沢良宜城は藤井氏の居城で、応仁の乱(1467~77)かその以前
(15世紀初期)に廃城となったとのことですが、その後の藤井氏の
詳細ははわかりません。かつての馬場跡に佐和良義神社の参道が
まるで土塁のように南北に長く連なっていて、周囲より高地になっています。
南東部の美沢公園の案内板に藤井氏に関する記述や明治初期ごろに書かれたと
される東摂城址図誌の縄張り図が記載されており、それにも佐和良義神社の
参道が描かれています。南西側の丘陵にも縄張りがあったそうで
かつての縄張り一帯に住宅団地や住宅がひしめいていますが
北側の住宅団地の敷地土台が石垣を積み上げたようになっているのが
ユニークな気がしました。
案内板周辺
大阪府茨木市美沢町13
34°47'53.6"N 135°34'08.7"E
34.798230, 135.569081
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