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じゅんじん

飯沼観音 (2022/10/22 訪問)

お城はこのあたりだったかも。

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じゅんじん

5年ぶり (2022/10/09 訪問)

自転車トレではよく走っていますが訪れたのは5年ぶり。今年は混んでるだろうな。

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ぴーかる

駿河丸城 (2023/02/11 訪問)

【駿河丸城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.778558, 132.463038>道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅4城目。現地説明板によると駿河丸城は鎌倉時代末期に1313年に駿河国から下向した吉川経高が築いた城で南北朝時代に小倉山城を築くまでの約70年間居城とした城です。しかし裏付け資料が乏しいようで平家丸城との別名もあるようです。
 城跡入口は<34.777012, 132.460428>にあり、進入口に説明板があります。とあるさんの投稿に馬蹄形城の城跡という表現通り、主郭と二郭がアーチ状の曲輪になっています。主郭と二郭の鞍部から進入しますが積雪がすごくて二郭の切岸をよじ登りました。二郭と主郭の間は小さい堀切があり、城跡背後は谷(雪が多くて多分ですが)になっています。主郭は2段状になっていて、主郭が上段で片側に土居が残ります。小さい城跡で良かった、雪でもなんとか観れました。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

ここでの🗻眺望は必須と考えてました。 (2023/02/25 訪問)

ずっとこの日の天気予報は晴れでした。ここでの🗻眺望は必須だろうと。
甲府駅南口4番乗り場から,一高経由韮崎駅行き(8:30発)に乗車し「塩部」バス停下車。ここから(登城口の)緑が丘スポーツ公園を目指しました。
天気が良かったせいか,年齢を問わず多くの登山者が訪れてました。たぶん登城目的は私一人だったと思います。
御坂城攻城のすぐ翌日とあってか,ここの堀跡は子供だましぐらいにしか感じず…。

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ホリタカ

車で出丸まで行けるのです (2023/03/04 訪問)

城下町では「女城主」で有名な岩村醸造がイベント開催中で大盛況でした。麓の資料館でスタンプ押して登城。道程の6割はひたすら急坂を登る感じです。ようやく頂上に着いたら、車を出してくれた友人は、一足先に頂上の出丸に車を停めて出迎えてくれました。

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ホリタカ

まさに天空 (2023/03/04 訪問)

城に向かう途中の橋からも天空の城が望めます。麓の資料館に車を停めてスタンプ押して、歩いて15分くらいで頂上です。午前中に行ったら逆光でした。展望台からの眺めは絶景です。

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ホリタカ

ドラマ館が大盛況 (2023/03/03 訪問)

東岡崎駅からタクシーですぐです。(徒歩でも15分くらいです)ドラマ館があったり、お土産屋も大河ドラマ一色ですが、実際にはいろんな年代の石垣があったり、見所は多いです。

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ホリタカ

道の駅についてます (2023/03/03 訪問)

新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。古宮城を見て、帰りに道の駅 つくで手作り村に寄ったところ、隣に城がありました。道の駅で五平餅を焼いてもらってる間に登城。

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チェブ

お城攻めを忘れる。 (2023/02/04 訪問)

前回 投稿した「中曽根城」の後、「石浜城」攻めに転戦しました。

「石浜城」は築城年数は不明です。江戸氏一族の石浜氏の拠点だったようです。
享徳の乱に伴い、千葉氏の内乱が起こります。
千葉氏だけではありません。関東の至るところで戦がありました。
千葉 実胤さんは下総を追われ「石浜城」に入りました。ざっくり、太田 道灌さんが活躍していた時代の頃です。

「中曽根城」周辺、ごみごみの住宅街と一方通行を抜け隅田川方面に向かいました。
いつもなら木々が生い茂る、こんもりした場所を目指すのですが、「石浜城」は遠くから見える『東京ガスのタンク』をロックオンし向かいます。
『石浜神社』が「石浜城」の推定地の1つです。
隅田川沿いということもあり、とても気持ちの良い所でした。
駐車場もあります。しばし、東京ガスのタンクを眺めます。
あれ、板金加工の板を溶接したのでしょうか?丸い形に整える技法すごいな~と「石浜城」を脱線。
参道の右側に「石浜城」の説明板がありました。
歩けば、いろんな説明板があります。『石浜神社』は源 頼朝さんが奥州征伐の時、戦勝祈願をしたんだとか。

拝殿の右手には、いろんな神様が祀られ、1人1人にご挨拶しました。
なんだか、若い方が多く参拝してるな、という印象です。
石濱茶寮という和風のカフェがありました。
お茶してる乙女衆に混じり、お団子とアイスクリームで一休みし、次のお城に備えます。

ん?「石浜城」は?
遺構はありません。でも、なんだか和やかな気持ちになれる「石浜城」でした。

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ホリタカ

新城駅からレンタカー (2023/03/03 訪問)

新城駅からレンタカーで作手歴史資料館へ。受付のおじさんが資料をくれて、駐車場などを教えてくれました。

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城好きのメガネ

「市来鶴丸城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★★
市来鶴丸城は、10代当主・島津立久が市来氏を攻め滅ぼし、島津氏の直轄地となる。戦国時代には島津家の内紛が起き、島津貴久が支配する。山田有徳、新納康久などが地頭となる。1550年には聖ザビエルが当地を訪れ、布教活動をする。江戸時代でも、薩摩藩の外城のひとつとして地頭が置かれた。現在、曲輪、石垣、土塁、堀切等が遺されている。

<アクセス>
JR東市来駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「一宇治城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
一宇治城は相州家島津氏の代々の居城とされる。島津義弘や歳久兄弟は当地で育った。島津貴久が聖フランシスコ・ザビエルと会見し、日本で初めてキリスト教の布教を許可した地として伝えられる。現在、土塁・空堀等が遺されている。

<アクセス>
JR伊集院駅 徒歩20分

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カズサン

本丸東石垣城塁を想像⁉してみたり (2023/01/31 訪問)

 新しく出来た二の丸出世パーク、本丸北東隅石垣の遺構展示館を見学、展示石垣と解説板、解説板に堀尾吉晴時代の浜松城CG想像図及び石垣の解説が有ります、ここで本丸の在りし日の石垣をCGで確認、大河ドラマ館も見学し二の丸の東端からドラマ館、展示館越しに本丸、天守曲輪、天守閣を眺めると、丁度ドラマ館と展示館の屋根稜線が本丸に合い、ドラマ館と展示館の「東面」がさも往時の本丸石垣かなと想像したり、妄想が膨らみます。
 また、大河ドラマ館と本丸北東隅遺構展示館の間が本丸裏御門辺りに成るかとも想像妄想、本丸は東半分以上開削されて居ますので今回の出世パーク東からの眺めと改めて写真を再確認して一層本丸東石垣の想像が膨らみました。
 あくまでも私個人の想像妄想です。

 ちなみに大河ドラマ館と遺構展示館の漆黒外装は楽器の街浜松・ピアノの形と塗装を取り入れてた外観だそうです。

 現在浜松城での「どうする家康」大河ドラマ館はプレオープンが2月末で終り3月17日まで展示入れ替えで休館中です、グラウンドオープンは3月18日(土)から来年の1月14日までの予定です。
 

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ヒロケン

徳川家康公の祖 松平氏発祥の地 (2023/03/04 訪問)

江戸幕府初代将軍徳川家康公の祖先は、トヨタ自動車で有名な豊田市の外れにある松平郷より勢力を拡大していきました。家康公から数えて8代前の初代親氏は、東国から三河の松平郷に入り、土豪在原信重の娘と婚姻し、松平親氏と名乗りこの地を本拠にしたのが、始まりとされています。松平親氏の本城は、松平城でこの地に館を構えていたとのことです。

現在の松平氏館(松平東照宮)は、方形の平地を正面と西面に水堀を備え、江戸時代初期に整備された石垣があります。また、家康公の誕生の際、岡崎城まで竹筒に入れ運び、産湯に使われたという井戸もあります。
また、東照宮より東に15分ぐらい歩くと松平太郎左衛門家の菩提寺である高月院があり、東照宮・高月院を含むこの一帯が国の史跡に指定されています。
この一帯の風情が、日本の原型、山間の郷という感じで何とも良い場所だと感じます(*^▽^*)

にのまるさん。
金沢城の旬な情報は暫くお待ち下さい。にのまるさんのコメント、本当に嬉しく思います(*^▽^*)、本当にありがとうございました。

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WEST

飛山城跡探訪 (2023/03/02 訪問)

宇都宮市内にてお薦めなお城ということで宇都宮城址訪問後に寄りました。
城址公園内の駐車場も広いので自動車でも訪問し易く、またパンフレットも整備されており初めてでも見学し易いと思いました。

見どころは、復元整備された櫓台、堀でしょう。史跡内を歩きながら、それらを実感できました。
天気が良ければ富士山が見えるそうです。(私の訪問時はあいにく見えませんでしたが・・)

宇都宮市を訪問した際には、是非寄っていただき、見学してみてください。

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城巡り500城

素晴らしい土の城です (2023/03/05 訪問)

素晴らしい土の城です茨城県牛久市東京方はすぐにいけます、駐車場もあるし説明板もきちんとしています土の城の教科書ミニ杉山城のようです

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赤い城

長尾景春の乱の後に (2023/02/25 訪問)

熊倉城山への登山口がある峠上に駐車スペースがあります。
ただしここまでの山道には石が転がっていていつ落石が起こるかわからない感じです。
山登りの方もいらっしゃるので端の方に停めて登山口から反対側の登城口へ。
「熊出没注意」の看板もありますが冬眠中であることを信じて登ります。
少し登ると尾根にたどり着きます。
尾根上には二条の堀切、結構良い堀切でした。
さらに進むと二郭に着きます。
二郭には説明板が立っていて結構広さもあります。
空堀を挟んで主郭、土橋もかかっています。
主郭の先の三郭との間にも空堀があります。
三郭の先には小さな三日月形の曲輪もあり、その先には尾根が続きます。
長尾景春の乱で鉢形城から追われた景春が逃げ込んで築いた城です。
こんな山奥までよく逃げてきたものです。

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じゅんじん

南朝方 (2023/03/04 訪問)

南朝の関東6城と呼ばれています。結構笹があり夏場は辛そう。峠の駐車場から上がりました。

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じゅんじん

日月神社 (2023/01/04 訪問)

神社から土塁らしきものが見えます。

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じゅんじん

鎌倉公園 (2022/09/25 訪問)

なぜ鎌倉かはわかりませんが公園です。説明板がありました。駐車場は近くのドラックストアに停めて歩きました。

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