薩州島津氏、次いで島津宗家の属城となり、天正期以降は喜入氏の所領となった鹿籠(かご)の地。喜入氏が安永年間に港近くに地頭仮屋を移すまで、枕崎は桜之城とその対岸にる鹿籠麓のあたりがその中心だったのだそうだ。
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2023/01/02 14:21
島津氏統一の過程の中で (2022/07/09 訪問)
薩州島津氏、次いで島津宗家の属城となり、天正期以降は喜入氏の所領となった鹿籠(かご)の地。喜入氏が安永年間に港近くに地頭仮屋を移すまで、枕崎は桜之城とその対岸にる鹿籠麓のあたりがその中心だったのだそうだ。
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2023/01/02 12:42
2023/01/02 09:27
2023/01/02 09:19
2023/01/02 09:15
2023/01/02 07:53
2023/01/02 07:48
2023/01/02 07:40
2023/01/02 07:36
2023/01/02 06:22
2023/01/01 23:54
There are many wind-bells in Ueda castle. (2022/08/18 訪問)
2022年8月18日、長野県上田市にある、上田城を再訪。車を降り、東虎口櫓門へ向かい、真田左衛門佐幸村公率いる信州上田おもてなし武将隊の出迎えがあり、幸村公と猿飛佐助さんを撮り、東虎口櫓門を抜けると、真田神社があります。この時は、短冊に願いを書き、それを風鈴に付けて飾る、と言うのを神社でやっていたので、私もやりました。
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2023/01/01 23:45
2023/01/01 23:29
2023/01/01 23:13
本丸編
天守台につきました。天守台は結構小さい。可愛らしいですね。ただ本丸が広く何だか、竹田城の小さい版に見えました。天守台を見てみると、単なる台形ではなく1箇所だけ手前に石垣が突き出していたのでおそらく付櫓があったんだと思います。天守にかつてあった石段も今現存しています。また本丸には2基の櫓があったそうです。現在は櫓台が残っています。
では二の丸へ、二の丸と本丸は石垣の虎口で繋がっています。本丸を出て二の丸に行くと早速大きな高石垣が見下ろせます。
では二の丸を探訪しましょう。続く
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2023/01/01 22:39
遠江に残る豊臣系の城 (2023/01/01 訪問)
遠江に残る豊臣系の城遠江に残る豊臣系の城二俣城というと、武田対徳川!!付け城や周辺のお城は武田系か?徳川系か?で議論されるが、、、、この二俣城と鳥羽山城は、家康の関東移封後の堀尾氏による大改修後(途中の可能性有)、徳川が天下を取ったら廃城になったのではないかと思われ、最終形態としてはこのあたりでは珍しい「豊臣系の城」と言えるのではないか。ただし、最近整備されてきた蔵屋敷や南曲輪・天竜川に突き出た西曲輪などは、いかにも二俣城を巡る武田対徳川期の遺構で荒々しい!是非、足元に気をつけながら見学して欲しい。勿論、天守台の石垣や本曲輪の桝形・食い違い虎口周辺など、見どころ満載なのは言うまでもない。
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2023/01/01 21:46
2023/01/01 18:44
2023/01/01 18:01
2023/01/01 17:54
あけましておめでとうございます。 (2022/07/17 訪問)
2023年も,宜しくお願いいたします。
新年の最初は,北陸の名城・金沢城にしたいと思います。昨夏,母が「兼六園も含めて(石川県に行ったことがないので)行きたい」と言ったので,親孝行で連れて行きました。天候は小刻みに変化し,蒸し暑かったです。個人的には『鼠多門を…』と考えていたのですが,母がその前に疲れ切ってしまい,一緒にホテルに戻りました。
現在,二の丸御殿の復元工事中。完成したら再訪し,鼠多門を撮りたいと思います。
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2023/01/01 16:59
信長の城 (2023/01/01 訪問)
元日登城をしました。久々の安土城です。
通称大手道からまっすぐに上がっていく階段は好きでテンションも上がります。この道は本当に大手道か否かは意見が分かれるところです。標高199mありますが、屋敷跡の遺構等を見ながら進むと息も弾むことなく本丸まで辿り着けます。屋敷跡の石垣などを見ているとなかなか上がっていけません。中井均先生の「近江の山城を歩く70」を読んでいると、それまでと異なる城で日本城郭の革命といっていい城であると書かれています。理由として3つ挙げられていました。
(1) 城域がすべて石垣によって築かれていること
(2) 本丸の中心に天主という高層建築造営したこと
(3) 城郭の建物がすべて瓦によって葺かれたこと
以前からこの城の天主には興味がありました。どのような建築物であったのかはもちろんですが、天主台が歪な形状をしていることが気になっています。また現在、通行止めとなっている八角平や搦手方面はどうなっているのかも興味のある所です。
何回行っても石垣に魅了される城址です。
元日で人はいないのではないかと思っていきましたが、予想以上に見学にみえている人は多かったですね。
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