【五龍城】
<駐車場他>登城口前<34.698749, 132.756437>に7台程度の駐車スペースあり。
<交通手段>車
<見所>曲輪・石垣・堀切・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅1城目。五龍城は江の川と本村川の合流地点にある、2つの川に浸食されて残った半島状になった所に築かれた山城です。築城者は宍戸氏によるもので、源頼朝の御家人である八田知家の子孫にあたり、鎌倉時代末期に常陸国宍戸から安芸国に下向して近隣に城を構えますが南北朝時代に五龍城を築き移転します。戦国時代には近隣の毛利氏と争いますが、当時の当主である宍戸隆家は毛利元就と和睦して元就の長女である五龍局と結婚して毛利氏の重臣となります。関ヶ原後の毛利氏の萩への移封に伴って五龍城は廃城となります。
城跡は狭い東端から西に広がっていく連郭式の山城で城跡の中心部に主郭があります。主郭の西側には深い堀切があり、更に西側に同じような構造の連郭が存在していて、最上部にもう一つの主郭となる御笠丸という曲輪があります。連郭群の南側は比高のある崖になっており、連郭群の北側は高い切岸の下に連郭が派生していたり、帯曲輪、腰曲輪、畝状竪堀があったりします。石垣は随所に残されていて、特に主郭、主郭手前の桜の段・姫の丸、御笠丸の曲輪壁に多く見受けられます。連郭の北側下段に行くには、東の方の井戸跡から道は無いですが、切岸の中腹を伝って行くことができます。主郭の北側の曲輪壁に残る石垣跡は見事です。もう一つの主郭となる御笠丸の西側も深い堀切になっており、その先に横土塁のある曲輪があります。
城が3つ分くらい残る広大な山城で見応えある遺構も沢山ありました。来訪時刻が7:30でしたので朝霧が出て更に幻想的でした。じっくり攻略すると半日はかかります。百・続百名城に負けてない、またマイベストに入る凄い城跡でした。
<満足度>◆◆◆
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