ろうのきしとりで

楼ノ岸砦

大阪府大阪市

別名 : 楼の岸砦
旧国名 : 摂津

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todo94

雨中の朝駆け④ (2023/02/19 訪問)

三津寺砦までは傘がいらない程度の小降りでしたが、遂に本降りとなってきてしまい、傘の出番となります。神社の整備工事完了まではもう少しかかりそうでした。折角なので近くの豊臣氏大阪城内武家屋敷跡もチェックしてきました。16時間断食を実行して京阪天満橋駅にてブランチを摂り、献血の予約を入れてある森ノ宮へと向かいました。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ8日目:楼ノ岸砦 (2022/07/27 訪問)

野田城からの転戦です。天満橋駅から徒歩4分くらいで、坐摩神社行宮(34.689677、135.513295)に着きました。

織田信長と本願寺勢力が戦った石山合戦の際、織田信長が築いた砦です。
本願寺勢力の攻撃で奪取され本願寺勢力の防衛拠点となりました。
本願寺落城の際に廃されたと考えられていますが、詳細は不明のようです。

何もありません。工事中のようで神社がなくなっていました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=開田城を目指す前に、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。

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坐摩神社行宮、ですが、、。 (2022/06/04 訪問)

 天満橋駅より徒歩10分ぐらい、坐摩神社行宮が跡地です。ところが神社がありません。改築工事のため取り壊されたようです。(場所は違っていないと思いますが、、。)

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ぴーかる

楼ノ岸砦・豊臣大坂城武家屋敷跡 (2021/06/13 訪問)

【楼ノ岸砦】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>大阪地下鉄1日乗車券「エンジョイエコカード」

<感想>城郭検定受験後ついでの城巡り2城目。楼ノ岸砦は戦国時代に信長軍が本願寺攻めの拠点として築いた砦で、のちに本願寺側に奪い取られたらしい。旧淀川(現在の大川)すぐ南側、石山本願寺の西側に位置し重要拠点だったことを思わせる。現在は遺構は残されておらず城びと地点はビルの谷間に坐摩神社(いかすりじんじゃ)という神社があります。坐摩神社には神功皇后の鎮座石が残されています。

 ここもイオさん情報をたよりに、神社の真向かいのエル・おおさか南館ロビー前に移設の大坂城武家屋敷門跡と築地塀基部石垣を見学しました。玄関入った所に出土品の陶磁器・鬼瓦・軒平瓦等が展示されています。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田信長
築城年 元亀元年(1570)
主な城主 稲葉氏、中川氏、本願寺衆
遺構 消滅
住所 大阪府大阪市中央区石町2-2(推定地)