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はたけ

天守閣はないですが (2021/11/14 訪問)

周りの景色が綺麗でした。

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pascal

ザ・埋もれた山城 小笠山砦(静岡県掛川市入山瀬)➡城びと未登録 (2021/12/10 訪問)

埋もれた山城を徘徊して、その全容に触れたい“Deepな城びと”必見の城です(^^;

【アクセス】
 掛川駅の南3km(直距離)にある小笠神社が目印です。
城址の入り口の曲輪が小笠神社になっていて、県道409から参道があって、広い駐車場完備ですから、アクセスは容易でした。

【城の歴史】
 武田勝頼に奪われた高天神城の奪還戦で、徳川家康が築いた6砦のひとつとして知られる小笠山砦ですが、それ以前の今川氏真との掛川城攻囲戦で築いたのが始まりの様です。

【見どころ】
 築城目的から“砦”と称されているものの、小笠山の尾根筋にビッシリ廻らされた曲輪群の多さは“山城”そのもので、しかもそれらが全て手付かずの状態で眠っている貴重な城跡です。
 さすがに眺望は素晴らしく、南の高天神城は勿論のこと、北の掛川城も眼下に見下ろせます。
もちろん富士山もクッキリ遠望できました。
 山の尾根筋がハイキングコースになっていて、景色を楽しむ手軽な登山客も多い様ですが、遊歩道を離れると切り立った崖も多くあり、看板やロープ養生などの安全整備は無いので、充分な装備と注意が必要です。

【感想】
 滅多に出会えないワクワクする城址だったので、城びと登録3000城からは増えない様ですが、この思いをもっと沢山の同好者に知って欲しく投稿しました。

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まーく

金ヶ崎の退き口 金ヶ崎城 (2021/12/11 訪問)

金ヶ崎城址駐車場に車を駐め、登城開始

御城印は金崎宮社務所で購入可能
南北朝版と戦国版の2種類あり
日付ご記入いだだけます

こちらは舗装された道で歩きやすいです
月見御殿と呼ばれる場所が本丸跡
戦国武将もここから月見をしたのでしょうか

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まーく

若狭国攻城② 難攻不落 佐柿国吉城 (2021/12/11 訪問)

若狭国吉城歴史資料館の200m程手前の駐車場に
車を駐め、資料館で御城印と地図を入手し登城開始

地図によると本丸まで直登で20分
熊出没注意書きがしてある獣除けの扉を開閉
こちらも道や看板など整備されており軽装備でOK




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にのまる

楽しかったです(^^)/ (2021/11/20 訪問)

小川町駅から徒歩30分程度。街道沿いには蔵や旧家があり、商家が建ち並んで賑やかだっただろう時代を想像しながら町歩きしました。

山城登城前の覚悟や緊張感は登城口のwelcome感で変わってくるのですが、腰越城には案内看板などが複数設置されており、この雰囲気なら大丈夫そうだなとまずは一安心です。

城跡は山頂なので最初は山登り。整備してくださっているので危険だったり迷ったりということはありません。
尾根の左手の山が城域。このすぐ上に本郭がありそうなのですが、道がない?二郭へワープできそうな階段も通行禁止。なので先へ進むしかありません。下っていくのが少し不安でしたが、横堀・土塁・竪堀セットが現れたのでほっとしました。

腰越城には竪堀がたくさんあって、このお城のチェックポイントである囮小口も竪堀仕様。見下ろしたり上を覗いたりできる階段が上まで続いていなくて囮階段みたいでした。石積みは……いつのものだろう?

案内経路に従って(実際は逆順)西郭へ。小さな祠がありました。堀切、竪堀、帯曲輪、小口、いろいろあって複雑に行ったり来たりの迷路のようになってきたところで写真⑥の分岐が見えてきました。案内板も見当たらず、運命の分かれ道か⁉︎とドキドキしつつ右側の道を覗いてみたら、先ほどの囮小口の上で、こういうことなのかと納得しました。おもしろいです。左へ進み、無事、二郭、本郭へたどり着きました。

コンパクトなお城に見どころ(仕掛け)が凝縮されていました。腐食して通行禁止の階段のおかげ(?)で往復堪能出来たので二度おいしかったです。

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まーく

若狭国攻城編① 熊川城 (2021/12/11 訪問)

鯖街道熊川宿の駐車場に車を駐め、
白石神社より登城開始

九十九折りの道を登ると10分程度で主郭エリアに到着
下りは熊川陣屋跡ルートで下山
獣除けのゲートを自身で開閉
道は整備されており軽装備でOK

御城印は陣屋跡近くにある宿場館にて購入可能
珍しく日付を記入してくださいました

この後、三方五湖へ移動して
ドライブインよしださんにて
イカ丼セットをいただきました
ご馳走様でした

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ぴーかる

福本陣屋 (2021/11/21 訪問)

【福本陣屋】
<駐車場他>福本揚羽ホールに駐車させてもらいました。
<交通手段>車

<感想>北はりま攻城の旅7城目。福本藩は池田輝政の四男池田輝澄が池田騒動後に鳥取藩鹿野に堪忍料1万石を与えられ、没後四男の池田直政が堪忍料を相続し1663年播磨国の3郡のうち1万石を与えられ福本藩を立藩した。福本陣屋はその際に建てられました。直政没後は嗣子がなく2人の弟に分与した為に明治維新まで交代寄合の旗本として存続しました。
 現在陣屋跡は大正二年に大歳神社が遷座されています。遺構は池泉回遊式庭園の一部が残るのみとなっています。ちょうどカエデ・銀杏の葉が色づき、紅葉がきれいでした。

<満足度>◆◆◇

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けいちゃん

城と忍者屋敷と忍者ショー (2021/12/05 訪問)

ある意味、城よりも高石垣が見もののように感じました^_^

さらに忍者屋敷と忍者ショーもあり、子連れでいくにも楽しめるかと思います。個人的には忍者ショーのほうがより楽しめました。

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けいちゃん

城跡は初訪問^_^ (2021/11/23 訪問)

見晴らしがよく、紅葉もきれいでした^_^
崖際などは小さな子どもさんの転落等には注意かなと思います(うちの子どもが落ち着きがないからですが)。

最寄りの駐車場は比較的早い段階で満車になるそうですが、苗木遠山史料館から歩いてもさほど気になりませんでした。史料館で御城印が変えますが、最寄りの駐車場のところの自販機でも買えるようでした。

トイレも城跡付近にも整備されていて、安心していけるところかと思います。

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イオ

中島城(滋賀県長浜市小谷丁野町) (2021/11/21 訪問)

中島城(城びと未登録)は、築城者や築城時期は不明ながら、織田信長の小谷城攻めに際して来援した朝倉氏により現在の姿に改修され、浅井氏の重臣・中島宗左衛門直親が守将となったことから中島城と呼ばれています。中島城も丁野山城と同時期に落城し、そのまま廃城となったと思われます。

中島城は丁野山城(岡山)から東にのびる大鳳山と呼ばれる尾根上に位置し、両城の間を遮断する施設は見られず、丁野山城の出城として機能したと考えられます。

丁野山城から東に下って行くと展望所があり、午前中にいた小谷城の南西尾根がすぐそこに横たわっています。さらに下った尾根の鞍部は丁野山城と中島城、北麓と南麓の登城口への分岐になっています。鞍部から少し上ると中島城に到着です。説明板の建つ虎口から入ったところは出丸で、土塁で囲まれベンチが設けられています。東側の虎口の先が主郭で、四方を分厚い土塁に囲まれています。主郭の北辺、東辺は横堀と土塁で防御し、小さい出城ながら厳重な構造です。さらに、主郭の北東麓には堀切を設けて東尾根からの侵攻を遮断しています。

堀切を越えた東尾根上には古墳が点在しており、その先の頂部にはほぼ自然地形ながら数段の平坦地があり、大鳳山砦の案内標識が設けられています。「丁野山古砦圖」にある砦跡なのかもしれませんが、遺構らしきものは見当たりませんでした。

これまで、朝倉氏というと転がり込んだチャンス(足利将軍)を優柔不断で逃したばかりか、そのチャンスを活かした織田信長にあっという間に滅ぼされた残念な大名というイメージがありましたが、この一日、朝倉氏の改修した陣城をめぐってみて、土の城の築城については先端技術を有していたことを実感。ちょっと見直しました(笑)
 

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赤い城

断崖絶壁のその上に (2021/11/27 訪問)

雲興寺の駐車場に車を駐め、本堂右手の登城口から登っていきます。
すぐに石積も見られるなど期待十分で登っていきます。
登城路はわかりやすいです。
登って行くと巨岩の岩肌が聳え立っています。
この上が城、自然の要害でここが攻め落とされるなんて、と。
信玄はやはり強かったのですね。
城域は東西に伸びていて堀切や石積も施された曲輪が並んでいます。
主郭背後には堀切、二郭の先には断崖の堀切、というか崖になっていました。
テープも張ってあり、進むのは断念しましたが。
降りる道を間違えてしまい、反対側に降りてしまいました。

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北風の又三郎

工事中⛑ (2021/12/05 訪問)

岡山城の天守閣は工事中です。(2021年12月現在)しかし、街の中に石垣があるので見ていくといいと思います。後楽園は通常通り営業中です。後楽園は思ったよりもコンパクトで周りやすいです。色々と秘密が隠されていて面白いです。また、機会があったら訪れたいです。写真は後で入れます。
#工事中 #天守閣 #櫓 #石垣 #日本100名城 #後楽園

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小城小次郎

こんな小さなお城にも (2021/09/04 訪問)

矢作川に沿った小さな丘の上にあるこんな小さなお城にも水野一族(水野春次)がいて、武田勝頼がわざわざ攻め落としているのだそうだ。恐らく長篠の戦い直前頃のこと。当時の武田は手が付けられないくらい強かったんだろうなあ。

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やま

続々100名城 (2021/09/04 訪問)

福島正則が築いた石垣造の堅固な城郭ということで、岩国城に登城する前に見学。石垣は見事で、刻印もたくさん確認できて素晴らしかったのですが、公園化によって改造されている部分が多く、石垣も積み直されている部分が多いのが残念でした。
駐車場は完備されており、駅からのアクセスも悪くないのですがやはり車があれば便利です。岩国城、広島城も近いので、ついでがあれば一見の価値ありです。

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イオ

丁野山城(滋賀県長浜市小谷丁野町) (2021/11/21 訪問)

丁野山城(ようのやまじょう・城びと未登録)は、戦国前期に浅井亮政が築いた城で、織田信長の小谷城攻めに際して来援した朝倉氏により現在の姿に改修されましたが、大嶽の陥落により降伏・開城し、そのまま廃城となったようです。

小谷城西方の岡山(丁野山)頂部に位置し、東にのびる尾根上の中島城と西の山本山城とで小谷城の防衛ラインを形成していたと考えられます。また「丁野山古砦圖」によれば、かつては北東尾根(現在は墓地)、北尾根(現在は宅地)、南尾根にも砦が設けられていて、北陸自動車道で寸断された南尾根の先には明智光秀の付城があったとされます。

さて、小谷城を一周した後は虎御前山城に行くつもりでしたが、全ての陣跡をじっくり見て回るには時間が足りないため、手軽にめぐれそうな丁野山城と中島城に行先変更。駐車場はないので、南麓の谷田神社前の道路脇に駐めさせてもらって登城開始です。

谷田神社の石段を上って境内へ。かつてこの地には浅井亮政ゆかりの弥勒寺があり、谷田神社の拝殿は弥勒寺の本堂と伝わります。案内表示に従い、境内の西側から山道を登って行くと平坦地や浅い堀切状の地形が見られますが、「丁野山古砦圖」にある砦跡か自然地形かよくわかりません。谷田神社から15分ほど歩いたところで南端の大堀切に到着。南尾根を深く幅広く掘り込んでいて見間違えようもありません。南東斜面には堀切と喰い違わせて竪堀が配され、その先の虎口を抜けると主郭を取り巻く帯曲輪に着きます。帯曲輪の外周は土塁で囲まれ、南東隅と北西隅に虎口が設けられています。北西虎口脇の櫓台状の土塁に上ると、北尾根が深い堀切で断ち切られていました。帯曲輪の東部には東尾根の中島城に続く虎口があり、その南側が主郭への登り口です。主郭には土塁はなく、テーブルとベンチ、説明板や丁野岡山古砦圖の案内板が建てられているだけでした。

主郭と帯曲輪だけの小さな城ですが、巨大な堀切と竪堀に加えて、虎口には櫓台状の土塁から横矢が掛かるようになっており、なかなか見応えがありました。続いては、東尾根に下って中島城に向かいます。
 

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やま

優美な平城 (2021/09/04 訪問)

何度も広島には行ったことはありましたが、広島城をゆっくり見る時間がなく、やっと行けたのですがコロナ禍で制限があり、全部を見ることはできませんでした。しかし戦争で倒壊した天守や、二の丸の平櫓、多聞櫓、太鼓櫓、表御門は綺麗に再建されていて美しかったですし、本丸を囲む石垣には無数の階段状の武者走りがあり圧巻でした。また内堀も広く、当時に思いを馳せることができ満足でした。今回はコロナ禍で場内の駐車場に駐車することはできませんでしたが、通常は無料で開放しているようでした。

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やま

大規模な山城 (2021/09/04 訪問)

コロナ禍であったため100名城スタンプは押せなかったのは残念でしたが、前から一度は見たかった大規模な山城。随所に石積み、土塁址が見られ、丸や曲輪もよく残っていて(整備されていて)良かったです。規模は大きかったのですが、地図や案内がしっかりしているので効率よく見学でき、1.5時間ほどで全て見終わり、次の城郭へ向かいました。

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todo94

参観灯台スタンプラリーコンプリートの前に (2021/11/03 訪問)

10月30日に丘城の麓からの登城路を探して見事に失敗。帰ってきてから調べてみると鶴巻小学校の方へ進んで丘の上に登って搦手から攻めれば良いとのことでした。雷神社には立派な駐車場まで完備されて居るではありませんか。立派な空堀、土塁に城址碑まであって満足です。

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小城小次郎

こんなところに大物がいた (2021/09/04 訪問)

尾張藩家老職の屋敷があったということで建物の基礎石材などが散らばる不思議な空間。後で知ったがその家老職とは徳川十六神将の一人で「槍の半蔵」の異名をとった渡辺半蔵(守綱)だった。なんだよ、大物じゃないかー。

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モト

里見公園になってます (2021/06/28 訪問)

歴史的にも北条氏と里見氏が戦った際にも重要な城跡です。
公園は土塁や井戸が残っています。
特別、はきりとした遺構がガッツリ残っているわけではないですが公園内に入ると城跡の雰囲気がプンプンします。
今は里見公園となっていて昼間は憩いの場になっております。
夜は怖い◯◯スポットにの話題にもあがる公園です。
それも歴史上、激しい戦の舞台になったからではないでしょうか。

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