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赤い城

比企城館群の一つ (2022/01/30 訪問)

東上線の東松山駅から徒歩で25分。
吉見百穴の隣にあります。
登城口から登って行くと笹曲輪があり、その上に本曲輪が位置しています。
今回は兵糧庫から岩室観音堂上の竪堀を経て怱曲輪へと歩きました。
怱曲輪には岩盤を削った二重の竪堀があります。
この時季は藪も枯れていて歩きやすいです。
曲輪4の外側にも堀切、三ノ曲輪、ニノ曲輪へと進みました。
それぞれの曲輪の間には深い堀があり、縄張りは結構複雑。
扇谷上杉氏と北条氏が戦った城は見応えのある城です。
一部藪になっているのでやっぱりこの時季に行くべきかと。
比企には他にも魅力的な城が沢山あるのでお勧めのエリアです。

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カルビン

[鎌倉殿の13人]関連史跡 石橋山古戦場と佐奈田霊社 (2016/10/23 訪問)

源頼朝が平清盛に反旗を翻したと思われる最初の戦いの場が石橋山古戦場となります。

およそ10倍の敵になすすべも無く敗れた頼朝はここから一旦南のしとどの窟に隠れ、この後東京湾を渡って千葉県へ無事難をのがれた
(ちっw←実は日本史上個人的に三本指に入る嫌いな人w)
訳ですが、ここで日本三大与一の一人?とされる弓の名手・佐奈田与一も戦死してしまいます。

現地には古戦場の碑、解説の他に霊堂や佐奈田与一討死の標柱、そしてその与一を祀った佐奈田霊社があります。
丁度JR根府川駅と早川駅の間にあるのでどちらからでも時間は変わらないかと。
(一応佐奈田霊社の駐車場があるので車でも訪問出来るかと)

この辺までが鎌倉殿の13人で放送された場所で、次回は房総半島に逃げた頼朝のエピソードになるのでは?と思ってます。


大河を追いかけるように投稿するつもり・・・とか書いておいて、実際のところ他には次回放送すると思われる周辺のネタしか無いんですけどね(苦笑)
頼朝落馬乙の地もまだ訪問していないので、放送前にはコロナ収縮して行けるといいな~(汗)

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刑部

平将門の城? (2022/01/30 訪問)

通りの入口に平将門の城と案内されているが本人に関係あるのか不明ですね?
ここは、公園なので子供連れで楽しんでる人が多いですね。
でも奥の方は遺構がかなり整備されて見やすくなっています、所々に案内板がありわかりやすい。障子堀もあったらしいですが今は普通に堀切になっていました。この城は連郭式の城かな?水系に囲まれた半島の先が本丸でした。今は畑や公園でわかりませんが・・・。結構見所ある城址でした。

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カズサン

埋門横の濃ミツバツツジ今は無く (2011/03/29 訪問)

 天守曲輪埋門横の石垣上端に濃い目のミツバツツジが植わって居ました、そのミツバツツジと八幡台下の染井吉野桜と天守閣南西角を狙ってミツバツツジが咲いてる時、染井吉野桜が咲いてる時を上手く合わせながらワンショットを撮るのを長年やって居ましたが、ミツバツツジと染井吉野桜の開花の時期が少し違いますので中々撮れますん。
 私の城びとプロフィールのアイコンはこのショットを使っています、11年前の平成23年3月下旬染井吉野桜開花が遅く、濃い目のミツバツツジ、日本庭園の枝垂れ桜、これは早咲きで満開、日本庭園も開園が昭和末期でしたから樹勢が弱り咲く枝垂れの姿が変形気味。
 これらの写真を投稿します。
 
 現在埋門横石垣上のミツバツツジは平成28、29年頃の本丸曲輪内の発掘調査時に撤去されたようで無くなって仕舞いました、この発掘調査では南東角に二重櫓跡の発見と言う大きな成果も有りました。
 この成果で駐車場から浜松城中心に進む途中に浜松城解説案内板があり、堀尾期の浜松城想像図の天守曲輪南東角に二重櫓が描かれています、ご参考までに。

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モト

続百名城だけあって (2021/05/06 訪問)

比較的整備されて歩きやすくなっている城跡でした。
それでもさすがは続百名城、雰囲気がありました。
本丸跡に碑が建っていたり、登って行く際にいくつかの門跡などもあります。

登る道は二通りくらいありましたが、登った道とは別の道の途中にあった石垣跡にテンションがあがりました。
崩れたり土に埋もれてか残った範囲も限られたりとかなり目立たなくなったその石垣になにか往時のことを想像しながら眺めて帰りました。

近くの小学校には移築門があるようです。
ぜひ次はそこも行きたいと思います。

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イオ

半分だけでも (2022/01/15 訪問)

室町期に在地土豪の椿井氏が居城として築いたとされ、松永氏のもと信貴山城の出城となったとも、松永氏滅亡後には嶋左近の居城となったとも言われますが、詳細は不明です。

矢田丘陵南端の南北ふたつのピークを中心に連郭式に曲輪群を配した山城で、北郭群が主城と考えられますが、北郭群は遺構保護のため見学路が整備されるまで進入禁止になっています。

道の駅の第二駐車場に駐めさせてもらって登城開始。東側に聳える山並みが椿井城のようです。登城口までは10分ほど歩きますが、あちこちに案内標識があって迷う心配はありませんでした。登城口は、地名の由来であり聖徳太子ゆかりの椿井井戸側と椿井春日神社側の二つあり、北郭群と南郭群の間の鞍部に続く椿井春日神社側が大手道にあたります。なお、椿井春日神社境内の西隣には宮山塚古墳と呼ばれる円墳がありますが、墳丘から大手口まで土塁が築かれ、墳丘は削平加工されて、大手口の防衛施設となっていたようです。

大手口から登ること約10分で鞍部に到着。北郭群側には進入禁止の案内表示と柵が設けられていますが、笹藪と化していて整備している様子は窺えません。鞍部から南に数段の曲輪を抜けると南郭群の主郭です。主郭には椿井城ののぼり旗がはためき、西側には平群谷と生駒山地の眺望が開けています。説明板によると主郭東下には石積と竪堀があるようですが、笹藪の中でよくわかりませんでした。主郭の南端には土塁があり、土塁の脇から下りて行くと副郭との間を隔てる深い堀切が設けられています。副郭には新しい説明板(2020年12月)とのぼり旗が建てられ、南端の浅い土塁の先には堀切と土橋があります。遺構保護のためか滑り止めか、土橋に人工芝が敷かれているのは残念ですが、土橋は細く両側は鋭く落ち込んでいて怖いほどでした。南郭群はここまで。土橋を渡って登城道を下って行くと山麓に宮裏山古墳があり、そのすぐ下が椿井井戸登城口です。

何年か前から北郭群の整備が済んだら訪れようと様子を見計らっていましたが、なかなか進展が見られないので、しびれを切らして来てしまいました。南郭群だけでは規模的に少々物足りなくはあるものの、眺望は良く、堀切は深く鋭く見応えがありました。説明板によれば発掘調査は済んでいるようなので、これからいよいよ北郭群の整備が進められるんでしょうけど、以前は登城道すらない藪の中の城だったのがここまで整備されたんですから、気長に待つことにします。
 

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ばばよ

建物復元しないかな (2021/07/11 訪問)

石垣のない近世城郭。馬出し空濠有名ですね。
資料館は規模は小さいですが、復元模型や古写真が充実。
天守は古河城三回櫓建地割図を基に作られたのではないかとか。
公園自体は空濠や本丸の土塁に城跡をどうにか見出せる程度ですが、資料は多いので色々復元できそうな雰囲気はありました。

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todo94

2021年の城納め・手打麓(鹿児島県薩摩川内市下甑島) (2021/12/29 訪問)

予定では里港周辺を徒歩散策するだけの予定でしたが、急遽レンタカーを借りて下甑島を目指すことにしました。2020年8月に鹿児島県で一番長い橋甑大橋が開通していました。甑島が1つにつながったおかげで日本遺産「薩摩の武士が生きた町~武家屋敷群「麓」を歩く~」の構成資産・手打麓まで脚を伸ばすことが出来て満足です。此処が2021年の城納めとなりました。

津口番所跡はパスしてしまったので、いつか、甑島は再訪したいと思います。やはり、断崖絶壁の絶景は青空の下で楽しみたいですし、ナポレオン岩も見てみたいですので。今回、かごしまらくめぐりキャンペーンで甑島にて2つのスタンプをゲットし、レンタカー料金が2000円引きとなりラッキーでした。

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Ohmi_jin

昔の写真

初めて車で行った記念すべき城です。

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赤い城

整備されて堀底道が歩けた (2022/01/30 訪問)

東武東上線の森林公園駅から徒歩で25分。
まずはラブホテルの背後に空堀と土塁がありました。
古ぼけた標柱も立っているもののこの時季でも藪でした。
ここは再訪なのですが前回は夏で結構な藪でした。
今回はこの時季だからというか結構整備されていて深い堀底道を歩くことができました。
郭内は畑で高い土塁が囲んでいます。
扇谷上杉氏がここに陣を置いたとの記録もあるようです。


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しらさぎ

三方の馬出が特徴 (2021/09/19 訪問)

主郭の石垣以外にも東馬出や南馬出が残っております。
南馬出は未整備状態ですが高土塁が確認できますし、大手馬出も名残は確認できます。
周辺には武家屋敷通りも残っており、何件か内部も見学できますので飽きることはないかと。

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ばばよ

竹林と空堀と (2021/05/22 訪問)

竹林の立派な山城。
規模は大きくなく、回れる場所も限られてはいますが、急峻で空堀もしっかりした衛りの城でした。
訪問した日も整備されてる方がいらっしゃいました。感謝。

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イオ

藪を抜けた先には… (2022/01/15 訪問)

富雄川西岸の尾根の先端に位置する丘城で、詳細は不明ながら、室町期に筒井氏の傘下にあった小和田氏が築いたとされます。

北麓の大和田集落のため池近くの道幅が広くなったあたりに路駐して登城開始。先人の投稿を参考に北西側からアプローチするも防獣柵の扉を見つけられなかったので、縄張図であたりをつけて倉庫の背後の藪に突入。藪を抜けると北西部の池が広がっていました。

池の東側には主郭北辺の横堀が東西にのび、東端で折れて南(東辺)に続いています。横堀は幅も深さもあり、なかなかのものです。主郭北辺の土塁はかなりの厚みがあって、土塁上の北辺をさらに低い土塁がめぐり、中央部は櫓台状になっています。主郭西辺にも土塁がのび、土塁の外は西尾根を遮断する堀切になっていて、土塁が途切れたあたりに土橋が見られます。ここが虎口だったようです。

土橋を越えて西尾根を進むと廃屋があり、その先の防獣柵の扉から出ようとしましたが、内側から探してもやはり扉は見つけられず、やむなく主郭まで戻って藪を抜けて城を出ました。全く整備されていませんが、その分遺構は状態良く遺っていて、諦めずに藪を突破した甲斐がありました。
 

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陣屋と御殿 (2022/02/06 訪問)

 奈良時代より遠江国の国府置かれていた場所ですが、徳川家康がこの地を支配していた頃、鷹狩の際に使う施設として、または移動時の拠点として御殿を建てたと言われています。家康の関東移封後、この地を支配した堀尾吉晴により陣屋が御殿に隣接する場所に築かれています。江戸時代は直轄領となり代官所となりました。磐田駅南口に「御殿遺跡公園」として整備されていて陣屋の石碑と案内板もあります。
市内にはそれぞれの門が移築され残っています。全部回ったことがなかったので、今回行って来ました。
中泉御殿の移築門
   表門 西光寺
   裏門 西願寺(門扉が新しくなっていますね)
中泉陣屋の移築門
   表門 市内の個人宅
   裏門 中泉寺

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Rocky

障子堀 (2021/12/19 訪問)

北条名物障子堀。これだけでも見る価値があります。

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ぴーかる

楯岩城 (2022/01/15 訪問)

【楯岩城】
<駐車場他>若王子神社側のルートは若王子神社前にゲートがありますので、ゲート前に駐車スペースがあります。ゲートを開けて神社内にも駐車できそうです。
<交通手段>車

<見所>石垣・大岩・竪堀・主郭南側の段曲輪壁
<感想>赤松氏の関連の山城攻め昨年からのつづき。楯岩城は行ってみたかった城、朝駆けで攻城した。
楯岩城は建武年間(1334年~1338年)に赤松則弘が築城しましたが、嘉吉の乱で一旦落城します。その後赤松貞村が入城し、その後5代続きますが、羽柴秀吉の播磨攻めによって落城しました。
 登城ルートは西側の若王子神社からを選択しました。境内に登城口と案内板がありますのですぐ分かります。案内板の奥、山の谷間に方形の段曲輪があり壁面に古い石垣遺構が見られます、居館跡かと思います。登山道は広いので迷うことなく20分程で城跡の西端から入ります。東西に伸びる尾根上を切開いて削平地化しています。南北の斜面に竪堀を配して、二の丸・主郭の南斜面は石垣がかなり残っています。
 最大の見所、主郭の南側に5段程の段曲輪がありますので是非ともストックと手袋を用意して下段まで降りて見て下さい。上から覗くとほぼ土の段曲輪のように見えますが段曲輪の曲輪壁すべてが岩と岩の無い部分は石垣で埋めています。下から見ると圧巻で楯岩城由来はここにあるかと思われます。今では崩落して欠落した部分が多いですが当時は岩と石垣で覆われていたことと思います。思うに岩の集中部分の上部を削平地にして段曲輪を造ったような感じがしました。
 TV塔のある主郭は狭く、すぐ東側が城山(楯岩城大山構)との鞍部があり鞍部の中程南側斜面に石積み遺構があります。私見では城門跡と見ました。鞍部北側は竪堀が数条あります。大山構と呼ばれる場所にも行ってみました。主郭より標高が高く広い曲輪内に巨石が多くあります。地表には主郭周辺にあった人一人が持てるような岩が無く、巨石を並べて仕切壁のようにしているのでこちらも何らかの施設だったと思われます。
 私見ですが、麓の居館跡と思われる段曲輪も東西に段になっているので大手道は西から居館跡を突き抜けてさらに東に山の谷間を登って城の真南辺りから方向を北に変えて登って行くと主郭から南に伸びる巨岩壁の段曲輪が待ち構えている。大手城門虎口はさらに東の主郭を超えた東側にあるので敵がそこまで辿り着くのは大変だ。山頂は大山構のある場所であり城門の入ったそばに主郭があるのは不自然なので主郭のみを最重要曲輪としてではなく、城の南側を特に強固な造りにして城全体を守る感じになっていたように思われます。

<満足度>◆◆◆

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じゅんじん

キャンプ場? (2022/01/15 訪問)

道路沿いに城址碑と説明板があります。そこに駐車して林のほうへ。門跡があり主郭へ。いくつか曲輪があります。かなり整備がされていました。

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カルビン

[鎌倉殿の13人]関連史跡 しとどの窟 (2016/10/23 訪問)

散策自粛している今、丁度鎌倉殿の13人を放送しているので、ゆかりの史跡をご紹介したいと思います。

放送ではスルーされてましたが、石橋山合戦で敗北した源頼朝が身を潜めていたとされる場所が[しとどの窟]と呼ばれております。
(大泉洋さんの夢枕に西田敏行さんが登場したシーンの場所です(笑))

近くにある土肥城城主・土肥実平にこの場所に匿われた・・・んだそうな(ーωー;)

現地には解説版と雰囲気のある洞窟が残りますが、逆にそれだけなので行かれるかどうかの判断はお任せします。。。



湯河原駅からバスで[しとどのいわや]バス停で下車し、上に行くと土肥城、下に行くとしとどの窟に行けますのでセット訪問が良いかと。

ただこのバス思いっきり本数が少ないので、お城と史跡散策した後は急坂を下って土肥氏の菩提寺・城願寺も合わせて訪問するのがよいでしょう(バス停のところに駐車場あったので車なら問題ないかな)

ちなみにこの下りの道中、前にも土肥城UPした際に野生の猪と遭遇して危険な目に遭っておりますので要注意です。
(土肥城の記事にも猪ネタ以外にも上と同じような事書いてましたww)

余裕があれば今後も鎌倉殿の13人ネタ書くかもしれません(^^;)

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Yosihiko

浜松城 (2022/02/06 訪問)

攻城 🏯9城、攻城址4

徳川家康が三方原の合戦に大負けして、浜松城に逃げ帰り門を開けたままにして武田軍にワナだと思いおこさせ、城を死守。

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Yosihiko

長篠城址 (2022/02/06 訪問)

攻城址🏯8城、攻城址4

何も無い。近くに飯田線と第二東名が見えました。

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