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小荷駄

後藤館跡と徳昌寺 (2023/03/06 訪問)

近江鉄道大学前駅から徒歩45分程でした。駐車場とトイレは有りませんでした。散策をしていた時に地元の方に徳昌寺にも土塁や堀跡などがあると聞いたので少し調べてから東に徒歩10分程の徳昌寺に向かいました。お寺さんに許可を頂いて散策して来ました。快く見学させて頂いた徳昌寺様ありがとうございます。また教えて頂いた方にも感謝致します。

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todo94

雨中の朝駆け③ (2023/02/19 訪問)

此処の写真もピンボケでした。奇天烈な三津寺の本堂が竣工した後に再訪したいと思います。

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赤い城

深い堀と馬出 (2023/02/26 訪問)

この日は相方リクエストで袋井市の可睡斎ひな祭りへ。
家康縁の寺で、人形供養で集まった雛人形が並んでいて、それは圧巻。
毎年並びも変わるそうです。
テレビでも紹介されているようです。
で、お昼にさわやかのハンバーグを頂いたあと登城しました。
ビジターセンターでスタンプを押し、パンフレットを片手に足早に登城しました。
外堀は深く長い。
降りたい衝動に駆られながら自重。
草も刈られて綺麗に整備されていました。
定番の二の丸中馬出しの先には復元された北馬出の門があります。
広い二の曲輪を外堀沿いに戻り、二の曲輪南馬出、東馬出を見学します。
土橋も綺麗に残ります。
主郭方面に進むとカンカン井戸、内堀の中にあります。
ここは堀底から切岸を見ることができます。
本曲輪には説明板があり、土塁も残っています。
下を見下ろすと空堀も、時間の関係で降りませんでした。
武田のテイストもよく残る素敵な城でした。

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ぴーかる

城跡が無くなる時・・・ (2023/02/23 訪問)

【佐保来栖山砦】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>佐保来栖山砦は史料に記述が全く無く、詳細が不明な城跡です。近隣にある福井城という城と関連が想定されます。彩都(国際文化公園都市)(ホームタウン)造成に伴い発見されたようです。先達の方々の遺構が見れたのがうらやましいです。
 昨年の12月に駐車ポイントを探しに登城口付近の道路まで確認に行った時にはまだ森林がそのままでしたが、知らずに、いざ今日行くとこんなことになっていました。1月から造成が始まり、立入禁止で山は完全に改変されているようでした。写真の山のピークの手前側に横に広い削平地らしき感じが残っていたので、そこが主郭かもしれません。城跡がなくなる瞬間を目の当たりにして泣きました。

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朝田 辰兵衛

三角点のコインチェック失念😓 (2023/02/26 訪問)

檜原城を下山し,本宿役場前バス停へ。タイミング良く,約5分待ちでバス到着。西戸倉バス停下車,神明神社登城口へ。このルートが大手道なのか,石垣道が出現しました。「光巌寺ルートが大変」という書き込みが散見されますが,このルートは全く苦ではないです。
主郭に到着し,素晴らしい眺望を堪能していたら,にのまるさんが三角点に置いたコインのチェックをすっかり忘れていました…😓
この日,越後に無事帰還することも脳裏にちらついていたので,少しだけ影響していたのかも…。

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但馬 山名氏を支える国人の城を巡る (2023/03/05 訪問)

但馬守護代にもなった恒屋氏の城です。
北に伸びる尾根先に東側の墓地から取りつきました。墓地裏の低いところから尾根上に郭が続きます。ピンクテープが、急斜面の尾根を直登するよう導きます。城郭放浪記さんの表現を借りると、主郭を中心に「南を除く三方に高い切岸の曲輪が無数に拡がっている」。下草がなく探索しやすいですが、主郭下の一段だけ、腰ほどの篠が密生していて夏場は要注意かも。大規模な畝状竪堀があるのですが、よくわからず⤵️

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イオ

三塚城(岐阜県大垣市三塚町) (2023/02/04 訪問)

三塚城(城びと未登録)は、築城時期・築城者等は不明ながら、氏家卜全の家臣である種田兼久の居城とされ、長島一向一揆との戦いで氏家卜全とともに種田兼久が討死すると卜全の子の氏家行広が城主となりましたが、豊臣秀吉の小田原攻めでの戦功により桑名に移封となったことにより、三塚城は廃城となったようです。真徳寺から幼稚園あたりが城跡とされますが、遺構は消滅しており幼稚園西辺に石碑が立てられているくらいです。

三塚城から南に約20kmの揖斐川西岸、養老鉄道沿いに卜全塚と呼ばれる氏家卜全の墓があります。長島一向一揆勢の反撃により織田軍が撤退する際に殿軍を務めて討死した氏家卜全を埋葬した地で、五輪塔に石碑、説明板が建てられ、真冬でも花やお酒がお供えされていました。説明板に種田兼久の名は見られませんが、殿軍としてともに討死しているので一緒に葬られているのかもしれません。

…ということで、この日最後に訪れた三塚城と、最初に訪れた卜全塚がつながったところで輪中の城めぐりを終えました。時間があれば、墨俣城や大垣城にも行くつもりでしたが、その辺はまた次の機会に(ニッポン城めぐりのイベント制覇はしました)。
 

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todo94

雨中の朝駆け② (2023/02/19 訪問)

大阪メトロ1日乗車券を使ってのアプローチです。地下鉄の出口近くの城址碑と極楽寺前の城址碑をチェックしました。今確認してみたら写真がピンボケになっていました。またいつかリベンジしなくてはなりません。

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赤い城

埼玉の城振り返り

埼玉はやはり比企エリアがおすすめです。
続100の杉山城や菅谷館の他にも武蔵松山城、小倉城、腰越城などは行ったほうが良い城です。
北部では花園城、千馬城、天神山城といった山城ですね。
秩父でも行きにくいですが熊倉城や未登録の根古屋城など整備された城もあります。
東側は都市化され、遺構が残る城は少ないですがクイズで出した岩槻城、伊奈城、赤山城などには遺構も残っています。
歴史的には忍城ですかね。
石田堤とセットでの訪問が良いと思います。

埼玉も公共交通機関でも何とか行けそうな感じがします。秩父エリアはハードル高いですが。
にのまるさん、一息ついたあと是非どうぞ。

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ぴーかる

私有地につき (2023/02/23 訪問)

【田能城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>田能城の築城は定かではない。城びと情報では明智光秀?の築城、現地説明板では在地勢力の杉生氏、灰方氏の城であったようです。登城を調べていたら高槻市のホームページに私有地のため登山はご遠慮ください。とのことなので添付写真の案内板の所までとしました。説明板は<34.955668, 135.589493>にあります。一応行ったチェック入れさせてもらいます。

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ろっし

お城探訪 (2023/03/11 訪問)

他の城が秀吉軍に落とされる中、最後まで抵抗したお城

良い場所に作ってありますね。

道の駅に車を停めて登りましたが、見事な空堀に登ってびっくり❗

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駐車場&アドベンチャー (2023/03/15 訪問)

Googleマップは、雑賀崎台場の高台の北側に導きます。駐車場があります。海へは二重の防潮堤。海側により高い防潮堤を追加したのでしょうか。南海トラフ地震に備えてます。
マップには、雑賀崎台場へ崖を登れと、点線が引かれてます。ふーん( ・-・)
トレッキング風のカップルに行き方を聞いたところ、先ほど、雑賀崎台場から崖を降りてきた、と。崖を登り降りするためのロープを教えてもらいました(最後の写真)。ロープの先のつづら折れの道も細い。降りる際は、もっとひやひや。
崖の上は、遺構も景色もGoodでした。

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カズサン

【三河・岩津城】愛知県岡崎市 感動感激で再投稿 (2023/02/12 訪問)

 2月14日に三河・岩津城を初投稿しましたが環境整備された岩津城が見応え有り素晴らしく写真も多く撮りましたので先の投稿にダブらない写真を投稿させて頂きます。

 住所:愛知県岡崎市岩津町字東山
 駐車場:岩津天神乗用車駐車場を利用させて頂きました

 岩津城は家康7代6代前祖先の松平泰親、信光に由る築城、松平氏の2代目3代目に当たります。
 松平氏発祥の松平郷から西三河の平野部を見渡せる丘陵山頂部に築き18松平氏を興す端緒の地でも在ります。
 また本能寺の変後の秀吉との抗争で岩津城は戦国末期の改修をされて居るようです。(岩津城パンフレットに由る)

 環境整備で竹林、樹木の伐採されて大変見やすく成って居り、駐車場の岩津天神から降りて東名の陸橋を渡ると直ぐに登城口が有り比高は20m程で登城し易城郭です。草木が生える前にお薦めの城郭です。
 

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イオ

森部城(岐阜県安八郡安八町森部) (2023/02/04 訪問)

森部城(城びと未登録)は、築城時期・築城者等は不明ながら、織田信長の西美濃攻め(森部合戦)に際して信長に味方した河村久五郎の居城と云われています。遺構は消滅しており、公民館の前に説明板が立てられているくらいです。

公民館南隣の金峯神社は、江戸初期に稲葉正成(春日局の夫)の屋敷があった地で、境内の石碑にも稲葉正成屋敷の記述が見られました。公民館と金峯神社の間には水路が東西に続いていますが、森部城か稲葉正成屋敷の堀跡でしょうか。

森部城から南西約1.2kmの薬師堂は森部合戦の首実検が行われた地とされ、古戦場の石碑と説明板、森部合戦戦没者供養塔が建てられています。薬師堂から南に徒歩1分には、首実検の際に信長が鎧を掛けたと伝わる鎧掛けの松(の二代目)が見られます。また、森部合戦は信長から追放されていた前田利家が手柄を挙げて帰参を果たし、加賀百万石の大大名への礎となった地として、大河ドラマ「利家とまつ」にあわせて鎧掛けの松の隣に石碑が建てられています。
 

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todo94

雨中の朝駆け (2023/02/19 訪問)

天気予報通り、小雨の降る中、朝駆けしてきました。先人の皆さんの投稿を参考にして月江寺と吉祥寺に行きました。早朝故、赤穂義士の墓は拝めずじまいでした。

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キンヤ

館と名付けられているが堅固で見応えがある土の城 (2023/03/05 訪問)

鎌倉時代の有力御家人で、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場した畠山重忠の居館と伝わります。
その後、戦国時代の山内上杉氏と扇谷上杉氏が争っていた時の1488年に山内上杉氏が館跡を城として再興したと考えられるそうです。
発掘調査が行われ、戦国時代の15世紀末から16世紀前半の遺物が多く出土しているようです。

曲輪は広大で、空堀は深く、分厚い土塁で、思っていた以上に遺構の規模が大きいです。

特に本郭北側の突き出した出枡形土塁による折れた土塁・空堀がカッコよく、横矢がかりが技巧的で見所でした。

三ノ郭西側虎口の正坫門跡内側には、初めて聞いた蔀土塁(しとみどるい)があり、西ノ郭から三ノ郭内部の様子を見通せないようにする土塁だそうです。

館と名付けられてますが、なかなか堅固で見応えがある土の城でした。

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ろっし

お城探訪 (2023/03/11 訪問)

駐車場もあり、すぐ登れます。
付城跡なのに遺構も良く残っています

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前ちゃん

春旅2にちめ (2023/03/13 訪問)

天文館バス停〜特攻観音へ。ミュージアムでスタンプを押し、特攻平和開会見学後、知覧城へ(徒歩)

道中自販機でペットボトルの水を購入。もう一本とDAKARAを購入したが、古い自販機なのかお金だけ吸い込んで、商品が出てこないアクシデントに見舞われ「水以外欲してスミマセンでした」と天に謝る。
知覧城を見学後、武家屋敷群まで歩き、再びバスで天文館へ帰還

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,正解です! (2019/12/21 訪問)

はい~,正解です。駿府城の二ノ丸水路です。
本丸堀の水位を保つため,二ノ丸堀に水を逃がす目的で構築された水路です。本丸堀と二ノ丸堀との段差は約2m。二ノ丸水路の特徴は4回折れ曲がっていること。幅は約4.5m。江戸時代の深さは約4m。長さは約95m。
本日,『歴史道』の最新号を立ち読みしたら,偶然にも掲載されていてビックリしました。記事によると,当時は水路監視用の櫓まであったとか…。
さすが,赤い城さんですね。一度ミスっても,しっかり正解にたどり着くスキルは見事です👏

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岡崎城

令和5年特別限定御城印「家康公御遺訓」シリーズ『桜』」3月15日発売

「家康公御遺訓」シリーズの題2弾『桜』を、令和5年3月15日に発売いたします。
800本のソメイヨシノに囲まれる岡崎公園は、「日本さくらの名所100選」に選ばれています。
「家康公御遺訓」シリーズ第1弾『春』から続く御遺訓と、徳川四天王のひとり榊原康政の家紋『源氏車』を、桜の花びらと共にデザインしました。
1枚300円8,000枚の限定販売となります。

※店頭でお買い求めの場合、お1人様5枚までとさせていただきます。
※郵送でのご購入を希望される場合は、1通あたり1枚限定の販売となります。郵送をご希望の方は、お手数ですが必ず岡崎城(0564-22-2122)にお電話ください。

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