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零汰

勝尾城筑紫氏遺跡に入れてもらえなかった城・・・勝尾城東出丸:佐賀県鳥栖市 (2022/10/20 訪問)

先に投稿した若山砦から北北東方向、直線距離500m程、標高319mの位置に勝尾城東出丸があります。惜しくも勝尾城筑紫氏遺跡の範囲に入れて貰えなっかた城跡です。そんなマイナーでローカル城にもちゃんと遺構は残っています。そんな山城跡を訪問するのは大好きです。情報は城郭放浪記さんです。

参考訪問データー:1時間:1.4km:累計高低差190m

若山砦の駐車場から北に移動すると三差路(ルートマップ右側周辺)があり、右手に橋、その手前に広い空スペースが有ります。そこに停めて左の山に取り付きました。こちらは殆ど直登です。遺跡範囲に入れて貰えなかった原因は城に行くまともなルートが無かったからだと勝手に想像しています。

尾根は歩き易いので其方を進むと鞍部の曲輪が現れて来ます。そこには浅い堀切がありました。そのまま踏跡を進むと曲輪が見えてきます。150mx40m位でしょうか、東西に長い範囲で北側が崖となっています。そこには曲輪以外に土塁、浅い堀切、浅い竪堀(多分)など一揃いしています。

勝尾城筑紫氏遺跡関連は、こちらを含めると8城の城跡が有ります。私は3回訪問で1城残っています。(鏡城は現在林道崩落で進めませんでした)その気で訪問すると1日で廻れる様な気がします。何方か是非如何でしょう。

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いんげん丸虫

泉城 栃木県矢板市 (2022/12/10 訪問)

南北に約260mx40mの丘陵上にある城跡です。
主郭は陽の光も差し込まないような凄い竹藪で
すね。土塁が周ってます。
あまり期待しないで訪れたのですが、北には大
きな横堀などしっかりとした遺構があり嬉しく
なりました。
南や東の適当なところから登れます。

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赤い城

連続竪堀、連続空堀など見どころ満載 (2022/12/10 訪問)

ここは行った方が良い城です。
松井田バイパスから案内板に沿って進むと大手道の登城口の駐車場に着きます。
登城口に小屋があり、パンフレット、杖、動物(熊)避けの缶の蓋が置いてあります。
杖はあまり必要無いですかね。
登城口から進むとすぐに土塁や空堀で期待値大です。
どんつきの分岐を右に行き、まずは連続竪堀を目指しました。
大手道を進み堀切をさらに進むと連続竪堀がありました。
6条あります。
写真も上げますが肉眼でないと迫力は伝わらないかな。
引き返し本丸へ。
本丸から二の丸を超えて連続空堀へ。
ここも見どころ、かなりの防御力になると思います。
さらに本丸へ引き返し安中郭方面へ。
安中氏の時代のもので武田氏に攻められた部分です。
こちらにも堀切や空堀が見られます。
さらにS字状空堀(ここは立入禁止)、水の手を経て登城口に戻りました。
この日は駆け足での攻城でしたが時間をかけてじっくり見たい城でした。
地元の方の整備にも感謝です。

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todo94

白山市内 (2022/11/26 訪問)

鳥越城と同じ白山市内の城ですが、結構距離はあります。林道を進んでいくと路傍に説明板が建っており、すぐに土塁に囲まれた主郭にたどり着くことが出来ました。

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ぴーかる

疋壇城 (2022/11/27 訪問)

【疋壇城】
<駐車場他>愛発舟川の里駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>横堀・石垣
<感想>疋壇城は文明年間(1469~1487年)に疋壇対馬守久保によって築城されました。この地は古くから複数の街道の集合地点で愛発関(あらちせき)があったといわれる場所で疋壇城は朝倉氏の国境の城としていました。織田信長の金ヶ崎城進攻時に落城、刀根坂の戦いで再び落城し廃城となったようです。国道8号線そばにある戦国武将の墓は国道建設時に出てきた刀根坂の戦いで戦死した武将の墓といわれています。
 城跡は大半が畑や畑跡の荒れ地になっていますがいい石垣遺構が残っています。主郭部の東西それぞれに大きい横堀があり西の横堀は腰巻石垣、東の横堀は上方半分の主郭切岸部が全面石垣になっています。主郭部の櫓台石垣は長方形の段状になっています。主郭部中央に溜池、城跡の北側の虎口横に石組井戸が残っています。主郭部の南の南丸となっていた場所は小学校跡になっていてここから南側は遺構が潰されているようです。石垣遺構が多く残された見応えあるいい城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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零汰

勝尾城筑紫氏遺跡のうちの一城 (2020/11/29 訪問)

昨日に引き続き勝尾城筑紫氏遺跡のうちの一城です。2年前に訪問したのですが、昨日若山砦を投稿したのでその流れで投稿します。

参考訪問データー:1時間35分:2.5km:累計高低差260m

標高290mの多くの自然石が散見している場所を主郭としており、東に4段程の曲輪、西にも4段程の曲輪、さらにその先には2本の堀切が確認出来ます。南にも横堀と竪堀で遮断して離れた場所にも一つ曲輪が有ります。主要部は東西に200m、南北には50m程度でしょうか。

ルートマップ右側の駐車場からは途中迄は葛籠城とルートが同じです。途中で道が分岐していて右手は関係者以外・・・の看板が立っています。そのまま西に進んで行きましたが途中城域から離れていく様でしたので最接近した場所から直登しました。後から地図を見てみるとそのまま進んで行っても行けそうな感じです。帰りは北側のルートを歩くと関係者以外の看板の場所に出てきました。

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イオ

立体感のある縄張 (2022/11/27 訪問)

高野街道、大沢街道、和泉道が交差する交通の要衝に位置する烏帽子形山の頂部に築かれた山城で、楠木正成築城の楠木七城のひとつとされますが、史料上は室町中期の畠山氏の内紛の際に登場するのが初見で、その後、三好氏と畠山氏の攻防戦の舞台となり、織豊期には河内キリシタンの拠点となりました。現在見られる遺構は羽柴秀吉の紀州攻めに際して中村一氏が改修したもので、紀州平定にともなって放棄され、江戸初期に廃城となったようです。

城跡は烏帽子形公園として整備されており、南西麓の公園駐車場に車を駐めて登城開始。主郭に向けてまっすぐ登るルートもありますが、西側のお弁当広場にある登城口から登城しました。遊歩道を5分ほど行くと西尾根に設けられた堀切に到達。ここからが城域のようです。

堀切を越えて南北に走る横堀の堀底を進み、横堀は南端で東に折れてさらに続いています。少し行ったところで堀底道は北と東に分岐して、北は主郭西側の横堀、東は腰郭の南側から東側に回り込む横堀として続いています。南側の横堀からは発掘調査により堀内障壁(障子堀のようなもの)が検出しており、堀底道を進む敵を腰郭や土塁上から狙い撃てるようになっています。堀内障壁について書かれた説明板のあたりで横堀は南側に分岐して二重になり、内側の堀底沿いに東側に回り込んだ先には横堀を喰い違わせて設けた虎口と土橋が架けられています。虎口から腰郭に入る前に、東側斜面を底部まで下りて見上げると、相当な高低差の斜面に二重に横堀と土塁がめぐらされており、とても攻め込めそうにありません。さらに北東にのびる尾根にも堀切が設けられていて、備えは万全です。

腰郭からは先ほど通ってきた南側の堀底道がよく見渡せ、ここから狙い撃たれたら虎口まではまずたどり着けそうにありません。腰郭の北西上段が主郭で、南北に細長い曲輪内からは発掘調査により二棟の礎石建物が確認されています。主郭の北側は堀に替えて急峻な切岸で守られており、切岸の上からは眺望が開け、楠木七城の他城に加えて畠山氏や三好氏の居城が見渡せる絶好の立地であることが実感できました。

主郭と腰郭を横堀と土塁で囲んだだけのシンプルな構造ですが、横堀は深く幅広く、土塁は高く分厚く、東側は高低差を活かして防衛ラインを構築しており、平面図ではわからない(わかりづらい)立体感のある縄張の城でした。このとんでもない土木量はスーパーゼネコン秀吉組ならではでしょうか。じっくり見て回っても1時間もあればひとめぐりできる小さな城ながら、見応えは充分すぎるほどでした。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー54城目 (2022/11/26 訪問)

土砂災害により登城できなかった分、スタンプ置き場の鳥越一向一揆歴史館の映像をじっくりと視聴させて頂きました。一向宗内部の抗争が分かって面白かったです。どこの歴史も一筋縄ではいかないものだと痛感いたしました。人の欲のなせる業かと思います。

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朝田 辰兵衛

旧城寺表記で統一させていただきます。 (2022/11/27 訪問)

この日のラストは榎下城。ここで日没を迎えるのは,気持ちのイイものではありません。私は南側から西側へ廻り潜入しましたが,北側からだとすんなりアクセスできそうな感じがしました。
墓地のほうまで進んでいくと,左側に「山田右京之進城跡碑」のパネルに遭遇します。さらに先には竹ヤブの中に空堀を発見。下へおりられそうなポイントには,立入禁止の立札がありました。

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城とマスク

桜満開松山城 (2022/03/29 訪問)

今年の3月に伊予松山城に行きました。行きはロープウェイで登り帰りは散歩しながら帰りました。お城を見学してから一休みに伊予柑ソフトクリームを食べました。

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零汰

勝尾城筑紫氏遺跡のうちの一城 (2022/10/20 訪問)

勝尾城筑紫氏遺跡は筑紫氏館、勝尾城、葛籠城など7か所の城郭と屋敷跡が国の史跡に指定されているそうです。この日は若山砦に訪問しました。

参考訪問データー:1時間10分:1.9km:累計高低差211m

標高258mに位置する若山砦は150mx40m程度の城域です。現地の縄張図によると主に4つの曲輪と小さな曲輪、櫓台や石積、浅い堀切などが確認出来ます。ルートマップ南側の駐車場から山中に入るまでは一般道と林道を通りますので苦になりません。ゲートを開けて山中に入ると道を外れそうな箇所が2か所程有りました。

幾つかの石積も見る事が出き、高い土塁や低い土塁なども存在しています。櫓台跡も見ることは出来るのですが、日当たりが良すぎて羊歯がはびこっていました。後に写真を見てみると羊歯の密集地帯が映っているだけでした。

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赤い城

坂本城 群馬県安中市 (2022/12/10 訪問)

軽井沢から碓氷峠を降りると右手に坂本ダム(碓氷湖)があります。
駐車場に車を停めて遊歩道を進みます。
「ヤマビル注意」の案内があるのでやっぱり冬がよさそうです。
ネットの情報を基に赤い橋の手前からこの日2回めの直登。
登山道はありません。
急な尾根を登っていくと二重の堀切があります。
さらに進むと大堀切、竪堀となって落ちています。
その先に主郭。
碑も説明板もありませんがその分遺構は良好に残ります。
主郭からは碓氷湖を見下ろし、眺望もなかなかよかったです。
ただし直登mustなので体力は必要です。

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イタさん

城跡よりも梅林(坂田城跡梅林)として有名 (2022/12/20 訪問)

 二郭・外城は梅と梨が、外城北から高速道路辺りまでは梅の栽培が行われている。坂田城跡梅林は千葉県内で最大級とあり、毎年梅祭りが実施される。
 説明板に拠れば中世に千葉氏が築城し、家臣の三谷氏の時に周辺の支城も整備され、弘治元年(1555)に井田氏に取って変わられる。天正18年(1590)の秀吉による小田原攻め時に落城と載っている。
 ふれあい坂田池公園に駐車可能で主郭西の道路から散策路が付けられている。主郭西下の帯郭と思われる細い削平地(散策路整備時の改変かも)に出る。左は直接二郭へ、右が主郭に。主郭入口の左右には土塁があり平虎口でだが、縄張図では枡形に思える。設置標識に名称の違いがあり、主郭は本丸・無城、先の見台(みだいとルビあり)は馬出郭・二の丸、二郭は登城・三の丸など。
 主郭・馬出郭の散策路以外は下草・篠竹・杉が密生し、郭の形など分からない。馬出郭への土橋左右の土塁・空堀は見応えがありそうだが、よく分からず。画像では尚更伝わりにくい。馬出から二郭への土橋・空堀は主郭ほどではなく、遺構の見当が付きやすい。二郭北の虎口は高い土塁で、左右に櫓台とあり、土橋に横矢がかかる。外城北虎口は複雑で、枡形を形成していたようだが、中央を農道が通り、草木が多く遺構がよく分からなかった。

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todo94

国史跡・鳥越城の附 (2022/11/26 訪問)

事前のリサーチで鳥越城は2022年8月の土砂災害で登城できないことは分かっていましたが、折角石川県に脚を伸ばしたのでスタンプは頂いていくことにしました。そして鳥越城登城の代わりに国史跡・鳥越城跡の附(つけたり)として、国史跡に指定されている二曲城に登城してきました。初めての2007年は結構きつかった登城ですが、すっかり体力がついた今ではあっさりと本丸にたどり着けてしまいました。鳥越城ともども一向一揆の城。しっかりと鳥越城も遠望して参りました。

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にのまる

迎賓館だったかも!?と想像してみたり。 (2022/11/27 訪問)

初・中尊寺金色堂をしっかりと目に焼きつけ、つぎに目指したのが接待館です。地図上では衣川をはさんですぐですが、近道はなさそうなので参道を戻り、通り沿いを進みました。
橋を渡ってからは土手の上を、途中にあった階段を下りてしばらく歩いて到着しました。

堤防工事に伴う発掘調査により12世紀の大規模な遺跡であることが判明、堤防のルートを変更して国史跡として保存されることになったという経緯をもつ遺跡は衣川の浸食により失われた部分も多いようですが、大量に発掘されたかわらけからまさに接待のための場所だったと判明したのだそうです。(奥州市教育委員会作成パンフレット、PDFファイルあります。)

現地には長大な堀跡のほか貴重な土塁跡が細長い林となって残っていました。この林は衣の関道から見ると「奇跡の土塁」感がハンパなかったです。

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モト

有名な土橋門と (2022/12/11 訪問)

徳川四天王である榊原康政ゆかりの城である館林城です。
何回目かの登城でしたがおなじみの土橋門は市役所のすぐ近くにあります。
城跡は今は市役所や、運動公園になっていたりしますが、今回はその門以外の遺構もと思って訪れました。
土橋門から徒歩2分くらいの広場には本丸の土塁があります。
また、土橋門から館林の駅の方へ車で5分くらい行った所には城鐘が残っています。
歴史を感じる佇まいの鐘にはなんとも言えない雰囲気がありました。
今度は土橋門から駅とは逆の方面に車で約3分くらいの所にある善導寺には榊原康政のお墓があります。
これから大河ドラマが始まると四天王の1人のお墓という事で多くの人が訪れるかもなんて思いながら手を合わせてかえってまいまりました。

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零汰

東に青山城、西に白鳥山(御輿山)砦アリ (2022/11/03 訪問)

穴太野添古墳群を目指して進むと墓地内に案内されます。そちらの駐車場に停め、北の進入禁止の林道を道成にトボトボ歩き、左側に流れていた川が右側に流れるようになった先に分岐が有ります。左に曲がって切通に着くと左手が青山城、右手に登ると壺笠山城。さらにその先を進んで行くと白鳥山(御輿山)砦があります。

訪問参考データー:1時間40分:4km:累計高低差319m(壺笠山城・青山城のみ)

壺笠山城は35mX35m程度の主郭の周りに全周に帯曲輪が廻り、周囲に小さな曲輪が幾つか見られる単純な縄張りです。遠い昔の古墳跡が城跡となっているそうです。こちらで特記すべき遺構は石遺構。石積はもとより石段があり、見ようによっては敷石?と思える場所もあり、当時のまま(多分)の遺構を見れることです。現地の縄張図によると竪堀があるように記されていましたが見たところ昔の崩落跡の様に見受けられました。そう大きくない規模で鹿児島では中々見ることの出来ない当時のままの石積が見れて満足でした。

青山城・・・300m程東に位置する青山城は林道切通の脇から登って行けます。途中石が散見しますが殆ど単体です。中には石を割ったかけらが転がっている場所もありました。主郭は平坦になっておらず自然地形でした。目を凝らして周囲を探してみると、小さな曲輪らしく見えるところが有りましたが当時の物か分かりません。

白鳥山砦・・・満足してしまうといけませんね。訪問する前は白鳥山砦にも行く予定でしたが、思いがけず壺笠山城に満足してしまい、砦だから遺構はそれ程・・・。行くのを辞めてしまいました。帰宅後調べてみると、石積有り、一騎掛け有り、竪堀ありと遺構が有る情報を見付けてしまいました。再訪問は無いでしょう、先に知っていたのなら満足せずにもうひと頑張りするべきと後悔しています。

今後、壺笠山城に訪問される方、長い距離歩いて来たのですから、壺笠山城・青山城・白鳥山砦まで同時訪問したら如何でしょう。3か所は共通点は有りませんので、一度に3種類の楽しみが味わえます。

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小城小次郎

上杉謙信旗揚げの城なのだ (2022/06/26 訪問)

「上杉謙信旗揚げの城」として有名なお城だがひと昔前の小説では必ず取り上げられていた「栃尾城の戦い」はなかったか、あっても局地戦だったらしい。でも若かりし謙信がこのお城にいたことだけは間違いないはずだ。

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カズサン

天守閣外装改修工事が完了しピカピカです (2022/12/21 訪問)

 今年7月頃より天守閣の外装改修工事が始まり予定告知の12月20日前に完了し今週の初めには公開に成ったようです、本日出掛けて来ました。
 外装改修は昭和33年模擬天守閣として建てられて以来初めてとの事、白漆喰の塗装?、黒下見板の塗装、飾り金具の黄金塗装で天守閣は昭和33年建築の状態の戻ったようで綺麗でピカピカです、天守閣を撮影すると飾り金具が黄金色に輝きまた綺麗です。軒の蜘蛛の巣も無く白く綺麗です、屋根の瓦の漆喰止め施してあり改修が行き届いています、展望回廊の金網も取り払われ視界は良好、今まで金網越しにしか写せなかった天守台西の突起した八幡台、富士見櫓跡もバッチリ撮影出来ました、また本日10時天気も良く遠く富士山が遠望出来ました、丁度現役時代勤務していた会社の大看板の上あたりに富士山が撮れました。
 
 11月22日に浜松城の日本庭園紅葉撮影は青葉でしたが今回は紅葉の盛りを過ぎましたがまだまだ綺麗な紅葉が観れました、また来年の大河ドラマどうする家康のドラマ館は殆ど出来上がり来年のプレオープン1月22日を待つばかり?建物は出来上がってる様です。
 
 寒波襲来で今年の城探訪は浜松城の天守閣化粧直し見学が今年の探訪納です。? 今年1年長々と投稿ご覧頂きお付き合いといいね!クリックも沢山頂き有難うございました。
 来年は春先の3月4月頃には動きたいなと思って居ります、しばらく冬ごもり、動いても東海の雪のない所で、皆さん良い年をお迎えください。
 

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はなじろー

今がチャンス! (2022/12/18 訪問)

公共交通機関では行きづらいお城ですが、
12/17から近江タクシーがシャトルバス&タクシーを2月くらいのまでの土日で運行しており、
観音正寺までアクセス可能です。
観音正寺から観音寺城までは、ほとんどアップダウンがありません。
安土駅の観光案内所でこの話を聞き、安土城だけに行くつもりが観音寺城も行くことができ、
充実した城巡りになりました。
木々に埋もれた石垣と本丸への石段は、見ごたえがありました。

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