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赤い城

EXPO参戦前に立ち寄り (2022/12/17 訪問)

成瀬駅から徒歩で15分。
城跡は公園になっています。
恩田川沿いの台地上にあります。
公園には石碑と説明板が立っています。
説明板によると公園先端部分が物見台、民家との境のあたりが空堀跡となっています。
明確な遺構はありませんが地形から城跡を感じることはできます。
恩田川には桜並木があるので春に訪れるのがよさそうですね。

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カズサン

カズサンの令和4年登城ベスト10

 年々登城数が減って来ましたが令和4年は初登城、再登城合わせて85城を訪ねました。
 今年私の思い入れ、記憶に大きく残ったあくまでも私の主観です、10城選び披露させて頂きます。写真は以前投稿したものも入っています。順番は私の思い入れの深い順です。

 ①越前・白山平泉寺城・・イオさんの投稿で数拾年の疑問が払拭した中世の宗教城郭、圧巻驚愕しました(2022/11/03訪問)
 ②讃岐・高松城桜御門・・空襲焼失し77年振りに復元した三の丸御殿正門の桜御門(公開R04/07)(2022/10/23訪問)
 ③備後・福山城天守閣・・築城400年に天守閣裏面を鉄片で覆い往年の状態に改修(公開R04/08)(2022/08/28訪問)
 ④上野・箕輪城木橋 ・・本丸西虎口と蔵屋敷間の木橋(公開R04/03)(20022/11/13訪問)
 ⑤播磨・姫路城小天守/渡櫓・・ヒロケンさんの投稿で知り特別公開小天守閣と渡櫓、乾小天守からの大天守閣は圧巻の大迫力、渡櫓も初探訪(2022/08/28訪問)
 ⑥遠江・浜松城天守閣・・天守閣外装改修64年振り再建時の姿で一新、浜松在住なので(公開R04/12)(2022/12/21)
 ⑦上野・麻場城・・本丸周囲の深い堀と土塁は圧巻です(2022/11/13訪問)
 ⑧上総・坂田城・・舌状台地に空壕と土塁、曲輪、景観整備されれば素晴城郭です(2022/05/30訪問)
 ⑨常陸・小坂城・・赤い城さんの投稿で触発、曲輪/空堀/土塁が技巧的に横矢も掛かりよく残り見所満載(2022/05/29訪問)
 ⑩陸奥・桑折城・・ぎりょうさんの投稿で知り、樹木伐採で景観整備され城域がよく分かり上から下から見所満載(2022/05/28訪問)
 番外として写真投稿は有りませんが、越前・疋壇城(2022/11/03訪問)、上野・山名城(2022/11/13訪問)、丹波・上林城(2022/06/18訪問)

 以上私の令和4年訪ねた城郭、復元、改修を観た主観をもとに選びました①からの順番に掲載します。

 令和4年の投稿納と致します、1年ありがとうございました、良い年をお迎えください。
 

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POYO58

きたい丸編 (2022/12/11 訪問)

では月見櫓を出て、鐘の櫓に行きます。鐘の櫓は遠見櫓付近を通った敵を攻撃することができます。鐘の櫓ももちろん石垣しか残っていないですが、石段も残っています。しかもその石段には特徴があってV字になっています。これは氏郷が築いた会津若松城にもあり、同じ技術を取り入れていると思いました。(写真②)
その後、藤見櫓跡を通り、敵見櫓跡まで歩いていきますと、石垣に何やら1箇所だけ穴が空いている場所が。これは一体なんだ?パンフレットにも載っていないのでこれは発見でしょうか?少し嬉しかったです。(写真④)
敵見櫓跡の石垣は綺麗な算木積みになっていました。また12月でしたが、紅葉が石垣と被ってとても綺麗でした。(写真⑦)
天守台がもうそばにありますが、一旦きたい丸を先に攻城。高石垣で構成されていて櫓が建っていたことが想像できます。特に角櫓跡の石垣はすごく高くて綺麗です。(写真⑧)また角櫓には礎石も残っていました。(写真⑨)
では天守台へ向かいます。続く

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ぴーかる

湯尾城・湯尾峠 (2022/11/27 訪問)

【湯尾城・湯尾峠】福井県南条郡南越前町
<駐車場他>湯尾城跡登城口<35.789717, 136.196680>道路脇に駐車
<交通手段>車

<見所>曲輪・竪堀・石垣(湯尾峠)
<歴史>城びと未登録の湯尾城の歴史は現地説明板によると、
1183年 木曽義仲が湯尾峠に陣を構え燧ヶ城を築き平氏軍を防ぐ。(火打城の戦い)
1336年 杣山城の瓜生氏が関を設け北陸道を塞いだ。上野ヶ原合戦
1574年 府中城主富田長繁と戦う一向一揆勢2万人が拠った。
1574年 織田信長と対陣した時に七里頼周が一向一揆勢と立て籠もった。
1583年 賤ヶ岳の戦いの時に羽柴秀吉軍が敗走する柴田勝家軍の反撃に備えて湯尾に陣を張った。

湯尾峠は今庄集落と湯尾集落を分ける峠で古代から北陸道が通る交通の要衝でした。戦国時代に柴田勝家が大改修を行って湯尾城と湯尾峠は今の形となりました。湯尾峠は疱瘡よけの孫嫡子信仰でも有名であり江戸時代には4件の茶屋が建ってお札を売って、「おくの細道」や江戸期の作品に多く取り上げられています。明治には明治天皇が北陸巡幸の際に休憩されて石碑が残ってあります。

<感想>麓に上野ヶ原古戦場跡があります。上記場所に駐車して峠を進むと上野ヶ原合戦で瓜生軍が討ち取った高師泰方の大将首を洗ったといわれる血頭池があります。馬の水飲み場や明治天皇御膳井跡を過ぎると峠にたどり着きます。峠の南北に虎口があり石垣遺構があります。この石垣は江戸期の茶屋が建てられたときのものらしいですが、南側には大竪堀が残っていて柴田勝家が築造したものを改修利用したものとも思いたい感じがする見事さがありました。峠虎口の東側曲輪の奥に巨大切岸の山があって主郭方向に進めます。上に登って尾根上の平坦な曲輪を進むと堀切があってその先に主郭があります。主郭の東側に古道の虎口遺構があって転落石があったので石積みであったような感じがしました。古道の方は藪化して下方に畝状竪堀があるようでしたが進めませんでした。主郭の更に東側に鉄塔の建っている曲輪があります。
 湯尾峠の東側に文化遺産でもある旧北陸道湯尾トンネルがあって登城前にここを車で通ってやって来ました。明治にできたそうですから古代から130年程前までの長い時を街道の要衝として使われ、また幾多の合戦の場所だったことも勉強になりました。見所あるいい所です。

<満足度>◆◆◇

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POYO58

表門跡、月見櫓編 (2022/12/11 訪問)

では周って表門跡へ行きます。表門跡は比較的低い石垣で枡形を形作っていました。そのあと遠見櫓(写真①)に目を通して、月見櫓へ向かいました。なおこの時写真をあまり撮っていませんが、復路で月見櫓台などを撮ったので後の投稿で転送します。
本丸下段に入り、月見櫓を見ようとしたところ、何と本丸上段に続く石段にロープがかかっており、石垣の積み直しが行われていました。(写真④)まさかまた通行止めと思い機嫌はますます悪くなります。
ひとまず月見櫓の上に立ってみると石垣がとっても高かったです。(写真⑧)友人が怖い怖いと冗談っぽく言ってましたが、これはほんとに怖いかも。柵がないので転落には十分に警戒してください。
月見櫓からは表門を見ることができます。表門の枡形虎口がはっきり上から見えました。(写真⑨)
さてルート変更となってしまいましたが、次は鐘の櫓へ向かいます。 続く

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零汰

訪問し易いです (2022/11/04 訪問)

西側の日吉神社駐車場に停めて、神社左側から登山道に入って行きました。三の郭までの登山道の右手にはいつからか空堀が走っています。城の遺構か分かりませんが眺めながら山頂を目指しました。

参考訪問データー:55分:1.6km:累計高低差158m

標高234.4mの山頂周辺が城域です。北から南に、三の郭・一の郭・二の郭の順で一の郭から東に旧三の郭が有ります。見どころは一の郭と二の郭の境の堀切でしょうか。脇には高石積も残っています。こちらも訪問し易い城跡です。

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駿府城

シンポジウム「今川館(いまがわやかた)の姿にせまる」を開催します!

令和4年2月に開催予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期となりました、シンポジウム「今川館の姿にせまる」の振替日が決定しました。

日時:令和5年2月4日(土)10:00~16:00(開場9:30)
場所:静岡市民文化会館大ホール
受付開始:令和5年1月6日(金)~

申込方法や詳細は下記URLをご覧ください。
http://www.shizuoka-bunkazai.jp/project/2022/12/post-91.html

文献史・考古学・都市史の分野の垣根を超え、各研究の第一人者の先生方にお集まりいただきます。先生方の貴重なお話や熱い議論をお見逃しなく!

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シロノヒカリ (2022/11/06 訪問)

姫路城のシロノヒカリに行って来ました。
世界遺産の姫路城は、年に一度シロノヒカリというイベントを夜に行っています。
日中に見る姫路城とは、また違ったもうひとつの姫路城が浮かび上がってきていますね。
また、来年の2月11日より1ヶ月に渡って特別公開があります。
今回は、菱の門です。
菱の門と言えば、火灯窓が左右にあり、格子窓、武者窓もあります。
火灯窓は、伏見城より移築されたという説もありますが、真偽は不明です。
両柱の上の冠木に、木彫りの菱の紋を打っているところからこの名前が付いています。
門番部屋と馬見所があり、二階の櫓部内には3部屋あります。
この二階の櫓部に入るには、横の雁木を登り西側の火灯窓の隣に入り口があります。
二階の櫓部内は、初公開となります。
この特別公開は、行く価値が高いと思います。
西小天守も特別公開して欲しいと個人的に思っております。

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イオ

細川越中守忠興屋敷跡 (2022/12/07 訪問)

大坂城三の丸にはかつて細川忠興の屋敷があり、屋敷跡の道路脇には細川越中守忠興屋敷跡の石碑が建てられています。また、石碑の道向かいには屋敷の台所のものと伝わる井戸があり、越中井の石碑と説明板が設けられています。

大坂城の細川忠興屋敷といえば細川ガラシャ最期の地として知られますが、越中井の石碑側面にはガラシャの辞世が刻まれています。また、越中井から南に徒歩3分の大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、細川忠興屋敷跡に建てられていることから、大聖堂入口右側にガラシャ像(左側には高山右近像)が、南東向かい側にはガラシャ慰霊塔が建てられています。カトリック信者でなくても見学できるようなので大聖堂内に入らせてもらうと、両脇のステンドグラスから差し込む光と堂内に響くパイプオルガンにより荘厳な雰囲気が漂っていました。正面奥には和装の聖母の両脇に高山右近と細川ガラシャを配した大壁画が掲げられ、右側にはガラシャの最期が描かれています。

…ということで、麒麟がくる紀行の一環としてガラシャの出生、新婚、幽閉、そして最期の地をめぐってきましたが、最期の地に立ってみて、改めて何とも言いいようのない気持ちになりました。ガラシャの生きざまに心を動かされる一方で、誰の記憶にも残らない平凡な一生であっても幸せに暮らせていたなら、という思いもあって……だめだ、やっぱ何も言えねぇ…。

# 訪問時に屋敷跡石碑の写真を撮りそこねていたので、翌週に雨の中を再訪する羽目になりました。やれやれ。
 

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モト

名城には何度行っても (2022/09/17 訪問)

何度訪れても深い堀や高い土塁、見事な遺構に大満足の滝山城です。
何度か訪れた事のある滝山城でしたが、いつ来てもほんと心踊る遺構たちです。
何回来てもまた違う見え方もする事もありますし、城巡りは辞められませんね。

実はこの日は払沢の滝を見に行くという事でこの地を通りました。
目的地に向かっている最中にに携帯のナビを見ながらまさか横を通る事に気がつきました。
たとえ別の目的があって近くに来たとしてもこんな素晴らしい城跡に寄らないなんて選択肢はありませんでした。

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赤い城

安中小学校に石碑 (2022/12/10 訪問)

安中小学校の校門前に石碑が立っています。
小学校のあたりは二の丸。
文化センター周辺が本丸の跡ですが遺構はありません。
本丸背後は高低差があり、城の雰囲気は感じることができます。
武家屋敷なども残り、それなりに散歩できる感じでした。
武田氏に備えた城ですが小田原征伐時に廃城となったものの、江戸時代には井伊氏が入り改築まで残されました。

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POYO58

日本100名城スタンプ巡りNo.4 松阪城(再攻城) 裏門跡、二の丸、月見櫓跡 (2022/12/11 訪問)

裏門跡、二の丸周辺の遺構★★★★☆ 石垣のみだけど状態はかなり良さそう。
友人と松阪城に行ってきました。もちろんこれも再攻城です。再攻城多くないかと思われるかもしれませんが、ご了承ください。
松阪城は織田信長と豊臣秀吉に信頼された蒲生氏郷が築きました。当時氏郷は29歳という若さでした。滋賀県の松ヶ島城から移ってきたそうです。氏郷は穴太衆を呼び、彼らに立派な石垣を築かせました。その後は何度か石垣の修復が行われ今の状態になりました。
1回目の攻城時は表門跡から入ったのですが、今回は裏門後から入ってみました。高石垣で枡形虎口を構成されていて近世の技術を想像しました。そして太鼓櫓跡を見て中御門跡を通って行こうと思ったら何と工事中でした。何と!石垣の積み直しが行われるようで通行止めに泣。仕方なく二の丸御殿跡を通っていきました。ここは広場になっていました。また徳川陣屋跡でもあったようで歴史のロマンを感じました。そしてさらに歩き月見櫓跡をそばにあるトイレ越しに眺めました。なかなか美しい石垣で結構高かったので櫓があったことが想像しやすかったです。たぶん櫓も結構大きかったんだろうなー。
さあ大周りですけど次はスタンプを押しに表門跡周辺へ足を運びます♪ 続く

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零汰

気軽に楽しめる良い城跡 (2022/11/20 訪問)

こちらは石碑のある郭10に直接行く事が出き、気軽に石垣を楽しめる事が出来ます。

参考訪問データー・・・・・・・30分:0.5km:累計高低差50m(郭10駐車)

林道を上っていくと西郭群の石垣が左手に見えてきます。少し進むと石碑がある郭10、そこに停めて頂上付近の東西に300m程の範囲を廻りました。何といっても石垣が見どころです。案内板には頂上以外にも遺構の説明は有りましたが、予想以上の石垣に満足してしまって見ていません。こちらに限らず主郭に直接辿り着くと途中の遺構を見る事を放棄してしまいます。気軽に楽しめる良い城跡だと思います。

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小城小次郎

まさにここがキリスト教伝来の地だ (2022/07/04 訪問)

ザビエルが島津氏から布教許可を得たお城であり、まさにここがキリスト教伝来の地である。鹿児島を藩庁とした際、藩主の父・島津義弘は「一宇治城こそ藩庁に相応しい」と推奨したほど、島津氏にとって重要な場所だった。

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朝田 辰兵衛

往路は,京王多摩センター駅から歩いてみました。 (2022/11/28 訪問)

往路は,京王多摩センター駅から歩いてみましたが,すでに登攀が始まっています。もう少し,楽しめる景色を期待していたのですが,あまりの殺風景で足取りは捗りません。復路は下りでしたが,路線バスを利用。最寄りは「南野2丁目」バス停ですが,本数少。「落合6丁目」まで下ると循環路線に入るため,ここまで歩いて路線バスを利用しました。
相模と武蔵の両国府に小野という地があり,それを結ぶ道が小野路の由来ともいうらしいです。

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城好きのメガネ

「柏の城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
柏の城は、武蔵の有力豪族であった大石氏が築いたとされる。戦国時代には後北条氏に服属し、小田原征伐の際に豊臣勢に攻められ落城したとされる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武鉄道東上本線 柳瀬川駅 徒歩15分

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城好きのメガネ

「板橋城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
板橋城は豊島氏の一族である板橋氏が築いたとされる。戦国時代には後北条氏に従い、小田原征伐の際に廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
東武鉄道東上本線 ときわ台駅 徒歩10分

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城好きのメガネ

「旧二条城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
旧二条城は1569年頃に織田信長が第15代将軍・足利義昭の居城として築いたとされる。その後、織田信長と対立した足利義昭は追放され、室町幕府の終焉とともに廃城となる。安土城の築城に伴い、旧二条城は解体され建築資材として再利用された。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
京都市営地下鉄烏丸線 丸太町駅 徒歩10分

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シェル

田んぼ道の先にあるお城 (2021/11/05 訪問)

車で登城しました。道路に案内板は設置されてありますが、周辺は道が狭いので注意が必要です。
駐車場には、新築の案内所とトイレが設置されており、訪問時には、案内所でボランティアの方が城の解説をしていました。
案内所の入口にて続100名城のスタンプを押印。
パンフレットも充実しています。
木などが程よく伐採されていて、城の遺構はとても見やすいです。
特に虎口の遺構は、とても立派です!!

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イオ

玉造稲荷神社 (2022/12/07 訪問)

仕事で近くに来たついでに大坂城の三の丸跡をぶらぶらと。

大坂城三の丸跡に建つ玉造稲荷神社は、豊臣期、徳川期を通じて大坂城の鎮守社として崇敬され、境内には豊臣秀頼が社殿を再建した際に奉納した石鳥居(阪神淡路大震災で基礎が損壊したため上部と脚部に分けて移設)や、摂関家の当主らしく衣冠束帯姿をした豊臣秀頼公像、秀頼公胞衣塚大明神など秀頼ゆかりの史跡が見られます。

また、玉造周辺には前田利家・利長、宇喜多秀家、島津家久、鍋島勝茂、細川忠興、浅野長政・幸長・長晟、古田織部、増田長盛など名だたる諸将が屋敷を構えており、千利休の屋敷もあったようで境内には千利休居士顕彰碑が建てられています。
 

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