椿尾城のレポートですが、先ほどは石積と畝状竪堀の話しか
していなかったような気がします。
登城道を右手方向(東側)に進むと主郭に向かっていくのですが
たしか三の郭の手前の堀切が一番深かったと記憶しています。
ここは岩石が露出していてなかなか迫力がありました。
北側方向を道沿いに進んでいくと三の丸と二の丸を横目に、そのまま
主郭にたどり着いたと思います。
主郭の背後は土塁で守られ、今は五社大明神が祀られています。
そのあとは南側の郭を経由し斜面を移動しながら、元の堀切の
所へ戻ってきました。
登城道の周辺は居住には適していなくて
西側のエリアが居館スペースになっているようです。
本来、こんな山の中に偉い人は住んだりはしないのですが、
筒居氏が松永久秀に追われた時に家臣ともども、ここに仮の住居を
定めたのかもしれません。
西側の扁平地の切岸や土塁が崩れないよう石積や石垣で補強してあったのも
居住区を自然の驚異からも守る必要があったのかもしれません。
ここの土はサラサラしていて崩れやすいです。今は植物の細かい破片が混入して
なおさら滑りやすくなっています。戦国期の近畿の石積は石垣として
利用するだけではなく土塁の形状保持のために内側に埋め込んでいる
ケースもあるようです。
6月に訪れた亀山市の小川城は個人宅を通らないと確認できないのですが
住民の方が親切に案内してくれました。
外観は土塁のみですが、崩れた土塁の中から立派な石積がのぞいていたのが
印象に残っています。
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