藤島城は沖積平野に築かれていて、周囲に土塁が良く残っています。神社の手前の堀がかつての堀跡のようで、西の藤島川の流れを天然の堀として守りに活用していたようです。かつては庄内地方における南朝方の重要な拠点だったようで、延文元年(1356)(もしくは1351)北畠顕信が藤島城で挙兵しましたが北朝方の攻撃で落城したと有ります。戦国期には複数の郭があったようで天正18年の一揆の際には直江兼続でも落とせなかったと現地案内板には書かれています。
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2023/11/22 20:43
八幡宮境内に土塁が良く残る。 (2021/05/03 訪問)
藤島城は沖積平野に築かれていて、周囲に土塁が良く残っています。神社の手前の堀がかつての堀跡のようで、西の藤島川の流れを天然の堀として守りに活用していたようです。かつては庄内地方における南朝方の重要な拠点だったようで、延文元年(1356)(もしくは1351)北畠顕信が藤島城で挙兵しましたが北朝方の攻撃で落城したと有ります。戦国期には複数の郭があったようで天正18年の一揆の際には直江兼続でも落とせなかったと現地案内板には書かれています。
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2023/03/21 18:33
2020/10/22 19:35
お百姓さん、怒る。 (2020/09/21 訪問)
前回、投稿した「平形館」の本城だと思われる「藤島城」、水堀と土塁が残ってます。
八幡神社が本丸跡です。
立派な石碑と説明板がありました。
築城時期は不明です。国府として築かれたようです。
上杉 景勝さんの時代、九戸 政実の乱 鎮圧の為に出陣している留守中「平形館」と同様、「藤島城」サイドも秀吉さんの検地に反対して、一揆勢が「藤島城」に籠城したようです。
その後、上杉家から最上家が治め、1615年の一国一城令により廃城しました。
散策していると「鶴ケ岡城」で見たように、藤沢 周平さんの作品ゆかりの地を紹介する案内板を見つけました。
「義民が駆ける」、読んでみました。
江戸時代、徳川 家斉さんが三方国替えを命令します。
川越藩、長岡藩、庄内藩の三藩です。
庄内藩が国替えすると石高が減ります。
各々、三藩の言い分、政治、賄賂と、駆け引きが面白かったです。
江戸幕府って、、、、!!
そして主役は庄内藩のお百姓さんです。
江戸に次々、駕籠訴をしに来ます。
残念なことに「藤島城」は出てきません。
廃城後のお話なので、藤島村として登場です。
「義民が駆ける」のお百姓さんはハッピーエンドですが、秀吉さんを怒らせた一揆勢は、悲しい結末だったようです。
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分類・構造 | 輪郭式平城 |
---|---|
築城主 | 不明 |
築城年 | 和銅年間(708〜714) |
主な城主 | 葉室氏、久我氏、堀川氏、北畠氏、土佐林氏、丸岡氏、栗田氏、木戸氏、新関氏 |
廃城年 | 元和元年(1615) |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀 |
指定文化財 | 市史跡(藤島城址) |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 山形県鶴岡市藤島古楯跡 |
問い合わせ先 | 鶴岡市藤島庁舎産業課 |
問い合わせ先電話番号 | 0235-64-5804 |