勝間田城の城主・勝間田氏は古く平安の末期からその名が
知られ、室町時代に周辺の豪族と共に今川氏に反旗を翻し
善戦するも及ばず衰退していったようです。
その後、戦国の時代にこの城がどのように使われていたかを示す
情報は日本城郭体系にも各サイトにも出ていないのでわかりませんが
今川の勢力が強かったころは敬遠されて使われなかったということでしょうか?
城址は素晴らしく整備されていて、木もきれいに切り倒されて、
見晴らしは素晴らしいですが、城址の保水力は落ちるので土塁が少し心配です。
北側から登城道を通って、出曲輪、三の曲輪、二の曲輪を通って
本曲輪にいたるのですが本曲輪の四方にも曲輪を配置し、なかなかの念の入りようです。
二の曲輪の南側にも堀切が配置してあり、各曲輪は土塁で防御されています。
本丸の東尾根曲輪の先にも尾根上に堀切が五つも連なりその先の
東尾根上にも郭があります。
二の曲輪と三の曲輪あたりには建造物の礎石が残されているようで
堀切で詰めの城のエリアと居館のエリアを仕切っていたのだと
考えます。
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