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橋吉

服部半蔵の活躍 (2023/03/15 訪問)

大河ドラマ「どうする家康!」第6回で舞台となった上ノ郷城跡へ行ってみました。
鵜殿長照の城で、服部半蔵の活躍で攻め落とし、その際生け捕った長照の子を人質交換に使うというストーリーでした。

まずは、赤日子神社をめざしました。
神社西側の駐車場を利用させていただきました。
ここに上之郷城のパンフレットも置かれていました。
ただ、神社のまわりは細く曲がった道が多く、あげくの果てにミカン畑の陰で見通しが悪いです。
ちょっと間違えると大変なことになりそうなので、自動車は中央公園の駐車場に止め、そこから歩くことをお薦めします。

矢印にしたがって進めば3分ほどで入口に到着します。
主郭からの眺め
三河湾が見えます。

城跡から200mほど歩いたところにある熊ヶ池は上之郷城の堀の跡と言われています。
さらに蒲郡市西部公民館には上之郷城の推定復元模型が置いてあります。
また、上之郷城や郷土史に関する資料も用意されています。

所要時間:約1時間

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赤い城

大好きなマリコ♪になりました (2023/03/12 訪問)

城友さんからも「絶対行くべき」と言われていた丸子城。
ニッポン城めぐりのイベントでようやく行くことが出来ました。
誓願寺の駐車場に停めさせて頂き登城。
遊歩道になっていて比較的歩きやすい山城です。
主郭までの途中にも竪堀を確認出来ました。
主郭には土塁も残ります。
とりあえず北側の尾根を進んで行きました。
二の曲輪には展望台もあり、眺望も楽しめます。
大手口まで進むと三日月堀があり、カーブした土橋があります。
当然三日月堀に降りて見ましたが歯朶が元気過ぎ。
写真にはならないかな?
堀に沿って主郭方面に戻ります。
やはり主郭西側の防御がこの城のメイン。
迷路のように堀が走ります。
ここが続100にも選ばれてないなんて、と思います。
今川氏の築城ですが武田、徳川が改修しています。
西側を押さえる重要な拠点の役割を担っていました。
もちろん脳内には中島みゆきの歌声が駆けめぐっていました♪

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ぴーかる

高瀬城 (2023/02/25 訪問)

【高瀬城】
<駐車場他>登城口<35.371363, 132.860396>手前道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・眺望
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅4城目。第六の城、高瀬城は戦国時代に尼子氏の重臣の米原氏によって築城されました。宍道湖の南に位置する独立した山城で出雲平野・宍道湖岸を押さえる重要な位置にありました。月山富田城落城後も米原氏は尼子再興軍に加わり戦ったようですが1571年に毛利軍に敗れて高瀬城は落城します。
 上記登城口からは1400mの登山となります。中間地点の山の尾根上の平坦部分が三の丸(鉄砲立)になります。狭い尾根上の曲輪で山頂側に自然大石を利用した虎口らしき遺構があります。長い土橋を通り傾斜を登ると城跡の中心部分の駄置場という曲輪に入ります。そこから西側が二の丸(小高瀬)の連郭群、南側が主郭を含む連郭群となります。二の丸は中心に土塁と丸い巨石があります。二の丸から西下段に半月状の広い曲輪が数段あります。駄置場から南側の主要部は山頂が岩場の狭い曲輪なので物見曲輪かと思われます。手前の石垣跡が僅かに残る広い曲輪が主郭かと思いました。山頂部分には岩をコ字状に削った貯蔵庫のような遺構があります。山頂からの眺望は良く、宍道湖や出雲空港のある菱川町の町が見えます。比高の高さ要害ゆえからなのか、城跡の防御設備(堀切・堀)の遺構が表面観察からは見受けられなかった。しかし、尾根に沿って多く削平した曲輪群を楽しみました。いい山城です。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅰ (2023/03/19 訪問)

 前々から訪ねたいと思っていた南伊勢北畠氏関連の城跡、三瀬砦跡を訪ねました。
 
 駐車場:主郭北側土塁そばに駐車エリア(34°24'03"N 136°25'35"E)があります。

 北畠氏の家臣三瀬氏の城跡、南に宮川の急峻な崖、西、北も崖で落ち込んでいる断崖上にある要害の地、主郭は土塁で囲まれて東が虎口となり現在は八幡社の鳥居が建ち、その前に三瀬砦跡の石碑が建つ、内部には井戸跡、西側土塁上に八幡社が鎮座、西奥に次の郭?その奥は虎ロープで立ち入り禁止、崖で危険かな?
 東土塁外に案内解説板がある、北方から入る県道770号線沿いには案内板があり分かり易い。県道770号線北側に三瀬氏の菩提寺慶雲寺がある。

 三瀬砦跡には家から高速道一本で約250㎞地道は数㎞で大宮大台ICで繋がっています、国道42号線を東進し県道770号線を更に東へ約3㎞程で到着。
 トイレは有りませんので途中に「道の駅南伊勢おおだい」を活用するのがよろしいでしょう。
 国道42号線は紀勢自動車道が完成する前に新宮城、赤木城、熊野三大社を訪ねる時さんざん利用していた国道ですが三瀬砦、館に関心が当時無く今まで訪ねる事が有りませんでしたが今回訪ねて願いを叶えました。
 

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【かるた】彦根城の読み札

表から 見えぬ狭間もつ 彦根城

彦根城の天守にある、隠し狭間を詠んでみました

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トク

㉚【関ケ原の26人】(15)加藤嘉明 (加藤嘉明と松山城) (2023/03/11 訪問)

(15人目)は「加藤嘉明」です。
関ケ原当時の居城は「正木城」でしたが、関ケ原後の居城「松山城」を訪れてきました。

松山城へはJR松山駅前から伊予鉄路面電車で道後温泉行に乗って大街道で下車し徒歩5分、そこからロープウェイまたはリフトで登ります。乗り場の前では加藤嘉明の銅像が出迎えてくれます。さすが賤ケ岳七本槍! 凛々しい顔ですね~(写真①②③)

私の好きな景色はここです。天守最上階から本丸越しに松山市街を眺めた景色です(写真⑦)。しかし、この日は晴れていたのですがあいにく黄砂が多く、全体的にもやがかかったような感じで見通しが悪かったのでちょっと残念でした。

加藤嘉明の関ケ原での陣跡は残っていませんが、おそらく細川忠興と徳川家康の中間に位置し、石田三成を攻めていたのではないかと思われています。しかしなぜか?あまり積極的に前へ出て手柄を立てたような記録はありません(理由は不明です)。関ケ原の最中、毛利輝元の別動隊が伊予を攻め、正木城の家臣たちがよく食い止めていたようです。それらの功績で、伊予正木の6万石から伊予半国20万石に加増され、1602年に松山城の築城を開始します。嘉明の松山城は五重の天守を持つ城だったようです。しかし完成間近の1627年に会津40石へ加増転封。嘉明の時に完成を見る事はありませんでした。

1784年松平氏の時に天守は落雷火災で焼失。幕末(ペリー来航の頃)の1854年に三重の天守で再建され、その天守が今でも現存しています(よって現存12天守の中では最も新しい)。嘉明の築いた五重の天守の詳細な記録はありません。いったいどんな天守だったのでしょうか?(写真④スタンプはここ料金所前、記念撮影スポットです)。

【余談】本丸まで登りのどが渇いたら、そこにある水道の蛇口をひねってみて下さい。水ではなく、みかんジュースが出てきます(本当です!😲)。でも有料です(笑😊)(写真⑧)。

次は(松山城)を攻めてみます。

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BVwinch

初登城 (2023/03/19 訪問)

現存天守良かったです

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三浦の晃ちゃん

面白かった (2023/03/21 訪問)

駐車場からの移動はとても、分かりやすいです。城内の展示は、とても充実していて、勉強になりました。最上階から、鯱が、見えるのですが、雀が巣を作っていたのが、微笑ましかったです。

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todo94

三河日帰りドライブ・3城目 (2023/02/23 訪問)

大河ドラマ館開館直後の9時過ぎに到着しましたが、大河ドラマ館のチケット売り場には列が出来てしまっていました。三河武士のやかた家康館の展示はもともと今回の大河ドラマの内容にジャストフィットしていましたので、充実した内容の大河ドラマ館となっています。岡崎城はさほどの混雑でなく無事に城カードを手に入れることが出来ましたが、大樹寺は駐車場が満車で渋滞も出来ていたのでスルーせざるを得ませんでした。

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三浦の晃ちゃん

三十年ぶり (2023/03/20 訪問)

約三十年ぶりに、登城しました。記憶と、かなり違っていたので、驚きました。平日なのに、駐車場は、大混雑でした。見学は、一方通行でした。最上階に、人数制限いっぱいにあげているのか、その下がの階では、床がキシキシしていたのが、怖かったです。天守閣からの眺めは最高でした。回り縁は、下が傾斜しているようで、ビビりながら、一周しました。

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じゅんじん

セレモニーホール (2023/03/21 訪問)

撮影してすぐ去りました。
城趾碑のみかな。

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シェル

石垣、そして土塁も素晴らしい東北の名城 (2023/03/08 訪問)

仙台駅西口のバスターミナルから観光シティループバス「るーぷる」に乗車し、仙台城跡で下車。(仙台城本丸埋門跡周辺にバス停があります。)
このバスは、観光客の利用がけっこう多く、混みやすいようです。
仙台城見聞館でスタンプ押印し、本丸→詰門跡→沢門跡→清水門跡→伊達政宗胸像→三の丸東土塁→五色沼→大手門跡→国際センター駅→仙台駅のルートで巡りました。
本丸までバスで行き、徒歩で下っていくのがおすすめです。
本丸、清水門跡、大手門跡の石垣は素晴らしく、三の丸には巨大な土塁と水堀が残っており、石垣、土塁の両方を楽しむことができました。
2022年3月の地震の影響で、本丸の伊達政宗騎馬像は修理中、大手門跡から中門跡を通る道と本丸北西石垣周辺の道は通行止めとなっていました。
伊達政宗騎馬像は、見れませんでしたが、仙台市博物館の政宗胸像は見学できました。(仙台市博物館も休館中でしたが、館庭の伊達政宗胸像は見学可能でした。)

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ぴーかる

高麻城跡 (2023/02/25 訪問)

【大西城】
<駐車場他>登城口<35.341023, 132.921040>より奥に進んで左手に獣の大きい捕獲檻の場所に駐車可能。登城口は狭い。
<交通手段>車

<見所>尾根曲輪
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅3城目。第十の城、大西城は天文年間(1532〜1555年)に鞍掛久光によって築かれたといわれる。尼子氏時代には大西氏が城主となります。大西高由は大内氏の進攻や毛利氏の進攻時も尼子氏を裏切ることなく月山富田城の守備に着きますが、尼子義久が毛利氏に降伏すると大西高由は安芸の幽閉にも従ったようです。その後城は毛利氏にわたります。
 城跡は表面観察できる遺構は少なく、主郭を中心に両サイドに直線状に曲輪が数段並んでいる他は主な遺構は見当たりませんでした。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

空気感が伝わるかわかりませんが… (2023/03/04 訪問)

空気感が伝わるかわかりませんが,とても寒かったです。越後人の私が言うのも変ですが…。
JR藤島駅から,徒歩約5分。見どころは,土塁かと思います。北側土塁の外側に空堀跡がありますので,お見逃しなく。

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ぴんぴん

桜御門 (2023/01/31 訪問)

完成した桜御門を見てきました。素晴らしい!

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小城小次郎

威圧感満載の門に迎えられる (2022/11/12 訪問)

比高350mで途中から岩登りのようになる急斜面の上に威圧感満載の大手門があり、そこから先にまさしく鉄壁のお城が横たわっている。こんな山の上にこんなお城を拵えてしまうところに筑紫氏の底力みたいなものが垣間見える。

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チェブ

布川城の先人たち。 (2023/02/25 訪問)

茨城県の利根川沿い利根町にある「布川城」。もとは「府川城」、『府』の字を使っていたようです。

豊島 頼継さんが「布川城」を築きました。北条家に従っていたので、小田原征伐で滅亡する運命かと思ったら、、、
頼継さんの子 貞継さんは「小田原城」に籠り討伐後、北条 氏直さんと『高野山』で蟄居。
頼継さんの弟 頼重さんは「布川城」を開城した後、浅野 長政さんに下り「忍城」で討死しました。「忍城」攻め、複雑な心境だったのでしょうね。
頼継さんの弟 頼重さんの子 信満さんは徳川家に仕えましたが、刃傷事件をおこし自刃しました。

「布川城」は徳川家臣 松平 信一さんが入りましたが土浦に移封した後に廃城になります。

因みに、北条 氏直さんに従って、高野山に蟄居した人数は、約300人。大移動です。

利根町役場の駐車場を使用し『徳満寺』へ。
『徳満寺』が一ノ郭で、役場が二ノ郭です。二つの郭の間は、道路が通っていて空堀を利用しているようです。
『徳満寺』の裏側から入りました。この辺は土塁が残ってます。
境内に「布川城」の説明板がありましたが、その他、いろんな説明があり、「布川城」から脱線していきます。
手水舎にはカエルが。和みました。

いつか『高野山』で、先人たちに手を合わせたい と思っていましたが、何日かかるか心配になった「布川城」攻めでした。

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赤い城

公園だけではもったいない (2023/03/04 訪問)

再訪、今回は駆け足での訪問ですがちゃんと見るには1日かかると思います。
城址公園が主郭で駐車場もありますが周辺の街中一帯が城址の巨大な城です。
今回は主郭と二郭周辺のみの見学です。
木原城といえば高い土塁。
主郭の土塁だけでなく二郭の土塁も木が伐採され見やすくなっていました。
せっかくなので土塁上を歩くと外側の堀の深さに圧倒されます。
ここも江戸崎土岐氏の城。
深い堀は北条氏の影響も受けていますが佐竹氏に対抗するには必然かと思います。
街中遺構ハントも含め、じっくり1日かけて見たい城です。

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岩崎城

岩崎城検定

今年も開催!岩崎城に関する問題を幅広く出題する検定です。

令和5年度<初級第3回・中級第2回>
岩崎城検定 受験案内

受験資格:どなたでも受験できます。

■初級
出題範囲:岩崎城の戦いや丹羽家の歴史、岩崎城址公園内にある遺構、
岩崎城刀劇隊、岩崎城のマスコットキャラクター、岩崎城のイベントなど

出題形式:岩崎城公式ウェブサイトやツイッター、配布パンフレット、
岩崎城歴史記念館や展望塔岩崎城の展示などから主に出題
(パンフレットや配布資料、関連書籍、勉強ノートなどは持ち込み可。スマートフォン不可)
選択式(4択)50問

試験時間:50分

■中級
出題範囲:岩崎城の戦いや丹羽家の歴史、岩崎城址公園内にある遺構、
岩崎城の縄張り、岩崎城発掘調査、小牧・長久手の戦い、城の基本的な知識など

出題形式:岩崎城公式ウェブサイトやツイッター、配布パンフレット、
岩崎城歴史記念館や展望塔岩崎城の展示、岩崎城や丹羽家、
小牧・長久手の戦いに関係する書籍全般などから主に出題
(持ち込み不可。スマートフォン不可)
選択式(4択)50問

試験時間:50分

合格基準:初級・中級とも100点満点中70点以上

結果発表:6月以降、合格者には認定証を郵送、岩崎城公式ウェブサイトでも受験番号を掲載

検定料金:
【初級】 500円 【中級】 800円(認定証発行料、送料など) 当日現金支払い

日時・定員:
【初級】 5月27日(土)10:00~11:00(30名)
     5月28日(日)14:00~15:00(30名)
【中級】 5月27日(土)14:00~15:00(30名)
     5月28日(日)10:00~11:00(30名)

申込方法:電話かメール、直接窓口にてお申し込みください。
メールの場合は、名前、住所、電話番号をご記入ください。

申込期間:4月29日(土)~5月14日(日)
※初級・中級の併願も可能です。(初級を合格していなくても中級の受験は可能です。)

受験票:申込が完了した方から順次郵送予定。


問い合わせ 
岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
Tel 0561-73-8825 Fax 0561-74-0046
Email n-iwasakijo@mf.ccnw.ne.jp  HP http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/

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城好きのメガネ

「撫川城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
撫川城は三村家親が宇喜多直家の侵攻に備えて築いたとされる。その後、毛利氏の支配下に入り、備中高松城とともに「境目七城」として毛利氏の家臣・井上有景が守備する。中国征伐で落城し、廃城となる。江戸時代には宇喜多氏の重臣・戸川氏が立藩する。城内には撫川知行所総門が移築現存している。

<アクセス>
JR庭瀬駅 徒歩15分

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