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カズサン

本丸と出構 (2023/05/04 訪問)

 充分に大手桝形、丸馬出、三日月堀を観察探訪、立体丸馬出を体験しました後は本丸へ、本丸の東側エリアは既に会員の皆さんが投稿されてるように発掘調査中で当日はブルーシートが掛けられて立入禁止ロープが張られてる。本丸にトイレがあり大変助かります。
 今回は平成25年3月29日以来の10年振り2度目の登城でしたので本丸をサラッと見て藤武神社参拝、武田勝頼公霊社と14将霊位墓標も参拝し、北に聳える八ヶ岳を遠望、ここの眺望は桃の花が咲く時期に八ヶ岳の残雪、桃の花で正に桃源郷を観る事でしょう。
 下城コースは二の丸跡から搦手虎口と回りたかったのですが、本丸へ来る途中に二の丸の現状が草木に覆われて私的には進入できず、藤武神社参道急階段を1歩1歩降りて七里岩ラインへ、連休なのか車の往来は多く歩行ルートとしてはやや危険、
 登城の行き来に、東出構え、東側の外堀跡を観察撮影しました。

 新府城では十年前に搦手枡形虎口周辺の修復整備直ぐの観察探訪し、同時に北側の西堀、中堀、東堀周辺の発掘調査後の整備で西出構え、東出構えの修復整備直後の観察探訪しました、今回の大手枡形、丸馬出、三日月堀周辺修復整備されましたので、今後は三の丸西東と二の丸に修復整備を期待したいところです。
 武田勝頼築城で普請奉行は真田昌幸と言われてる新府城の発掘調査、保存整備されてる韮崎市、教育委員会の皆さんへ感謝申し上げます。
 

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ゆいと

雨の日の山下城跡 (2023/05/14 訪問)

今日は雨の日の山下城を見に行きました。しかしぐしゃぐしゃのどろ道があったので途中で観光を中止にしまいました。山下城の本丸があったらもしかしたら、日本100名城に入っていたかもしれません。

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ゆいと

小寺氏の城 (2023/05/14 訪問)

御着城は小寺氏の城です。御着城には最近作られたお城風の建物があります。羽柴秀吉は御着城攻めをして御着城は落城して小寺氏は滅亡を迎えました。その戦いが起きなかったら御着城はどのようなすがただったか見たかったです。

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カズサン

修復整備された大手丸馬出・三日月堀 (2023/05/04 訪問)

 3~4年前から発掘調査されて修復整備工事が行われて地肌も築城当時を思わせる大手の枡形、丸馬出、三日月堀が出現、三年位前から城びと会員の皆さんより写真投稿されて、是非探訪観察したいと願いながら、今回の日帰り甲州路城探訪の主目的に新府城「丸馬出・三日月堀」を入れて企画しました。
 初登城の日ノ出城跡を終えて北西方向へ3~4km程、県道17号線七里岩ラインを進行し新府城へ。
 駐車場は新府城の北西角にグーグルマップに新府公園駐車場マーク有り、砂利舗装ですが20台位は可能な大型駐車場を利用、すでに10台以上駐車で他県ナンバー車が多く駐まってる。

 登城は南側の遊歩道を回り込んで進行、南大手門の看板を過ぎて、まだ新しい感じの土塁が築かれて、ここが今回の目的地、大手枡形、丸馬出、三日月堀、大手枡形の内虎口側に「新府城跡大手」の解説盤が有り大手周り構造の解説は大変役に立つ、大手枡形には内虎口、外虎口が付き丸馬出へ、丸馬出には西枡形虎口、東枡形虎口が付き両サイドから三日月堀へ続く、三日月堀側から丸馬出を見上げるが高い切岸で圧倒される、大手桝形、丸馬出からは富士山の眺望が最高ですが今回は少し霞んでいました、肉眼では問題なかったのですが写真を見ると薄く映り「富士山パッチリ」とは言えません。
 丸馬出にも「丸馬出と三日月堀」解説盤が有り良く分かります、解説盤は今年の3月31日に設置されて様です。枡形、周辺土塁、各虎口、丸馬出を上から下から観察ここは立体丸馬出ですね、三日月堀も西から東へ回り込む、整備完成から3年は立ちましたがまだまだよく見えています。感謝感謝です❣
 これからは草刈、灌木伐採の手入れが大変ですがよろしくお願いしたい。
 
 大手桝形遺構から東三の丸、西さんの丸下の遊歩道通て二の丸下枡形馬出、二の丸横、蔀構え土塁、本丸へと進みました。
 以前と比べて三の丸の遊歩道側は矢竹や灌木が茂り内部が良く分かりません、二の丸も内部は茂り両方とも入り込む勇気気力は出ませんでした。
 
 続きに本丸と出構編を投稿します。
 
 

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Pylori

地元の城愛に感激 (2023/05/13 訪問)

期待を大きく上回る見応えあるお城でした。
近づく者を圧倒する石垣、木材で復元された前御門、三重櫓は凄い!
東日本震災で崩れた石垣を高い技術と愛情で再建して下さったことに感激しました。
清水門の復元も進行中との事で完成したらまた登城させて頂きます。

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主郭南の遺構 (2023/05/05 訪問)

ぴーかるさんの投稿(2021/10/30登城)を見て、行きたい城にノミネート。登城口から山頂の本郭まで1.2km😞。この辺りの金山城、岩尾城も本郭に向けてまっすぐに登らせず、尾根を長く歩かせます。
山体は、流紋岩質凝灰岩。自然だか人工だか、わからないですが、登城道に、写真⑦のようにいい感じの階段もありました。
ぴーかるさんが、登城されたときは、主郭の南面(登城道の反対面)が鬱蒼として入り込めなかったとのこと。この度は、まだ下草は少なく、石垣や帯郭を見ることができましたので、写真をアップします。
登城道の途中にも平削地がある他、尾根に取りつくかなり麓のところにも堀切とおぼしき地形がありました。

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ろっし

お城探訪 (2023/05/13 訪問)

少しの土塁が残っているだけでも素晴らしい。
山城なら遺構も残りやすかったと思いますが、このような町中ではなかなか難しいでしょうね。

立派な模擬天守だ

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ろっし

お城探訪 (2023/05/13 訪問)

月見櫓が修復中で見る事ができなかったけど、桜御門は外観、二階内部までゆっくり見て廻る事ができました。

天守再建されないかな~☺️

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織田晃司

比企城館跡群のひとつ (2023/05/03 訪問)

「築城の教科書」と言われる杉山城。
土の城であらゆるところに敵の侵入を防ぐ仕組みが施されている。

土の城で衝撃をうけたのはここ杉山城と玄蕃尾城です。(あくまで個人の感想となります)

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美夢

【かるた】弘前城の読み札

雪の桜 満開の夜 弘前城

花筏 お堀を染める 弘前城

四季折々 桜の巨木 弘前城


読み札のみの投稿です
一句目
雪のつもった桜の枝を、ピンク色にライトアップする弘前城
春の桜も勿論、綺麗ですが
こちらの冬に咲く雪の桜もとっても美しいです


二句目
弘前城といえば春の花筏が有名です
時期がピッタリあえば上もピンク、下もピンクの夢のような世界を楽しめますね


三句目
リンゴの剪定技術が発達している青森県では
切るのが難しい桜の枝も剪定する事が可能で
その為、桜の木の寿命も延びて巨木が多いそうです
花の時期以外に行っても、一年中、この巨木の桜の幹を見るだけでも楽しむ事が出来ます

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橋吉

東日本最大級 (2023/05/04 訪問)

本郷インフォメーションセンターに資料・パンフレットが置いてあります。
向羽黒山城跡整備資料室で、続日本100名城スタンプを押すことができます。

東日本最大級と自称するだけあって、向羽黒城は大きく、全部徒歩でまわると半日ぐらいかかると思います。
ただし、各曲輪付近には駐車スペースがあり、その間も道が整備されているのでバイクで移動させてもらいました。
四輪でも通行可能ですが、道が狭いので充分気をつけると良いかと思います。

所要時間:1時間40分

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橋吉

愛姫の実家 (2023/05/04 訪問)

三春城は、三春町の中心部、標高407mの丘陵地にあり、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城でした。
伊達政宗の正室である愛姫はここから嫁いでいます。

まずは、向かいの丘にある三春町歴史民俗資料館に寄ってみます。
ここには三春城に関する展示や資料があり、とくにVRによる説明は大変わかりやすいです。
続日本100名城のスタンプも入口で押すことができます。

三春町保健センターの脇の急な坂道をバイクで登り、二の丸駐車場にとめました。
本丸下駐車場の駐車場の方が本丸に近いですが、数分歩くだけの差です。

江戸時代には三階櫓,長屋,表門があるところが本丸下段(戦国時代の二の丸跡)
御座間,台所,広間があるところが本丸上段となっていますが。

現地の案内板では本丸下段が(戦国時代の)二の丸となっています。
(江戸時代の二の丸は現在の児童公園)
パンフレットや歴史民俗資料館の展示資料が江戸時代の城郭をもとにしているので、こちらに統一した方が良いかと思いました。

所要時間:1時間25分

お土産に三春駒を購入しました。
その昔、坂上田村麻呂が蝦夷征伐のおり、ある僧から百頭の木彫りの馬を受け取った。
旅と戦の疲れから馬がばたばたと倒れたが、どこからともなく百頭の馬がやってきて戦いに勝つことが出来た。
馬は一晩で消え去ってしまったが、なぜか木彫りの馬がびっしょり汗をかいていた。
という伝説があります。

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ヒロケン

難攻不落の山城 (2023/05/03 訪問)

国吉城は、福井県三方郡美浜町佐柿にある連郭式山城です。標高197mの最高所に本丸を置き、四方に伸びる尾根上に曲輪を配しており、特に北西尾根筋上に5段に連なる曲輪があり、見所の一つとなっています。また山麓には、城主と家臣団の居館跡があり、山城部と合わせて楽しむことが出来ます。

若狭守護大名武田氏(甲斐武田氏と祖を同じくする名門)の重臣、粟屋勝久公が古城跡を利用して築いたとされています。また、国吉城は、1563年から10年に渡り、越前朝倉勢を相手に壮絶な籠城戦を繰り広げ、一度も落城しなかったことで、「難攻不落」を誇っています。

国吉城には二度目の訪問で、最初の訪問時には続100名城は存在しなかったので、もちろんスタンプもありません。今回の金沢訪問を機にスタンプ目的で立ち寄りました。朝7時半頃スタンプ設置場所の若狭国吉城歴史資料館に到着。資料館は9時開館と承知していたので、山城散策後に押印しようと考えていましたが、尿意をもよおし(汗💦)資料館前をうろうろしていたところ、入り口横にスタンプが置かれていました。資料館の脇に閉館時用のトイレもあり、無事(*^▽^*)スタンプ(無料)とトイレを済ませることが出来ました。
山頂へは、整備されていますが急勾配の坂道と九十九折りの階段が続いているので、結構足にきます(>_<)訪問される際は、それなりの準備が必要かと思います。

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織田晃司

8:25だと… (2023/05/03 訪問)

早すぎて入ることはできませんでした。外観のみ見学(開館は9:00から)

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織田晃司

南側の (2023/05/03 訪問)

空堀は良好な形で残ってます。下草刈りがしてあればもっと深さがわかると思います。

現在遺構は主郭のみですが土塁の高さはけっこうな高さがあります。土塁に登って歩いてみるのもいいでしょう。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:竹ノ城 (2023/04/21 訪問)

井上城から転戦。登城口付近(36.632838、138.290350)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、井上氏によって築かれたと云われています。
井上氏の詰城である井上城の出城とされるようです。

登城口付近は長時間駐車しずらい場所でした。
風も強く寒くなった為、今回は登城口で引き返しました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=須坂陣屋(城びと未登録 長野県須坂市)に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:井上城 (2023/04/21 訪問)

井上氏居館(城びと未登録 長野県須坂市)から転戦。浄運寺駐車場(36.629740、138.284387)に駐車し、東の墓地の登城口(36.628307、138.284911)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、井上氏によって築かれたと云われています。
井上氏は鎌倉時代に清和源氏頼信の子頼季がこの地に来住して井上氏を称したのが始まりとされています。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての活動は詳らかではないようです。
室町時代に入ると井上十六郷の井上政家、小柳・亘理の井上政満、長池郷の井上為信などが登場します。
戦国時代には井上氏は衰退しており、綿内井上氏が須田信正に属していたといわれています。

東西二つの峰に「大城」、「小城」と呼ばれる曲輪群があり、その二つを総称して井上城と呼ばれています。
東の峰にあるのが大城で、こちらが主郭となります。小城には時間の都合で行っていません。
路上路は急な登り坂です。設置されたロープを使って登っていきます。
設置ロープが使わなければ、下りは確実に滑って転びます。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=竹ノ城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:井上氏居館(城びと未登録 長野県須坂市) (2023/04/21 訪問)

長沼城から転戦。説明板前(36.632487、138.283113)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、井上氏によって築かれたと云われています。
井上氏は鎌倉時代に清和源氏頼信の子頼季がこの地に来住して井上氏を称したのが始まりとされています。
鎌倉時代から南北朝時代にかけての活動は詳らかではないようです。
室町時代に入ると井上十六郷の井上政家、小柳・亘理の井上政満、長池郷の井上為信などが登場します。
戦国時代には井上氏は衰退しており、綿内井上氏が須田信正に属していたといわれています。

井上氏居館は小坂神社の北西にあり、南背後には詰城とされる井上城があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=井上城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:長沼城 (2023/04/21 訪問)

手子塚城から転戦。①長沼公民館体育館駐車場➡②桜づつみ解説板前➡③貞心寺墓地駐車場の順番で巡る予定でしたが、桜づつみ解説板方向は工事中で進入禁止の為、行けませんでした。
 ①長沼公民館体育館駐車場(36.686527、138.274732)
 ②桜づつみ解説板前(36.683332、138.273802)
 ③貞心寺墓地駐車場(36.682309、138.272262)

築城年代は定かではないようですが、島津氏によって築かれたと云われています。 島津氏は戦国大名として著名な薩摩の島津氏と同族で、長沼郷の地頭職であったそうです。
戦国時代には上杉氏に従っていましたが、弘治年間(1555年〜1558年)頃には武田氏に従うようになりました。1568年(永禄11年)武田氏は長沼城を改修し、海津城とともに北信の拠点の一つとなりました。
天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると北信四郡には織田信長の部将森可長が入り海津城を居城とする。
これに対して若宮城主の芋川氏らが上杉氏の支援を受けて一揆を起こし、長沼城や飯山城を攻めましたが、森氏によって鎮圧されています。
織田信長が本能寺の変で倒れると森長可は信濃から撤退、北信四郡は上杉領となり、長沼城へは島津忠直が入りました。
1598年(慶長3年)上杉景勝が会津へ転封となると島津氏もこれに従って移りました。
その後は豊臣秀吉の蔵入地となって代官関一政が入り、関ヶ原合戦の後は松平忠輝が川中島を領し、山田長門守が長沼城へ入りました。
1616年(元和2年)大坂の陣の戦功などによって川中島や近江国高島など18,000石を領した佐久間勝之が長沼城に入って長沼藩となりました。佐久間勝之は織田氏の部将佐久間盛次の四男です。
1688年(元禄元年)四代藩主佐久間勝茲は五代将軍徳川綱吉の側小姓を命ぜられますが、病気と称してこれを辞退、後に仮病とわかって綱吉の怒りを買い、長沼藩は改易、勝茲は陸奥国二本松藩丹羽家にお預けとなったそうです。

長沼城は千曲川に面した平地に築かれていたそうです。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=井上氏居館(城びと未登録 長野県須坂市)に向かいました。

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にのまる

祝☆国史跡 (2023/03/21 訪問)

一週間前に18きっぷを忘れて行き先変更したのでリスタートです。
8:09新宿発の湘南新宿ラインに乗車。宇都宮に10:00着。10:33発の烏山線に乗り換え、11:22に烏山駅到着。
烏山線は今年度で全線開業100年だそうです。本数が少なく利用者もあまり多くはないようですが、そこに烏山城があるかぎり!なくてはならない路線なので存続してほしいです。

烏山城に向かう途中の「山あげ会館」内の那須烏山市観光協会事務所で「那須烏山ガイドブック」をいただきました。三か所ある登城口の目印やざっくりとですが遊歩道の地図が載っています。

市役所を右折するとすぐに烏山城(毘沙門山・城山入口)の案内がありました。「山あげ会館」に寄らなければおそらくここから登っていたと思いますが、いちばん楽な「七曲り口」は南病院の信号のところと聞いていたのでそのまま進んでみると写真①の案内板が見えてきました。ここが七曲り口で、この奥の寿亀山神社周辺が三の丸。境内をぐるっとまわってみました。

神社左手からスタートする七曲り口は当時も使われていた道だそうです。いちばん楽な登城口とはいえ、その名の示すとおりつづら折れの山道。昔のままという雰囲気に楽しさと若干の不安を抱きながら登城開始しました。
しばらく登ると八雲神社からのハイキングコースとの合流点につきあたりました。鼓楼跡(多分)あたりにいた時に、後方から人の気配が!八雲神社口から毘沙門山経由で登ってこられた方でした。
そして何とそのままご一緒することに!!

車のついた引き橋があったとされる車橋跡。常盤門跡に上がるとうっすら矢穴の残る石。そして見えてきた正門跡の石垣。内枡形の虎口を入ると礎石や土塁も現れ、いったいこの先どんな光景が待ち受けているのやら、という感じです。縄張り図と現地案内板を見ながら本丸→古本丸→中城→北城→大野曲輪と歩きました。大野曲輪から西城までは少し距離がありそうでしたがそこに待ち構えていたのが“撃たれるぞー!”感満載の深くカーブした空堀。虎口がわかりにくかった西城は三段構えで、広々した若狭曲輪には武器庫があった模様。本丸に戻り、まだ見ていない井戸や石垣をさがしました。これはとてもひとりでは見つけられなかったし、西城や若狭曲輪まで行くのも躊躇したかもしれません。
ご一緒してくださった方は全国のお城に詳しい方で情報もたくさん持っていらっしゃいました。何よりマニアックな話題を好きなだけ喋れて盛り上がれるというのがこれまでにない経験で、城めぐりというとひとりで黙々と歩きまわるか同僚とプチ女子旅するかが主で(それはそれで楽しいのですが)、それもこの3年間はあまりできなかったので、とても楽しい時間が過ごせてうれしかったです。この場をお借りしてお礼申し上げます。(読んでいらっしゃるかどうかわかりませんが。)

その方に伺った情報により、八雲神社に下るのはきつそうだったので、塩倉、厩跡、桜門跡を見て、帰りは十二曲りから下りました。何回曲がったか数えてはいませんが、さすがに七曲りよりもくねくねしていました。
私が登った七曲り口と三の丸をご案内しようと思ったら、何と私が三の丸だと思った寿亀山神社の手前にホンモノの三の丸がありました(;^ω^)やっぱりひとりだと完全スルーするところでした。

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