かいぶきやまじょう

貝吹山城

奈良県高市郡


旧国名 : 大和

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主郭
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ぴーかる

貝吹山城 (2023/11/19 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.463349, 135.780264>地点の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>主郭・眺望
<感想>貝吹山城の築城年は定かではありませんが、西にある越智氏本城の支城でありました。現地説明板には天文年間(1532~1555年)頃までは越智本城を守る矢倉台として、他の支城と連携して危急の際に法螺貝を吹く任務を帯びていたそうです。天文頃から防御施設を強化して越智本城の詰城としたそうです。越智氏は戦国時代は織田信長に仕えますが、本能寺の変後は羽柴秀吉に通じて存続を試みますが、筒井順慶に通じた家臣に暗殺され滅亡します。
 登城口はカンジョ古墳の東側にあり古墳から案内がありますのですぐ分かります。登り始めてすぐぐらいに右手に古墳の丘陵があります。堡塁のような役割をしていたと思われます。登山途中には堀切等の遮断遺構は見受けられませんでしたが、侍所のような小さな削平地や土橋がありました。山頂主郭は東西に長く中心部分が高くなっています。現地説明板(手書きの説明板で素敵)には「四方の尾根上に諸郭を設け」とありますが藪化と尾根上にもあまり目立った遺構は見受けられませんでした。西側と南西側の木々が開けていて眺望が良かったです。

<満足度>◆◆◇

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しんしんちゃん

多くの郭が備わるが竹藪に覆われているものも多い。 (2021/04/03 訪問)

貝吹山城は越智城の支城で越智氏の城でした。越智氏、筒井氏、松永氏と持ち主が
変わり、永禄9年(1566)瓜田某の内応によって越智伊予守が復帰しますが、松永久秀が
城を奪取に押し寄せ越智氏はこれを撃退しますが最終的に松永氏に城をあけわたしています。
主要な郭は山頂部にあり、周囲に多くの郭を備えます。山腹にも多数の小さな郭を備えて
いますが、多くは竹藪に覆われて確認は難しいです。城郭体系には主郭周辺にわずかに
石垣が残されているとありますが未確認です。

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畿内の火薬庫、大和 (2023/05/21 訪問)

呉座勇一著「応仁の乱」の第一章は、「畿内の火薬庫、大和」です。室町幕府は、大和に守護をおかず、興福寺が事実上の守護でした。室町幕府成立後そうおかず1351年から30年以上にわたり、興福寺内の一乗院と大乗院が、大和の豪族を巻き込んで争いました。当初の摂関家分裂の余波から、南北朝の対立も入り込みます。1400年代になり、親幕府的で一乗院衆徒の筒井氏と反幕府的で大乗院衆徒の越智氏との対立を軸に展開しました。応仁の乱前に、大和では、激しい抗争が、長らく続いていたのです。
越智氏に限らず大和の反幕府的な豪族は、将軍が停戦命令などを出しても言うことを聞きません。中でも越智氏は、領地が、奈良盆地南端、吉野も近く、強者です。貝吹山城は、御屋敷の越智城の詰めの城の位置付けですが、後には、更に、高取城も詰めの城としたと。
私の少し前に登城されたイオさんの投稿にない写真を中心にアップします。

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イオ

大規模山城ではあるものの… (2023/02/26 訪問)

築城時期は不明ながら、越智氏が居城である越智城の詰城として築いた城で、戦国後期には筒井氏や松永氏との争奪戦が繰り広げられましたが、織田信長の大和一国破城令により廃城となりました。

駐車場はありませんが、与楽カンジョ古墳の南側道向かいの道が広くなったあたりに路駐して登城開始。古墳の前を東に進み、防獣ケーブルを越えたところに案内表示が設けられています。ここが登城口です。登城道に入ると竹林の中の土橋状の道沿いに土塁っぽい盛土や平坦地が見られますが、遺構かどうかはよくわかりません。

さらに登って行くと、道の両側に曲輪群が階段状に展開されており、登城口から15分ほどで貝吹山頂の主郭部に到着。主郭の南側には三段の曲輪を配し、主郭には城址碑が建てられ、主郭北下の広い曲輪には貝吹山城や越智城、越智氏についての手書き資料を掲示した説明板がありました。最高所だけに眺望も開けています。

貝吹山城は主郭から放射状にのびる支尾根に曲輪群を配していますが、北尾根はなかなかの藪で下りて行くルートが見出せず、遊歩道が整備されている北西尾根に下りて行くと、小さな段曲輪の先に堀切が設けられていました。堀切で引き返して、今度は南東尾根へ。手持ちの縄張図によれば南東尾根には多数の曲輪と土塁や櫓台がある…はずですが、道を外れて南東尾根に向かおうにも、凄まじい竹藪と倒竹でとても足を踏み入れられる状態ではありませんでした…。

…ということで、多くの曲輪群を擁する大規模な山城ではあるものの、普通に見て回れる範囲は限られるため、やや消化不良感が残りました。なお、貝吹山城とは直接関係ありませんが、登城時は登城口手前の与楽カンジョ古墳の整備工事が行われており、麓には見学者用の駐車場ができるのかもしれません。そうなれば車を駐める場所に困らずに(以下略)
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 越智氏
築城年 不明
主な城主 越智氏、筒井氏、松永氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑
住所 奈良県高市郡高取町寺崎他