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トク

春の吉野ヶ里遺跡 (2023/03/03 訪問)

春の陽気に誘われて、吉野ヶ里遺跡を訪れてきました。
神埼駅を降り、卑弥呼の銅像前から歴史公園へ向かう道には、菜の花が咲いていました。

歴史公園内は思ったより広く、竪穴式住居、物見櫓、祭殿、墳丘墓などが再現され、出土品なども展示されていて、ゆっくり歩いて見て回っていたら2時間もかかってしまいました。でもだんだん自分も弥生人になったようなタイムスリップしたような感じがして結構楽しめました。

園内のレストランで吉野ヶ里の弥生人が食したという定食があったので食べてみました(写真⑩)。古代米(赤米)のおにぎりに有明海で採れたあさりの貝汁とむつごろうの燻製などでした。
(はたして卑弥呼も食べたのだろうか?🤔)
 

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姫街道

鳥瞰図を見ながら巡ると楽しい (2023/03/03 訪問)

整備や変革が進み、どう見学しようか迷っていたら、大きな城内に鳥瞰図看板があり、それをもとに城巡りを楽しんだ。高石垣がある本丸ばかりに意識がいくが、何気に土塁と水堀が巡る3の丸が良かった。

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トク

㉗【関ケ原の26人】(14)池田輝政 (吉田城はなぜ後堅固?) (2023/02/10 訪問)

(14人目)池田輝政「吉田城」の続きです。
なぜ輝政は後堅固にしたのでしょうか? 私は鉄櫓下の豊川沿いの腰曲輪に立ち考えてみました。

ここから見上げると石垣は結構高いですね~、高さ12.7mあるそうです(写真①)。当時はさらにこの上に塀があったと考えられるので、トータル20m近くあった事になります。さらに近づけば櫓や狭間などから鉄砲で一斉攻撃されるので、ちょっとここから攻めるのはまず無理ですね。豊川に高石垣と鉄櫓、吉田城は確かに後堅固(完璧)です!

(ここで私はある理由が思い浮かびました😯!)
輝政の父の池田恒興は、小牧長久手の戦いの時、夜陰にまぎれ木曾川を渡り、まさかの背後から犬山城を攻め落とし落城させました。犬山城は背後に木曽川その上の断崖絶壁の上に築かれています。敵もまさかここから攻めてくるとは思わなかったので手薄だったのでしょう。輝政も後々その事をおそらく聞き、またここも川から本丸までが近いので、「意外とここは弱点(盲点)になるかもしれない!」と思ったのではないでしょうか?(これはあくまで私の推測ですが・・)。

(でも待てよ🤔? 私はそこで新たに2つ目の疑問が?)
輝政の父の恒興は、犬山城攻めの直後に長久手で輝政の兄(元助)とともに討死しました。つまり輝政にとって家康は父と兄の仇(かたき)です。そして秀吉から吉田城を与えられ、田中吉政と同様に家康との戦を想定し、このように城郭を整備していたものと思われます。その一方で、家康の次女「督姫」を自分の正室に迎えています。そして最終的には東軍につきました。(え~!父や兄の仇の娘と結婚?)(その一方で着々と舅(しゅうと)と戦をする準備?)(でも結局は東軍に?)何かこれって矛盾が多すぎませんか?

池田輝政という男は一体何を考えていたのでしょうか?
次は(姫路城)に続きます。
 

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イオ

松ノ木城(岐阜県海津市海津町松木) (2023/02/04 訪問)

松ノ木城(城びと未登録)は、築城時期など詳細は不明ながら織田信長・信孝らに仕えた吉村氏の城で、賤ヶ岳の戦いの後は徳永寿昌の居城となりましたが、関ケ原の戦いでは東軍として今尾城の市橋長勝らと福束城や高須城、駒野城、津屋城を攻略し、戦後は高須城に居城を移したことにより松ノ木城は廃城になったようです。

所在地もはっきりしないようなので、比定地のひとつとされる御靈神社を訪れました。明瞭な遺構はもとより石碑も説明板も何もありませんが、参道脇の駐車スペースに車を駐めて周囲を歩いてみると、参道脇の水田は水堀か泥田だったのかもとか、神社境内は水田の中の微高地だったり、境内の北側には空堀や土塁っぽい地形があったり、南側の池は水堀の名残? などと、痕跡と思えなくもない地形が見られました。…といっても、そもそも比定地のひとつでしかないので、全くの見当違いなのかもしれませんけど(笑)
 

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todo94

京阪沿線② (2024/02/18 訪問)

樟葉台場から京阪本線を使っての転戦です。枚方小学校がその故地とのこと。先人の方々に倣って御茶屋御殿跡にも脚を伸ばしてみました。ここからは淀川を望むことが出来ました。

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姫街道

南門から政庁舎への道が凄い (2023/03/02 訪問)

奈良時代に13m、平安時代には23mあったとの事。その道を通るだけで、すでに政府に圧倒されたのが理解できる。奈良時代に、これだけの道を作らせる力があった事が凄い!
南門が復元された事で全体のサイズ感がわかりやすくなっていると思う。

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赤い城

久米城 茨城県常陸太田市 (2023/02/24 訪問)

ここは絶対に行った方が良い城です。
地元の管理人さんが10年以上かけて整備され、とても歩き易い山城です。
駐車場があり、縄張図や杖、訪城ノートがおいてあります。
登城口から登ると段になった曲輪が綺麗に見えます。西の城の堀切からパラダイスがスタート。
順路に沿って進むとまずは崖の上の二重堀切。
落ちたらひとたまりもありません。
戻って西の城を見上げると堀切が。
ここに進んで行きます。
堀切と虎口、土塁が綺麗に残ります。
さらに北の出城に進む尾根上には堀切、なかなかのものです。
北の出城の先にも堀切、下には竪堀もあります。
戻って東の城に。
城内最大の堀切があります。
本丸を見学した後南の出城へ。
二重堀切を見学し、進みます。
南の出城下には横堀もあり、さらに二重堀切、山の神へと進めます。
この周辺はかなり魅力的、ずっと見てられます。
登城は2回目ですが本当に大好きな城。
行って欲しい城です!

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朝田 辰兵衛

御坂城散策 2/2(西尾根・東尾根)を。 (2023/02/24 訪問)

標高:1571m,比高:510m。ついに山城の最高所に行ってきました。海抜:1.5~2mが居住空間の自分にとって,すでに登城口で空気の薄さを実感。また,空気が薄くなるほど足が重くなるという感覚が,如実に伝わりました。
この日の天候は曇りのち雨。午前中勝負。結局,登城中は雨に見舞われることはありませんでしたが,富士山眺望は登りのタイミングで確認できただけでした。それでも,雨男にしてみれば上等,上等。一週間前の天気予報では一日中雨でしたので。
まだ富士山の見えない比較的下の方の登城道で,雨が降ると滑落リスクの高いポイントがありました。ここだけは慎重に山側にエッジを効かせながら,一歩一歩確実に。この難所を抜けると富士山が確認できます。貴重な瞬間ということで,味わいながら登城しました(実は足が重くなってきたともいう…<笑>)。
登城口~尾根中央鞍部までは,往路:約85分でしたが,復路:約45分。登城口までは公共交通機関を使い,甲府駅前から富士急バスを利用しました。7:50発。南口5番乗り場から,富士山駅行きに乗り「三つ峠入口」下車。所要時間は約60分。御坂トンネルを抜けたところに止まります。登城口は,ここから「御坂みち」に20mほど入ったところにあります。
帰りのバスは「三つ峠入口」12:24発。約10分遅れでバスは到着しました。次発は約2時間後。しっかりとタイムマネジメントしないと泣きを見ますので,ご注意ください。
見どころは,西尾根と東尾根の長大な空堀です。写真ではなかなか伝わりませんが…。
私の他にも登山者がいましたが,挨拶に返事も出ないほど息が上がっていたようでした。

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朝田 辰兵衛

御坂城散策 1/2(尾根中央鞍部・登城道)を。 (2023/02/24 訪問)

標高:1571m,比高:510m。ついに山城の最高所に行ってきました。海抜:1.5~2mが居住空間の自分にとって,すでに登城口で空気の薄さを実感。また,空気が薄くなるほど足が重くなるという感覚が,如実に伝わりました。
この日の天候は曇りのち雨。午前中勝負。結局,登城中は雨に見舞われることはありませんでしたが,富士山眺望は登りのタイミングで確認できただけでした。それでも,雨男にしてみれば上等,上等。一週間前の天気予報では一日中雨でしたので。
まだ富士山の見えない比較的下の方の登城道で,雨が降ると滑落リスクの高いポイントがありました。ここだけは慎重に山側にエッジを効かせながら,一歩一歩確実に。この難所を抜けると富士山が確認できます。貴重な瞬間ということで,味わいながら登城しました(実は足が重くなってきたともいう…<笑>)。
登城口~尾根中央鞍部までは,往路:約85分でしたが,復路:約45分。登城口までは公共交通機関を使い,甲府駅前から富士急バスを利用しました。7:50発。南口5番乗り場から,富士山駅行きに乗り「三つ峠入口」下車。所要時間は約60分。御坂トンネルを抜けたところに止まります。登城口は,ここから「御坂みち」に20mほど入ったところにあります。
帰りのバスは「三つ峠入口」12:24発。約10分遅れでバスは到着しました。次発は約2時間後。しっかりとタイムマネジメントしないと泣きを見ますので,ご注意ください。
見どころは,西尾根と東尾根の長大な空堀です。写真ではなかなか伝わりませんが…。
私の他にも登山者がいましたが,挨拶に返事も出ないほど息が上がっていたようでした。

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苗木遠山氏 (2023/03/02 訪問)

 比較的楽に登城できて、遺構もすばらしい山城だと思います。木曽川を天然の堀として高森山に築かれた城ですが、特徴は巨岩の上に石垣が組まれたところでしょうか。城址には大きな岩が多くあり、そのうちの一つが天守台の南にある馬洗岩です。周囲45mある花崗岩質の自然石とのことです。その説明には「かつて苗木城が敵に攻められ、水の手を切られたときに、この岩の上に馬を乗せ、米で馬を洗い水が豊富であるかのように敵を欺いたことが名前の由来、、」とありました。この岩にどうやって馬を乗せたのでしょうか、と突っ込みを入れたくなります(笑)。江戸時代に一万石の大名は多くいましたが、苗木遠山氏は唯一の城持ち大名であったとのこと。維持は大変だったと思われます。実際に幕末には藩の財政は破綻していたようです。
 地理的に近いこともあり何回か来ていますが、何回来ても飽きないすばらしい城址です。城跡からの景色もいいのですが、この日は少し曇っていて恵那山が見えていません。また落石のため帯郭、八大龍王周辺の散策路が通行止めになっていました。
 JR中津川駅から北恵那交通のバスに乗り苗木バス停下車して徒歩10分くらいです。

 ところでリニア中央新幹線の岐阜の駅は同じ中津川市内ですが、中津川駅と恵那駅の中間にある美乃坂本駅付近になります。この駅が開業すれば東京方面の方は岐阜県東農地方の城(苗木城 岩村城など)には日帰りで比較的簡単に来ることができるようになるのではないでしょうか。

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イオ

尾張徳川家御連枝 (2023/02/04 訪問)

南北朝期に氏家重国が築いたとも、戦国前期に大橋重一が築いたとも云われ、織豊期には高木盛兼の城となっていましたが、関ケ原の戦いでは西軍についたため、東軍についた松ノ木城の徳永寿昌と今尾城の市橋長勝らに攻められて降伏しました。戦後は徳永氏が城主となって修築し城下町を整備しましたが、改易により幕府領となり、小笠原氏を経て尾張徳川家御連枝の松平義行が入って高須松平氏で明治を迎えました。高須松平氏といえば幕末の高須四兄弟が有名ですが、初代の義行は尾張徳川家二代・光友と三代将軍・家光の長女(千代姫)の子であり、本家にあたる尾張徳川家の藩主を五代も輩出した大変な名門だったんですね。

駐車場はなさそうなので、城跡公園の東側に路駐して登城開始。城跡公園は三の丸跡に位置し、東側に高須城跡(関ケ原の戦い)の説明板が立てられています。公園北側の高校敷地が二の丸跡で、さらに北の大江川沿いの企業敷地が本丸跡のようですが、遺構は見られません。公園の南には三の丸と城下を隔てる水堀が東西に続き、朱塗りの主水橋(往時は板橋)が架けられています。主水橋の南詰は殿町ポケットパークという小公園になっていて、水堀跡を親水公園的に整備し、主水橋や高須城と城下町の説明板が設けられています。ポケットパークの東端で水堀跡は南に分岐して続き、かつては武家屋敷と町家を区画する水堀だったようです。

城跡公園から南東に約1kmには歴史民俗資料館があり、高須城や高須松平氏の展示もあるようなので見学したかったんですが、開館時間前だったため大江川に架かる橋から眺めるだけに留め、またの機会に。また、桑名市の六華苑には高須城(陣屋)の御殿が移築されているようなので、こちらもいずれ…。
 

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todo94

2月最初の攻城 (2023/02/18 訪問)

休日に所用が重なり2月最初の城めぐりがこんなに遅くなってしまいました。京都まで新幹線。東福寺で京阪に乗り換えて橋本駅から向かったのが、鳥羽伏見の戦いの史跡でもある樟葉台場。大河ドラマ「新選組!」の頃からずっと行きたいと思っていたスポットなので漸く念願が叶いました。

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赤い城

遅くなりましたがクイズの答え

またしても微妙なクイズとなりすみません。
にのまるさんのご解答通り唐沢山城で正解です。
千騎口の写真でした。
巨岩を利用して入口を狭め、攻め込まれにくくしています。
まるで房総の城のよう。
ここまで行った方は少ないですかね。
NHKの最強の城シリーズでも紹介されていましたね。

唐沢山城は個人的には関東で一番の城だと思っています。
他にも北城先の二重堀切、南城の尾根上の遺構など見どころはたくさん。
竪堀も多く施されています。
石垣だけではもったいない城だと思います。

栃木も良い城多く、那須氏の城は佐竹との睨み合いもあり、烏山城、伊王野城、黒羽城など見どころある城も多いです。
鹿沼周辺や足利周辺などそれぞれ特徴もあります。
那須氏の他、宇都宮氏、壬生氏、佐野氏などが北条や上杉の影響を受けながら存続しました。
平城は堀が深く、山城は堀切も多い、そんな感じです。
写真3枚め以降はおすすめの城を一部紹介しています。

未登録城はあまり行けてませんが下南摩城や小俣城はおすすめです。
北関東3県は魅力度では下位争いの常連ですが城の魅力度では上位だと思います!

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ぴーかる

霧の五龍城 (2023/02/11 訪問)

【五龍城】
<駐車場他>登城口前<34.698749, 132.756437>に7台程度の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>曲輪・石垣・堀切・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅1城目。五龍城は江の川と本村川の合流地点にある、2つの川に浸食されて残った半島状になった所に築かれた山城です。築城者は宍戸氏によるもので、源頼朝の御家人である八田知家の子孫にあたり、鎌倉時代末期に常陸国宍戸から安芸国に下向して近隣に城を構えますが南北朝時代に五龍城を築き移転します。戦国時代には近隣の毛利氏と争いますが、当時の当主である宍戸隆家は毛利元就と和睦して元就の長女である五龍局と結婚して毛利氏の重臣となります。関ヶ原後の毛利氏の萩への移封に伴って五龍城は廃城となります。
 城跡は狭い東端から西に広がっていく連郭式の山城で城跡の中心部に主郭があります。主郭の西側には深い堀切があり、更に西側に同じような構造の連郭が存在していて、最上部にもう一つの主郭となる御笠丸という曲輪があります。連郭群の南側は比高のある崖になっており、連郭群の北側は高い切岸の下に連郭が派生していたり、帯曲輪、腰曲輪、畝状竪堀があったりします。石垣は随所に残されていて、特に主郭、主郭手前の桜の段・姫の丸、御笠丸の曲輪壁に多く見受けられます。連郭の北側下段に行くには、東の方の井戸跡から道は無いですが、切岸の中腹を伝って行くことができます。主郭の北側の曲輪壁に残る石垣跡は見事です。もう一つの主郭となる御笠丸の西側も深い堀切になっており、その先に横土塁のある曲輪があります。
 城が3つ分くらい残る広大な山城で見応えある遺構も沢山ありました。来訪時刻が7:30でしたので朝霧が出て更に幻想的でした。じっくり攻略すると半日はかかります。百・続百名城に負けてない、またマイベストに入る凄い城跡でした。

<満足度>◆◆◆

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肉球

法面崩落で立ち入り禁止でした (2023/02/18 訪問)

舌状に伸びた丘陵の先に築かれ二階堂氏蘆名氏上杉氏蒲生氏など戦国大名が次々支配したお城のようです。
訪れた時は法面の崩落が起きたようで立ち入り禁止になっていました。
悪いこととは思いましたが立ち入り禁止の柵内から少々写真を撮ってしまいました。
江戸時代に入り幕府の代官所や水戸松平氏の陣屋が築かれたようです。

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肉球

中川船番所・東京都江東区 (2023/02/08 訪問)

1590年江戸に入った徳川家康の指示によって旧中川と隅田川を結ぶ運河小名木川が築かれ
1661年に旧中川側に船の取締りのため設置されたのが中川船番所。
跡地には案内板が設置され水辺には石垣風の散歩道があります。
近くには中川船番所資料館がありジオラマ復元され
江戸の河川整備や物資の流通に関する資料が多数展示されています。

観覧料200円敷地内に無料駐車スペース3台くらい

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城歩き始めます

ビックリ!雨山城の整備 (2023/02/20 訪問)

岡崎市は雨山町(旧額田町)にある雨山城にふら~っと行ってみました。
場所は雨山ダムのすぐそば、
行ってみてビックリ、名前の通りの山城なんですが、なんと簡単に登れるようになっていたんです!

雨山城はあったことは分かっていましたが、正確な場所はずーっと分からなかったらしいです。
しかし地元の方々が大変な努力をして、場所を特定し道を整備されたそうです。

戦国時代にはここで大変な戦があったそうな。

さて私はいつでも山城を攻められるように車にはトレッキングシューズやリュクサックなどを常に積んであるものですから、
さっそくそれらを取り出して山登りを始めました。

冬にもかかわらずこの日は暖かく快晴で、山の中を歩くのは非常にいい気分です。沢の流れの音がさらさら、
時々小鳥がさえずり耳を楽しませてくれます。今回は行きませんでしたが、近くに「天使の森」というのもあり、
いいハイキングコースですね。

私は気弱な山城ファンですので、「熊出没!」とか「マムシ注意!」などの看板があるともう足がすくんでしまって
先には進めません。でもここなら夏になっても安心して登って行けそうですね。

と、ここまではルンルン気分でしたが、城跡方向に曲がった途端に崖があり、立ち木を掴みなんとか登りました。
この一か所だけが怖いところで、あとは気持ちのいいハイキングでした。

城跡周辺の樹木を伐採したり、林道を造ったり、案内板を設置したりと、そのご苦労は大変だったと思います。

ネットで調べたところ、ここの整備が終わったのが令和3年6月
のことで、その記念に石碑を立てて、除幕式が行われたとあります。
それじゃあごく最近のことじゃありませんか、私は全く知りませんでした。

この山城を整備してくれたのが、「宮崎まちづくり協議会」という方々で、おでこを地につけてお礼を言いたい位
の気分です。

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aki005

駿河山城 (2023/02/24 訪問)

遺構のこりが素晴らしい。保存会の方の整備が行き届いています。

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カズサン

天守閣修復工事足場が撤去中でした (2023/02/23 訪問)

 諏訪原城冬枯れの各馬出、三日月堀、外堀、内堀を探査探訪を充分堪能し終えて、地道旧国道1号線を西行、この間バイパスより空いていて走行し易く掛川城大手門へ到着。
 早咲きの寒桜の一種掛川桜の開花の様子見、天守閣修復工事が終わって天守閣がスッキリと見えるかな?と寄りました、掛川桜はまだまだ、数本の河津桜は咲いて居ました、天守閣はまだ修復工事の足場が懸って居り、足場の撤去作業中でした。
 修復作業は1月末頃と思って居たのですが長引いているようです3月末とネットに変更が出て居ました。

 3月に入りましたが例年ですと3月10日前後が掛川桜の見頃かなと思いますのでそのころ出かけて掛川桜と修復成った天守閣を入れた写真を撮り投稿したいと思って居ます。
 掛川桜、染井吉野桜と二回美味しい掛川城にお越しください。

 足場撤去中の天守閣写真も珍しいので投稿しまし。
 

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todo94

城カード再建天守シリーズ (2023/01/28 訪問)

予定していた山城を一つパスしたため時間にゆとりが出来ました。沼城から思い切って岩国城に転戦です。錦帯橋を渡ってロープウェイ乗り場に駆けつけてみると何とメンテナンスのための運休中でした。ロープウェイの発券所で岩国城の城カード(再建天守シリーズ)を手に入れることが出来たので良しとします。岩国寿司を売っている店が見当たらなかったのですごすごと徳山に引き返しました。ホテルでの部屋飲みは獺祭と山口ビール。お土産用にも購入しました。わらび粉を用いた外郎は添加物を使っていない老舗の製品を選択。名古屋の外郎よりプリプリしていてみずみずしい感じでおいしかったです。

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