久宝寺城は久宝寺寺内の北の区画に築かれていたとみられます。
寺内の中心には顕証寺(けんしょうじ)があり
連如上人により西証寺として建立されました。
後に顕証寺(久宝寺御坊)と呼ばれ、周囲に二重の堀と
土塀をめぐらし、今でも街路にその形状が残っており
西の池がかつての堀跡で周囲との境でもあるようです。
寺内の支配権は御坊が握り、久宝寺城主 安井氏がこの権を
任されていたようです。
中世末期浄土真宗本願寺派境内に発達した城、集落、寺院が一体化した
城塞都市と呼んで良いのではないでしょうか。
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