の拠点 (2022/11/27 訪問)

以前、胆沢城に行った際に時間がなくて後ろ髪を引かれつつ諦めた場所です。金ヶ崎城から徒歩で向かいました。
埋め戻され地下に保存されている沢、堀、掘立柱建物、竪穴建物跡を想像しつつ広場の中を歩きました。それが現代の景色であったとしても自分の目で見て焼きつけた場所はその後書籍などで触れた際に理解の助けとなってくれます。
金ヶ崎駅に教育委員会作成のパンフレットがありました。

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三浦の晃ちゃん

珍しい円郭式城郭 (2022/12/18 訪問)

今は、隅櫓があります。内部には、無料で入れます。

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POYO58

続日本100名城スタンプ巡り No.3 国吉城 本丸編 (2022/12/03 訪問)

突如タイトルを変更させていただきます。スタンプ帳はいよいよこれで三つ目となりました。ただ12月11日に田丸城に行ってきたので現在は4個です。また松阪城も再攻城したため、日本100名城も4個になりました。
本丸の主な遺構:石垣、虎口、土塁、堀切
さあ本丸へ向かいましょう。本丸の手前には土手があるので整備された坂道を歩きます。坂道の入り口にはかわいいお地蔵さんがお迎えしています。手を合わせて出発!ここもくねくねの道でした。結構降りるのがきついので気をつけて。
3分ほど登ると本丸虎口に着きます。本丸虎口は枡形になっていて行手を阻む最終手段です。本丸虎口の周辺には石垣が少し残っているため枡形虎口がはっきりとしています。虎口を通ると本丸が見えてきます。本丸には大正時代に築かれた石碑が立っています。本丸からは佐柿の町や若狭湾を望むことができます。
ただまだ終わりではありません。もう一つ見どころがあります。国吉城の本丸にはかつて櫓があったそうです。その櫓台の土塁がわずかに残っています。本丸からはあまりわからないですが、おそらく本丸の外側から見れば分かると思います。また櫓台の上に立つと堀切が見えてきます。二重堀切でしょうか?見た感じそうに見えましたが、正確にはわかりません。

国吉城は石垣と堀切を融合させた城だと思いました。朝倉氏の侵攻に10年も耐え抜いた歴史もあり、歴史のロマンと堅固さを感じるお城でした。

評価
遺構★★★
全体★★★

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カルビン

訪問しやすさが100名城の決め手? (2022/11/26 訪問)

増山城・二塚城攻略から前田利長公像×2と廟所を経由して高岡城に行きました。

路面電車を利用したので攻略は北側から入り、この日3人目?のヅラの高い前田利長公の騎馬像から射水神社参拝、唯一残る石垣土橋を見つつ水堀をお腹いっぱいになるまでこれでもかっ!って言う程見学致しました。

以前訪問した際は博物館が閉館で100名城スタンプ押せないのか・・・と一瞬絶望しましたが、入口脇のBOXにスタンプがあった事で事無きを得た記憶がフラッシュパックしました(汗)
この日は開館しておりましたので、8年前の自分に絶望する必要はなかった・・・と言いたいw

三ノ丸茶屋では御城印も入手出来、昔の高岡城のジオラマも見る事が出来ました。


規模だけ見れば100名城文句なしなのですが、多少高低差あるものの基本平城なので、石垣が明確に残っているのが土橋1ヶ所だけなのがちょっとパンチ力不足かなぁ。。。という感じです。
個人的には富山の城ランクは増山>高岡>富山かなぁ・・・と。。。但し個人的にはまだ松倉城を見ていないので、更に評価変わる気がします。
ただ100名城の選定に関しては訪問しやすさも項目にあったようなので、高岡城が先に選ばれたのかもですね(富山城も100名城候補だったと書いてあったので)


この日初めて新幹線の[つるぎ]号に乗ったので、新幹線制覇したー!と思ったら・・・長崎新幹線忘れてましたorz

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ぴーかる

横山城 (2022/11/12 訪問)

【横山城】
<駐車場他>駐車場はなし。桜神社の脇<35.387453, 136.326473>にスペースあり。
<交通手段>車

<見所>堀切・土塁
<感想>横山城は1561年に浅井長政が六角氏からの防衛拠点として築きました。浅井長政は織田信長と手切れになった時には小谷城を守る前衛の重要な城となりますが、姉川の戦いの後に信長に攻略されて信長は城番に木下秀吉を置きます。浅井氏滅亡後は秀吉の領地となりますが秀吉は長浜城を築いたので廃城となったようです。
 登城口の日吉神社の手水舎の横に2台程駐車場所がありますが知らずに上記場所に駐車し石田三成屋敷跡碑と産湯井戸を巡り登城した。城跡までの距離は1.2㎞程で、ハイキング道になっていますので登り易いです。一応縄張り図的に北城と南城に分かれてはいますが曲輪続きになっているので説明時の識別程度でよいでしょう。
 日吉神社からのルートは北城の西側から入ります。まず土塁があり次に大きな堀切があり見応えあります。北城主郭山頂は狭いが琵琶湖側と伊吹山が間近に見えて眺望が抜群です。北城の主郭から北の下段の曲輪はかなり大きいようなのですが笹薮が酷くて勿体ないです。北城から南へ鉄塔のある曲輪、谷を降りて鞍部の曲輪群、南城主郭は土塁・井戸・梵鐘堂があり姉川合戦の死者慰霊で誰でも撞くことができますので1つ撞かせてもらいました。南城主郭南側は高い切岸・堀切で遮断していて防御されています。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

桜と岩木山も映える初弘前城 (2003/05/01 訪問)

 弘前城は天守閣、三層櫓の二の丸辰巳櫓、未申櫓、丑寅櫓、二の丸櫓門の南内門、東内門、三の丸櫓門の東門、追手門、北の丸櫓門の北門・亀甲門が現存で残る津軽氏の城郭です。
 19年前の5月連休に、弘前城、松前城、五稜郭の三城廻りで家内と出掛けました、羽田から青森空港、レンタカーで弘前城へ駐車場は連休でどこも満車状態で訪ね訪ねて弘前工業高校辺りの臨時駐車場をやっと利用。
 
 探訪ルートは駐車場の弘前工業高校から近い西濠の西の桜道を北に散策、内北の丸の南東角から、内堀越しに天守閣を眺め、本丸搦手より本丸へ本丸の枝垂れ桜は満開、染井吉野桜は葉桜に近い、花見客で一杯、天守閣を内から眺めて、登閣、岩木山も晴れて良く見える絶景です、元天守台へここには五層の天守閣が在ったそうですが落雷で焼失、後の文化7年(1810年)に本丸辰巳櫓を改修し御三階櫓として天守代用にしたそうです、本丸北西の戌亥櫓跡など本丸を巡り南の角馬出、下城橋辺りから天守を眺めて撮影、人が多い、絵になるビュースポットですが染井吉野桜は散り今一に写真、枝垂れ桜の満開を入れて撮ったり眺めたり、南内門を通り三の丸側から二の丸未申櫓、辰巳櫓を撮影見学、二の丸東内門、三の丸東門を抜けて、三の丸東側外周の外堀を北へ、北の丸の北門、亀甲門を通って北の丸へ入り二の丸丑寅櫓見学撮影、二の丸を通り天守閣を再び眺めて、南内門、追手門を見学撮影し、近くの観光館で家内とツーショット写真が撮れなかったのでプリクラを弘前城天守桜満開の写真をバックに撮影、今でも記念の写真に成って居ます。
 弘前城初登城で桜に岩木山も観れて弘前城の現存建物も全て観れて大変満足の探訪でした、写真はフィルムカメラ主体で予備のデジカメに残っていた数少ない写真から投稿します。

 夜はホテルで食事をした後、津軽三味線のライブをやってる店に出向き。津軽三味線の腹に沁み込むような演奏を堪能しました。
 翌日は青函トンネルを初めて通って北海道入り。
 

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零汰

岩倉城 (2022/11/04 訪問)

極上の小堤城山城で興奮した後は、最高所から尾根続きで訪問出来る岩倉城は如何でしょう。そこには当時のままと思わせる風景が広がっています。

訪問参考データー:2時間:4.1km:累計高低差265m(小堤城山城も含める)

小堤城山城の最高所から東へ直線距離で300m程に位置しています。城域周囲に土塁を施し、桝形や大手、所々に石積も見ることが出来ます。北側の突き出した場所はおそらく物見でしょう。
特記すべきは城域の中に枯れることのない池が存在する事です。神秘的と言うより少々恐ろしくもありました。

小堤城山城を堪能したら、岩倉城にも足を延ばしてみては。

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赤い城

畑の中に (2022/12/10 訪問)

嬬恋郷土資料館から徒歩で行けるようですがちゃんと下調べせずに訪問した結果、東側の竪堀っぽい部分を直登することに。
かなり急、城に行く際の事前準備の重要性を実感しました。
登った先には曲輪と思われる削平地。
さらに進むと二の丸の堀切に。
二の丸や本丸は畑になっていました。
本丸には碑と説明板が立っています。
海野氏一族の鎌原氏が築城し、戦国時代には斎藤氏と争奪戦が繰り広げられました。
結構な崖の上にある要害、落ちたら確実に・・・。

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いんげん丸虫

いろんな名前 (2022/12/10 訪問)

9年前に宇都野城の名称で認識していて、今回再訪
して同じ城だと気付きました。
城びとさんでは鳩ヶ城、現地看板は鳩ヶ森城となっ
てますね。
戦国当時はよほどの有力者でないかぎり、城の名称
を公に広布などしなかったのかな。急ごしらえの砦
や村人達が隠れる城など、後世の人が地名や神社、
築城者、伝承などからつけたのが多いようですね。
入口の看板と本丸の看板で全く違っていたり、読み
が同じでも漢字が違ったり...

市指定史跡。段丘上に築かれた平山城です。
大きな空堀で区画されていて曲輪には土塁が巡って
います。登城口に案内看板があり駐車可能なように
道路も広くなってます。

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にのまる

お城expo2022 (2022/12/17 訪問)

すれ違ったかもしれない方々、お疲れさまでした。
なかなかの盛況ぶりでしたね。
本日参戦し、無事、予定の品々をゲットしてまいりました。
城カードホルダーは長持ちしてくれそうな素材で、紺地にゴールドのデザインがステキです。最大収納枚数は60枚。私はまだ10数枚しか持っていないので余裕です。
国宝5城の入浴剤はそれぞれすごくよく考えられた色と香りです。中でも彦根城の焼肉のタレの香り‼︎楽しみです😆
厳選プログラムは平山優先生の講演を拝聴しました。内容については書けませんが、三河一向一揆について、頭の中で絡まってしまっている紐の結び目をひとつひとつ丁寧に解いてくださるようなお話で、参加してよかったです。

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