かいぶきやまじょう

貝吹山城

奈良県高市郡


旧国名 : 大和

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①城址碑
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8目:貝吹山城 (2024/09/29 訪問)

今日は移動距離が長いので、ホテルでの朝食は抜きで出発しました。
新王寺駅から始発電車で飛鳥駅に到着しました。
飛鳥駅から徒歩25分弱で、登城口入口付近(34.464639、135.780722)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、越智氏によって築かれたと云われています。
1546年(天文15年)筒井順昭によって攻められて落城し、以後は筒井方の城となりました。
1549年(天文18年)と1557年(弘治3年)に二度に渡って越智方が貝吹山城の奪還を試みますが、いずれも失敗しました。
その後、大和に進出した松永久秀の城となったが、1566年(永禄9年)瓜田某の内通により越智氏の城となりました。
その後、1568年(永禄11年)から翌1569年(永禄12年)にかけて松永久秀や久通などが貝吹山城を攻め、1569年(永禄12年)に松永方へ明け渡されました。

主郭は山頂にあり、無数の平段が曲輪跡と思いますが、明瞭な遺構ではないようですが、石碑は確認できました。
手作りの説明図と縄張図がありました。
雨が降りそうなので、駆け足で見学した為、攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=越智城へは、ここから徒歩で向かいました。

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ぴーかる

貝吹山城 (2023/11/19 訪問)

【貝吹山城】
<駐車場他>駐車場はなし。<34.463349, 135.780264>地点の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>主郭・眺望
<感想>貝吹山城の築城年は定かではありませんが、西にある越智氏本城の支城でありました。現地説明板には天文年間(1532~1555年)頃までは越智本城を守る矢倉台として、他の支城と連携して危急の際に法螺貝を吹く任務を帯びていたそうです。天文頃から防御施設を強化して越智本城の詰城としたそうです。越智氏は戦国時代は織田信長に仕えますが、本能寺の変後は羽柴秀吉に通じて存続を試みますが、筒井順慶に通じた家臣に暗殺され滅亡します。
 登城口はカンジョ古墳の東側にあり古墳から案内がありますのですぐ分かります。登り始めてすぐぐらいに右手に古墳の丘陵があります。堡塁のような役割をしていたと思われます。登山途中には堀切等の遮断遺構は見受けられませんでしたが、侍所のような小さな削平地や土橋がありました。山頂主郭は東西に長く中心部分が高くなっています。現地説明板(手書きの説明板で素敵)には「四方の尾根上に諸郭を設け」とありますが藪化と尾根上にもあまり目立った遺構は見受けられませんでした。西側と南西側の木々が開けていて眺望が良かったです。

<満足度>◆◆◇

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しんちゃん

多くの郭が備わるが竹藪に覆われているものも多い。 (2021/04/03 訪問)

貝吹山城は越智城の支城で越智氏の城でした。越智氏、筒井氏、松永氏と持ち主が
変わり、永禄9年(1566)瓜田某の内応によって越智伊予守が復帰しますが、松永久秀が
城を奪取に押し寄せ越智氏はこれを撃退しますが最終的に松永氏に城をあけわたしています。
主要な郭は山頂部にあり、周囲に多くの郭を備えます。山腹にも多数の小さな郭を備えて
いますが、多くは竹藪に覆われて確認は難しいです。城郭体系には主郭周辺にわずかに
石垣が残されているとありますが未確認です。

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畿内の火薬庫、大和 (2023/05/21 訪問)

呉座勇一著「応仁の乱」の第一章は、「畿内の火薬庫、大和」です。室町幕府は、大和に守護をおかず、興福寺が事実上の守護でした。室町幕府成立後そうおかず1351年から30年以上にわたり、興福寺内の一乗院と大乗院が、大和の豪族を巻き込んで争いました。当初の摂関家分裂の余波から、南北朝の対立も入り込みます。1400年代になり、親幕府的で一乗院衆徒の筒井氏と反幕府的で大乗院衆徒の越智氏との対立を軸に展開しました。応仁の乱前に、大和では、激しい抗争が、長らく続いていたのです。
越智氏に限らず大和の反幕府的な豪族は、将軍が停戦命令などを出しても言うことを聞きません。中でも越智氏は、領地が、奈良盆地南端、吉野も近く、強者です。貝吹山城は、御屋敷の越智城の詰めの城の位置付けですが、後には、更に、高取城も詰めの城としたと。
私の少し前に登城されたイオさんの投稿にない写真を中心にアップします。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 越智氏
築城年 不明
主な城主 越智氏、筒井氏、松永氏
遺構 曲輪
再建造物 石碑
住所 奈良県高市郡高取町寺崎他