かいぶきやまじょう

貝吹山城

奈良県高市郡


旧国名 : 大和

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todo94

大河ドラマ館に赴く前・奈良ドライブでの攻城⑤ (2026/04/18 訪問)

とある煩悩の登城目録さんの投稿で、間違って別の貝吹山城のところに投稿してしまったことに気が付きました。改めて投稿しなおします。

宇陀松山城からの転戦です。麓に余楽カンジョ古墳があります。きれいな竹林の葉が黄色く色づいていました。そのうち、一斉に枯れてしまうのでしょうか。大量の笹の枯葉が登城路に積もっていました。竹林の先の登城路には倒木なんかもあって主郭周りもちょっと草が伸びてきている状態でしたが、とりあえず、この時期に登城しても問題はなさそうな城でした。

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与楽乾城古墳近くより (2026/05/28 訪問)

 越智氏の城で標高は210.3m。山頂には「牛頭天王の塚」と呼ばれる直径約3mの円墳があり、ここが主郭と思われます。貝吹の名はホラ貝を吹き、敵襲を知らせたことに由来するようです。与楽乾城古墳近くに南からの登城口があり、所々標識もあり迷うことなく主郭まで行くことができます。ただ倒竹や前日降った雨で滑りやすくなっていた堆積した落ち葉にやや難渋しました。途中に曲輪と思われる削平地がありました。堀切などはないようです。

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8目:貝吹山城 (2024/09/29 訪問)

今日は移動距離が長いので、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。
新王寺駅から始発電車で飛鳥駅に到着しました。
飛鳥駅から徒歩25分弱で、登城口入口付近(34.464639、135.780722)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、越智氏によって築かれたと云われています。
1546年(天文15年)筒井順昭によって攻められて落城し、以後は筒井方の城となりました。
1549年(天文18年)と1557年(弘治3年)に二度に渡って越智方が貝吹山城の奪還を試みますが、いずれも失敗しました。
その後、大和に進出した松永久秀の城となったが、1566年(永禄9年)瓜田某の内通により越智氏の城となりました。
その後、1568年(永禄11年)から翌1569年(永禄12年)にかけて松永久秀や久通などが貝吹山城を攻め、1569年(永禄12年)に松永方へ明け渡されました。

主郭は山頂にあり、無数の平段が曲輪跡と思いますが、明瞭な遺構ではないようですが、石碑は確認できました。
手作りの説明図と縄張図がありました。
雨が降りそうなので、駆け足で見学した為、攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=越智城へは、ここから徒歩で向かいました。

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ぴーかる

貝吹山城 (2023/11/19 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.463349, 135.780264>地点の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>主郭・眺望
<感想>貝吹山城の築城年は定かではありませんが、西にある越智氏本城の支城でありました。現地説明板には天文年間(1532~1555年)頃までは越智本城を守る矢倉台として、他の支城と連携して危急の際に法螺貝を吹く任務を帯びていたそうです。天文頃から防御施設を強化して越智本城の詰城としたそうです。越智氏は戦国時代は織田信長に仕えますが、本能寺の変後は羽柴秀吉に通じて存続を試みますが、筒井順慶に通じた家臣に暗殺され滅亡します。
 登城口はカンジョ古墳の東側にあり古墳から案内がありますのですぐ分かります。登り始めてすぐぐらいに右手に古墳の丘陵があります。堡塁のような役割をしていたと思われます。登山途中には堀切等の遮断遺構は見受けられませんでしたが、侍所のような小さな削平地や土橋がありました。山頂主郭は東西に長く中心部分が高くなっています。現地説明板(手書きの説明板で素敵)には「四方の尾根上に諸郭を設け」とありますが藪化と尾根上にもあまり目立った遺構は見受けられませんでした。西側と南西側の木々が開けていて眺望が良かったです。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 越智氏
築城年 不明
主な城主 越智氏、筒井氏、松永氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑
住所 奈良県高市郡高取町寺崎他